第四話 因縁の邂逅
馬車を引き、山脈を越えるのには丸一日かかる。鍛え上げられたミスラの民と言えども、茹だるような暑さと荷の重さには辟易した。
やっとたどり着いたエーギルの街にミスラが足を踏み入れたことはこれが初めてだった。
エーギルの女性たちは皆手足を衣服で隠している。それらとは真反対に美しく伸びる手足を惜しげもなく晒すミスラたちは嫌でも目を引く存在だった。
知らない土地とはいえ、胸を張り堂々と歩く潤からは仮面をしていても隠し切れない美しさが滲み出ている。その傍に控える梓と波瑠も山脈の風を纏い、彼女たちを眺めた男たちは思わずため息をついた。憎き相手だとわかっていても、目を奪われずにはいられない。
彼女たちの後ろに控える屈強な男二人もまた、エーギルの民とは異なる魅力を大いに持っていた。適度に日に焼けた健康的な身体を直視できず、町娘たちが黄色い声を上げる。
「遠路はるばる、よく来たね」
エーギルの王の前へと通された五人は冷たい石造りの部屋に目新しさを感じながら、王座に腰掛ける青年を見据える。その両端には剣を腰に差した王と同じ年代の青年が二人立っていた。
これから、潤はこの男の妻となるのだ。
エーギルの新王は美丈夫と言っても差し支えが無かった。端正のとれた顔立ちに、潤から見ても鍛え上げられた体躯をしていた。腰に差した剣は随分と年季が入っているようで、一度手合わせでもしてみたい、と場違いなことを思った。
潤は流麗な動きで床に膝をつき、腰に差していた剣を床に置いた。それに習い、四人も同様に振る舞う。ミスラがエーギルに下るわけでは無いが、婚約を結ぶうえでの礼儀として、こちらに敵意はないと示しているのだ。
頭を下げる潤の上に、笑いを堪えたような声が降った。
「頭を上げて。石の上だと身体が冷えるだろ?ただでさえ下着みたいな恰好をしてるのに、風邪でも引いたら可哀想だ」
鳴の言葉に噴き出したのは彼の傍に控えている俊平だった。
下着、と称されたことに梓の顔が赤く染まる。侮蔑だ、と彼女は拳を震わせる。ミスラの民は気が短い。殊更、自分たちの民族に関わることを貶されるとすぐに頭に血が上る。
それを知ってか、噴き出した俊平は煽るように続けた。
「ご丁寧に、誘ってくれてるのかもしれねえな」
「……っ、馬鹿にするのも…!」
「ふふふ。王よ、随分部下の躾がなっていないみたいね。身の程知らずが、女の裸も見たことが無いのかしら?浮かれあがってみっともないこと」
拳を床に叩きつけた梓の言葉を切るように、潤が笑い声をあげた。仮面の向こうの目はギラギラと光り、獲物を見据えている。舌打ちをした俊平の隣で、鳴が目を細めた。
「そりゃ浮かれもするさ、今日は記念すべき日になるんだから」
「貴方もそう思うのね。野心家のお坊ちゃん」
「俺の名は鳴って言うんだ。蛮族の雌、君も名乗りなよ」
鳴は試すように軽口を言い放つ。こちらを睨みつける瞳は動物に似ている。剣を持たずとも、いつでも喉笛を噛み切ろうとする獰猛な獣だ。蛮族と称したのもあながち間違ってはいない。
「ミスラが族長、潤よ。お見知りおきを」
「へえ、良い名前だ。潤、今日は宴だよ。マナーは気にしないから楽しんでよ」
振る舞われた食事は豪勢で、悪趣味なほどに騒がしい宴が用意されていた。
正装を纏った潤は仮面を外し、鮮烈な紅を唇と目元に乗せてその場に現れた。同性も息を飲むほどの美しさだ。戦装束では無く、エーギルの女性が纏うような衣服を身につけたことで露わになる均整の取れた身体のラインもまた、彼女を人間離れさせて見せた。まるで女神だな、と誰かが口にした。
「ったりめーだろ、大した女見たことねえからって浮かれあがりやがって。どっちが猿だよ」
麗しい族長を前に色めき立つエーギルの男たちを鼻で笑って、太陽は用意された食事に手をつける。料理も酒も上等だった。
「王も側近も、滅茶苦茶感じ悪かったな」
「ぶっ殺してやろうかと思っちゃったよ。あの黒髪、そういう趣味なのかな」
「梓さんはホント危ないよな……。そういや波瑠さん、よく我慢したね」
近衛兵と侍女として枠を与えられた四人は潤に近づくことも許されず、離れた席で鳴の隣に座る自分達の族長を眺めることしかできなかった。遠目で見ても潤は氷のように美しく、貼り付けた様な微笑みでエーギル王の隣に寄り添っている。
「あんまり気にならなかったや。あの三人も随分と仲良しみたい」
葡萄酒を舐める波瑠の目に映っていたのは、ただの無礼な若者では無かったらしい。
ミスラの慧眼。彼女の力は戦場ではなく政の場でこそ輝く。
「あんたらこそまるで徒党を組む犬だな」
突然会話に入ってきたのは話題の二人だった。俊平も一也も手にグラスを持ったまま、梓たちの傍に腰かけた。射抜かれるような視線を物ともせずに大皿から手で料理を取って口に運ぶ。
