仗助の視線は何も乗っていないケーキ皿に向けられていた。クリーム色をした皿の中央には、国民的キャラクターが笑顔を浮かべている。どら焼きを持つ姿は日本国民なら誰もが一度は目にするほど有名だ。玻瑠はそのキャラクターをこよなく愛していて、一度仗助を映画に誘っていた。
カフェの店員のように笑顔を浮かべた玻瑠は仗助の目の前にマグカップを置いた。それから紙箱をローテーブルに置いて、「好きなの選んで良いよ」と封を開ける。中にはドーナツがぎっしり詰められていた。
「アルバイトは3割引で買えるんだよ。サンジェルマンはドーナツもおいしいのです」
ネコ型ロボットがドーナツに埋もれていく。仗助はクリームの入ったドーナツをひとつ。玻瑠は欲張って三つも皿に乗せた。
「コーヒーにミルクは入れる?」
「や、このままでいいっス。ドーナツ甘めェし」
玻瑠の暮らすアパートの一室は、学生向きなだけあって随分と手狭だ。1LDKで2万円。破格の値段ですぐに入居を決めたけれど、人を呼ぶには少々狭く感じた。長身の仗助がローテーブルに膝をぶつけたり、天井から下ろした物干竿に頭をぶつける姿を見ていると、就職に合わせて引越しをしようと思うのだった。
ふたりは黙々とドーナツを齧って、小さなテレビでニュースを眺める。仗助が学校の帰りに立ち寄れると連絡をくれたので、玻瑠は浮かれてドーナツを買いに走った。今日は平日だが、大学の講義がない日だった。
「この皿さあ、玻瑠さんこういうキャワイイ感じの、好きでしたっけ?」
仗助の言葉に、どこか非難めいた印象を受けた玻瑠は、態と好みの話から逸れた回答をすることにした。その皿はお気に入りだったので、ここで封印されては堪らない。
「これね、オーソンのくじで当たったの! なんと3回引いて全部欲しいやつ来たんだよ」
「へえ! 最近ツイてんじゃん」
「この前の面接もバッチリ通ったの」
「マジかよ! 言ってくれたら酒買ってきたのに」
「まだダメだよお」
お酒とタバコは二十歳からよ。ぺらぺらの言葉を放って、テレビのチャンネルを変えた。画面の向こうで地方局のキャスターが【黒い羽根】の話をしている。いつの間にか玻瑠の皿からドーナツが消えていて、仗助が呆れ顔でコーヒーを持ってきた。
時計の針は6時を指そうとしていた。
他愛のないおしゃべりならいくらでもできてしまう。仗助は話し上手だ。聞き上手でもあるので、お互いの大学、高校の友人の名前はとうに把握してしまっていた。けれども玻瑠は仗助の周りのことを知り尽くしているとは言い得なかった。彼は上手に嘘を混ぜて玻瑠に周囲のことを伝えていたから。
玻瑠自身もなにか隠していると感じていた。友人でもある岸辺露伴の仗助の評価は頗る悪く、彼は仗助のことを「嘘吐き」だの「くそったれ」だの散々なことを言って回るのだが、その因縁の話を仗助側から聞いたことはないのだ。
それが、恋人として良く見せたいと言う小さな虚栄心の賜物なのか。それとも本当に玻瑠に知られたくないことがあるのか。いつも踏み込むタイミングを測っていた。関係性が変わることを恐れるのは臆病者だろうか。玻瑠は今の状態が最高値だと感じていた。だから、いつまでも言えないままだ。
「玻瑠さん、最近身の回りで変なコトとかねえの」
「うーん。あの変なおじさんにあったくらい」
対面で座っていた仗助が膝をついて近づいてきた。長い腕に引かれて、眼前に整った顔が迫る。
神様の傑作はこの町に住まわせる、という決まりでもあるのだろうか。玻瑠は仗助をまじまじと眺めるたびにため息が出そうになる。男らしい端正な顔立ちの中に彫刻のような精巧さと美しさが混在している。
潤を女性的な美の粋を集めて作ったのだとしたら、仗助はその対象だろう。ふたりに挟まれて出かける時など大変だ。玻瑠は特段、自分の容姿を酷く劣っているとは思っていなかったけれど、神さまの傑作たちに比べてしまうと、どうも粗が目立つ。
「玻瑠さん、こっち」
恥ずかしくなって目を逸らせば、大きな手が頬を挟んだ。触れるだけのキスが落ちてきて、リップ音と共に離れていく。薄目を開ければ真剣な瞳と視線がぶつかった。目を閉じていて欲しい、と願いながらも離れていく熱が惜しくて制服の袖を掴めばもう一度、と強請られた。
唇が重なると、もう何も考えられなくなってしまう。意識を手放す前に、仗助が夕ご飯を家で食べると言っていたのを思い出した。時間は大丈夫だなのだろうか。
