「あのね、それでね……」
俺の半歩後ろを歩く二藍の言葉は途切れない。
期末考査の時期は部活が無いから、空が明るいうちに帰れるのは新鮮だった。同じ部活のマネージャーである二藍とは帰り道が同じだったから、玄関で会ったままに他愛もない話をしながら帰路についた。
高校から知り合った二藍は随分とおしゃべりだ。彼女の口から飛び出すのは他愛もない話ばかりで、俺にもわかる話が大体半分くらい。あとは初めて聞くような内容だ。一度や二度聞いたことがある話があっても、知らないふりをする。二回目の話だって、別にいいんだ。それでも自分で違和に気づくのか、しばらくしてから「この話、したかも」と彼女は笑う。
「豪炎寺くん、いっつも悟ったような顔でわたしの話を優しく聞いてくれるけどさ〜。教えてよ、もう聞いたぞって。その優しい対応が女の子を勘違いさせてつけ上がらせてストーカーを生み出すんじゃないかな? わたしがストーカーになったら大変だよ?」
「ああ。楽しそうに話すから、いいかと思って」
「一回聞いた話また聞くのって苦痛でしょ〜。ボケた婆あみたいに同じ話を繰り返してるわたしってちょっとやばいな〜。脳を鍛えるトレーニングとか必要かな! いや記憶力鍛える前に仕事しろって感じだね。今日も洗濯物洗い忘れて隠してきちゃった」
「監督には内緒にしておいてやるから、明日早く来いよ」
「ギャー! 早起きつらーい!」
あはは、と口を大きく開けて二藍は笑う。彼女の笑い方は見ていて気持ちがいい。中学の時に自分を救ってくれたチームメイトも、こうして歯を見せて笑う奴だった。彼も、二藍も、隣にいると安心する。笑顔には人を安心させる力でもあるのだろうか。
「二藍は、よく笑うな」
「そうかな? 毎日結構楽しいからね。テストは38点でも日々は満点でいたい、二藍です」
「化学か?」
「化学。何点だった?」
「92点」
「うっそお!!」
オーバーリアクションで頭を抱える二藍に思わず笑ってしまう。小さく漏れた笑い声に、二藍はこちらを向いて言った。
「わたしね、豪炎寺くんを爆笑させるのが目標なんだよね! いつも苦笑なんだもん」
そんなに笑わないだろうか。思わず口元に手をやれば、二藍は「虫歯隠してるわけじゃないんでしょ」と言ってきた。思わず肘で突くとまた嬉しそうに声をあげて笑われた。
隣で楽しそうに笑う人がいるから、自分も同じように大口を開けて笑っているつもりでいたのかもしれない。
「楽しいよ。二藍の話聞いてると退屈しないんだ」
「ほんと? そう言ってもらえると嬉しいな! わたしね、最近話題作りのためにニュース見てるからね」
「ああ、アメリカのチームまた勝ってたな」
「え!? スポーツニュースは盲点だった……。って豪炎寺くんと話すのにスポーツニュース見てないのかよってね。ええと。サングラスかけた若い選手のいるチームだっけ?」
「そうだな。中学生の時戦ったことがあるんだ」
「あ、そっか!世界大会出たんだっけ。いやあ改めて凄い人だよね豪炎寺くん……。サインくれる?」
「やだ」
「げ〜。でも部活日誌とトレーシングペーパーがあればなんとかなっちゃうな〜。『好きです(はぁと)』って書いてもらおうかな〜」
「……書かないよ」
「……あ、あははは!飾りたいのに〜」
二藍の言葉は軽い。愚痴も、不満も、撫でるように笑いを伴って語られるから、溢れかえる話題に混ざってさらりと流れていってしまう。沈黙を埋めるように語られる彼女の言葉が好きだったから、毎回耳を澄ましていたのが仇になったとしか言えない。
冗談のつもりだったのだろう。いや、どう聞いても冗談なのだ。変に言葉を拾い上げて意識してしまっている自分がおかしいのだ。一度意識してしまったばかりに、頬に熱が集まる。ここまで動揺を露わにして、気づかないでくれ、も何もない。
二藍は気づかないふりをしてくれたようで、怪しい沈黙の後で裏返った声で話題が変えられた。そのあとに言葉が続けられなくて、二度目の気まずい沈黙が流れた。
沈黙を破るのは、やはり二藍だった。彼女は上を向いたり、下を向いたり視線を泳がせたまま、俺の名前を呼んだ。
「豪炎寺くん、あの、もしかして。気づいてなかった?」
「気づく?」
「ん、んんん。ほらあの、わたし、わかりやすくない? ……それこそ、ストーカーばりについてくるじゃん。ラインも内容のないのばっかりで、なんでこんな連絡執拗にしてくるんだろうとか、思わなかった? ……いや、思わなかったなら良い……いやここまで言ったなら良くないね!? あの、」
「わかってなかった」
話を切るように、声を出した。思ったよりも大声になってしまって、驚いた二藍は目を見開いている。気づくのが本当に遅い、遅いよな。我ながら、人の好意に鈍感だ。山ほど届いたファンレターも、観客席からの黄色い声援も、嬉しかったけれど、どこか遠い世界のことみたいに感じていた。幼いころからサッカー一筋で過ごしてしまったからだろうか。サッカー以外のことに関しては、人のことを笑えない程に疎い。色恋に関しては、輪をかけて酷いものだ。
告白されたことが無かったわけじゃないけれど、きっと大事にしてあげられないだろうと思った。自分のことばかりで手一杯だったから、断り続けていた。だから本当に、彼女から向けられている温かな好意についても、わかっていなかったのだ。
二藍にここまで言わせて、ようやく目の前の相手のことを大事にしたいんだと気づいた。離れていくのは惜しいと思う、傍でずっと話していてほしいと思う。その感情の名前くらいは、疎い自分だって知っている。それを伝えなきゃいけないタイミングは、見計らったように目の前に振ってきていた。
「すまない。本当にさっき、気づいたんだ。二藍、……あの、」
「好き!」
「あっ」
「早い者勝ちだよ! わたしのほうがずっと好きだったんだから! さっき気づいた豪炎寺くんには負けられないのであった……。よければわたしと付き合ってください」
「早い者勝ちなのか……。こちらこそ、お願いします」
試合が終わったあとみたいに、手を差し出せば握り返してきた二藍の掌は驚くほど冷たかった。小刻みに震える彼女はやっぱり思ったことを全部口に出す。
「あーーうれしい。めちゃめちゃ緊張した……」
ぶるぶる震えているのに、勝利を確信したみたいに歯を見せて笑うから、俺は思わず声をあげて笑ってしまった。もしかして、この瞬間がとても幸せかもしれない。
二人して笑いが止まらなくて、馬鹿みたいに腹を抱えた。閉じられていない口からは、歯が浮くような言葉もするりと飛び出してしまうのだろう。彼女のせいだ、きっと。
< 君ありて幸福 >
(豪炎寺 修 也)
2017
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