「秀明くんて、恋人いる?」
クラスメイトの女の子に呼び出しをもらって、放課後の教室で真っ赤な顔した彼女はそう聞いた。
「ごめん。いるんだ」
「それって、この学校の人?」
「……ううん。違うよ」
「それじゃあ、ええと、ごめんね。勝手に失恋しちゃったんだけど。まだ、好きでいてもいいかな…」
ごめんね。ありがとうね。俺は泣き出してしまった彼女にタオルを渡して、泣き止むまで傍にいることにした。顔を赤く染めたクラスメイトは「明日からも普通に接してほしいです」とつっかえつっかえ告げて、それからぽつりぽつりと俺の好きな部分を上げて、顔を上げてからは部活頑張って、と応援の言葉まで贈ってくれた。
優しくて素敵な子だった。俺のことを好きになってくれてありがとう、だなんて偉そうな言葉だと思ったけれど、やっぱりそれ以上にふさわしい言葉を見つけられなくて、教室を出ていく彼女にそう告げた。
「こちらこそありがとう!」
手を振って廊下を走っていった女の子を見送って、俺はひとり教室で自分の席に腰かけた。今日は野球部の練習が休みの日。家に帰ったら何をしよう。
すぐに教室を出てしまってはあの子と鉢合わせしてしまいそうで、俺は少し時間を潰すことにした。スクールバッグに手を伸ばして、内ポケットを探る。そこには写真立てが入っている。
「七詩さん」
俺はその写真立てを手に取って、囁くように恋人の名前を呼んだ。
写真立てに収められた写真にはのどかな田園の風景が映っている。人の気配はない。俺は周りを見回して、少し大きな声で彼女の名前をもう一度声に出した。
「七詩さーん」
傍から見れば1Bの東条は頭がおかしい奴だと思われたかもしれない。それでも俺は写真立てに向かって声を掛ける。しばらく見つめていると田園風景を映した写真の中身が動いて、額に汗を浮かべた女性が息を切らしてこちらを見つめ返した。
『秀明くん!今日は早いねえ。学校終わったの』
「いえ、まだ学校なんですけど。今日は部活が無くって」
『あら!そうなんだ。わたしはねえ、今日はお隣さんの大根の収穫を手伝ってるのよ。秀明くんの夕飯は何かしらねえ』
泥だらけの手を見せた後に七詩さんは収穫したばかりだという大根を見せてくれる。着物にモンペを履いた彼女はふと思い立ったように俺の方を見た。
『秀明くんは、写真、いつも持ち歩いているの?』
「そうですね。大体…。あ、女々しいですかね」
『ううん!なにか素敵な包みに入れてるのかなあって。わたしも持ち運びたいけれど、汚してしまったら困るから。畑仕事の時も話せたらいいのにね』
「あっ、仕事の邪魔してすみません!俺ももう帰らなきゃ。また、夜にでも」
『ええ』
またね、と手を振った七詩さんが写真の中から消えると映し出されるものは風呂敷の様な柄のみになってしまった。どうやら布に包んだらしい。大事にされているようで、俺はそっと微笑んで写真立てを鞄に丁寧にしまった。
俺が持っている写真は、どうやら不思議なことに百年前の日本と繋がっているらしかった。
そもそもこの写真は俺の好きなアーティストのブロマイドだったのだ。別に由緒正しいものだとか、そんな曰くつきのものでは無かった。半年前のことだ。かなこのブロマイドの一枚から声がして、覗いてみたら女の人が映っていた。それも、不思議そうに首を傾げた。
俺は驚いて椅子から転がり落ちそうになったけれど、先輩の手前何とか堪えて寮の外まで走り出した。
世にも奇妙な出来事だが、口元を押さえている女の人は呑気に「まあ、写真って動くものもあるのかしら」と言った。そんなわけないだろ!と言いそうになったが、写真の向こうの女性が来ている服は着物で、髪型も背後に映る家屋もまるで映画のセットのようだった。ビビりながらも話をしてみれば、女性―守屋七詩さんが住んでいるその場所は1915年の東京だと言う。
偶然にも、100年前の人と写真で繋がることになったのだ。