ふと玻瑠が意識を逸らした瞬間、ふたりの背後からけたたましく鳥の鳴き声が響いた。
「どわッ!!」
驚いた仗助の膝がテーブルを蹴飛ばした。マグが倒れ、入れ直したコーヒーが溢れる。
「きゃ!」
「あーッ!すんません!」
玻瑠がキッチンから布巾を持ってきたときには、溢れたコーヒーは既に拭き取られていた。絨毯に染みひとつ残っておらず、仗助が残ったコーヒーを啜っていた。
「このおれともあろうものが、鳥の鳴き声にビビっちまいましたよ。この部屋、なんかいるんすか?」
「実はね、小鳥がいるの。この前アパートに迷い込んできたから、飼い主が見つかるまで保護してるんだよ」
玻瑠は赤くなった頬を隠すように、背を向けると、洋室のアコーディオンカーテンを開けて鳥籠を持ってきた。
小鳥の飼い主はしばらく見つからなさそうなので、ホームセンターで鳥籠一式を購入したのだ。
仗助は籠越しに小鳥を見て首を振った。小鳥は青空のような水色の羽を伸ばして仗助を見ている。
「うへー、おれ鳥ってちょい怖いんすよ」
「鳥イヤって人、意外にいるよねえ」
イヤだ、とは言ったが、鳥籠から出しても良いかと確認をとると、仗助は頷いた。手を入れると小鳥はすぐに指に飛び乗ってくる。はじめから人に良く懐いていた。
「ピーちゃん(仮)だよ。『仗助ェ!ヨロシクネェ!』」
飼い主が見つかったら名残惜しくなるから、と安直な名前で呼んでいた。玻瑠は小鳥の代わりに声色を変えて仗助に話しかける。仗助は吹き出した。
『仗助ェ、コーヒーオカワリノムゥ!?』
「ちょっと、普通に喋ってくださいよ」
『オハナシシテヨォ!』
玻瑠の指先に乗っている小鳥の瞳は真っ黒だ。顔を傾けて仗助の顔を見据えている姿に仗助は後ずさる。
「んー。仗助って動物全般苦手? 爬虫類も好きくないよね」
「や、……うーん。そうっスね。そんな得意じゃねえかも。何考えてっかわかんなくて怖えっつうか……」
『ナンデェ!スキニナッテヨォ!!』
「だからあ、それやめてくださいって」
玻瑠の声に合わせて小鳥が動くものだから、本当に話しているかのように見えて、仗助はつい笑ってしまう。玻瑠はあくまで真剣な顔をしているのがまた笑えた。
小鳥がテーブルの上に飛んで、ドーナツのかけらを摘む。止まり木代わりに伸ばされたままの玻瑠の指に仗助の指が絡まった。
「続き……って思ったんすけど、こいつに見られてる気がして落ち着かねえなあ」
「うーん『興味ナイヨォ!』て言ってますね」
「だから、腹話術よ」
玻瑠が笑うと仗助は口を尖らせる。掴んだ手を目の高さまで持ちあげて、手の甲が赤くなっているのを見つけた。
「さっきコーヒー掛かりました?」
「そうかも? あとで軟膏塗るよお」
「ん、大したことねえから、大丈夫でしょ」
「……ん?!」
玻瑠の右手を掴んだ仗助の掌の上に、もう一人分、男性の手が重なったような気がした。
仗助にはふしぎなところがあって、彼はそれを公にはしないが、小さな切り傷や擦り傷なら、彼が撫でれば治ってしまうのだった。冬場の水仕事で擦り切れた指先が、仗助に撫でられていたらすっかり綺麗になっていたこともある。
彼はまた玻瑠の手の甲を撫でる。瞬きをしたあとには、当然のように仗助の無骨な手だけがそこにあった。玻瑠が仗助の手を見つめていると、横から顔を覗かれた。
「どうかしました?」
「や、疲れ目! 火傷も無傷だったね」
なにも気付かないふりをする。玻瑠はいつもそうだった。仗助と出会う前からそれは彼女の処世術で、物事に深入りしないことでようやく場に馴染めるのだ。それを少しばかり虚しく思いながらも、今更治す方法もわからない。
どうして普通の高校生の筈の仗助が時々大怪我をしているのか。傷を治す不思議な力があるのか。自分になにか隠し事をしているのか。いつまでも聞けない。
だって、聞いたらきっと彼を止めてしまう。玻瑠が悲しんだり泣いたりすることを仗助は望まないような気がする。やさしいひとだけれど、自分の選んだことをやり抜くために心を痛めない人間ではないからだ。
傷ついてほしくない。苦しんでほしくない。だから知らないふりをして、気づかないふりをする。それはエゴだろうか。
答えはわかっているはずなのに、玻瑠はまた気付かない振りを選択した。
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