大和さんが、行方不明になった。
 IDOLiSH7のリーダーが突然消息を絶ったというニュースは大々的に取り上げられて、小鳥遊事務所の電話は連日止むことなく鳴り続けた。彼の生活の痕跡を残したまま寮の角部屋は空になり、残された六人の悲しみ様は見ているこちらの胸が締め付けられる程だった。それでも彼らは観客の前で笑顔を浮かべたし、仕事を投げ出す様な行動は一度たりともしなかった。大和さんが帰ってくることを信じていたからだ。

大和さんはいつも通り、お気に入りのシャツを着て、ジーンズの裾を捲って、サンダルを突っかけて寮のドアからふらりと出ていった。
"コンビニでも行ってくるよ、ビールが切れちゃったんだ"
そんな風に出て行った後に、壮五さんが冷蔵庫を覗けば大和さんの好きな銘柄のビールのストックはまだ何本も残っていたらしい。

寮の近くのコンビニの監視カメラに、彼の姿は映っていなかった。大和さんの行きそうな場所をメンバーみんなで探したけれど、彼が足を運んだ形跡は残されていなかったそうだ。

血相を変えた陸さんが事務所にやってきたとき、わたしは電話の対応に追われていた。


「マネージャー。大和さんが行きそうな場所に、心当たりはない?」


彼の真っ直ぐな瞳は潤み、揺らぎ、悲しみを湛えていた。わたしは陸さんの瞳が好きだ。彼の目に射抜かれると胸が震える。背筋が引っ張られて前を向きたくなるのだ。大和さんは陸さんの目を褒めて、素晴らしい武器だと嬉しそうに話していた。わたしはそんなことを思い出しながら、陸さんの問いに首を横に振った。
陸さんは残念そうに目を伏せて「早く帰ってきてくれるといいね」とわたしを励ます言葉をかけてくれた。陸さんは大和さんを良く慕っていた。他の皆さんだってそうだった。小鳥遊事務所は、IDOLiSH7は、彼らの住む寮は、大和さんが帰ってこれる場所のはずだった。


IDOLiSH7のリーダーが失踪した理由は多くの雑誌や番組で好き勝手に言われ続けた。メンバー想いで、真摯に仕事に打ち込む彼の姿からは想像できない様な内容が書かれ、吐き散らされた。心無い言葉に顔を曇らせたのはわたしたちだけではなく、ファンの人たちも同じであっただろう。
大和さんはファンの子たちのことも大切にしていた。
「あの人が何も言わず、誰にも告げず、姿を消すなんて信じられない」三月さんは皆の言葉を代弁するようにテレビの前で語った。

仕方なかったのだ。あれは大和さんの意志ではなかった。
わたしはワイドショーで取り上げられる六人の姿を眺めながら一人きりの事務所で涙をこぼした。
大和さんが、沈んでいく。そのことに気づいていたのは、きっとわたしだけだった。


###

始めは気のせいだと思っていた。ある日、事務所ですれちがった時に、大和さんの足が地面に埋まっているように見えたのだ。瞬きをしても変化はなく、大和さん自身も普段と変わりなく生活しているように見えた。もしかしたら、良くないものかもしれない。わたしには霊感などなく、神社の末裔でも何でもなかったけれど、思い切って本人に声をかけてみることにした。

「大和さん、最近お変わりありませんか」
「ん、なんで?」
「いえ、……なんとなくです」
「うーん、特に変わったことは無いかな。ドラマの撮影でちょこっと忙しいくらい」
「そうですか……」

足元を見れば、大和さんの足はきちんと地面を踏みしめていた。目の錯覚だったのだ、とわたしが安心した矢先「マネージャーもほどほどにな」と頭を触って去っていく彼の足はまたずぶずぶと床を突き抜けて埋まっていった。どういうことだろう。

万理さんに聞いても、一織さんに聞いても大和さんはいつも通りだという答えが返ってきた。けれども多忙な彼に会うたびに、やっぱり大和さんの身体は段々と沈んでいるように映った。
始めは爪先だけだった。けれども今では、膝までが地面に埋まっている。じぃ、と見つめていれば、大和さんは自然とこちらに気づき、足の位置を戻してわたしのもとへとやってきた。

