「先生、綺麗ですね」

「うん、すごいねえ」

 善法寺先生と私は綺麗な汽車の窓に顔をくっつけて外を見つめている。外は夜であるはずなのに、溜めておいたバケツをひっくり返したかのような星に照らされて酷く明るい。
 不思議な事に私は知らないうちに汽車に乗っていた。自分がそもそもどこにいたのかもよく覚えていない。汽車は何両もあって、どこまでも続いているみたいで、私が乗り込んだかと思えば地面を離れて、空へと舞い上がったのだ。
(まるでドラえもんの世界だわ)
 小さい頃テレビに齧りついて見ていた映画を思い出した。見てからしばらく余韻が冷めなくて、一両編成の鈍行に乗るだけでも空に舞い上がるのではないかと期待したものだった。
 汽車は空高く舞い上がり、街はどんどん小さくなり、空は暗くなっていく。図鑑で見覚えのある大きな星が横を通り過ぎてから、私は自分が宇宙にいるのだと確信した。
 駅員さんが幾度かのアナウンスをして、次の行き先が火星だと告げた後で善法寺先生が汽車に乗車した。善法寺先生は私の住む小さな町の診療所につとめる若いお医者様だ。先生はいつものように柔らかく笑って、「隣いい?」と聞いた。

「先生、ここは宇宙なんですねえ」

「そうみたいだ。こんなに間近で星を見たことがあるかい?貴重な体験だね」

「すごいですね、図鑑でしか見たことないです」

 先生は笑いながら私の頭を撫でた。その手は暖かくて、私は少しだけ安心する。窓の外を沢山の白鳥が通っていった。真っ白な海のようなその光景に息を呑む。白鳥の海の上をまた、きらきらと音が鳴りそうなほど美しい星達が固まっている。

「切符を拝見いたします」

 私が外の鳥に夢中になっていると、帽子を深くかぶった駅員が機械を持って手を差し出していた。

「え、えぇと」

 切符?そんなもの、持って居ない。気づけば乗っていたのだから。

「七詩、ポケットの中は?」

「…ありました」

 善法寺先生に言われたとおりポケットを探ると硬い切符が出てきた。あぁ、いやだなあ。けれど出してしまったものは確かに切符だ。大人しく駅員に渡すしかない。切符を受け取った駅員はにこりと笑った。

「大人一人、子供一人ですね。良い旅を」

 良い旅を。
 その言葉が引っ掛かる。私は知っているのだ。ドラえもんの銀河鉄道は22世紀の産物で、本当の宇宙旅行だったけれど、残念ながら今は21世紀で、私の勉強机の引き出しの中には中途半端に使われた文房具と未提出の宿題しか入っていない。未来へは、繋がっていない。

「善法寺先生、」

「なんだい」

「ずっと、乗っていてくれますか」

 そう言うと、善法寺先生の目が一瞬大きく見開かれた。先生は知っている。この汽車がどこへ向かっているのか。先生は降りなければいけない。私は降りれない。私の切符の行き先は、天の川だ。

「降りないでください。先生、一緒にいきたいの」

 口から出した言葉の意味を、私は深く考えるのをやめた。善法寺先生は笑って私の頭を撫でる。でもその顔は酷く悲しそうだ。私は大好きな先生を悲しませているのが自分だという事が嫌で、嫌だけど、一人はもっと嫌で、そのために先生を困らせる自分勝手な私が嫌で、でも…。ぐるぐる回る思考は結局自分の尾を追う蛇のようで、結局私はお人好しな先生の次の言葉を待つことにした。

「いいよ。ずっと乗ってよう。終点まででも、七詩が降りるところまで」

 そこで、私は我慢が出来なくなって一つ涙を零した。零した涙は真珠のように固まってころりとスカートに落ちた。先生がそれを摘み上げて、口に入れた。かし、と口の中でつぶれた音が聞こえる。

「…しょっぱいね」

 笑った先生に、つられて笑った。
 先生は笑うのがとても上手だ。だから私はそれに甘えて、本当にずっと一緒にいられたら良いのに、とまた夢みたいな事を考える。けれど私はしょっぱい真珠をこれ以上生産しないように唇をかみ締めて、先生の手をとった。やっぱり、暖かい。
 先生は不思議そうに、でもやっぱり何かを悟ったような顔で私を見つめる。私はしっかりと先生の目を見つめる。

 「先生、ごめんね。嘘。ぜーんぶ、嘘。私は、先生の幸いをどこまでも、祈ってます。ありがとうございました。明日も元気にお仕事、頑張ってくださいね」

 私が瞬きをすると、溜め込んでいた真珠がぱたぱたとスカートに落ちて、向かい合っていたはずの善法寺先生の姿はどこにもいなくなっていた。
 汽笛がひとつ、大きく鳴って、次の行き先は天の川だと告げた。


***



「先生!!伊作先生!!」

 名前を呼ぶ声で、目を覚ました。瞼がやけに重たくて、目を開けばそこには見知った顔がいくつもあった。しかも、どれもこれも泣き顔だ。

「…左近、どうしたの」

「どうしたじゃないでしょう!!あんた死ぬところだったんですよ!」
 
 同僚の左近に怒鳴られて、半身を起こして見ると、白衣がぐっしょりと濡れていた。明かりを持つ住民達や総動員している同僚達を見るに、僕はどうやら診療所から帰宅する途中に川で溺れたらしかった。おそらく足を滑らせたのだろう。

「助かった…みたいだね。幸運だなあ」

「何が幸運ですか、もうすこし周りを見てください」

「すごいスリルでした…助かって、良かったですね」

 助かったというよりは、助けられたように思える。あのままあの汽車に乗っていたら僕はここで溺れて死んでいたのだろう。
 無意識に握り締めていた右手を解くとそこには小さな真珠があった。
 今朝息を引き取った、始めての患者の事を思って僕は声を上げて泣いた。息を呑むほど星が綺麗な夜だった。




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2012

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