2品目 親子丼

人の話し声と明るいBGMが混じり、いつも賑やかな店内が今は普段より更に騒がしい。というのも、今日は月に一度、このスーパーで行われているセールの日なのだ。いつもよりもお買い得な商品を求める人でごった返す中、私もその例に漏れず買い物かごを片手に商品を眺めていた。
とはいえ時刻はもう夕方、タイムセールだったり数量限定の目玉商品だったりは既に歴戦の猛者に狩り尽くされた後。このあたり、昼間自由に出歩けない学生という身分の辛いところではあるけれど、ここで泣き言をいっても仕方ない。
夕飯のおかずになりそうなものが、少しでも安く手に入ればいいな、程度の気分で店内をブラついていく。
事前にチラシでも確認出来ていればもっと手早く済ませられるのだろうが、生憎今日はそんな暇がなかったので、食材の値段を確認して献立を決めるところから始めなければいけない。山田家の冷蔵庫の中身を思い出しつつ、どうしようかなと頭を悩ませていると、やけに見慣れた後ろ姿の店員が商品の補充をしているのを発見してしまった。
むくむくと悪戯心が沸き上がり、私は足音を殺してそこに近づいていく。彼は作業に熱心で、私のことには気がついていないようだ。

「店員さん、今日のおすすめはなんですか?」
「っはい!今日は――って、なんだ名前か」

トン、と肩を叩いて声をかけると慌てた様子で振り返り、私の姿をみとめて、左右で色の違う両の目がぱちぱちと何度か瞬きを繰り返した。

「ふふ、驚いた?」
「ああ、今から買い出しか?」
「うん、一郎は今日はここでお仕事だったの?」

毎月売り出しのときはここで手伝っているんだろうか。それにしては、今まで見かけなかったけど。そう思って聞くと、一郎はがしがしと頭をかいた。

「ああ、なんでも学生のバイトが軒並みテストで休みらしくてな。店長に泣き付かれたんだよ」
「なるほど」

確かによく考えてみれば今の時期はテストシーズン真っ只中だ。懐かしいなと零すと、お前だってそんな変わらないだろと笑いながら返された。
まあ確かにそれはそうなんだけど、義務教育の学生と大学生では、わりと意識とか気分とかそういうものが大きく違う気がする。偏差値が高い難関校とかならまだしも、私の通うそこそこレベルの大学だとテストそう難しくはないしね。そもそもテストじゃなくてレポートだけとか、テストやっても教科書持ち込みとかあるし。あれ楽でいいよね。
とまあ、話が逸れてしまったので本題に戻そう。目下のところの私の悩みは今日の献立のことである。なるべく安く、美味しく、それでいて年ごろ男子を満足させるボリュームのある食事、というとどうしても難易度は高くなってくる。一郎なんかは食費のことは気にすんな!と言ってくれたが、他人のお金を使うのだからそういうわけにもいかない。総菜買うほうが安上がりだったなんてことになったら本末転倒も良いところだ。

「で、話は戻るけど、今日は何かお買い得品は残ってる?」
「うーん、昼ぐらいまでは牛肉が安売りしてたんだが流石にこの時間には残ってねぇな…」
「うわあそれ欲しかった…」
「わかる。俺も仕事してなけりゃ買ってた」

お客様優先なのは当然とはいえ、世知辛いことだ。牛肉、次の売り出しの時は学校休んででも狙っていこう。人知れずそんな決意を固めている私を他所に、一郎はポンと手を叩いた。

「そういや鶏も安かったな、モモの方」
「鶏モモかー、…唐揚げもいいけど…うーん…」

唐揚げは出来ればしっかり下味を漬けておきたい派だが、今から買って帰って漬けるとなると長くても1時間程度しか漬けられない。それに揚げ物の気分化と言われると少し違うような気もして、唐揚げの案は却下した。

