ちりん、襖の向こうで鈴が鳴った。下働きの少女が遠慮がちに、けれど慣れた動きで襖を開けた。
「七詩姉さま、お客様です」
強張った少女の表情だけで、訪れた客を予測するのは七詩にとって容易なことだった。何度か自分の下を訪れている男は、全身に酷い火傷を負っている。顔を何重もの包帯で覆う、長身の得体の知れない男は幼い少女にとって畏怖の対象でしかない。それを知りながら、七詩は少女の頭を撫でて微笑む。
「そんなに怯えることないでしょ。悪い人じゃない」
「で、でも…。姉さまがとって食われてしまいそうで、あたし怖いんです」
耳元で囁かれた少女のその言葉に、七詩は耐えられずに声を上げて笑ってしまった。地方から売られてきたばかりの少女は七詩によく懐いているのだ。
「君の大事な姉さんを取って食いやしないよ」
襖の前に立っている長身の男の声で、少女はぴゃっと飛び上がった。自分と姉さんにしか聞こえるはずの無い言葉を聞かれたか、まさか考えを読まれたんじゃあないかと、幼いながらも端正な顔を真っ青に染めた。
案内もしていないのに堂々と部屋に入ってくる男を睨みつけながらも、少女は七詩の後ろに隠れる。客を迎える態度としてはふさわしいものではないが、そんな少女を七詩は責める事もなく、逆に入ってきた男に向かって口を尖らせた。
「もう、虐めないでください」
対して男のほうも包帯だらけの顔を歪めて、笑みの形をつくる。仰々しい見かけとは裏腹に、口調は軽い。
「ごめんごめん。これ、君に」
長身を屈めて少女の下へと近づいて、懐から包みを出した。
「あけてごらん」
七詩のほうにちらりと確認を取って、恐る恐る包みを開けると、色とりどりの金平糖が入っていた。庶民には手を出す事のできない砂糖菓子。少女は目の色を変えて思わず声をあげた。
「こら、はしたない」
「喜んでもらえたようで何よりだね」
ありがとうございます、と深々と頭を下げると、七詩が下がるように指示を出した。まだ十になったばかりの少女は懐にしまった金平糖に心浮かせて、先程とは態度を変えて、笑顔すら浮かべて部屋から出て行った。
「かわいいね。名前はなんていうの」
二人きりになった部屋の中で、男は胡坐を掻いた。動きは洗練されていて、高級遊女の前であっても緊張する様子など微塵も見せない。
「あら、好かれるために態々金平糖なんて用意したんですか。あの子は繭と言うんです」
美しい袖を口元に持っていく七詩の動きは優雅そのものだ。
「最近小さな子供に会う機会が多くてね」
「怖がられるでしょう。いくら金平糖があっても足りない」
「毒舌だねえ、君も」
けらけらと大口を開けて笑う姿は、高級遊女の立ち振る舞いからは外れている。けれども彼女の美しさを損なう原因にはなり得なかった。
「雑渡さん、なかなか逢いに来て下さらなかったじゃないですか」
七詩はすり足で男ー雑渡に近づく。それこそ無粋な音など付いてはこない。美しい白い指が雑渡の着物に触れる。
「あのね、私は忍者頭だって話を何度もしたよね」
大きな手が細い手を捕まえて、自ら着物を肌蹴た。着物の下にあるのは、惨たらしいほどの火傷の痕。昔の傷だというのに、未だに膿み、包帯が巻かれたままだ。
「はい、多忙だという事も知ってますよ。タソガレドキ城の忍者隊を率いる組頭、雑渡昆奈門さん」
七詩は傷に躊躇することなく、包帯に覆われた身体に触れる。そこであら、と声をあげた。
「包帯、きちんと交換してるんですね」
雑渡は頭を掻きながら呆れる。優秀な忍者百人を束ねる組頭も、七詩の前ではただの客人か。けれどそれを嫌がることはない。これも、彼にとっての楽しみなのだから。
「最近はね」
「でも、もう交換しなくちゃ」
