※きらきらひかる パロディ

「ただいまあ」

 わたしが玄関のドアを開けて声をあげると、落ち着いた足音と共に辰也くんが玄関まで出てきてくれる。

「おかえり、今回はどこに行ったんだっけ?」
「イタリア!ワイン送ったでしょー」

 そうだっけ、と辰也くんは苦笑して、わたしの手から旅行鞄を受け取ってくれる。彼は、とてもやさしい。靴を脱いで、鞄をリビングに運ぶ辰也くんについていく。一月ぶりに帰ってきたマンションは入った瞬間に良い香りがした。難癖の付け所の無い彼のセンスによって選ばれたインテリア。柔らかな明かりに照らされたリビング。テーブルの上には磨かれた食器と、ワイングラスの横にはわたしが送ったイタリアのワインが用意されている。場所を忘れただなんて嘘ばっかり。
 本当に、辰也くんはできた旦那様だ。

「ご飯、準備しておいてくれたの!?」

 歓声をあげるわたしの背を押して、「着替えておいで」と辰也くんは優しく諭す。辰也くんの柔らかな声を聴いていると急いていた気持ちも落ち着いて、わたしは疲れも忘れて鼻歌交じりでワンピースに着替えて食卓へとついた。

「すっごいおいしそう!」

 わたしが食卓に座ると、ビーフシチューが出てきた。炊き立てのお米とサラダ、それとワインが準備されて、辰也くんが正面に座る。

「口に合うかどうかはわからないけど」
「またまた、ご謙遜を」

 グラスにワインを注いで、二人で乾杯。彼に合うと思って選んだワインはわたしは辛くて、「美味しいね」と笑う辰也くんに、笑って相槌を打った。
 よく煮込まれたビーフシチューは美味しくて、わたしは彼を賞賛しながら二杯目を皿に盛り付ける。

「おいしい!わたしが帰ってくるたびに辰也くん、料理上手になってくねえ」
「そうかな、そんなに喜んでもらえるなら作ったかいがあるよ」

 ――そりゃあ、わたしがいない間も、料理、するもんね。
 わたしは味のしないサラダを口に運びながら考える。それは、辰也くんの恋人のこと。 

 辰也くんとわたしが結婚して、半年になる。誰の目から見てもわたしたちは幸せな夫婦であった。
 わたしは若手のピアニストで、辰也くんはバーテン。友達に連れられて行ったバーで出会ったのが始まりで、わたしと辰也くんは親しくなった。
 辰也くんは魅力的な人だった。彫刻のように整った綺麗な顔も、学生時代にバスケをやっていたという引き締まった身体も、英語が話せて賢いところも、誰にでも優しいところも、全部素敵で、わたしはすぐに夢中になった。連絡を取り合って、一緒にご飯を食べに行って、映画を見に行って。そんなことを何度か繰り返しているうちに、辰也くんが言った。

「あのさ、七詩にだから話すけど。オレ、ゲイなんだ」
「え、そうなんだ。えーと、じゃあ、女の子には、興味ないの?」
「……女の子とセックスしたいとは思わない、って感じかな」

 困ったように笑う辰也くんがどうしてわたしにそんなことを話してくれたのかわからなくて、わたしは困惑したまま、それでも彼からの印象を下げたくなくて必死に自分に偏見の無い事をアピールしようとした。

「でも、辰也くんのこと嫌いになったりしないよ。わたし」
「本当?」
「うん。女の子にも興奮してくれたら、もっと良かったのにとは思うけど」

 そう言ってウインクしたら、辰也くんは吹き出して、さも可笑しいことのようにゲラゲラと笑った。それから最高の笑顔を浮かべて、彼は言った。

「でもね、オレ、七詩のことは好きだよ」



 それからしばらくして、わたしと辰也くんは結婚することにした。わたし達は今の、お友達以上恋人未満なんて微妙な関係も好きだったのだけれど、辰也くんのご両親は厳しい人らしく、結婚を強く勧められたらしい。
 勿論、この日本で結婚するのならば辰也くんの結婚相手は女性になるわけで、わたしはすぐにその相手に立候補した。辰也くんは笑って、「嬉しいな」と言ってくれた。

 わたしの両親も、辰也くんの両親も私たちの結婚は大賛成であった。わたしは自分の両親に彼がゲイであることはどうしても言いだせず、ウェディングドレスや引き出物を楽しそうに選ぶ両親の前で、酷く彼らを裏切っている気分になった。


 わたしはピアニストという微妙な職業のせいで、あまり家に居ない。売り出し中の頃は日本全国津々浦々。少し売れてくると外国に行ってみたり。今の現状は若手としては上々だ。
 わたしたちが結婚するときの条件はひとつだけ。お互い恋人がいることを容認すること。それだけだ。友達のような、恋人のような、微妙な関係のまま、わたしたちは結婚した。
 ゲイの辰也くんには当然のように男の恋人がいる(わたしはその時の条件として、辰也くんが女性の恋人を作らないことを約束させた)。彼はわたしが恋人を作る事を容認している。それでも、まだわたしにはそういう相手はいない。

