第三話 同行者
「この時から、ミスラの族長は濡羽から潤へ譲り渡された。皆の者、新たな族長と共に在れ!」
濡羽の力強い声に女たちは歓声を上げる。ミスラの里の中心にある集会場では仮面を外し正装をした潤が族長として椅子に腰かけていた。その美しさたるや同じ女性が目にしても息を飲むほどで、数少ない男性である太陽と豪は新しい族長の傍に立つのに緊張で脚が震えたほどだった。
先代の手から直接、潤の首に宝石が通される。鶉の卵程の宝石は丸く磨かれ、動物の角や貝と共に見事な装飾品へと加工されていた。代々ミスラの族長しか身に着けることの許されていない石は歴代の族長たちの意思を吸っているかのように輝いている。
「おめでとうございます!」
「潤様が族長になられた!これで安泰です!」
誰もが潤の族長への就任を祝った。気高く、美しく、そして強さを持つ潤はミスラの憧れであり、戦女神を冠するのに相応しい女性であった。
酒も入り、粛々とした雰囲気が女たちの朗らかな歌や踊りで騒がしくなったころ、潤は側付きの豪に声を掛けられた。
「ちょっといいか」
「なあに、豪ちゃん」
主役である潤を連れ出すなど、叱責は免れないだろうが、豪はどうしても気になることがあった。族長に就任したというのに浮かない顔をする幼馴染のことだ。誇り高い潤が族長就任を喜ばないわけがなかった。生まれてからこの日のために修練を繰り返してきたのだから。
不安の要因に、一つ心当たりがあったのだ。
「エーギルに、御身を売らされるというのは真実か?」
率直な豪の問いに、潤の顔が引きつった。洞察力に優れた彼はその隙を見逃さない。
潤は首を振る。
「それが、私の使命なのよ。和平のために身を売る訳じゃない」
「あんな血の通って居ないような奴等の元へ行く必要なんてないだろうが!次の戦で族長を殺してやれば……」
「豪、口が過ぎるわ。私のことを思ってくれるのはありがたいけれど、ミスラはエーギルと和平を結ぶ。決定したことについて騒ぎ立てるのはやめて頂戴」
ぴしゃり、と言いきられた豪は口を閉じざるを得ない。自分はもはや潤の幼馴染ではなく、族長の傍付きなのだ。ミスラの里では族長の決定は絶対だった。
「……せめて、傍にいさせてくれ」
騒がしい祝福の声にかき消されてしまえばよかったのに、豪の言葉ははっきりと潤に届いた。
本来ならば、彼が潤の夫に選ばれるはずだった。そのつもりで共に過ごしてきたというのに。
一面の夜空の下、宴の騒ぎも落ち着いた。終始気を張っていた潤が自室に戻ろうとすると、茂みから物音が聞こえた。敵か、と警戒したのも一瞬。聞き覚えのある明るい声が二重に聞こえた。
「潤ちゃん、族長就任おめでとー!」
茂みから二人の女性が現れて、それぞれ抱えていた籠から花びらをばら撒いた。深夜だというのに白い花は月光を浴びて発光したように光る。突然頭から大量の花を被った潤は少女らしい声を上げた。
顔をあげれば彼女を驚かせたのは幼い頃からの友人たちであった。
「お偉いさんに囲まれて中々話しかけられないんだもん。お花摘みに熱が入っちゃったよ」
腰を過ぎる程の長い髪をおさげに結って巨大な槌を背負う女性は梓と言う。小首を傾げて笑う表情は柔らかく、氷のような冷たさは感じられなかった。長身に豊満な身体を持つ彼女はミスラ一の戦士で、温和な性格で多くに愛されたが、戦場に出ればその性格は一変した。果物を刈るように長い腕を振るえば三つも四つも首が舞う。血の海で踊るように敵の命を奪う梓は潤の懐刀であり、信頼のおける戦士であった。
「はい、これわたしたちからの贈り物」
魔除けの紋を身体中に入れ、フードを被る波瑠は懐から包みを取りだした。背には矢筒を背負っているが、戦士では無い。鳥の羽根やら動物の骨の細工を縫い付けた特殊な衣服を纏う波瑠は族長に仕える預言者であった。