傍から見れば滑稽に映るだろう。七詩は雑渡の身体から包帯を剥がしていき、雑渡は彼女にされるがまま。時折二人して目を合わせては笑いあうのだ。
雑渡は七詩に自分の素性を簡単に話す。自分がタソガレドキ城の忍者組頭であることも。位の高い遊女である七詩に素性を教えてしまうことは、彼女が他の客を取ったときにその情報を漏らされてしまうという危険も伴う。けれども雑渡は七詩に逢うたびに任務の話をする。それに耳を傾ける七詩は雑渡の素性を他人に漏らす気など毛頭ない。なぜなら、彼女は雑渡の素性に興味などないからだ。
自分の下に雑渡が足を運んでくれさえすれば良い。それだけが彼女の望み。
「七詩、君は変わってるよね」
肌を重ねながら、雑渡は七詩の頬を撫でる。無骨な手の平がくすぐったいのか、笑華は身を捩る。
「そうですか。私にしてみたら、あなたのほうがずっと変わり者ですけどね。忍者頭の癖に、こんなところに来て」
「若い子はあんまり、私みたいなのを相手にしたくないんじゃないかと思っていたんだけどね」
包帯を取り除いた皮膚は歪み、変色している。直視し難いような傷跡だというのに、七詩はその赤い舌を雑渡の傷跡に這わせるのだ。
「だって、私達、似ていませんか」
「また面白い事を言うね」
「何も生み出さない。誰かに必要とされていないと、存在も出来ない。夜に生きる、哀れなけだものじゃあないですか」
そう言って笑う七詩の表情は酷く悲しい。
せめて何か形に残れば救われるのに。けれどそんな救いを求めているのは自分だけなのだと、七詩は理解している。化けの皮を剥いでしまえば、ただの農民の娘であった自分がいる。夜になるたびに膝を抱えて泣いているのだ。遊女として確固とした地位を築いた今でさえ、泣声は脳裏から消えない。
「ねえ、雑渡さん。嘘でも良いんです、言ってください…」
「あいしてる」
愛してる、愛してる、愛してる…。いくら客に言われても、七詩は満たされない。けれど雑渡の言葉は、好きだった。酷く寂しい、愛をひさぐ言葉。なぜかそれが一番自分を安心させてくれる。
夜が明けなければ良いのに。夢の中だけでも、その言葉が本当の意味を持っていれば良いのに。けれど、夢を見ていられる少女の時代は終わったのだ。
それなら今の間だけでもー。しがみつく様に抱きしめて、溺れるように求めた。どこまでも虚しいのに、それでしか満足できないことが、七詩はおかしくてたまらない。
「ねえ七詩。君を、攫っていってあげようか」
白い肌を惜しげもなく晒して寝転がる七詩は、雑渡の提案に目を見開いた。
それから少し考えるような素振りを見せて、答を出す。賢い女である。考える素振りですら、魅力的に映る。
「あなたの手を取って、喜んでここから逃げ出すと言ったなら。…きっとあなたは私の元へはもう二度と来てくれないんでしょうね」
「どうだろうね」
素っ気無い返答を気にもせず、七詩は続ける。
「私が何もかも失ったら、雑渡さんは私に見向きもしてくれないわ。…それくらい、わかるんですよ。女ですからね」
「籠の中にいるから美しいんだ、なんて言ったら叱られてしまうかな」
「…二度と、外に出たいだなんて思わないでしょうね。あぁ、でもね。それは甘い甘い蜜があるからよ。甘い蜜が無くなれば、わたし、すぐさま餓死してしまうんだから」
「それは大変だ」
雑渡は七詩の顎を持ち上げて唇を重ねた。
唇が離れると、七詩は蕩けるような表情で言う。
「ねえ、餓死なんかさせないでくださいね。どうか、終わりの日にはあなたが止めを刺してください」
< 愛しき世界と心中 >
2012
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