観光2日目

 バルカの空は快晴だった。澄み渡る青空が地平線の彼方まで広がっている。乾いた風が清かに吹いて髪を揺らす。乗馬には申し分のない天気だ。靖友は空を仰いだ。


 二日間を過ごしたクーダンのホテルを出発し、ホテル前に停まっていたツアー用の小型バスに乗り込む。今日と明日は他のツアー客と共に、草原地帯のゲルに宿泊する予定だった。
 早朝の出発だというのに、バスの座席は殆ど埋まっていた。想像よりも人気のツアーらしい。
 首都を出て三十分ほど走ると、途端に建物が姿を消し始める。舗装されていない道を小型バスが進むと、凹凸道の振動が身体を揺らした。車酔いを心配する美沙と共に薬を飲んでおいたのは正解だったようだ。
 バスに揺られること二時間。ようやく目的地に到着した。中央に大きなゲルが建ち、その周りを宿泊用の小さなゲルが取り囲んでいる。今夜は此処に宿泊するのだ。
 少し離れた場所で遊牧民たちが羊を追っている。
 ツアーガイドの一人は日本人男性だった。バスの乗客もほとんどが日本人らしい。日本人向けのツアーを選んでくれたルナに感謝しつつ、ゲルに荷物を置き、促されるまま同意書の記入を終えた。他の参加者と共に集合場所に向かう。
 どこまでも続く平原に馬が数頭放たれ、のんびりと草を食んでいた。ガイドの日本人男性が慣れた様子で一同を見渡す。
「初心者コースの皆さんは、馬に乗ってあの山の前まで行きましょう」
 どうやら自分たちは初心者コースで申し込みをしたらしい。美沙に乗馬の経験を聞かれていたのを思い出す。
「簡単すぎたら中級コースに変更できるみたいですよ」
 ルナが小声で言った。彼女も乗馬は初めてのようだ。
 遊牧民のスタッフから軽食を受け取り、一人ずつ馬をあてがわれる。スタッフに補助されながら鞍に跨ると、一気に視野が広がった。
 青空と、どこまでも続く草原。見慣れた日本の風景とは違う、異国の風景だった。
「おとと、結構揺れる……」
「美沙チャン、乗馬上手いじゃねえの」
 隣に並んだ美沙は不安気な声をあげていたが、馬の足取りは安定していた。美沙は学生時代こそ体力のない文学少女であったが、今や現役の警察官。嫋やかな見た目はそのままに、身体を動かすことは難なくこなすようになった。運動神経はもともと良いのだろう。
「やば〜〜めっちゃ景色良いじゃん! 馬ってめっちゃ賢いんだね〜! お〜い! カズミ〜ン!」
「はは、あいつマジで現地人みたいだな」
 志摩と笑は靖友の予想通りあっという間に馬を操っている。中級者から教わるはずの馬の駈歩(かけあし)も、笑はいつの間にかマスターしている。軽快に馬を操る笑の後ろを、志摩が追っていく。
「烏羽サンは流石っつうか、なんと言うか……」
「笑ちゃん、完全に馬とひとつになってるね」
 対してこちらは安全運転だ。美沙とふたりで馬の歩く速度に任せて進んでいく。
