LINE飲みにて

 
 リビングのテーブルにタブレットを置き、イヤホンを耳に差し込む。木製の椅子にはクッションを敷き、塩ミルクティーとお菓子を用意した。バルカでは甘い酒がなかなか手に入らないこともあり、最近は家で飲酒をする習慣もなくなっている。先日、職場の飲み会に参加したときは、選べる酒がビールとウォッカしかなかった。仕方なくウォッカを飲んで帰宅し、玄関先で吐いたのだ。あの惨状を二度と繰り返さないという誓いを込めて、今夜は塩ミルクティーにしておく。
 日本との時差は一時間。二十時になると、画面にビデオ通話の招待が届いた。通話ボタンを押せば、かすかな物音とともに明るい声が飛び込んでくる。ルナの頬も自然と緩んだ。
「おつかれさま〜」
「おつおつ!」
「おつかれさま!」
 画面の向こうで笑と美沙がそれぞれ手を振る。二人の手にはビール缶。乾杯の声に合わせてそれが掲げられ、ルナも塩ミルクティーのカップを持ち上げた。
 日々の勤労を労い合い、他愛もない話に花を咲かせる。酒の失敗談は、何度聞いてもどうしてこんなに面白いのだろう。大人になっても、他人のゲロで腹を抱えて笑える友人ができた。これはなかなか得難い財産なのではないか。
 おゲロ談義がひと段落したところで、話題を本題へと移す。バルカ旅行について、事前に伝えておかなければならないことがあった。場合によっては、空港に到着した途端、身柄を拘束される可能性もある。
「変なこと聞くんだけど、二人とも国家機密とか抱えてるタイプの人?」
「え? なになになに?」
 笑が画面に顔を近づけた。どうやら質問が直球すぎたらしい。
「抱えてないなら、警察官とは別の顔を持ってたりする……?」
「副業はしてないよ。禁止だし余裕もないし……」
 美沙がもっともな答えを返す。そうだろう。彼女が毎晩遅くまで働いていることは、SNSを通じてルナもよく知っていた。
「じゃあ大丈夫! 空港では堂々と観光で来たって答えてね。旦那さんがスパイじゃないかとか脅かすから、心配になっちゃって」
「まさか銃殺とかされんの? 怖〜!!」
「……多分、いきなり撃たれることはない!」
「待って待って待って。バルカ共和国って法治国家だよね? そんな簡単に発砲許可が下りる国に靖友くんを連れて行けないかも」
 まずい。完全に恐怖を与えてしまった。ルナは慌てて言葉を継ぐ。
「いや、逆に守るから! ちゃんと安全に旅行して、安全に日本へ帰れるようにサポートするから! 監視カメラも街にいっぱいあるから!」
「マ〜ジでヤバい国なのが伝わってくるわ」
「夜は出歩くと危ないから、大人しくしてようね」
「るるぶにも危険だって書いてあったわ……。職場のお土産はチーズでいいのかな……」
「ミサミサ、るるぶまで買ってくれてありがとう。やることなくなったら、うちの工場を見学していってね。パンも食べられるよ」
 美沙は真面目な人だ。画面の向こうでは、すでに付箋の貼られたガイドブックが開かれている。わざわざ準備してくれたことが嬉しい反面、住んでいるルナ自身、この国にそれほど観光地があるという印象はなかった。
「そういやルナルナは、どうやって旦那さんと知り合ったの? パンの大口注文?」
 笑がポップコーンを口に放り込みながら尋ねる。
 パン屋で素敵な男性と出会うなんて、まるで『呪術廻戦』みたいだな。そんなことを思いながら、ルナはミルクティーを啜って喉を潤した。
「あれは三年前……。バルカに来たばかりの頃、事務所で残業してたら強盗に入られたの。縛られて金庫の鍵を開けろって脅されて、もう駄目だ、死ぬかもしれないって思ってたら、警察官がわーっと入ってきて。そのとき助けてくれた警察官が、今の旦那さん! 強盗にナイフを突きつけられたショックより、身を挺して助けてくれた恩人って印象の方が強くて、わたしは恋を自覚したのであった……キュン!」
