涙の理由は分からない。

しかし、昼間のように、ただ悲しいというだけで気持ちが乱れているわけでないことは確かだった。


滲む視界に、キラキラと光る街のネオンが眩しい。


そういえば、前にもこんなことがあった。

晴が音ちゃんと出会ってすぐ、彼女のことを好きになった瞬間を、わたしは、多分目の前で見ていた。


どんなに焦がれても、追いかけても、もう二度と晴の心がこちらに向くことはないと思っていたあの日のわたしに、教えてあげたい。



「お前、やっぱりまだ泣いてんのかよ」
『え………』


晴は、今もそばにいてくれる。


『………なんで……』
「泣いてる女を、一人になんか出来るかよ」


他の誰がなんと言おうと、晴は、ずっとわたしの味方でいてくれると。



「全部話せよ、お前の見たこと」
『はると………』
「ちゃんと最後まで聞くから」


言葉と同時に、優しく拭われた涙が晴の指に落ちた。






































「なるほどな。そりゃクロだ」
『うん、』
「でもやっぱ腑に落ちねぇな。何でアイツの弟が名前を狙うんだよ」
『そこがわたしも分からなくて………』


自宅までの道中。晴に今日あったことを話しながら、浮かぶ疑問に言葉を詰まらせた。


「まぁ、こればっかりは本人に聞いてみねぇとなんとも言えねぇな」
『うん、』
「こうなったら、アイツの弟が関わってる決定的証拠を見つけて、平野紫耀に土下座させるか」
『別にそこまでしてもらわなくてもいいよ、』
「ばか。お前が良くても、俺が嫌なんだよ」


そう言って、不満げに顔を歪ませる晴のことを見ているだけで、少し心が軽くなるのだから不思議だ。



『晴』
「ん?」
『ありがとう』


信じてくれて。

こんなわたしの味方になってくれて。



『晴がいてくれて良かった』



きっと、あの時一人でいたら、わたしは、もうこんな風に笑うことは出来なかったと思うから。



『じゃあ、またね』



自宅までは、あと数メートル。
最後は笑顔で手を振り、黙り込む晴に背中を向けた。



「名前」
『ん?』


しかし、その小さな声に振り向こうとした瞬間だった。



『………ぇ……』


後ろから、突然回された晴の腕に動きが止まる。



『……はると………?』
「一分だけ」


耳元で囁き、力強く抱き締められると、もうその腕を振り払うことは出来なくて。


つい、考えてしまった。

あともう少しだけ。ほんの10秒だけでもいい。


今は、誰もこの時間を邪魔しないでと。



「名前………」



分かっている。

本当は、こんなことを許してはいけない。

また間違えてるよ。今すぐにでも、そう言ってこの腕を振り払わなければならないのに。



感じる体温に。
触れる手つきの優しさに。

叶うなら、どうかもう少しだけ、と、わたしからも、その腕に触れてしまった。



『晴…………』
「…………」


名前を呼べば、より一層強く包まれる体に泣きたくなった。


離れたくない。

ずっとこのままでいい。

望んではいけないそんなワガママにすがりながら、触れた手に力を込めた瞬間だった。




「名前っ!」
『………紫耀、くん、』



一瞬で、冷静になった手から力が抜ける。


晴に触れていた手で、今度は必死にその腕を引き剥がそうとしながら声を荒げた。



『あのね、違うのっ………これは、晴が悪ふざけして、!』


本当に、晴だけのせい?


『ね、晴……っ、やめて、』


わたしだって、この腕を受け入れたのに?


『晴っ、ねぇ……はる、』
「やめない」
『……っ』


いくら力を込めても、それ以上の力で抱き締められている腕からは逃れられなかった。



「取られるぞ」
『はるとっ………』
「お前がちゃんと名前を捕まえとかないとな、誰かにあっという間に取られるぞ」
「何言って、」
「婚約者だからって余裕ぶっこいてねーで、コイツを一番に考えろよ」


表情は見えないが、その声色だけで、晴が怒っているということはすぐに分かった。


先ほどと同じだ。

また、わたしの代わりに、言えないことを言ってくれる晴の優しさに、こうして甘えてしまう。



「名前」
『晴、』
「ごめんな。すぐ家入れよ」


体を離すと、そう言ってわたしの頭に手を置いた晴が、紫耀くんの方に視線を向けた。


言葉はない。

ただ、見たこともない表情で彼を睨み付ける晴の視線は、わたしに向けられたものとはまるで別人のようで。


あぁ、本当に怒っているんだ。

だから晴は、わたしの為にわざとあんなことを言ってくれたんだと、胸が潰れそうなほど痛んだ。



「名前……」
『…………』


そこまでしておいて………。

こんなにも人の心を掻き乱しておいて、去って行く時は、勝手に一人で行ってしまう。


行かないで。
口に出来ない思いを抱えながら、わたしはあと何度、この背中に焦がれれば良いのだろう。