杜王町には病院が三件ある。まず、いちばん大きなぶどうヶ丘病院。つぎに内科とリハビリ専門の診療所、それから精神科と心療内科を主にした杜王メンタルクリニック。街の中心にでんと構えたぶどうヶ丘病院と距離を置いて、診療所とメンタルクリニックは郊外に居を構えていた。
 ボク、広瀬康一と岸部露伴はカメユーデパートの食品売り場で買った果物の籠を抱えて、杜王メンタルクリニックの受付を訪れていた。
「面会ですか?」
 受付に立つ事務の女性は一風変わった服装の露伴先生と学生服を着こんだボクを交互に見て、訝し気な視線を向けてきたが、ボクの手元の果物かごを見て納得したようだった。親戚か、ないと思うが兄弟か。適当に理由を付けてボクらの関係性を推測した彼女の背後で、もうひとりの従業員が部屋を出て行った。【ガチャリ】とドアが閉まる音がした。幸いボクらの他に受付を訪れる患者はいないようだった。隣の薬局に老人が数人並んでいる。
 露伴先生は張り付けたような笑顔を浮かべて頷くと、彼女に【スタンド】を行使した。受付窓に前のめりになった女性の顔に慣れたように指示を書き込んでいく。
 ボクはあたりをキョロキョロと見回した。辺りの人たちはボクらのことをまったく気にしていないようだった。どうやらみんな中庭で鳴く鳥の声に気を取られているらしい。【ピーヒョロロロ】と鳴くのはなんて鳥だったっけ。
「……康一くん、覚えてくれ。『フジシマケイジ』だ。漢字は植物の藤に山鳥の嶋、それから神様からの啓示。どうせ偽名だろうが、運び屋にぴったりの名前じゃあないか」
「了解です、ボクはそのおじさんの親戚ということですね」
「物わかりが良くて助かるよ」
 ボクからは見えないが、露伴先生は手早くなにかを書き込んで彼女の頁を閉じた。
 目を覚ました女性は瞬きを数回したのちに、ボクに向けて笑顔を浮かべた。
「おじいさんは604号室よ、ボク」
 思わず目を見開いてしまった。どこからどう見てもボクは高校生以上の風体じゃないか。制服だってビシッと着ているはずなのに。隣で露伴先生が噴き出した。おいおい、ボクを小学生の孫とでも認識させているんじゃあないだろうな。

 エレベーターを使って、六階まであがった。入院患者の名札をまじまじと見れば、どうやら【藤嶋啓示】はひとり部屋をあてがわれているようだった。贅沢なもんだな、と露伴先生が呟いて、スライド式のドアを乱暴に開けた。一人部屋の理由はすぐにわかった。
「許してくれ! 許して! 頼むからもうワシを許してくれえ!!」
 老人が、ベッドの上で両手を組み、部屋の電灯に向けて大声で祈りを捧げていた。露伴先生のスケッチと瓜二つだ。この老人が、今回の騒動の元凶だろう。
「おい、ジイさん」
 露伴先生の靴が磨かれた病院の床を鳴らした。ぶっきらぼうな問いに、藤嶋老人は反応を返さない。近寄って見れば、日本人かどうかも怪しいような容貌をしていた。元の色がわからない白髪に、日焼けした肌、隙間だらけの歯が印象に残る。この爺さんと深夜に出くわした玻瑠さんは大いに驚かされたことだろう。
「会話も面倒なもんで、悪いが早速【読ませて】もらうぜ」
 彼が手をかざした瞬間、彼の天使が空中に描かれるよりも早く、老人が飛び跳ねるように向きを変えて、恐ろしい速さで露伴先生の手を掴んだ。
「お前たち、【スタンド使い】だな!?」
 老人の力は想像よりも強いらしく、露伴先生が「康一くん!」と叫んだ。ボクはすぐに【エコーズ】を呼び出して老人をベッドに押し付ける。
 重力によって身動きを封じられ、ぐぎぐぎぎ、と呻く老人は指先を僅かに動かして、「もうワシはスタンド使いじゃあない、許してくれ許してくれ」と弱弱しく言った。
 露伴先生の【ヘブンズ・ドア】を使うよりも早く、老人は問われてもいないのに語りだした。
「お前たち、ワシが羽根を降らしていると思っているだろうが、違うぞ。ワシはあの鳥を【譲渡】したんじゃ。だから関係ない! ワシは被害者だ! 許してくれ、もうあんな夢は見たくない!」
 やはり、ボクらの予想どおり、この男はただの「運び屋」で、羽根を降らしている元凶である【スタンド】を杜王町に連れてきたのだ。