「一郎は何か食べたいものある?」

ここはもう、リクエストを聞いた方が早いだろう。そう思って問うと、一郎は少しの間んん、と考えて、そして口を開いた。

「そうだな…丼ものとかどうだ?」
「鶏で丼ものっていうと…親子丼とか?いいかもね!」

そういえば卵はこの前買っておいたし、まだネギも残っている。玉ねぎだって冷蔵庫に入ってたはずだ。あとは汁物と付け合わせを用意すれば十分だろう。

「じゃあ今晩は親子丼にしようかな。ありがと、一郎」
「おう!今日も楽しみにしてるぜ!」

まだまだ仕事の残っている一郎に手を振って別れ、私は目当てのものを手に入れるため再び店内を歩き始めた。


「というわけで、今日のご飯は親子丼です!」

ずらっと並べた食材を前にそう宣言すると、なぜかぱちぱちと拍手が上がった。よくわからないがやる気があることはいいことだ。
今日は初めから二人そろっている二郎くんと三郎くんは、どちらも私が用意したエプロンを身に着けている。前回初めて気づいたのだが、この家、もともとエプロンが存在していなかった。まあ男子は気にしないのかもしれないけど、服に油とか飛んだりするし汚れるし、私は気になる。というわけで、予備のエプロンを急遽家から持ってきた次第である。
当然のことだが、私のものなのでちょっと可愛い系のデザインで、それを身に着けた二人はちょっと恥ずかしそうだ。そんな姿を可愛いなとは思ったが、口にすると機嫌を損ねそうだったので思うだけにとどめておいた。あと、三郎くんにはちょうど良いサイズだったけれど二郎くんには少し小さめなので、そのあたりも含めて機会があればきちんとしたものを準備しようと思う。
そして今日はもう一つ、調理に入る前にやらなければならない大事なことがあった。

「二人とも、これを見てください」

じゃじゃーん、という効果音とともに取り出したのは、いくつかのマスを書いた厚紙のカード。紐をつけ首から下げられるようしてあるそれは、小学生とかが夏休みにラジオ体操をするときによくもっている例のアレだ。

「? それなんだ?」
「スタンプカード?ですか?」
「大正解!」

これこそ、私が昨日の夜に二人の喧嘩対策に作った秘密兵器である。

「これから、二人が私の前で喧嘩するたびに、このカードにスタンプを押していきます。そして、5個スタンプが溜まったら…」
「溜まったら…?」

ごくり、二人が唾をのむ。ゆっくりと勿体ぶってから、私は続きを口にした。

「一郎に報告します」

「ひっ」とどちらからともなく息を呑む音が聞こえる。

「そ、そんな…お願いだから兄ちゃんだけには…!」
「罰というなら他にもあると思うんです、だから、いち兄を巻き込むのは…!」

このセリフだけ聞くとなんだか私が悪者みたいだ。とはいえ、大事なことなので私も引く気はない。

「嫌だったら、喧嘩しないで仲良くしてね!はい、握手!」

有無を言わさない勢いで宣言すると、二人は心底嫌そうに顔を見合わせた。ぎり、とお互いがお互いを睨み合いながら握手を交わす。なんか手に余計な力が入っているような気がしないでもないが、気付かないふりで通す。ああ、仲良きことは美しきかな。


気を取り直して、親子丼作りに取り掛かる。

「まずは鶏モモ肉を一口大に切ります。三郎くん、お願いね」
「はい、わかりました!」
「俺は何をすれば良いんすか?」
「二郎くんには箸休めを作ってもらおうかな」
「箸休め?」
「えーっと、メインの料理の合間に食べるような軽いおかずのことでね。今日は白菜を浅漬けにしようかなって」

そう言うと、合点がいったのか二郎くんがああと頷いた。

「二郎にはなるべく平易な言葉を使わないと伝わりませんから、気を付けてくださいね」
「あァ!?」

すかさず口をはさんできた三郎くんに、二郎くんが凄む。はあ、と息を吐いて、私は「それ以上続けるとスタンプ押すよ」と告げた。
とたんに、ぐっ…、と二人が押し黙る。スタンプカードの威力すごい。作ってよかった。
この間の残りの白菜を数枚千切って、二郎くんに渡す。浅漬けは長期保存に向かないので、あまり作りすぎてもいけない。

「根本の部分は切って、あとは1cmぐらいの大きさに切り分けてね。あとはビニール袋にそれを入れて、塩昆布と塩適量入れて、馴染ませるように揉むの」
「適量ってどれぐらい」

塩昆布はあらかじめ入れる分を分けておいたからいいけれど、塩は保存容器ごと置いてある状態だ。二郎くんが困ったように問いかけてきた。初心者はそこ悩むよね、分かる分かる。

