「……何もない」
 岸部露伴が二藍玻瑠を【読んだ】とき、そこには星野潤と東方仗助も同席していた。波瑠のアパートの寝室は狭く、大人を4人押し込むとひどく圧迫感があった。そのなかでもひときい大きい体躯の仗助が痺れを切らしたように露伴に噛み付く。
「ない、わけねえでしょうが。ナニ? 白紙っつうことですか」
「【スタンドに係る記述が一切無い】んだ。くっだらないことはびっしり書いてあるさ。いつお前とキスしただとか、そんなの読み上げてる暇はないだろうが。考えて喋れよ仗助」
「んなっ」
「露伴、言いすぎよ。素直に自分も心配してるって言えばいいじゃない。どうして態々波風を立てるようなこと言うの」
 潤がいなければ、この場所で乱闘が始まっていただろう。拳を収めた仗助と対照的に、露伴は訝し気な表情のまま頁を捲り続ける。
「おかしい、おかしいぞ。こいつ、杜王町に越してきてから【一切怪異に触れず】生活してたって言うのかよ」
 情報が無い、と露伴は繰り返した。露伴の【ヘブンズドア】には嘘偽りが通用しない。彼女の生きた軌跡が、包み隠さず記載されるはずなのだ。当然、隠しておきたい情報もあるだろう。そういった部分の記載は後半にひっそりと隠すように小さな文字で書かれるものだが、それにすらこの事件に係る記述が存在しないのだ。【誰かがごっそり消した】かのように。
「潤さんのことを知らせる書き込みや、露伴に送ったメールの意図は?」
「記載がない。おそらく、【二藍玻瑠】が意図的に行った行動ではないんだろう」
「……何者かに、操られてる可能性は?」
 露伴と仗助が、タイミングを合わせたかのように潤の方を見た。潤が疑似的な【スタンド】能力に目覚めていた時のことを思い出したのだ。
 彼女がとった行動は不可解であった。スタンドが発現した直後に露伴の家を飛び出し、理由もなく町中を彷徨い歩いている。あの船着き場に行き付いて泣いていたのも、潤の意思は絡んでいなかった。誰かに見つけられるために歩き、助けを求めるために留まって泣いていたかのようだ、と潤は思った。
「背後で誰かが糸を引いているんじゃないかしら」
 その線はあり得る、と露伴が返す。けれどもその操り糸の先が見えないのだった。
「……あの、ブレスレットについては? 潤さんと一緒に買ったって言ってましたけど。そいつが原因だったりはしませんか」
 仗助が小さく手を上げた。教師に発言を許された生徒のように、彼はゆっくりと話し出す。特徴的な語尾を伸ばす口調は、露伴と潤の前では形を潜めていた。
「【露天商からブレスレットを買った。潤ちゃんとお揃いでうれしい。おじさんはちょっと怪しいけれど、値段は良心的】」
 露伴が頁を捲り、記述を読み上げた。
「覚えてる。人当たりが良いのにぎらついた目の老人だったわ」
「不審者についての記述はないっスか」
 玻瑠が小鳥を拾った日、仗助は彼女から不審者に会ったという話を聞いている。自信なさげに遠慮する彼女を振り切って朝まで一緒にいてやれば、面倒ごとに巻き込まれることもなかったのだろうか。
 露伴が手を止め瞬きを二回した。仗助と潤が視線を向けたが、彼はそのまま本を閉じた。
「ないね。だが、【消されている】ってことは、ビンゴなんじゃないか? 老人の顔はあとでスケッチしてやるよ。そいつを探してこの騒動は【おしまい】だろうな」
「スタンドに適合する人間を探していた、ってところっスかね。それで、潤さんと玻瑠さんを見つけた」
「その老人が、何らかの媒体を介して【スタンドを付与する】能力者という可能性があるなら、玻瑠に二度接触してるのも気になるわ」
 玻瑠のそばにいた小鳥は、【スタンドのなりそこない】であった。成長する未来があったなら、かつて露伴が襲われた【チープ・トリック】のように【スタンド使い】とは独立したスタンドになったのだろう。
「潤が自身の生み出した【擬似スタンド】と同化できたのは幸いだった。おそらく、玻瑠は自身の生んだ【擬似スタンド】を制御できないまま暴走状態に入ったんだろう。そうだな、仗助」
「……そう、ッスね。あれは玻瑠さんの意志じゃあなかった。たぶん」
 ふたりの推理に耳を傾けていた仗助は、議論に参加しながらもどこか自分が遠くに置いて行かれたような気分になっていた。ーーばちん、と玻瑠に取り憑く小鳥が霧散したあのとき、何かが変わってしまったような感覚があった。
 自身のエネルギー体である【スタンド】を失った玻瑠はしばらく眠りから覚めないだろう。目覚めたら、【必要な情報だけ】を伝えるように助言を残して、露伴と潤は玻瑠の家を後にした。
 彼女の記憶からは【鳥を飼っていた】ことも消えている。仗助や露伴が【スタンド使い】であることも、自分の小鳥を奪われたことも、すべて消えている。
 都合が良いな、と言った露伴に仗助は言葉を返さなかった。
 空の鳥籠は家の倉庫にでも置いておけば良い。目覚めた玻瑠は【いつもどおり】だ。苦しんで傷ついて、それを治して書き換えて、いつもどおりだと笑う彼らを見るたびに、ほんとうは、それを強いることに慣れたくはないのだと、思う。仗助はベットのそばに腰を下ろして玻瑠の頬を撫でた。
「オレの【正しさ】じゃあ、アンタを守ってやれない?」
 それでも、傷ついてほしくないんだ。仗助はやわい布団に顔を埋めた。髪型が崩れても構わなかった。


★★★


「潤。ボクはね、自分の【スタンド能力】に誇りを持っている」
「知ってるわ。あなたが節度ある能力者だってこと。漫画が絡むと図に乗るけどね」
 一時的ではあるがスタンドが見えていた潤は、露伴の言葉に同意した。やろうと思えば人の頭の中を簡単に覗く能力だ。彼が望めば潤のすべてを見透かすことも容易いのに、露伴はそれをしなかった。
「だからさ、必要以上に【書き込み】は行いたくないんだ。一過性のものならともかく」
「……玻瑠になにか、あったってこと?」
「いや、今回の騒動とは関係ないことだ。ただ、なんというか、【見なくてもいいもの】を覗いちまった気分でさ」
「なによ、教えて」
「いいや、やめておくよ。ボクはスタンドを行使するものとして【守秘義務】がある。それが友人なら尚更さ」
 潤が何かを言いかけて、やめた。露伴の表情は神妙で、玻瑠の内面的な悩みに触れたのだろうと予想がついたからだ。
「……万能の神様じゃあないのよ。あなたも、仗助も」
 わたしにも言えないことなら、忘れなさい。
 潤は露伴の手を掴んだ。その手は滑らかで温かく、露伴は大きく息を吐いた。疲れた、と柄にもなく言葉が漏れた。
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