差し出された包みを開ければそこには銀細工の腕輪が入っていた。近くの山で採れる石が埋め込まれた細工は見事なもので、潤がその見事な紺碧に見惚れていると二人は嬉しそうに潤の傍に寄った。
「素敵。二人が作ったの?」
「まあね」
「族長就任と、結婚祝いも兼ねての贈り物だから熱が入っちゃった」
結婚、という言葉に潤の顔が曇る。
幼い頃から三人は仲が良く、成人を迎えてからもミスラの里の中で暮らしていくものだと信じていた。争いの中、戦場で身を散らすものだと教えられて生きてきた戦士の一族の彼女たちに“和平”を掲げたところでどこまで賛同を得られるものか。潤は自分のことのように喜ぶ二人にエーギルとの婚約を告げようかまごついてしまう。
「衣装はどうしようか。エーギル風に仕立てる? それともミスラの伝統でばっちり決めるの?」
「……え?」
「潤ちゃんならエーギルの男共を骨抜きにしちゃうね。わたし沢山飾りを集めるよ!」
「ちょ、ちょっと待って二人とも。どうしてエーギルとの婚約を知ってるの」
困惑した潤に、梓は何でもないことのように答えた。
「そりゃあ、私たちも同行するもの」
「どこで知ったか知らないけれど、護衛は必要ないわ。馬が一頭あれば十分よ」
「あはは、道中話し相手くらいにはなるよ。それに、きっと役に立つ」
色素の薄い瞳を持つ波瑠が空を指して言った。自分の言葉ではなく、空が告げたのだとでも言いたげに。
濡羽が話したのか、波瑠が占ったのか、真相はわからない。けれども梓も波瑠も初めから決まっているかのように着いて行くと答えた。それが潤にとっては予想外で、張りつめていた糸が切れたように力が抜けた。
「あとは、寂しがりの二人も着いて行きたいって言ってたなあ。あの二人は潤ちゃん離れできるのかしら」
「愚か者ばかりね……。後悔するわよ」
長い髪を肩にかけて、潤は二人に背を向けた。腕には先程の贈り物をしっかりと嵌めて。
新しい族長が誰よりも情に厚く、民を想う心根の持ち主であることを、友人たちはよく知っていた。
***
山脈を越えてエーギルから戻ってきた行使は辟易とした様子でかの国のことを潤に語った。
冷たい国だ。男も女も皆自分達を優れた人間であると信じている。王は信心深く、神の加護がエーギルを守ると公言しているらしい。ミスラとの婚姻についてはエーギルも認めており、行使が戻った七日後にエーギルの元へ来るようにとの簡潔な文が預けられていた。
「彼らは私たちのことを野蛮だと言いますけどね、野蛮なのはあちらの方ですよ。ああ、潤様をあのような国に渡すなんて信じられない」
行使として向かった女性は潤の母替わりのような人物だった。世話焼きで面倒見の良い彼女が無事に帰ってきたことに安堵しながら、潤は女性を安心させるように労いの言葉をかけ、それから「大丈夫よ」と目を見つめた。
「貴女には敵いませんね、潤様、どうかご武運を」
エーギルの新王は若い男で、彼もまた武勇に優れた傑物であるという。金の髪に紺碧の瞳。獅子王などと呼ばれて舞い上がる年若い王の話を耳にして、潤は深く息を吐いた。話の分かる人物だといい。剣を交わして分かり合えるなどとは思っていなかった。
ミスラの女性は燃えるような激情をその身に住まわせている。深い愛情を持ち、愛した相手のことを一生涯忘れないのだという。子を為すための短い間だけ生活を共にしたとしても、そこには感情がある。ミスラで生まれ育った男以外が彼女たちの傍にいることは難しかった。ミスラの女たちの愛情は激しく、そして深い。
族長として生まれ育ってなお、愛した男性と幸せになることを夢見てしまう潤は濡羽から見れば甘い、のだろう。
戦場に赴けば血が騒いだ。金属がぶつかり合う最中、敵陣を掛け跳ねることに悦びを感じないわけでは無い。それが戦女神の血筋だ。けれども、潤は花を愛した。美しいものを見て心を満たし、眠るような柔らかな愛に憧れを持っていた。誰にも責めることなどできはしない。