「熱い視線を感じたんだけど、どうかした?」
「大和さん、お話があります」

大和さんはワザとらしく小首を傾げて、"デートのお誘いかしら"とふざけて笑った。わたしはそんな彼に笑顔を返せなくて、事務所の奥の部屋へと移った。普段ならば社長や万理さんがいる時間帯だが、今日は彼らが外出していることを知っていたから、わたしはソファに大和さんを座らせた。

「わたしがおかしいなら、そう言ってください。変な質問だと思います。それでも、真面目に答えてほしいんです。………沈んで、いませんか」
「マネージャーには、見えるんだ」

それは、肯定だった。わたしは驚いて二の句が継げず、大和さんの顔を見つめることで彼からの説明を待った。

「通りで最近よく見られてると思った。別に、身体に影響とかは無いから。それに他の人には見られてないみたいだしさ。気を抜くと沈んでくんだよなー。なんだろうね?」
「精神的なものではありませんか。お休み、調整しましょうか…?」
「いや、そういう訳でもないと思う。放っておきゃ直るでしょ。とりあえずこのことは、お兄さんとマネージャー二人の秘密ということで。見えないあいつらに言っても心配するだけだし、いざというときは引っ張り上げて頂戴よ」
「大和さん……」

早くこの話題を切り上げたい、という風に早口で言い切ると、大和さんは席を立ってしまった。そのあとも何度かわたしが話をしようとしたが、なんでもない、心配するな、の二言で切り上げられてしまうことが続いた。
あの時きちんと止めておけば良かった。今更になって後悔したって遅いのにわたしは馬鹿だ。あの人を見失いたくなんてなかった。見失うつもりもなかった。手を繋いでおけば良かった。そうしたら沈むときも一緒にいられたのかもしれない。

それからも大和さんはずぶりずぶりと沈み続けていった。彼が笑顔を浮かべる度に、誰か別の人間を演じる度に、自分の思いを押し殺す度に、沈んでいくように思えた。それを止めたくても、わたしが止めるわけにはいかなかった。笑顔を浮かべることは、別の人間を演じることは、彼の仕事であり、多くの人が望むことだったから。
彼が苦しんでいるのなら、止めてほしいと言えた。けれども、幼く愚かなわたしには彼のほんとうがわからなかった。傍にいたメンバーも同じだっただろう。大和さんが望むなら叶えたかった。あの人は巧妙に隠してしまうから、わたしたちは彼のほんとうが知りたくて、けれども彼に嫌われることが怖かった。
手を伸ばしているつもりだった。いつでも帰ってきてくれるのだと思っていた。実際は、ちゅるりと溶けて沈んでしまった大和さんのことを見つけられなくて、その時になって驚いて、狼狽えて、涙をこぼしただけだった。



###


わたしに潜水服をプレゼントしてくれたのはナギさんだった。二十歳の誕生日に、成人したみなさんとお酒を飲んだ。お酒が大好きだった大和さんがいないことを全員で悔やんだけれど、お酒が入るとみんなが思い思いのことを口にした。これからのこと、いままでのこと、いなくなってしまったリーダーのこと。
初めてのお酒に浮かされたのか、話すつもりもなかったのにわたしはぽつりぽつりと彼が沈んでいってしまったことを口にしていた。沈んでいってしまった大和さんの話をどう受け取ってくれたのか、わたしには分からない。その夜の飲み会は皆で泣いて、次の日は頭痛に悩まされた記憶しか残っていない。
その翌々日に、ナギさんがプレゼントがある、とわたしを呼び出した。日本の道路にも随分慣れたのか、丁寧な運転で連れていかれたのは造船所であった。薄暗い雰囲気の建物の奥へとわたしの手を引くナギさんは少し強張った顔をしていて、わたしはその手をそっと握り返した。
彼が用意していたのは宇宙服をもっと物々しくしたような潜水服だった。頭には金魚鉢を逆さにした様な硝子のヘルメットがついている。

「ヤマトを探しに行きましょう、七詩」

驚いているわたしの手を取って、ナギさんは笑った。わたしはどこまで話したのだろう。ナギさんはどこまでも信じてくれたのだ。わたしは笑い返す前に泣いてしまった。
頭を撫でてくれる手は温かい。

