Latimeria


眠れない透明のために



 エレベーターを出て病棟に足を踏み入れると、消毒液の匂いがした。建物全体に染み付いているようで、日常と隔絶されているような、非日常を感じる。
 自分も半年前まで同じ建物で療養していたというのに、やはり構えてしまうのはヒーローと医療が切っても切り離せない関係だからだろうか。
 敵が暴力によって理想を叶えようとするのなら、人々を守るためにヒーローは拳を振るって彼らを止める。命や尊厳を守るために傷つくヒーローになるために、わたしは彼等と同じ学舎で机を並べている。
 面会の手続きをするときに、窓口で名簿に名前を書けば職員はわたしの制服を一瞥してすぐに病室を教えてくれた。雄英の生徒はお馴染みなのだろう。
 
 指定敵団体である死穢八斎會とヒーロー連合の衝突が起きたのはつい先日のことだ。新進気鋭の一年生と、インターンに参加している三年生が現職のヒーローと協力したにも関わらず、大きな被害が出た。大怪我をした生徒も多く、ヒーローも、亡くなった。
 討伐作戦に参加もしていないわたしが、お見舞いなんて言って顔を出すのは違うのかもしれない。暢気な顔しやがって、って思われるかもしれない。悩んで、悩んで、それでも、やっぱり行こうと思った。腹を立てて、怒られたっていい。時間が経って、心がかちこちになってしまってから、無理して笑われるより、ずっといい、はずなのだ。
 鞄を持つ手に力が入る。病室の扉をノックした。明るい声が返ってくる。
「おじゃまします。ミリオ、すくいだよ」
「よお! わざわざ来てくれたの? 環のついでとはいえ、悪いね」
 ベッドに腰かけて半身を起こすミリオが手を振った。声は明るいけれど、元気がない。彼らしくない発言に、わたしは先ほどまで躊躇っていた行動を実行に移すことを決意した。
 息を吸い込んで、彼の傍に寄る。ベッド脇の丸椅子に鞄を置いて、ブラウスに手をかけた。
「すくい?」
「お見舞い。まごころを、きみに……ってね!」
 ボタンを三つ外して、心もとない胸元に詰めたみかんを取り出してテーブルに置いた。
 ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。「まごころ」と書かれた小ぶりなみかんに視線を向けたミリオが、怪訝そうな顔でわたしを見る。
 あ、あれ……!?
「まごころを……」
「このギャグ、環に許可取った?」
 鮮烈すぎて聞こえなかったのかと思って再度言ったら止められてしまった。
「とってない」
「では見なかったことに」
「ええーー!? 体張ったのに!!」
「張りすぎなんだよ!! 思わずナースコールに手をかけたぜ」
「闖入者だと思われちゃうじゃん!!」
 ふ、とどちらともなく笑いが漏れた。声を上げて笑って、ミリオが「わざわざ来てくれてありがとな」と言った。
「いえいえ。これ、本物のお見舞い! 紅まどんなだよ。まごころみかんは小道具だから回収するね」
「美味いやつじゃん! ありがとね」
 本物のお見舞いをミリオに渡して、小道具を鞄に詰め込む。まごころみかんは改良の余地ありだ。
「環も病棟一緒だけど、もう会ってきた?」
「覗いてきたけど寝てたから、帰りに寄ろうかな。ファットさんはもうお仕事戻ったって聞いた」
「現職は流石だよなあ」
 ミリオの視線が遠くを向いた。わたしは嘘が気付かれなかったことに安堵した。
 先程病室を除いた時、環くんは起きていた。彼の部屋の扉は空いていて、環くんは半身を起こしてベッドの上で泣いていた。押し殺した嗚咽が聞こえて、わたしは、部屋に入れなかったのだ。駆け寄って、彼の肩を抱くのは違うと思った。
 わたしは涙もろくて、情けないヒーロー見習いだけど、環くんの涙が大事なものだってことは、わかる。彼の葛藤は、彼だけのものだ。
「ねえ、ミリオ」
「ん?」早速紅まどんなに手をかけはじめたミリオがわたしの方を向く。
 戦闘の最中にミリオの個性が失われたこと。彼が師事していたサーナイトアイが亡くなったこと。人伝いに聞いたことを、知ったかぶって口にするのは憚られた。
 何か声を掛けたいと思って、病院まで来てはみたものの、わたしは彼にかけるぴったりの言葉を持っていなかった。安全圏で過ごしていた部外者の言葉は、傷ついている人の助けには、ならない。
 それでも、彼が気を悪くしたとしても、わたし、言いたいことがあった。
「……がんばったね。すごいよ、本当に、すごい。ミリオは、がんばった」
「すくい、お前さあ……。それは、ズルいよ。そんなの、……」
 オレに言っちゃだめだよ、とミリオが言って、彼の瞳からぼろぼろと涙が落ちた。言われたくなかった、かもしれない。でも、それでも。取りこぼしたものがあっても、失ったものが大きくても、彼が、彼等が奮闘したことに変わりはない。必死で頑張ったことを、なかったことにしてほしくなかった。
 わたしはそれだけを伝えたくてここまで来たのに、自分の方が感極まってしまって情けなく涙を流した。
「ワハー! みかんの汁が目に入っちゃったかな?!」
「わたしもわたしも! ティッシュちょうだい」
 ベットサイドに置いてあったティッシュを貰って涙を拭った。ミリオはみかんに指を押し込む。病室の寝具を汚さないか不安がよぎったけれど、彼は器用な男なので、薄い皮を丁寧に剥いて、みかんの果肉をめいっぱい口に押し込んだ。もう半分を渡してくれたので、自分で買って来ておきながら食べた。涙が湧き出すほどおいしかった。
「……オレは、すくいに、言ってあげられなかったね。頑張ったね、ってさ」
「いいんだよ。わたし、これにかけては先輩だから言えるだけ。偉そうなこと言っちゃうけど、大丈夫だよ。ミリオなら、大丈夫。根拠なーし。でも大丈夫!」
 ふたりでまた、泣き笑い。もし看護師さんが検温に来ても、みかんの汁が目に入っちゃったって言える。
「わたしに、なにかできることあるかな。なんでもいいよ」
 わたしの質問に、ミリオは考える素振りを見せた。嫌な質問だったかな、とわたしは短い沈黙に不安になって手を握る。自分で言っておいてなんだけれど、わたしにできることは本当に少ないのだ。
「じゃあさ、すくいは、このままでいてよ。明るくて、やさしい、きみのままでいて」
 明るくもやさしくもないわたしは頷いた。明るくありたい。やさしくなりたい。身を挺して弱者に手を差し伸べるこの人たちの隣に立てなくても、彼らの開いた道をただ歩くだけの人間にはなりたくない。
「それから、さっきのギャグは封印して」
「なんで!? 面白さが伝わってないみたいだから、もう一回見せようかな。集中して見てね」
「今世紀最大の滑りだった自覚がないみたいだね!?」
「ワインみたいに言うな……!」
「平地で育ったみかんも小ぶりだったし」
「だれが平地だ!!」
 ミリオはとびきり明るくて、やさしい。本当のヒーローだ。彼に救われていた人がたくさんいる。彼を救いたいと思っている人も、たくさんいる。
 代わりになんてなれないけど、少しでも、見習いたい。明るくて、やさしいひと。



