留学のこと。
婚約のこと。
そして、晴とのこと。
全てをきちんと決めたからには、幼なじみである4人にも話をしようと、永徳学園のラウンジを訪れた。
「そうか。じゃあ………」
『うん。早めに準備して、夏には向こうに行くつもり』
「急だな」
『ごめん』
不満げな愛莉と、黙り込む一茶。報告を聞いて、珍しく怒ったように腕を組む杉丸から視線を向けられ、ついいつもの癖で晴の方を向いてしまった。
「話はそれだけか」
『ううん。あともう一つ、』
言いかけたところで、ラウンジの下が何やら騒がしいことに気付いた晴が顔がしかめた。
「なんだ……?」
「お願いです!話を聞いてください!」『…………』
「お願いです!神楽木さん!お願いします!」
「…………」
悲痛な声で、必死に名前を呼ばれているのは晴だ。
その余裕の無い声色から察するに、相手は、最近また横行しているという庶民狩りの被害者だろうか。
「何故まだこの学園にいる。早急に退学届を提出してこの学園から立ち去れ」
『……………』
「あれ、この前親の事業が傾いて学費を払えなくなったからって、晴が追い出した子」
やっぱり。
男子生徒に押さえ付けられ、必死にこの学園に残りたいと訴えかける姿は、悲痛そのものだった。
「庶民狩りに、例外は無い」
いくら学園の為とはいえ、晴は、本当にこれで良いのだろうか。
あの日。海斗を救えなかった晴が、後悔と共に憧れた背中は、こんな背中ではなかったはずだ。
強くなります、と誓いながらわたしの手を握った晴は、少なくとも、こんな悲しそうな目はしていなかった。
「嫌です!神楽木さんっ、わたし……!」
「オイいい加減にしろ!」
「ほら行くぞ!」
「ッ、離して!」
悲痛な声と、それを咎めるいくつかの声。
視線を向ければ、そんな喧騒に紛れて、手にした花瓶を例の女生徒へ向ける男子生徒の姿が目に入った。
「ッ?!名前っ……!」
『っ………』
考えている暇なんて無い。
ただ、どうにかして助けなければと思った。
そういえば、前にもこんなことがあった。
驚いて、動けなくなっている彼女を庇いながら、ふと数ヶ月前の出来事を思い出し、目を閉じた。
「……いって………………」
激しい破裂音と、微かに飛び散る水飛沫。
それでも、なんの衝撃もないことを不思議に思って目を開けると、そこには、見慣れた黒いジャケット姿の背中があった。
『………晴……』
「大丈夫だ……なんともねぇ」
『でも、』
「もうやめた」
『え………』
花瓶を受け止めた腕を庇い、顔を歪める晴に触れようとした手を、やんわりと解かれる。
「………こんなダセェこと、もうやめた」
そう言って、拾い上げられた退学届はビリビリに破かれ、地面へ落ちた。
「俺は、道明寺さんみたいに永徳を守りたかった。永徳のリーダーになりたかった。……けど、俺にはそんな力は無くて、」
「やめろ晴」
「こんなことやってても、ますます自分にうんざりするだけだ」
「晴っ!」
『海斗、!』
弱々しく呟いた晴に、珍しく声を上げる海斗。
それを宥めるように間に入ろうとした体を、晴の腕に止められた。
「よく見ろよ、これのどこが品格だ」
「…………」
「俺は全然完璧じゃねぇ。俺はヘタレで、弱っちくて……本っ当にしょうもない…………」
けど………。そこまで言って、不意にこちらを向いた晴と目が合う。
「もう、そんな俺からは逃げねぇ」
『晴…………』
「庶民狩りなんてしなくたって、俺が永徳の品格を取り戻す」
だから頼む。
俺を信じてくれ。
俺に力を貸してくれ。
プライドの高い晴が、こんな風に頭を下げるところなんて初めて見た。
驚きで、声が出なくなると同時に、何故かじんわり視界が滲んで、鼻の奥がツンとした。
晴は、晴らしくいれば大丈夫だよ。
ずっと、応援してるから。
そう言って、最後まで俺のことを支えてくれた名前に、これで少しは安心してもらえるだろうか。
何をどうしたって、もう戻ることはない俺達の関係。
それでも、彼女の記憶に残る最後の俺は、どうか、アイツが好きだと言ってくれた俺らしく。
嘘偽りの無い、ありのままの姿でいてほしいと思った。
『晴…………』
怖い。
本当は、今すぐ全て無かったことにして逃げ出したいけど、その優しい声に、ゆっくりと顔を上げ、息を飲んだ。
「…………名前……」
久しぶりに見た、名前の笑顔。
嬉しそうきゅっと目を細めて、まるで子どもの頃のように笑う姿に、改めて思う。
あぁ、やっぱり好きだ。
こんなにも思っていたのに、どうして今まで気付けなかったんだろう。
「名前」
『ん?』
好きだ。
言えない言葉を飲み込んで、彼女の頬に流れた一筋を拭う。
「ありがとな、」
最後まで、こんな俺を見守ってくれて。
今まで、ずっとそばにいてくれて。
「元気にやれよ」
どうしても、アイツと幸せになれとは言えないけど。
もしも、この先もずっと俺のことを覚えていてくれるなら、今までの俺より、どうか今の俺を覚えてくれていますように。