 老人の話は支離滅裂で、息継ぎをするように電灯の神様に助けを求めるので、痺れを切らした露伴先生が【ヘブンズ・ドア】を使った。
「康一くん、看護師が様子を見に来ないかだけ気を付けてくれ」
 露伴先生の横から、本にされた老人の頁を覗き見る。汚い文字でみっしりと書かれた文字を、ふたりで黙々と読み進めていく。ドアの前には【エコーズ】を待機させた。
 【幽霊のスタンド】
 目当ての頁はすぐに見つかった。老人はこの【幽霊のスタンド】を酷く恐れているらしく、大半がこのスタンドについての記述になっていた。
「この男ーー、当然藤嶋は偽名だが、本名は必要ないだろう。こいつが【幽霊のスタンド】と出会ったのはほんの半年前らしい。男の職業は占い師、眉唾ものだが、守護霊やらなんやらが【見える】らしい。その目を通じて、オーストラリアで出会ったようだ。……クロウタドリは渡り鳥だ。時期的にはおかしくない」
 ボクは携帯の画像フォルダに保存されている「クロウタドリ」の姿を思い浮かべた。つぶらな瞳がかわいらしい、ちいさな小鳥だった。
「その小鳥は、【矢に射られ】て【スタンド】に目覚めたらしい。しかし、その鳥は弱っていて、スタンド能力を発現する前に死んだ。……死の間際に、どこぞの少年の死体を啄んだことで、小鳥の姿を被り、少年の意識を持った【幽霊のスタンド】……自立したスタンドとして生まれたらしい」
 幽霊のスタンドには、【掃き溜めの王】ブラックバードという名前があった。露伴先生が頁を捲るとその姿が記載されていた。ふたりして「オエ」と顔を顰めてしまった。それは、醜い鳥の姿をしていた。【レッド・ホット・チリペッパー】も鳥を模した姿をしていたが、こちらはより実際の小鳥に近かったが、鳥類としての輪郭は完全に崩壊していた。身体を覆う黒い羽毛は抜け落ち、目玉はほぼ溶けている。折れ曲がった脚はか細く、翼は骨が折れたように非対称だ。【掃き溜めの王】ブラックバードは存在するだけで害となる。滞在した場所に人の心をざわつかせる羽根を落としていく。羽根は抜け続ける。
「逃げたい、こいつの傍にいると気が狂いそうだ。常に不安が付きまとう。不幸が起きる。周囲の人間が苛立って牙を剝く。離れたい、助けてくれ、許してくれ……。譫言が多いな、【掃き溜めの王】ブラックバードは何処にいるんだ?」
 死んだ蛙のような姿で硬直している男の頁を捲り続ける。
「あ」
 思わず声が出た。その頁は、文字が二重になっていた。露伴先生が読み上げる。
「ワシは【掃き溜めの王】ブラックバードから逃げるためにスケープ・ゴートを探した。あいつが気にいるような人間を探し旅をした。気の弱そうな女が良かった。けれども人間見た目によらないこともある……。若い女にあいつの羽根で作った腕輪を売り歩いた。運が良ければ、【芽吹くだろう】。あとは、【掃き溜めの王】ブラックバードが見定める……。潤と、波瑠の持っていたブレスレットだ」
 その独白に、こどもが書いたような下手くそな文字が上書きされていた。
【さようなら、ぼくは旅立ちます。ぼくをずっと嫌っていたおじいさん! ありがとう、ぼくは、さいわいを見つけたよ。さようなら、いじわるなおじいさん。あなたにはさいわいがありませんように】
「うわ!」
 次の頁を捲ろうとすると、風が吹いた。室内だというのに、その突風はボクらの正面から吹き付けて、ボクたちは尻餅をついた。
 それから、病室内に嫌な臭いが立ち込める。酸っぱいような、塩辛いような、清掃の入っていないトイレの臭いを何十倍にも濃縮したような臭いだ。打ち付けた腰を撫でてから顔をあげれば、ベッドが腐っていた。
「……え?」
 正確に言えば、ベッドの上で倒れていた老人の身体が腐り、その体液がシーツやマットレスに染みこみ、腐食していたのだ。
「ひ、ひぃいいい!!」
 ボクは悲鳴をあげ、思わず露伴先生に縋りついていた。余りのことに、露伴先生も硬直していた。


★★★


 病院からの帰り道(当然、スタンドによる記憶操作を行ったあとだ)、ボクらは食欲も完全に失せ切った青い顔をしてカフェの前でバスを降りた。【掃き溜めの王】ブラックバードの行方はわからず終いだった。そこに見覚えのある姿を見つけなければ、さよならの言葉もなく帰路に着くところだっただろう。