 涙を拭って、化粧室の鏡で顔を見る。目の下はやや赤いけれど、まあ許容範囲だろう。しつこいかな、と思ったけれど、くだらないと笑ってくれれば儲けものだと思うことにして、胸元に小道具みかんを詰め込んだ。
「……環くん、すくいだよー」
 ノックをする。返事はない。そっとドアを開ければ、環くんは今度こそ本当に眠っていた。顔に巻かれた包帯が痛々しくて、わたしはまた泣き出しそうになってしまう。
 起こさないように傍に寄って、小さい声で呪文みたいに労いを口にした。
「環くんも、がんばったね、すごい。みんな、がんばったよ……」
 困っている人たちを助けたいと行動しているやさしい人たちが、どうして痛い思いやつらい思いをしなくちゃいけないんだろう。
「おいしいみかん、おいてくね」
 メモを貼って、テーブルに紙袋を置いた。日は落ちかけていて、カーテンから差し込む光が絞られて部屋は薄暗い。自分が入院した時、環くんがお見舞いに来てくれた時はあんなにうれしかったのに、同じ場所で似たような状況の今は、つらくて苦しい。
 無事でよかった、と声をかけることもできなくて、環くんの病室を後にした。
 廊下で胸元のみかんを取り出す。体温が移ってぬるい果物を鞄に押し込む。
 明るくありたい。やさしくなりたい。強くも、なりたい。大事な人に背中を預けてもらえるような、強さが欲しい。


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