「七詩、聴こえているかい」

 カンカン、と鏡を叩く音が聴こえた。わたしは引き出しの中に突っ込んだ頭を引き抜いて部屋の真ん中に置かれた大きな姿見のほうへと向かう。

「ごめんね!聴こえてる。ちょっと探し物してて」
「それなら良いんだ。邪魔してごめんよ」
「ううんこちらこそ。ちょっと待ってね。すぐに見つけるから」

 覗き込んだ鏡に映っているのはわたしの顔ではない。鏡の向こうでは辰也くんが困ったような笑顔を浮かべている。
 今日は辰也くんの誕生日だ。わたしは彼の誕生日をもう一度祝うことができる幸せを噛み締めて、引き出しに仕舞いこんだままのカラフルなロウソクやHappyBirthdayと書かれたプレートを探し出した。時間が無くてホールケーキを焼くことはできなかったけれど、去年も一昨年も、辰也くんは1ピースで満腹だと言っていたのを思い出した。なのでケーキ屋さんでまあるい小さなケーキを買ってきた。これならきっと、辰也くん一人でも食べきれるだろう。

「あったよー!」

 わたしの大きな声は狭い家の中で響いて、鏡の向こうからは辰也くんの小さな笑い声が返ってきた。はしゃいで鏡の前に飛び出したわたしを見て辰也くんは酷く優しく笑う。

「なんだいそれ」
「ケーキ買ったら貰えたの。折角だからかぶってかぶって!」

 わたしの頭には子供用の紙でできた三角の帽子が乗っている。カボチャとドクロ模様の書かれた安っぽいそれは、ケーキ屋で余っていたらしい。好きなだけ持っていって良いと言われたわたしは当然二つそれを貰って、一つを鏡へと向けた。鏡の表面に触れた帽子はぐんぐんと吸い込まれていって、向こう側で受け取った辰也くんが困った顔でそれを頭に乗せた。

「どう?」
「イケメン3割増しって感じ!」
「嘘つくなよ、恥ずかしいな」

 二人して子供みたいな帽子をかぶって、酷く滑稽だ。こみ上げてくる笑いを抑え切れなくて、笑いながらケーキにロウソクを立てた。

「あ、ロウソク20本も無いや。ね、辰也くん、三段目の引き出しの奥にロウソクがあるはずだから持ってきてくれる?」
「20本も刺したらケーキ穴だらけになるぞ」
「でも、あるんだもん」
「わかったよ」

 辰也くんが鏡の前から消えて、わたしの視界に移るのはわたしの部屋と同じ間取りの部屋。一人で暮らすには少し広い、去年までは辰也くんと二人で住んでいたのだ。去年の誕生日を祝うときに買ったロウソクが、引き出しに入っている。わたしの私物を捨てない辰也くんはきっと引き出しに入れっぱなしにしているはずだった。

「あったよ。はい」
 鏡の向こうから送られてきたロウソクをわたしは容赦なく小さなケーキに刺していく。その様子を見ながら辰也くんは「うわ」とか「あぁ」とか悲愴感漂う声を上げる。

「いえーい20歳おめでとう辰也くん!良かったねえ10本ずつロウソクあって」
「オレの部屋、あとは線香しかないよ」
「あ、うちも」

 同じだねと笑って、それからほんの少し沈黙が流れた。わたしの部屋にある線香と、辰也くんの部屋にある線香はきっと違う種類だ。辰也くんのお墓に供えるために買った線香。辰也くんが買ったのは、わたしのお墓に供えるためだろう。
 そう、辰也くんは死んでしまったのだ。

「辰也くん、おめでとう」
「ありがとう」

 ロウソクに火をつけて、明かりを消した。そのまま鏡の向こうへとケーキを渡して、向こう側で受け取った辰也くんがふーっと息を吐いた。ロウソクの炎はゆらゆらと消えていって、最後に一本だけ残った。

「20歳、おめでとう」

 わたしの辰也くんが消すことのできなかった20本目のロウソクを優しく吹き消して、鏡の向こうの辰也くんは笑った。

「ありがとう、七詩」

 切り分けられたケーキがこちら側に届けられて、わたし達は向かい合ってケーキを食べる。湯気を出すコーヒーと紅茶の入ったカップも、わたしの部屋の後ろには辰也くんのカップが、辰也くんの部屋にはわたしのカップが埃を被って仕舞いこまれている。

「相変わらず、甘いなあ」
「そうかな、今年は控えめにしたつもりなんだけど」



***


 
 わたし達を分けたのは、バスの事故だった。窓際に座っていた辰也くんをクッションに、わたしは助かってしまったのだ。辰也くんを失ったわたしは酷く混乱して、葬式を終えて、部屋に戻っても彼の私物が視界をチラつくのに耐えられなかった。

「辰也くん、たつやくん、」

 19歳という若さで命を落としてしまった彼を求めて毎晩すすり泣くわたしは、いつしか何かのきっかけでおかしくなってしまったらしい。

「辰也くん」
「…………七詩」
「辰也くん…?」

 彼を呼び続けていると、どこからか彼がわたしのことを呼んでいる様な声が聞こえてくるようになったのだ。

「どうして死んでしまったの」
「君こそ、どうして」
「死んでしまったのは、辰也くんだよ」

 日に日に言葉すら交わせるようになっていくその声は確かに辰也くんの声で、わたしは声のありかをふらふらと探した。
 そこで、布をかけて仕舞いこんでいた姿見を思い出したのだ。
 わたしの考えは当たり。姿見の向こうにはわたしの背後と同じ部屋が映っていた。異なるのは、そこに映っているのはわたしの姿ではなく、愛しい愛しい辰也くんの姿であったことだった。

「オレの方ではね、窓際に座ったのは、君だったんだよ」

 鏡越しに、ほんの少しだけズレてしまった世界で、わたし達は再会を果たした。



***



「これ、誕生日プレゼント。寒くなってきたから、風邪引かないでね」
「ありがとう。高校のときもくれたよな、マフラー」
「あれねえ、ほぼ婆ちゃんの手編みなんだよ」
「おいおい、自分で編んだって言わなかったか?」
「わたしが自分で編んだら長い雑巾にしかなんないって」
「ずっと騙されてた」
「辰也くん、気づいてたと思ってた。来年は手編みにしようか。もこもこの手袋編むよお」

 来年が来るかどうかはわからない。ある日突然、彼は鏡に映らなくなるだろう。その日の訪れはただただわたしにとって恐ろしいものでしかない。けれど、鏡の向こうの彼がわたしのことをずっと思っていてくれる、なんて根拠も自信もない。他の素敵な子なんて沢山居るんだ。そのときは、思い出も捨てて、鏡も捨ててくれたら良い。

「なぁ、七詩」
「なに?」
「来年の君の誕生日は、大きなケーキを用意するよ」

 『来年』という言葉を出す辰也くんは優しくて、不安がるわたしのことを慰めるように手を伸ばした。わかっていることだけれど、彼の手は鏡の滑らかな表面を撫でるだけで、わたしのほうへは届かない。彼の世界でのわたしは、死んでいるから。
 どちらともなく鏡に顔を近づけて、唇をくっつけた。冷たい感触は、鏡が無機物だからか、それとも。




< まほろばのあなた >
(氷 室 辰 也)
2015
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