杜王町の端に建つ町立図書館は通称「茨の館」と呼ばれている。普段は閑散としているその場所が妙に盛況だった。それはボクらのような読書とは無縁の輩が勉強場所を探してフラフラと集っているからである。その証拠に、閲覧スペースはいつも通りちらほらと人が居るだけだ。窓際に備え付けられたソファは空いているのに、書棚から離れた机と椅子には学生服を着た男女が隙間なく座っている。
 図書館員はこの時期の学生の多さに辟易しているようで、ボクが受付の前を通った時に小さく溜息が聞こえた。利用客から苦情が寄せられるのだろう。「高校生がうるさい」と言われれば、大人しそうな図書館員は態々注意に向かわなければならない。たとえ、相手が強面の男子高校生だとしても。公務員って大変だ。

 ボクらは図書館の入口付近に用意された自習スペースにいた。自動販売機でジュースを買って戻ると、一際目立つ髪型をしたふたりが小さな丸テーブルで頭を突き合わせて課題と格闘している。特徴的なリーゼントヘアの青年が東方仗助くん。鋭い目付きと大きな声で周囲の視線を攫っている方が虹村億泰くんだ。ボクらはぶどうヶ丘高校の三年生で、迫りくる期末試験の勉強をするため「茨の館」に来ていた。
「康一よぉ、見ろよ。仗助の野郎カッコつけてブラックコーヒーなんか飲んでやがるぜえ」
「うるせーな億泰、前から飲んでただろーがよ」
「嘘を吐くんじゃねえ!お前ミルクに砂糖も2杯入れてたろぉが。心境の変化かよォ?」
 開きっぱなしの参考書には肘に潰されてクセがついてしまっている。この三人で勉強をするというのはなかなか無謀ではないだろうか、とボクは周囲の【しん】とした静かな音を聞きながら頬をかいた。図書館員の視線が痛い。
 筆記用具を出してノートを開けば、昨日家で解けなかった数Bの問題が計算式にバツをつけたまま残っている。
 億泰くんが口を閉じると、シャーペンを走らせる音だけが聞こえてくる。放課後、この時期はどこも部活休止期間なのだろう。制服を着た学生たちが挙って勉強に勤しんでいる姿はなんだか圧巻だ。
 高校三年生の期末試験は、進学する生徒にとってはセンター前の力試しに。就職を狙う生徒にとっては評価に直結する。だから、巷では【不良】で通っているふたりもシャーペンを握って頭を悩ませているのだ。実際、彼らは見た目通りに悪事に手を染めることは無いのだけれど、一学年の頃から積み重ねた内申点というのはそこそこに響いているらしい。
「なあ康一。この問題、わかるか?」
 億泰くんが教科書を開いて指さしたそこは数学の教科書の初期もいいところで、彼はその二問目で苦戦していた。というか、ぱっと見だけれど一問目も間違えている気がする。
「多分ね、ボクも数学得意じゃないけど。ここはこの間由花子さんに教えてもらったからわかるよ」
「……あん?」
 しまった。と思った時には遅かった。億泰くんは音を立てて椅子から立ちあがって人差し指を突きつけてくる。
「いいよなぁお前らは! かしこい彼女にやさしく教えてもらえてよぉ……! おれなんかただでさえ頭が悪いのに、やさしい彼女もいねえし、家に帰ったら独りきりだぜぇ!? どうして神さまってやつぁこう不平等なんだよお!」
 完全に頭に血が上った億泰くんは辺りなど気にせず大声を出す。図書館員の女性が立ちあがったのが視界の端で見えた。
「お、億泰くん。ここ、図書館だから静かにしなくちゃあだめだよ。ねっ?」
「うるせぇ康一! おい、なにだんまりこいてんだよ仗助。お前なんか言うことねえのかよ。最近は成績も大層立派だそうじゃねえか。おん?」
 ボクはひとつ、不自然に思っていたのだ。億泰くんに声を掛けられて、仗助くんの眉がぴくりと動いた。それは遅すぎる反応だった。いつもなら、真先に億泰くんを止めに入る筈なのに、今日の彼は今のままでノートに英文を書き続けていた。
「……うるっせぇんだよ、オメーはよお」
 仗助くんの握っていたシャーペンが中腹でばきりと折れた。億泰くんを睨みつける視線は鋭く、まるで彼の自慢の髪型をバカにされた時のように、激昂しているように見えた。
「おん? なんだぁおい、やんのかよ仗助ェ」
「黙ってお勉強もできねぇのか、アホがよ」
 終いにはふたりとも立ちあがって、額がくっつきそうな睨み合いを始めた。
「ちょっと、やめてよふたりとも!」
「最近よお、オメー腑抜けてんじゃあねえのか? 彼女とイチャついて、羨ましいこって」
「あ? さっきからなにピリピリしてんだよ億泰。お前がアホだから女も寄ってこねえんじゃねえの」
「テメェ!!」
「ふたりとも、【らしくないよ!!】どうしたのさ!!」
 図書館にいる学生たちは大声を出して揉め出したボクらを迷惑そうに見ている。大柄なふたりが取っ組み合いの喧嘩をはじめたら、おそらく止めに入ることのできる職員はいないだろう。警察なんか呼ばれたら大変だ。
 億泰くんと仗助くんの頬に、べたりと【らしくないよ!!】と書き文字が張り付いた。それはマーカーで描いたようなマンガの台詞に似ていて、ボクの背後に表れた【エコーズ】の仕業だ。ボクの発した言葉はわんわんと反響して、彼らふたりの意識に直接語り掛ける。
「らしくない」というのはボクの本心だった。少しばかり短気なところはあったけれど、公共の施設でいきなり喧嘩を始めたりするような人では無いのだ。まさか、と思って一応辺りを見回したけれど、周囲に【敵のスタンド使い】の気配は見当たらなかった。
 ふたりが落ち着いて席に着いたあたりで、困り顔の図書館員に退館を勧められた。僕らはたいして勉強もせずに三人で図書館を後にした。
 またスタンド使いが現れたのか、という話にも一瞬なりかけたけれど、ふたりはどうも上の空のようだった。
 ボクは足元に積もった黒い羽を蹴飛ばしながらふたりの背中を叩いた。この羽についても気になってはいるものの、特に実害が出ていないので放置されていた。
「どうしちゃったのさ、仗助くんも億泰くんも。心配事なら話してくれてもいいんじゃないの?」
「いや、それがな、康一。特になんにも思い当たることなんざねえんだよ。昨日は早寝だし、朝も快便だ」
「おれはベンキョーがゆううつでよぉ……。仗助も波瑠さんと喧嘩でもしたのかと思ってたが違うんだな?」
「あ? あの人と喧嘩なんかしねえよ」
 仗助くんはまた眉間に皺を寄せて、拳を握りしめた。そういえば先程も彼女さんの話題が出た時に急に不機嫌になったような気がする。詳しく聞いてみるべきかとも思ったけれども、この話題を広げると億泰くんをも刺激しかねない。
 ボクらは影を伸ばして帰路に着く。すっかり陽が落ちるのが早くなっていた。

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