「とりあえずざっと一つまみ程度かな。少ない分は後で足せばいいけど、減らすのは難しいし」
「了解ッス!」

二郎くんが包丁を手に白菜を刻んでいく。

「左手は猫の手、指は切らないように気を付けて」
「大丈夫、わかってますって!」

それでも不安なので少しの間様子を見守っていたが、ところどころ覚束ない手つきで危なっかしさはあるものの、ただ切るだけなら大丈夫そうだ。
まあもう高校生の子にあまり過保護になっても良くないだろう。二郎くんの言葉を信じることにして、私は親子丼づくりに戻った。

「名前さん。鶏肉、切り終わりました」
「じゃあ包丁とまな板を一度洗って、次は玉ねぎとネギを刻んでくれる?玉ねぎは横半分に切ってから薄切り、ネギはこの前私がやったみたいに斜めにして薄切りね。焦らず、ゆっくりでいいよ」
「えっと、こう、ですか?」
「そうそう、上手上手」

とん、とん、とん、と包丁がなかなかのリズムを奏でていく。うん、これならこっちも大丈夫かな。
野菜類は三郎くんに任せ、その間に私は親子丼の煮汁を作る。
出汁を溶かしたお水に、みりんと醤油、砂糖を加えて味を調えていく。世の中には丼の素という便利なものも存在するし、私一人ならそれでも構わないけれど、折角だから出来るところは自分の力でやりたい。まあ出汁は顆粒のを使っているが。早いし便利だし。取り方を知っていて損はないので、時間のある時に二人に教えておこうとは思っているけど。
出来た煮汁を味見して、納得のいくできなことを確認。鍋に移して火にかけた。ふつふつと沸騰し始めたら、切り分けた鶏肉を入れていく。

「野菜、こんな感じで大丈夫でしょうか?」
「うん、いい感じ!じゃあそれもこの中に入れて」

ざあっと、野菜も投入し煮えるのを待つ。鍋を見て、よし、と頷くと、それを見計らっていたのか二郎くんが「名前さん」と声をかけてきた。

「これ、こんなもんっスか」
「どれどれ…うん、良くできてると思う」
「へへっ」

程よく揉まれた浅漬けは、ビニール袋の空気を抜いて冷蔵庫においておく。これで1品は完成だ。

「じゃあ次は…二郎くんは卵を割って、溶いておいてくれるかな。三郎くんはお味噌汁の材料を切ろう」
「うっす」
「はい!」

玉ねぎと白菜、それに油揚げを用意して、それぞれを手ごろな大きさに切ってもらう。
少しずつ包丁に慣れてきた様子の三郎くんに満足して、さて私は味噌の準備でもと思っていたら、ぐしゃりという音とともに「あ、」と間の抜けた声が二郎くんから聞こえてきた。
それに振り返ると、片手を卵まみれにした二郎くんがただでさえ下がり気味の眉をさらに下げ、やってしまったという顔をして立ち尽くしていた。ボウルの中には卵の中身と殻が混在している。

「す、すいません……」
「はあ…高校生にもなって卵を割るのも満足にできないなんて、情けなくて頭が痛くなるよ。名前さん、僕からも謝らせて下さい。二郎がご迷惑をおかけして本当にすみません」
「くっ…言い返せねぇ…!」

二郎くんが言い返してないので一応喧嘩カウントはしないでおくが、そこまで言うほどのことでもない。

「良いよ良いよ、どうせかき混ぜちゃうから殻だけ取り除いたら問題なく使えるし、気にしないで。あと三郎くんは言い過ぎ」
「あざっす…!」
「うっ……ええと、その、…すみません…」

二郎くんにフォローを入れて、三郎くんには釘を刺す。安心したように笑う二郎くんと対照的に、三郎くんは落ち込んだように下を向いてしまった。
ここまでくると、三郎くんはもう二郎くんに反抗せずにはいられないのかもしれない。中学生といえば反抗期真っ盛りであるし、長男の一郎に反抗しない分、二郎くんに余計に厳しく当たってしまうのかも。男兄弟のいない私には男子の反抗期がどれぐらいのものか、想像するぐらいしか出来ないけれど、これぐらいならまだ可愛い方なのかもしれない。
これが家族のコミュニケーションなら私はあんまり口を出さない方がいいのかなあ、とも思うけれど、それでもまあ目の前で喧嘩されると困るのでスタンプカード制度は続けていくつもりだが。
二郎くんが今度は力を入れすぎないように慎重に再び卵を割っていく。それをしばらく見届けて、みそ汁を作るために三郎くんの元へと戻る。
三郎くんの包丁を握る手は止まっていて、私は彼に声をかけた。