 遊牧民スタッフが馬を操りながら、ツアー参加者に声を掛けていく。靖友たちは問題なしと判断されたらしい。スタッフは列の後方まで移動し、最後尾に向かって片言の日本語で呼びかけている。
「ダイジョーブ! コワクナイ!」
「……そういえば、ルナルナは大丈夫なのかな? 颯爽と前に行ってるなら、声かけてくれそうだけど」
 美沙の呟きに、靖友は直感的に後ろを振り向く。
「……現地ガイドに慰められてんの、二藍サンじゃね?」
「!!」
 最後尾で馬にしがみついているのは紛れもなくルナだった。手綱を握っているのに馬の首にしがみつくので、馬も困惑してしきりに辺りを見回している。
 遊牧民のスタッフが馬を宥めている。出発して数歩しか進めていないのは彼女だけのようだった。
「あれ。ルナルナ可哀想なことになってる?」
 先行していた笑が騒ぎを聞きつけたのか戻ってきていた。そのまま列の中ほどで談笑していたガイドに声をかけ、最後尾まで駆けていく。
「……烏羽さん、バルカの警察署で働くことになっても平気そうだな」
「渋滞の中颯爽と馬で駆けてく笑ちゃん、かっこいい」
 美沙とそんな呑気な感想を話していると、後ろから歓声が聞こえてきた。
「キャ〜〜!? 王子……!? 笑ちゃんってわたしの王子様なの!? 日本の重要文化財なの〜!?」
「そこは国宝じゃないんか〜い。ハイ前屈みにならない、姿勢正して前見るよ〜」
「えっ? えっ? えっ?」
「アタシ難しいこと言ってないよ〜」
 はしゃいだ声を出しているのは先ほど最後尾でもたついていたルナと、彼女を迎えに行っていた笑だ。
 笑が乗っていた馬の背にルナを乗せ、二人乗りをしている。周囲のツアーの参加者が拍手を送り、ちょっとした盛り上がりを見せていた。
「……俺の嫁、格好良すぎだろ……」
 いつのまにか靖友と美沙の隣に並んでいた志摩が噛み締めるように頷いている。しばらく浸ったのち、
「やはり国宝……か……」と呟いて去っていった。
 ……志摩サン、奥さんのイケメンムーブにちょっとおかしくなっちまってたナ。マァ確かに、あれは格好良いケド。
 靖友が楽しそうに声を上げるルナたちを眺めていると、美沙が靖友の袖を引いた。
「靖友くん……。わたしも限界かも……」
「……今更過ぎじゃね? 美沙チャン余裕で乗ってただろ。なんなら競争すっか?」
「えっ」
「……GO!!」
「……えっ!? えっホントに!? ちょっと待ってよ〜! 出遅れちゃったよ〜!」
 「わたしも二人乗りしたい」と言いたげな美沙の姿に一瞬言葉に詰まる。照れ隠しのように競争を提案したが、追いついて並走してくるあたり、乗馬は得意なのだろう。
 実際、姿勢を正して馬に乗る美沙の姿は映画のワンシーンのようだった。靖友は彼女に見惚れる顔を見られないように、馬の手綱を握り直した。