真っ直ぐに前だけを見つめる潤は女たちの頂点に立つ者だ。弱さは見せられない、誰よりも気高く、美しく在るのがミスラの族長だ。
婚礼の支度も大凡整った頃、梓と波瑠が潤の元へと訪ねてきた。二人とも伝統的な使者としての格好に身を包んでいる。婚礼の衣装を選んでいた潤は足元を衣類で埋め尽くされた部屋に二人を通す。
二人は深々と頭を下げて、「準備の方はいかがですか」と畏まったように言った。族長となった潤に友人のような口利きは許されない。年寄り衆に叱責を受けてから、潤の友人たちは居心地悪そうに振る舞う。
そもそも、潤は礼儀に煩い人間では無い。彼女自身は目上に対する完璧な姿勢を身に着けていたが、友人たちにまでそれらを強要するつもりは毛頭ないのだ。
「上々よ」
「お綺麗です、潤様」
「ねえ、梓、波瑠。どうして貴女たち、着いて来ようと思ったの」
潤の言葉に梓が間髪入れずに答えた。
「貴女をお守りすることが、貴女の武器たる私の使命だからです」
武器、と梓は言う。梓は真面目な女性だった。幼い頃から武術に優れていたが気が優しく、人を傷つけることを恐れた。
そんな梓に潤は言った。敵を見誤らないこと、見極める目が育つまでは、自分を守る為にその力を使ってほしい、と。素直な梓はその言葉に傾倒し、優秀な武人へと成長した。
武器を振るう梓の目には迷いがない。潤の、ミスラの敵は彼女が打ち砕く。自分達に危害を与える相手への容赦は一切しなかった。
「もう、道を見誤ることも無いでしょう、梓。貴女は立派な武人よ」
「そうですねえ。お陰で、自分で道を選ぶこともできるようになりました。貴女の選んだ道を守ること、それが私の選択なんです。道中、素敵な男性でも見つけられれば人生としては上々かな、と思いまして」
梓もまた、まだ知らぬ恋に想いを馳せる少女の一面を持っていた。相手にするなら、自分よりも強い男性を。ミスラ一の剛腕を持ちながらそのようなことを公言するのだから、数少ない男たちは白旗をあげている。
「梓は、まあ、そうね。わかったわ。……波瑠は?」
けん、と名を呼ばれた波瑠は乾いた咳を何度か吐き出してから前を向いた。
波瑠は幼い頃から身体が弱く、剣の腕も自分より幾つも年下に敵わないほどで、戦士になることは望めなかった。
「居場所が無いから、貴女に着いて行くわけじゃありません。この里で天気を占って生きるより、これから苦難の人生に身を投じる貴女の影として生きることを選びたいんです」
戦うことのできないミスラに価値はなかった。里から追い出すか、いっそ命を奪ってしまう方が彼女のためか。潤や梓と親しくする非力な少女を救うために、先代の濡羽は使命を与えた。
次の族長である潤の影となること。幸い潤は普段仮面をつけて里の外に出る。族長は簡単に素顔を見せない。幸いに、彼女たちは背格好が似ていた。潤の代わりに戦場に立つことはできないが、“族長”として代わりに死ぬことくらいはできる。
そんな日が訪れないことを祈って、濡羽と潤は波瑠に役目を与えたのだ。
潤は、自分がミスラを出る時に彼女の“影”としての任も解こうと思っていた。武術に秀でなかった代わりに、波瑠は周りの声を聞くことができた。先を視ることのできる預言者として、ミスラの里でも受け入れられるようになった彼女を自分の身替わりとして過ごさせることもない。
「誰だって、楽な人生じゃないわ。波瑠や梓がわざわざ茨の道を選ぶこと無いのよ」
「茨を抜けた先に何があるかもわかりませんから」
二人して、飄々とそんなことを言う。
口先で立派な理由を述べたとしても、二人とも潤の傍にいたいだけなのだ。そのための理由ならいくらでも持ち出せる。
我ながら立派な刀を揃えたものだ、と潤は思わず笑った。
prev next
top/
サイトへ