「今回の公演はどうだったの?」
「あんまり、評判は良くなかったかなあ。おいしいもの沢山食べて、こてんぱんに叩かれて帰ってきました」

 辰也くんは、わたしを抱かない。わたしたちの間に、セックスは無し。キスも、きちんとしたのは結婚式の誓いのときだけ。子供のようなキスはいつでもしてくれるけれど、「がんばって」「おつかれさま」額や頬に落とされる柔らかい唇が、わたしの唇に触れることは無い。
 それが酷く寂しくなったり、辛くなっても、わたしは自分が言いだしてしまったものだから、辰也くんには言えない。ただ、めそめそと泣き出して、彼に抱きしめてもらって、額にキスを貰う。わたしたちの関係は、それだけ。

「大丈夫だよ。まだ若手だから評価が厳しいだけ。七詩の演奏は素晴らしいよ」

 食事が終わって、泣き出したわたしを抱きしめて辰也くんはそう慰めてくれる。辰也くんはわたしのピアノが好き。彼の好きな曲を覚えて、弾けるようになって、喜んでもらうのが、わたしは好き。わたしは、辰也くんが好き。

「辰也くん、キスして」
「はいはい」

 ちゅ、と額に唇が触れる。声をあげてわたしは泣く。公演が終わると毎回の恒例だから、辰也くんは慣れっこ。わたしが落ち着くまで抱きしめて、それでも落ち着かないと抱き上げてベッドまで連れて行ってくれる。眠れるまで横で抱きしめてくれて、頭を撫でてくれる。
 辰也くんは見知らぬ国で、冷たい講評に左右されて、わたしが泣いていると思っているのかしら。それもあるけどね、寝かされたベッドがいつでも洗剤の香りがして、整えられているのも、わたし、悲しいの。



***



 七詩が公演から帰って来ると、部屋の中が明るくなる、とオレは思う。オレの作った夕食を美味しそうに平らげると、土産だと言って送ってきてくれたワインをちっとも美味しくなさそうに飲み干した。あぁ、勿体無い。結構高いワインだったのでは無いだろうか。
 オレの心配を余所に、異国の楽しい話が流れるように七詩の口から飛び出してくる。彼女の話は面白く、笑い所では必ずオレよりも彼女のほうが耐え切れずに先に笑い出してしまう。アルコールが回ったのか、七詩の頬が赤く染まりだしたところで、本題――彼女が一番話したかったであろう今回の公演の話になった。
 七詩はピアニストだ。学生の頃は天才少女としてメディアにも何度か取り上げられたことがあるらしく、いくつかのコンクールで賞を取って、度々外国へと演奏しに行っている。
 そんな彼女を妻に持つオレはといえばしがないバーテンダー。休みが決まっておらず、不定期に帰ってくる七詩と、夜型の生活を送っているオレは不思議な夫婦だ。
 夫婦と言っても、正確にはオレの我侭を彼女に聞いてもらっている形になる。ゲイの男と結婚を許してくれる女性が、一体この世にどれくらいいるだろう。本当は、オレに彼女なんて勿体無さ過ぎるくらいだ。それでも、オレは彼女の優しさに甘えずにはいられない。

 泣き出して、しゃくりあげながらオレの名前を呼ぶのも、恒例のことだ。華奢な背中を撫でて、抱き上げてベッドへと運ぶ。洗濯をして、乾燥機をかけて、ふかふかにしたベッドに寝かせると、瑠奈は泣声をより大きくした。
 子供のようにくっついてきて、泣いている彼女の背中を撫でていると、そのうち泣きつかれて眠ってしまう。

 ――ごめんな、七詩。

 彼女が、抱きしめられるだけじゃ満足できないことを知っている。キスをして、体を重ねて、彼女を満足させてあげられたらいいのに。
 七詩のことは、好きだ。そこに偽りは無い。けれども、抱けるかどうか、と言われれば首を傾げてしまう。「無理、しなくていいからね」と七詩は言う。冗談交じりで笑って、「男の人とセックスしたくなったら、わたしも恋人作るから」と告げる。けれどそれはオレに気を使わせないための嘘で、彼女に恋人などいた試しは無い。
 オレだって馬鹿じゃない。七詩のことは大切だ。だからこそ、嘘はつきたくないと思う。それが彼女のことを傷つけてしまっていても、いい加減な気持ちで、彼女を騙したくはないのだ。彼女と一緒にいるのは幸せで、オレにできることならなんだってしてあげたいと思う。感謝もしている。自分のおかしな性癖さえなければ、オレたちはきっと幸せなカップルなのに。そう思っても、俺の腕の中で眠る可愛い彼女にちっとも興奮できないのだから、仕方ない。

