木製の階段の軋む音で、岸辺露伴は顔を上げた。電話を終えた潤がニ階から降りてきたところだった。電話の内容は露伴にはわからない。けれども彼女の浮かない表情の原因は、その手に握られたままの携帯電話にあるのだろう。
「紅茶でも飲むかい」
「……あら、いいわね。それじゃぜひ。茶葉はお任せするわ」
沸かした湯でティーポットを温めて、その間に茶葉を用意する。貰い物のフレーバーティーの缶を開けた。フルーツとスパイスの香りに、舌の肥えた潤に出すには俗っぽいかと露伴は一瞬だけ考えたが、彼女が食事に文句をつけた姿を見たことはなかったのでそのままポットに入れた。潤はまさに育ちの良い女だった。時折見せる矜持の高さや高慢とも取れる態度は、【若干二十歳にしてスーパーモデルである】という彼女の外殻を固めるためのものであり、実際の彼女は温和で丁寧な性格である。レストランで食事をしたあとに、店員に「ごちそうさま」と微笑む姿に、露伴は彼女の隣にいることが誇らしくなるのだった。
「おいしい。露伴は紅茶を淹れるのが上手ね」
「そりゃ光栄だ。カメユーの福引で当たった粗品だがな」
あら。と潤は唇に手を当てる。気を許してくれているのだとわかる仕草に、頬が緩むのがわかった。
緩やかな時間を堪能していたところで、外から怒鳴り声が聞こえて露伴は換気をしていた窓を閉めた。
「なんだ、酔っ払いか?」
「最近多いの。この間波瑠も不審者に会ったんですって。露伴も深夜で歩いたりしないでね」
「ぼくをアイツと一緒にしないでもらいたいね。きみこそ気をつけてくれよ」
はいはい、とふたつ返事をして、潤はカップをソーサーに置いた。
「露伴、あのね。私、来月一度フランスに帰るわ。帰らなくちゃならなくなったの」
「ああ、さっきの電話かい。なにかあったのか?」
「お婆さまが倒れたみたいでね。高齢だから、一度会っておかなきゃと思って……」
潤の顔は相変わらず浮かない。露伴は彼女の不安を取り除く方法を持っている。けれどもそれは本来、人が持ち得ない力である。だから、露伴は自分の【スタンド】を潤に使ったことがない。
「不安があるなら聞くぜ」
「……ううん、平気よ。気難しい方でね、流石の私も少し緊張するってだけ」
そこで話は終わりだった。潤は露伴に「ついてきてほしい」とは言わなかったし、それを望まれていないことは露伴にも理解できた。だから、お互いその話題にはもう触れないことにしたのだ。
急に冬の気配が近づいていて、部屋はやけに冷えた。紅茶だけでは身体は温まりきらず、露伴はストーブをつける。部屋の寒さを口実に仕事から逃げていては格好もつかない。玄関先に置いていた小包を抱えて、パソコンと共に席に着けば、潤が露伴の広げたノートを覗き込んだ。
「……また、漫画のネタになる! って危ないことに首を突っ込んでいるんじゃないでしょうね」
「まさか。ネタにはするが、危険は無いさ。この町に降り注ぐ【黒い羽根】について、知り合いに調査を依頼していてね」
「ああ……、最近鬱陶しいくらいに落ちてるアレね。また【スタンド】の仕業?」
潤の言葉に露伴が顔を上げた。二人の背後でストーブに火がついた機械的な音が鳴る。テーブルの上にはパソコンと書き込まれたノート、それから小包の中身が置かれている。その中身は、件の【黒い羽根】であった。露伴は同封されていた書面を読み上げる。
「………なんてことだ。この羽根、どうやら元凶はたった一羽らしいぞ」
「どういうこと? そんなわけないじゃない。ここ数週間ずっと降り続けているのよ。一羽が降らせているなら、とっくに丸裸でしょう?」
「ぼくはこの杜王町に降り注ぐ羽根を、一定の間隔と時間を置いて採取した。その遺伝子を調べてもらっていたんだ。そうしたらどうだ、結果はすべて一つの生き物に集結する。これがどういうことだか、わかるかい」
「………異常だとしか、言えないわ」
正解、と露伴は潤の肩を叩いた。おそらく、なんらかの力が働いているのだろう。この町には異常が集まる。幽霊も、殺人鬼も、都市伝説じみた話も、スタンド使いも。だから、降り注ぐ羽根の背後の存在が巨大な鳥であろうと、分身する生き物であろうと、露伴は構わなかった。恋人と自分に危害が無ければいい。それで漫画のネタになるのなら上々だ。
「まあ今のところただの羽根だからな。迷惑を被ってるのは清掃業者だけだろうよ。調査は続けてみるさ」
「……それと、関係ないのかもしれないけど」
「どうかしたか?」
「最近、なんだかみんなピリピリしてない?」
嫌なのよね、余裕のない人って。潤はそう続けて紅茶を注ぎにキッチンへ向かった。先程外から聞こえてきた喧騒も、平日の夕方に騒ぎ立てる輩などは居なかったはずだ。ここは閑静な住宅街だ。週末の夜でも無いのに、最近はやけに騒がしい。
「就活が押し迫ってるのもあるかもしれないんだけど、大学もなんだか落ち着かないのよね」
「そういやアイツ、玻瑠は就職決まったのか?」
「うまくいってないみたい。落ち込んでるけど、最悪私のマネージャーにするからいいのよ」
「おい、本気か?」
「どうして? 私たち息ぴったりでしょう。あの子海外旅行とか好きだし、スケジュール管理を任せても安心よ」
露伴は思わず立ち上がってしまった。潤は優雅に紅茶を飲んでいる。大学で知り合ったという二藍波瑠と潤はタイプは違えど馬が合うらしく、仲が良いのは露伴も知るところではある。けれども、マネージャー?
「……それは勘弁してもらいたいね。波瑠の尻に火をつけてでも就職させてやる」
「どうしてよ」
潤は目を釣り上げて露伴を見つめた。
「ぼくはきみの海外遠征に付いていけないんだ。羨ましくて嫌になるからだよ」
フン、と露伴が鼻を鳴らす。潤は目を丸くして、「かわいい人」だなんて言ってのけるのだから敵わない。
ふたりが他愛もない話を続けていたところで、突然、大きな音が鳴った。
「危ない!」
露伴は咄嗟に潤に手を伸ばす。
窓が砕けて硝子が室内に飛び散った。破片は彼らの元まで届かなかったが、玄関の飾り窓に向けて誰かが石を投げたのだ。
「おい……おいおいおいおい、なんだよこれ……。誰がこんなことするんだ」
いつから杜王町はこんな治安の悪い町になったんだ。と悪態をついて、露伴は潤に2階に上がるように言う。それから乱暴に玄関の扉を開けた。
けれどそこには誰もいなかった。露伴の家の周りにも、道路の向かいにも、人の気配はない。ただ、道路脇には降り積もった黒い羽根があり、それを点滅する電灯が照らしているだけだった。
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