『え、晴が……?』
「そう。なんか落ち混んでてさ。今日は帰るって言ったっきり連絡つかないと思ったら、怪我して家で寝込んでるって」
『そう、』
「名前、行ってあげてよ」

晴が怪我をしたと告げられた時点で、なんとなくそう言われるような気はしていた。

よりによって、何で仕事の無い日なんだろう。まるで図ったかのようなタイミングの悪さに、溜め息を吐いた。

「じゃ、そういうことだから!よろしくね名前!」
『どうせ嫌って言っても聞いてくれないんでしょ』
「あはっ!その通り〜!だって晴、名前じゃなきゃ会ってくれなそうだし」
『そんなこと、』
「あるの!じゃ、ほんとによろしくね」

ばいばい!と、愛莉の明るい声で切れた電話は、おそらく彼女なりの気遣いだろう。

婚約を破棄すると伝えてから、晴とのことは何も話していないが、良い機会だ。きちんと本人に会って話をしてから、愛莉にも全て伝えよう。


見慣れた大きな扉の前に立ちながら、そっと何もない胸元に手を置いた。






















「…………何しに来た」

数日ぶりに会う晴は、わたしから目を逸らし、ベッドの上で不機嫌そうに呟いた。

『愛莉から聞いたの。怪我したんだってね』
「だから何だよ。お前には関係ねぇだろ」
『うん、わたしもそう思ったよ』
「だったら何で来てんだよ」
『だって、晴は幼なじみだもん』


黙り込む晴に、小さく告げた。


『心配くらいさせてよ』


例え、もう婚約者としてそばにいられなくても。

晴が、わたしではない別の誰かに恋していても。


幼なじみとして、晴が辛い時に、そばにいることくらいは許してほしい。


『痛い?』
「…………」
『滲みたらごめんね』

問い掛けに返事は無いが、傷の手当てには大人しく応じてくれた晴の横にしゃがみ込む。

「………っ」
『ごめん、もう終わるから』

寝転ぶ頬に手を添え、傷になった箇所へ薬を塗り込むと、晴は一瞬顔をしかめたが、全ての処置が終わるまで、わたしを拒むことはなかった。


沈黙が続くこと数秒。
やがて、シンと静まり返った室内で、目元を隠すように腕で覆った晴が口を開いた。


「…………ダッセェだろ」
『え、』
「何もかも嫌んなって、親父にも見放された挙句、喧嘩の一つも出来やしねぇ。おまけに好きな女も振り向かせられなくて、自分でも嫌になる……」
『…………』


やはり、原因は音ちゃんか。
予想していたとは言え、彼女のことでこんなにも憔悴しきった晴のことを見ているのが辛くて、視線を逸らした。


「良かったな、こんなどうしようもねぇダセェ男と縁が切れて」
『……………』
「分かったらもう行けよ」

小さく呟き、こちらに背を向けた晴がそれ以上口を開くことはなかった。


例えわたしが幼なじみとしての縁を繋ごうとしても、晴はもうそんなこと望んでいない。

冷たい言葉に、突き放されたことを自覚してきゅっと胸が痛むが、それが本心でないことは知っている。


晴は強がりだが、決して強くはない。


『行かないよ、絶対』
「…………」
『晴を一人になんて絶対しない』

傷付いて、辛い思いをしている晴のそばを離れるなんて、わたしには出来ない。


力無く投げ出された手を握って、ゆっくりこちらへ振り向いた晴に微笑んだ。


『お願いだから、そんな風に自分を傷付けないで………』


例え、晴がどんなに自分を蔑んでも。
その情けなさに打ちひしがれても。

そんな晴のことを、誰より大切に思う人がいる。

格好悪くても良い。
弱くたった構わない。

だって、晴はそれ以上に一生懸命で、いつも真っ直ぐだったから。



『晴………』



だから、好きだったんだよ。



「…………お前が泣くなよ」
『だって、………っ』


言葉に出来ない。

好き、という一言が、もう晴に伝えられないということが、こんなにも辛いとは思わなかった。


「お前が泣いても、もう俺は慰めてやれねぇんだから」
『っ………』

遠慮がちに伸ばされた手が、わたしの頬へ触れた。

視線を上げると、辛そうに顔を歪める晴と目が合う。

『……はると、っ………』
「ん、」
『はる、と………っ』
「ん……」

名前を呼べば、添えられた親指が、わたしの涙を拭うように動いた。


「名前」
『っ………』
「泣くくらいなら、何で来たんだよ」
『……だって……っ』
「だってとかでもとか、もう色々限界なんだよこっちは……」

余裕の無い顔だった。

怒っているようにも、悲しんでいるようにも見える表情で、強引に頭の後ろへ回された手が晴との距離を詰める。


『……はると………っ』


ねぇ、その辛そうな顔は誰の為?

今、目の前にいるのはわたしなのに。

こうしてわたしに触れながら、晴は一体誰のことを思っているの。


『………っ、離してっ』
「またそうやって逃げんのかよ」
『逃げてなんかっ………』
「お前、いつもそうやって俺の話を最後まで聞かねぇだろ。だってとかでもとか、自分で勝手になんでも決めて、こっちの話なんか聞いちゃくれねぇ」
『そんなことっ……』
「名前」
『、ッ………』
「名前!いいからこっち見ろ!」

両頬が晴の手に包まれ、無理矢理前を向かされた。


「名前」
『……はると………』


あぁ、同じだ。

この目は、見たことがある。




"ずっと、本当に好きだったんだよ"

『晴…………っ』

"苗字名前さん"

『……っ晴、……』

"好きです。俺と付き合ってください"

『っ、晴ってば……っ!』


離して。
伝える前に、もう一度頭の後ろへ回された手が、わたしの体を抱き締めた。


『ッ晴……!わたし前にも言ったよっ』
「何が」
『もう間違っちゃダメだよって、!』

好きでもない女の子に、こういうことはしないでって。

「間違ってねぇよ」
『何言ってるの、だって晴は……』
「だってもでもも、もうウンザリなんだよ」
『何が……』
「いいから聞け。俺は間違ってねぇ」


「俺は…………」