 七詩が情緒不安定になり出したのは、オレの母親が余計な事を彼女に言ったからだった。ゲイの一人息子を持つ母親は、過保護なくらいオレの身の回りに口を出したがる。それが嫌で日本にいるのに、結婚の知らせを受けた母は態々日本までやってきて、七詩に向かって言ったのだ。『あぁ、七詩さん、辰也のことをよろしくね。結婚したからには、…やっぱり孫の顔を見たいものよね。人工授精も考えてみたらどうです?』なんて。七詩はへらへらと笑顔を作っていたが、オレの母親の姿が見えなくなると顔を真っ青にして泣き出してしまった。
 

 その夜、オレの隣で眠っていたはずの七詩がそっと体を起こした。少し冷たい七詩の手の平が頬を撫でる。オレは眠っているフリをして、彼女にされるがままになる。彼女の手は輪郭をなぞって、唇に触れた。何度か往復する。くすぐったいのを我慢していると、暖かい水が何滴か頬に降ってきて、それを拭う為にまた手が触れた。それから額、頬とキスが落とされて、そっと、唇にキスされた。
 嫌だなんて思わない。それでもぽたぽたと涙が落ちてきて、何度か唇が重ねられると、七詩がどんな表情をして、なにを考えているのかを考えて、オレもついつい泣いてしまいそうになった。それから首筋をなぞって、手の平が身体を滑っていく。男性に抱かれた事の無い七詩の触り方はぎこちない。泣きながら体に触れていく七詩は終いにはしゃくりあげてしまい、オレは必死で寝たフリをしなければならなかった。
 指同士を絡めてみたり、首筋に舌を這わせてみたり、七詩は泣きながら俺に触れていく。そのうち、布団の中に潜り込んで、下着の上からオレの性器に手が触れた。慈しむように撫でて、それでもオレは反応を返してあげられない。
 ごめん。七詩、ごめん。

「…ん、」

 わざと声を上げた。七詩はオレが起きてしまうと思ったのか、驚いて手を引っ込めた。

「……っ、辰也くん、たつやくん、ごめんなさい、ごめんな、さい……」

 七詩の泣声はしばらく続いて、オレは居た堪れなくて、寝返りを打った。背中に体温を感じて、それからシャツがじわりと暖かくなった。七詩が完全に眠ったのがわかってから、オレはまた向きを変えて彼女を抱きしめるような体勢を取った。オレの腕の中に納まってしまう七詩は華奢で、弱弱しくて、オレはちいさく彼女に謝罪を告げる。

「七詩、ごめんね」


  
***




 携帯が鳴った。マネージャーからのメールには次の公演についての予定が事細かに記されていた。

「辰也くん、次はお土産何が良い?」
「どこ行くの?」
「フランス!フランスって何があるんだろ、凱旋門?エッフェル塔?」
「お菓子、有名なんじゃなかったか?」
「ふおー!俄然楽しみになってきちゃった!」

 わたしは、段々と上達してきた荷造りをしながら辰也くんに話しかける。眠たそうな辰也くんはハムエッグを作っているらしく、台所からふわふわと優しい香りが漂ってくる。

「晃くんは、甘い物が好きだったよね。タルトに、チョコレートに。腐らないものにしよーっと」
「あいつにまで気を使わなくても良いんだよ、七詩」

 辰也くんの恋人の話をすると、辰也くんは少し困ったような顔をする。恋人である晃くんはわたしよりも二つ下の大学生で、明るい爽やかな男の子だった。彼は、自分達の関係をわたしが知らないと思っている。それもまた、可愛らしくて、わたしは彼と仲良くできたらいいな、と思う。いつか、三人でご飯を食べに行こう。辰也くんは嫌がるかしら。それでも、わたしはそうできたら良い。辰也くんの恋人の男の子を目の前に、わたしは料理を振舞うのだ。ピアノを弾いてあげたって良い。辰也くんと二人でわたしのコンサートを聴きに来たりして。二人で、わたしのことをわざとらしく褒め称えるのだ。
 ピアノなんて、わかんないくせにね。

「だって晃くんと、わたしも仲良くしたいもの」

 辰也くんはまた申し訳なさそうに笑って、わたしの頬にキスをした。
 その唇が、晃くんの唇には簡単に触れるんだろうなぁ、なんて余計な事を考えて、わたしは涙を飲み込む。また一月、わたしは家を開ける。その間に、ベッドは綺麗に整えられて、辰也くんは上達した料理をわたしに振舞ってくれるのだろう。
 そうしたら、思いっきり泣いて、抱きしめてもらおう。ずっと撫でてもらいたいから、眠ってなんかやらない。

 わたしたちの結婚生活は、ひどく、いびつだ。



<ムーンエイド・フロート>
(氷 室 辰 也)
2015
prev next
back