 山の麓まで辿り着き軽食を取った後、初級者コースの参加者たちは折り返してゲルへと戻った。ひと休みした後は食事のために中央の大きなゲルへと向かう。
 陽射しの下であれだけ運動をしたというのに、さほど汗のベタつきは気にならなかった。乾燥した空気のお陰だろう。備え付けのシャワーを浴びるのは食後で良さそうだった。
 部屋割りは男女別だったので、靖友は志摩との二人部屋だ。人と相部屋なんて学生の時以来だった。
 レストランとして使われているゲルに移動すると、他の参加者たちも続々と集まり出した。円卓に腰を下ろすと、先に来ていた女性陣は早速乗馬の話で盛り上がっていた。
「ウチらは初心者コースで十分だったわ〜。中級者になると距離がこの倍でしょ? 初級者コースなら馬に負担かからないから二人乗りでも良いって言われたんだよね」
「うっうっ……笑さんはわたしの恩人です……。王子様ですぅ……」
「ルナルナも楽しめて良かった。笑ちゃんはほんっ……とカッコよかったよ〜! 私はなんで靖友くんと競争してたんだろ……」
 照れ隠しだったのは、美沙に気付かれているだろうか。流石に男女で二人乗りはやはり気恥ずかしかった。そんなことを考えていると志摩が話しかけてきた。
「はじめは競ってたけど、やっぱ荒北さん早かったな」
「まァね」
 五人で他愛もない話をしていると、ゲルの入り口から入ってきた男がこちらに近付いてきて、笑とルナの間で足を止めた。二人に親し気に話しかける。
「あ!お姉さん、乗馬うまかったねぇ。経験者?」
「ありがとうございま〜す。初めてで〜す」
 笑は男の方を見てにこりとよそ行きの笑顔を浮かべたが、それから話を切り上げるように正面に向き直った。
「馬にしがみついてたお姉さんは初心者だ」
「あたりで〜す。初乗馬でした」
 見るからに男女ペアである二組よりも話しかけやすいと踏んだのか、男はルナの隣の席に座った。周囲は複数人で参加した客が多く、一人旅らしい男はルナに話しかけ続ける。
「バルカは初めて? どこから来たの?」
「はじめてです〜。わたしは北海道から来てて、みんなは東京です」
 靖友たちは思わずルナの方を見た。
 この女、平気で嘘つきやがった……!
 バルカに夫までいるくせに、ルナは涼しい顔ではじめてバルカに来た日本人を演じている。旅慣れた様子の男は気を良くして話しを続けた。
「その民族衣装はどこで買うの?」
「クーダンで買えますよ。写真館でも衣料品店でも!」
「へ〜、帰りに見てみよっかな。旅行楽しんで」
「ぜひぜひ。お兄さんも良い旅を」
 男はルナに礼を言うと、席に上着を掛けて立ち上がり他のツアー客の雑談に加わっていった。
 解放されたルナに笑と美沙が声をかける。
「あっさり嘘ついてて草」
「あとからボロ出ない? 明日もツアーあるのに」
「わたしは北海道から来たばかりの女だから乗馬が下手でも許されるのだ……」
 誰も気にしていないが、本人的にあれは醜態だったらしい。
「明日のラクダは乗れるんだよね?」
「未知数……!」
「乗ったことないんだ」
 ルナは言及を避け、素知らぬ顔で配膳された料理のソーセージを頬張っていた。おそらく彼女はラクダに乗る時も一悶着を起こすだろう。
 中級者コースの参加者が戻り始めたのか、円卓の席が埋まり始めた。日本人向けのツアーだが、他の国の旅行者も参加しているようだ。
「……ン?」
 靖友の視界の端を男が横切った。妙な既視感から空港で会った男を思い出す。思わず目で追うが、人波に紛れたのか既に姿はない。
「靖友くん、どうかした?」
 美沙の声で我に帰る。
「イヤ、知り合いかと思ったんだケド……。こんなとこにいるわけねえか。気のせいだワ」
「仕事の知り合い?」
「ンー、多分……?」
 仕事関係の人間なら、顔を忘れるはずがない。
 もう一度男の容貌を思い返す。背格好も髪型も、何処にでもいる日本人男性だった。唯一印象に残ったのが、忙しなく動く男の瞳だ。ほんの短い間だけ、男が何かを注視する。靖友はそのタイミングで男の存在に気がつく。鏡越しの視線、背後から感じた違和感。
 ……見られていたのだ。
 そう考えると合点がいった。靖友は幼い頃から勘が鋭い。あの男は、靖友を見ていた。
 何故か。何のために自分を? 考えても答えは出ない。余計な考え事のせいで、食事は殆ど味がわからなかった。


 食事を終えた後は美沙と二人で星を眺めた。
 地面に寝転がり、夜空を見上げる。空が明るく見えるほどの星が一面に散らばっていた。あまりの数に、思わず息を呑む。
「スッゲ……」
「今日はこれが楽しみだったんだ。明日は天気が崩れるかもって聞いてたから。すごいね、日本じゃなかなか見られない」
 隣で美沙が星座の解説をしてくれる。柔らかな声が、静かな草原に溶けていく。聞き慣れた声に耳を傾けていると、心地よさに眠気が忍び寄ってきた。
 肌寒くなる前に、美沙を女性陣の眠るゲルまで送り届ける。自分もシャワーを浴び、明日に備えて眠りについた。

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・馬の二人乗りは推奨されないらしいが、夢小説なのでオッケーです。
・俺の嫁、かっけえ……(じーん…)の志摩さんが書きたかった。
・ミサミサ乗馬似合いそう〜。個人的に栃栗毛の馬が似合う。志摩さんは芦毛。

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Latimeria