「……行儀が悪い」
思わず言葉が漏れた。潤の傍仕えの者として礼儀作法を仕込まれている梓にとっては信じられない行動であった。
「まあそう言うなよ、間違った食い方でもねえ」
「美味しく食べられれば食べ物も本懐だものね。流石、食わせ物」
梓を宥めるように言った一也と目が合って、波瑠は彼を称する言葉を贈る。眼鏡の奥で爛爛と目を光らせる彼もまた、自分の王に仇なすものを見定めていたのだ。
「はっはっは。悪いけどお前たち、この国じゃ好かれないぜ」
「んなこた解ってるよ。どう足掻いたって因縁の相手だ」
「それだけじゃない。お前ら、花を咲かせて回ってるだろ」
一也の言葉に、酒を口に運ぶ手が止まった。
「病気の原因は俺達じゃない。現にミスラでも花弁病は発症する」
こちらを見据える一也と俊平の鋭い目に反抗するように豪が反論した。
エーギルは花弁病の原因をミスラの呪いだと信じている。それを証明する術は無く、そう信じこむことで戦への闘志を燃やしていたのかもしれなかった。
「俺たちが行って確かめたわけじゃ無い。人数で劣る分、エーギルの民を呪い殺そうとしてるとうちじゃ信じられてるんだ。お前らは山脈の部族の中じゃ一番古い歴史を持ち、なおかつ知識も豊富だ。怪しい呪いに長けていたって不思議じゃない。専門の職もあるようだしな」
疑いの目を向けられた波瑠は口をとがらせる。
「わたしは呪いなんて恐ろしいことはできないよ。ただ少し先を視るだけ。そんな大それたことができるのは、魔女くらいのものじゃないかな」
「はっ、蛮族が縋るのは居もしねえ魔女か」
「どうしていないって言えるの、俊平くん」
“魔女”その言葉に過剰に反応した波瑠に詰め寄られ、俊平は不愉快を露わにする。それに、彼女に自分の名を名乗ったことは無かった。気味が悪い、と口に出せば波瑠は満足げに微笑んで見せる。その動作に腹を立てれば、波瑠の横からすう、と長い腕が伸びて、俊平の胸を押した。
「あんまり近づきすぎないで、けだもの」
どっちが!
妖艶に微笑む梓に俊平は噛み付きそうな目つきでミスラの四人を睨みつける。
「いやあ、楽しくなるなあ」
緊迫した雰囲気の中、ひとり一也だけが腹を抱えて笑う。
誰もが“食わせ者”と呼ばれた意味を理解して、この最悪な宴の終焉を待った。
***
婚姻と寝所が、潤にとっての戦場だ。
男を知らない小娘だと、鳴は潤のことを笑った。ミスラの族長を捕まえて小娘だと罵ったその口を二度と閉じられなくさせてやろうか。豪胆さでも男に引けを取らない潤は一度決めたことは曲げない。
宴が終わり、与えられた自室の扉を叩いたのは彼女の部下達だった。
どっと疲れた表情を浮かべる同胞たちと顔を見合わせて、潤は思わず口にする。
「ね、付いてこなきゃ良かったでしょう」
「潤、お前はアレと一生共にするんだぜ。耐えられるのかよ」
うんざりだ、と漏らした豪は肩に手を置き骨を鳴らすが、心配性の彼は潤がいる限りはこのエーギルに残るのだろう。そういう男だとわかっていたから、潤は小さく感謝を告げた。
族長の感謝の言葉に目の色を変えた三人は唐突に自分たちも身体を捩り苦労を口にしだすではないか。
「あ、あー疲れたなあ。拳を抑えておくのが大変だったなー」
「俺はそんな梓さんを見張るのに一苦労しましたよ。中々できる仕事じゃないな〜」
「わたしもなんだか疲れちゃったな〜〜」
「なんなの貴方たち、急に甘えて」
へへ、と笑った三人は代わる代わる潤の手を取ったり、頬を撫でたり。思い思いに彼女に触れた。これから、潤は自分達のものでは無くなる。それを悔しく、どうすることもできない歯痒さに唇を噛みしめた。
「戦場へ向かう貴女へ、俺たちが与えられるものは何もありません」
「誰かの妻になろうと貴女の気高さ美しさ、溢れん慈愛は失われない」
「同じ女として、貴女の涙を受ける鉢くらいにはなれましょう」
「貴女が幸せになるためなら、我々はなんだってやるつもりでいるんです」
謳うように、四人は美しく着飾った潤に言葉を贈る。小窓から月明かりが差し込んで、潤の頬を照らした。
神話の女神のように美しい自分達の族長を、四人とも心から敬愛していた。友人として、長として、これ程優れた人はいない。だから、惜しいと思うのだ。生まれた時代が悪いのか、先代の力不足を恨みすらする。
「ありがとう。皆。優しい刃を持てて、私は幸せだわ。戦場へ向かう武人に掛ける言葉としては十分すぎる」
潤はゆっくりと四人の頬を撫でていく。
「でも、心配しすぎよ。この私が、あんなお坊ちゃんに参るわけないでしょ。泣かせてやるわ」
この人の豪胆は本物だ。泣き笑いのような表情で、五人は笑った。
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