七詩さんは東京で両親と暮らしている17歳。女学校を出て、今は実家を手伝いながら暮らしているらしい。暮らし向きは裕福な方で、時々新しい着物を見せてくれる。
俺は日本史も世界史も得意では無かったから、百年前の日本がどんな風だったのかいまいち想像もつかず、江戸時代だとか、野球の有無だとか、素っ頓狂なことばかりを口にした。七詩さんは俺の話をいつも笑顔で聞いてくれて、「秀明くんは何でも知っているね」と手放しで褒める。一つしか年が変わらないのに写真の向こうの七詩さんは随分大人に見えた。
「東条、お前またかなこの写真見てんの?」
「うわっっ!!!!あ、信二か!!!びっくりした!!!」
「うおお、驚きすぎだろこっちがビビったぜ」
寮に戻ると先輩はまだ戻っていないようだった。着替えてベッドに寝転がって写真立てを取り出した。先輩が居ないのはチャンスだった。口元が緩んでいたところにまさかの友人の登場だ。結構大きい声を出した俺に驚かされた信二は心臓を押さえて俺を見る。
「なに? 練習なら付き合うけどー」
「大したことじゃねーんだけど、お前さ。……彼女、できたの?」
「え?」
「なんかクラスの女子がLINEしてきてよ、東条くんの彼女ってどんな人?って」
「あー、うん。まあ、うん。かなこっぽい。美人って言っといて」
「おまっ、最近なんかにやにやしてると思ったら……うわ」
信二が心底ショック、という顔をするから、俺は焦ってベッドから抜け出して彼の背を叩く。
七詩さんと俺は確かに恋人同士だ。俺が告白して、七詩さんがオーケーしてくれた。でも、この関係を誰かに伝えることはできない。いくら親友とはいえ、このことを話せば気味悪がられてしまうか、いや。信二なら物凄く心配するだろう。
「伝える準備ができたら、その、信二には一番最初に紹介するから……ちょっと待ってて」
「訳ありな感じか…」
「あ〜〜うん、まあ。結構」
「おう、なんか適当にごまかしとく。がんばれよ」
信二はいい奴だ。七詩さんのことも紹介できたらいいのになあと思う。部屋から出て行った信二を目で追って、俺は枕の下に隠した写真立てを取り出した。七詩さんがじっとこちらを見つめていて、また驚いた。
『秀明くん』
「七詩さん、もう寝るんですか?」
『そうねえ、お友達に手紙を書いて、本でも読もうかな。秀明くんは宿題終わったの?』
「今日は課題無しなんです」
たわいない会話をして、足音が聞こえたところでさよならを告げた。風呂上がりだったのか少し濡れた髪と浴衣姿に胸が高鳴った。触れることができたらいいのに。100年の月日なんか関係なしに、手を伸ばして、抱きしめて、口付けて、好きだよって告げてみたい。半年も経って、手も繋いだこともないカップルなんて、平成の世じゃ中々いないんだよ、七詩さん。大正時代でもいないんじゃないかなあ。
いつか、七詩さんは誰かのお嫁さんになるんだろう。
けれども俺は歴史の教科書を見ながら考えるんだ。第一次世界大戦が終わって、次は日中戦争があって、第二次世界大戦がはじまる頃、七詩さんには子供ができたりするのかなあ。空襲なんかがあって、怪我をしたらどうしよう。ああ、俺と同じ時代に、貴女が居たらなあ。一緒に学校から帰って、練習試合を見に来てくれて。たまのオフの日は街に遊びに行くんだ。
「誰かのお嫁さんになる七詩さんなんて、嫌だなあ」
俺は女々しく写真を写真立てから出して、枕の下に入れて眠る。声は聞こえてしまっただろうか。七詩さん、未来の男はみんな俺みたいに女々しくは無いよ。だから軽蔑なんてしないで。
いつの日か七詩さんの写真がかなこのブロマイドに戻る時。それはこの恋が終わるときであればいい。
<写真や風化や神さまを結ぶ>
(東 条 秀 明)
2015
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