「玻瑠さーん、ひとりですか」
 ボクは彼女に駆け寄る。玻瑠さんはひとりでパンケーキとココアとアイスコーヒーを頼んでいた。飲みものがふたつあったので、あとから恋人である仗助くんが現れるのだろうと予想して声を掛けたのだけれど、返ってきた答えは予想と違った。
「そう。康一くんと露伴先生はおでかけ?」
 背後で様子を伺っていた露伴先生が「よく食うな」と辟易とした顔で軽口を言って、深く息を吐いた。おそらく吐き気を抑えているのだろう。
「体調は良いのかよ? 就活に根詰めすぎてぶっ倒れたって聞いたぜ」
 それは、露伴先生が玻瑠さんに書きこんだ【シナリオ】だった。【スタンド】の騒動に巻きこまれて生命エネルギーを消耗して倒れた玻瑠さんは、記憶を改竄されているのだ。また、普通に杜王町に暮らす住民として、【スタンド】や【弓と矢】とは関係のない人々のひとりとして、過ごしている。
「元気だよ、このとおり! ご心配おかけしました」
 ミルクとガムシロップが2つずつ注ぎ込まれたアイスコーヒーをストローで掻き回して、玻瑠さんは笑った。お茶目なひとだ。露伴先生や潤さんと同い年のわりに、親しみやすい子どもっぽさがあって、どちらかというと彼らよりもボクらの方に感性が近いように思えた。仗助くんがボクや億泰くんと仲が良いことに「うらやましい!」と頬を膨らませる姿が妙に印象に残っている。
「仗助くんは一緒じゃないんですか? あ、あとから来るとか?」
 波瑠さんとの共通の話題は、最近の漫画や美味しいカフェなんかもあったけれど、やっぱり仗助くんだった。玻瑠さんは彼の名前を出すといつもにこにこしている表情をさらに柔らかくして、うれしそうに耳を傾けてくれるのだった。……いつもは。
「その予定はないかな。あ、冷めちゃうから食べるね」
 用事がないなら、はやくどこかに行って、とでも言いたげな口調だった。玻瑠さんはにこやかな表情のまま、ボクらから視線を逸らしてアイスコーヒーに口をつけた。右手でナイフを握って、やわらかいパンケーキをサイコロのかたちに切っていく。
 ボクの肩を掴んで、露伴先生が「どうやら不機嫌らしいぜ、喧嘩でもしたんだろ」と囁いた。ボクはすごすご退散することにした。
 玻瑠さんの後姿を見ながら、ふしぎだなあ、と顎を撫でた。今日は祝日で学校が休みだった。仗助くんに予定があるとは聞いていないし、それなら、ふたりは一緒に過ごすのだろうと思っていた。【小鳥のスタンド】を片付けてからというもの、仗助くんは玻瑠さんに対して一層過保護に振舞っていたのだから。
「……もう、この騒動からは無関係、なんですよね?」
「ああ、そうだよ。玻瑠の生み出した【スタンドもどき】も【掃き溜めの王】ブラックバードとは無関係のようだ。潤のスタンドも一緒だ。インスタントラーメンみたいなもんでさ、あれっきり。非日常の芽を積みとったあとの彼女たちは無関係の一般人に戻ったわけだ」
 彼女のそばにいたスタンドもどきの能力は、ちいさな幸福を生みだす、というものだったのだという。沢山の景品を抱えていた姿を思い出して、ボクは「無事ならなんでもいいかあ」とワザとらしく声を出した。仗助くんとの関係が気になったけれども、そこに首を突っ込むほどの勇気はなかった。
「なあ、康一くん」
「なんですか、露伴先生」
「玻瑠とくそったれ仗助が別れたらすぐ教えてくれよ、漫画のネタにするから」
「怒りますよ、ボク」
 相変わらずしっかりしているな、と露伴先生がボクの背中を叩いた。笑いごとじゃあないんです。
「でもさ、恋愛なんて、脆いもんだよ。片方が手を離せばそれで終わりだ。わかってるだろう、君も」
 いやな言い方をしやがる。ボクはわざと返事をしなかった。
 由花子さんのことを考える。彼女の手を掴んでいたい、と今は強く思うけれど、彼女の方が掴んだ手を振りほどくことを望んだとしたら、ボクはどうにもできないだろう。
 でもそれは、先生と潤さんだって同じじゃあないですか、あなたそれを言われたら弱いくせに。
 ボクの反論を待たず、露伴先生は勝手に帰路に着いていた。


prev next
top/サイトへ