「え、そこからどうやって結婚まで持ち込んだの?」
 美沙が不思議そうに首を傾げる。
 突然の自慢になるが、ルナには友人が多い。今、画面越しに話している二人もそうだ。彼女たちはそれぞれ魅力に溢れ、仕事でも社会的な評価を得ている。そんな人たちと、これといった取り柄のない自分が親しくなるにはどうすればいいのか。ルナは経験から、その答えを知っていた。
 話しかけるのだ。とにかく、話しかけ続ける。そうすれば共通点が見つかり、少しずつ相手との間にあった壁が低くなる……気がする。
 ノーガード戦法で突撃するためときに手痛い傷を負う。それでも、人間関係はぶつかり稽古だ。恋愛だって、きっと同じである。
「道で会うたびに手を振って、知り合いに頼んでご飯をセッティングしてもらって、連絡先を交換して、特別な相手がいないことを確認したら、あとは押して押して押しまくった……」
 今思えば、なかなかの強行軍である。バルカ警察が多忙で助かった。下手をすれば、ストーカー規制法あたりで捕まっていたかもしれない。
 ルナの説明に、笑が吹き出した。
「執念……! 旦那さん、あれだよね。モンゴル帝国の初代大ハン」
「そうそう、チンギスさんね。モンゴルはお隣」
「めっちゃ外国人感ある……。改めてルナちゃん、国際結婚したんだね……」
 三人そろって、しみじみと頷き合う。
 笑も美沙も、大恋愛の末に結婚したのだという。そんな二人を前にすると、ルナの電撃的なゴリ押し婚は少々話しにくい。もっとも、結果として今は幸せなのだから、過程については大目に見てほしいところだった。
「あ、そのチンギスさんが、日本に知り合いがいるらしくて。三人のことを聞いてみるって言ってたな」
「怖〜ッ! 知り合いの知り合い、怖すぎる! 誰? 名前とか言ってた? アタシ、先週AI作るのに忙しすぎて、全然周り見てなかったんだよな……」
「ヒィ〜〜ッ! 私、先日ネイルの色が濃かったからぁ……不良警官としてマークされてるかも……」
 まずい。二人が狼狽している。
 警察というのは大きな組織だ。知り合いと言われても、ルナにはどんな人物なのか見当もつかない。日本の警察がわざわざバルカに関わるくらいなのだから、何か事件を追っている刑事なのだろうか。
「え〜とね、確かノザキさん? って人」
「わかんね〜な。あとで配席図見とこ」
「…………。……あのさ、警視じゃないよね?」
 警視。どれくらい偉い人なのだろう。民間企業でいえば課長くらいだろうか。美沙の鈴を転がすような声が急に潜められたのを聞いて、ルナはどうやら相当な立場の人らしいと察した。
「ごめん、役職まではわかんないや。帰ってきたら名刺見せてもらうね」
 画面の向こうで、笑と美沙がすっかり大人しくなってしまった。さっきまで手元にあったグラスも、しばらく中身が減っていない。
 せっかくのプライベート旅行なのに、上司に監視されているような気分では、ちっとも羽を伸ばせないだろう。余計なことを言わなければよかった。素性を勝手に調べられるのも嫌かもしれないと思って伝えたのに、またしても裏目に出てしまった。
「まあ、渡航禁止にはならないよね!」
 美沙が笑った。続けて笑がグラスを呷る。透明な液体を一気に飲み干し、たん、と空のグラスをテーブルに置いた。
「悪いことしてないしな! あ、日本土産何がいい?」
「旦那さん、何が好き? なんでも持って行くよ」
 ルナの罪悪感を吹き飛ばすように、会話が再び弾み始めた。なんていい友人たちなのだろう。
 せっかく遠くから来てくれるのだ。二組の夫婦を、完璧にもてなしてみせよう。最高のツアーと、最高のレストランを用意するのだ。
 あとはもう、飛行機が到着するのを待つだけだった。

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Latimeria