「三郎くん?」
「あの、先ほどはすみませんでした…子どもっぽい態度を取ってしまって、反省しています」
「うーん…私には謝らなくてもいいけど。二郎くんもお兄ちゃんなんだから、あんまり悪いこと言ったらだめだよ」
「……善処します…」

妙な沈黙の後で、三郎くんは絞り出すようにそう続けた。これはやめるつもりがないな、と思ったが、あまり追及するのも気が引ける。代わりに、偉い偉いと頭を撫でると「また、子供扱いをして…」と頬を膨らませた。

「ガキがガキ扱いされて何が不満なんだよ」
「お前にガキと言われる筋合いはないね!」

ここぞとばかりに軽口を飛ばす二郎くんに、間髪いれずに三郎くんが言い返す。いつものやり取りに戻ったけれど、さっきまでの反省は一体どこへ行ったのか。
要するにこの二人、お互いにまだ子供なんだよね、うん。
もうツッコむのも疲れてきたので無言でスタンプカードを手に取ると、二人はとたんに口を閉じた。いやこれほんと便利だな。
二人をおとなしくさせたところで、調理を再開しよう。みそ汁用の鍋に水を入れ出汁を溶かしていく。三郎くんが切ってくれた具材を入れて、火を通す。適量の味噌を溶かし入れれば、紆余曲折あったがみそ汁も無事完成だ。
あとはメインの親子丼のみ。煮ていた鍋を見てみると、ちょうどよく鶏肉にも火が通ったようだ。

「卵、準備できた?」
「はい、どうぞ」
「ありがとう」

溶き卵入りのボウルを二郎くんから受け取って、火を弱火に落とした。ボウルの中身を7割ほど鍋に入れて、鍋肌の方から少しずつ固まり始めたら固まった部分を中央に寄せていく。
ある程度固まったら残りの卵液を鍋に加え、火を消した。余熱で火を通すので、蓋をして少し待つ。半熟程度に収めるために、火が入りすぎないようにコンロから鍋を下した。
さあ、あとはご飯をよそって中身をかけるだけだ。時計を確認すると良い時間で、一郎もそろそろ帰ってくるかなと思っていたら丁度よく玄関が開く音がする。
時間が経つと卵がどんどん固まってしまうので、本当にナイスなタイミングだ。
台所に顔を出した一郎が漂う匂いに頬を緩ませた。

「はー、仕事途中からずっと親子丼の口だったんだよ」
「ご飯、どれぐらい食べられる?」
「大盛で頼む!」
「了解」

全員分のご飯をどんぶりによそい、お味噌汁も準備する。浅漬けは冷蔵庫から取り出して、みんなが取れるように大きめのお更に盛ってテーブルの中央へ。
満を持して、ぱかりと親子丼の具の入った鍋の蓋をとると、艶のあるぷるぷるとした半熟状態の卵に鶏肉や野菜がとじられているのが見えた。
お玉ですくって、ごはんの上にかけていく。白と黄色のコントラストが美しい、自分で言うのもなんだか今回も会心の出来だ。
じゅわ、と口内に唾液が滲む。一郎ではないが、私も作っている途中からずっと親子丼の口になっていたので、もうほんとうに、これ以上は我慢できない。

「いい匂いですね!」
「早く食べようぜ!」
「っし、名前、今回も頼む!」
「はい、それじゃあいただきます…!」

言うが早いか、親子丼を一口口に運ぶ。煮汁のしみ込んだお米に、とろっとした卵と柔らかな鶏肉の旨味。それに野菜のしゃきしゃきとした食感がたまらない。

「味付けが良いのももちろんありますけど、自分が手伝うと、いつもよりも数倍美味しい気がします」
「それはあるよね、分かる」
「兄ちゃん、この漬物は俺が漬けたんだ。食べてみてよ!」
「おっ、そうなのか?じゃあ遠慮なく……ん、うまい!すげぇじゃねえか二郎」
「いち兄、お味噌汁はどうですか?僕が具材を切ったんです」
「へえ、これ一人で切ったのか。偉いぞ三郎」

確かに、白菜の浅漬けは塩加減が絶妙だし、具材の大きさが均一なおかげで、お味噌汁はとても飲みやすい。
決して私一人の力ではない、二人のおかげで今日のご飯もどうやら大成功だ。
道中いろいろあったけれど、最終的にこうやって全員で笑いあえているのだから、まあ大団円というものだろう。
そんなことを考えながら、また一口、親子丼を口に含む。うん、美味しい。

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