「完成してしまった…。辰也くん大変!わたしって天才かもしれない。自分の才能にゾッとしている!」

 部屋中がコーヒーの匂いで満たされたのを感じながら本を読んでいると、小さなキッチンの方から声が聞こえてきた。その明るい声は確かに俺を呼んでいるもので、部屋の仕切り代わりに使われているカーテンを捲ってキッチンへと顔を出した。

「やばい…。天才かもしれない…。ゾッとしちゃう…。めっちゃおいしそうやん…」

 ケーキを持ったまま愕然としている七詩が微笑ましくて、俺は近くによって彼女の手元を覗き込んだ。上手い具合に焼きあがったチョコレート色の生地が顔を出している。

「美味しそうだね」
「すごくない!?これも愛の力だろうか…。ゾッとした…。とりあえず入刀するねー!」

 ケーキを型から取り出して、熱湯で温めたナイフで半分に切り分けていく。普段料理をしているはずなのに、その手つきがやけに危なっかしくて俺は何度か口を挟みそうになる。けれどもそれを何とか押さえ込んで切り分けられたケーキを眺めていた。

「皿いるかい?」
「ふたつー。辰也くんいくつ食べる?わたし三つ食べるけど」
「うーん、一つで良いかな」

 正直俺にとっては一つでも十分な甘さだ。食器棚から皿を出す。七詩には少し大きめの皿を出して手渡すと、その上にレースペーパーが引かれてケーキが乗せられた。その上に半立ての生クリームが乗っかって、まるで店で売っているようなチョコレートケーキが出来上がった。

「ひとつで足りるとかゾッとするんだけど…。遠慮しなくて良いんだよ?わたし辰也くんのためにガトーショコラ焼いたんだからね」
「ありがとう。明日も食べるよ」

 恐らく明日になったら残りのガトーショコラは七詩が全て食べてしまうんだろう。それを解っているからか、七詩はそっか、と返事をしただけでマグカップにコーヒーを注いだ。
 テーブルに付くと七詩は笑顔を浮かべたまま俺のことを見つめている。俺のためだけのガトーショコラだ。大事に食べないと罰が当たる。

「…あのさ、そんなに見つめられると照れるんだけど」

 肘を付いて俺のことを見つめている七詩の視線があんまり気になるものだから、ついつい声をかけてしまう。早く食べてもらいたいというのが解っているのに先延ばしにする自分も自分だ。

「えっ、あっ、そ、そう?ちょっとお味の感想を聞きたくてですね…。ゆっくり食べてくれていいよ」
 
 顔を赤くして照れる七詩は両手を顔の前で振って、先に自分の分のガトーショコラに口をつけた。美味しそうに頬を緩める姿が可愛らしくて、気づけば彼女を見つめていた。それを視線で咎められる。
 こんなに美味しそうに食べられるのであれば、チョコレートも本望だろう。靴箱やロッカーに大量に詰められていたチョコレートも、彼女の笑顔の前には価値を失ってしまう。彼女達には悪いけれど、とどのつまり、そういうイベントなのだ。七詩にとっては俺のおかげで好物を沢山食べられる日なのだろうけれど。
 帰り道に渡されたチョコレートのことを思い出した。七詩と二人で歩いていたというのに、突然女の子に呼び止められた。渡されたチョコレートには告白の文面の書かれたメッセージカードが見えるように付いていて、それを渡して走っていった女の子の後姿を横目に七詩が開いた口が塞がらないというような顔で自分を指していたのだ。
 その光景を思い出して思わず笑ってしまう。

「どうしたの?」
「いや、帰り道の事を思い出して。凄い迫力だったよね、あの子」
「わたし横に居るのに辰也くんしか見えてなかったもんね!いやーあの凍りついた感やばかった…。ゾッとしたよね…」
「日本のバレンタインは戦争だな」
「辰也くんの周りだけね。でも、バレンタインデーに辰也くんにチョコレートを食べてもらえるのがわたしだけっていうの、凄く特別な気分だな」
「まあ、俺にとって君は特別だからね」
 
 そう言ってフォークを口に運ぶと控えめな甘さが口に広がった。思ったよりも甘さが控えられている事に驚きと彼女の配慮に顔が緩む。

「ゾッとする程美味しいな」

 俺がそう言うと頬を染めていた七詩は唇に付いたクリームを舐め取って笑った。
 その笑みが酷く俺を誘っているように見えたから、彼女の右手のフォークに先を越される前に、俺はその唇を奪った。


<スイート・スイート・スイート>
(氷 室 辰 也)
2014
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