「貴女ならきっと、私達のリーダーを見つけられるだろうから」


そうであればいい、そうありたい。



###



ぶくぶくと泡を吐きながら海の底へと沈んでいくには、長い時間がかかった。大和さんはどこまで沈んでいってしまったのだろう。こんなにも長い間、一人で落ち続けていった彼のことを考えると、じわりと涙が滲んだ。
海の底は酷く静かだ。機械の音と泡の音、それに自分の鼓動だけが静寂を破る。わたしは滅茶苦茶にライトで海底を照らして、大和さんの名前を呼んだ。それは、傍から見ればおかしな行為だった。狂気の沙汰だ。それでも、わたしは大真面目だった。
酸素がもつ限り、歩いて探そうと決めていた。時々水族館でしか見たことのないような奇妙な姿の生き物たちと鉢合わせた。光の届かない世界で、目が退化してしまった魚たち。
大和さん、返事をして。こんな寂しいところにいないで。

とぼとぼと歩いていると、深海魚たちとは違うシルエットが視界に入った。世紀の大発見か、それとも。

思わず声をあげた。大和さんは最後に見た時と変わっていないように思えた。
深い深い海の底で、膝を抱えて座っている大和さんはわたしの姿に気づくとそっと目を細めて微笑んだ。その表情が懐かしくて、わたしは早く彼のそばに行きたくて脚をバタつかせた。ちっとも進まないわたしの姿が可笑しかったのか、大和さんは笑いながらこちらへ近づいてきてくれた。


" やまとさん "


深海では言葉は通じず泡になるばかりだ。深い夜のように暗い深海で、わたしたちの言葉は純白の泡になりごぼりごぼりと上へ昇っていく。互いの名前を呼んでいるだけなのに、それは随分と美しい物のように私たちの周りを舞い、空気を求めて白んでいった。
大和さんはぶかぶかの潜水服をじっと見て、確かめるように袖を摘んで感心したように頷いた。随分気合が入ってるじゃないか、そんな風に。わたしたちの間に揺蕩うものが海水ではなく空気であったなら、わたしは彼の手を払って怒りを表現しただろう。どれだけ心配したと思っているんですか。この潜水服がどれだけすごいものか知っているんですか。ワザとらしく頬を膨らませれば大和さんは嬉しそうに笑ってくれるだろう。きっと。

無音の中、少しだけ見つめあった。潜水服のヘルメット越しに、大和さんの顔が近づく。何をするのか、もう子供ではないわたしには理解できた。触れることのない彼の唇を待つために、目を瞑って唇を突き出した。
分厚い潜水服に上から大和さんの腕がわたしの身体に巻き付けられて、こつん、と眼鏡がヘルメットの硝子にぶつかった。唇は触れたのだろうか。切なげに笑う彼の顔だけがわたしの視界を満たした。
ぽろぽろと涙が零れて、大和さんは涙を拭おうと手を伸ばしてくれるけれど、硝子を撫でるばかりだ。涙は潜水服の中を満たしていく。じわじわと潜水服の中が濡れてきて、これでは自分の涙で溺れてしまう。大和さんは目を丸くして、心配そうにわたしの肩を掴んだ。心配性なのだ。どこまでも。
沢山伝えたいことがあった。大和さんが居なくなったあとの話、居なくなるまでにわたしが抱いていた彼への感情。
沢山聞きたいことがあった。いつか、全てを話してくれるのを待ちたいと思った。けれど、今となってはそれが彼を押し潰してしまう原因の一つになったのだろう。
待つつもりだったのだ。いつまでも。この人が側にいてくれるなら、五年でも十年でも。けれどもそれは叶わなかった。
潜水服は特注品で、水圧を感じないように作られているはずなのに、痛いくらいに身体が締め付けられる。次から次へとあふれ出る大和さんへの感情に押しつぶされてしまいそうだ。
心配そうにわたしを覗き込む大和さんが、唇を動かした。


「七詩、好きだよ」


 それは特別な言葉だった。
 海の底だというのに、はっきりとわたしの耳に届いた。
 大和さんはそれを告げると満足そうに腰に手を当てて、息を吐いた。彼の吐き出したはずの息は空気の泡にならず、わたしは何故だかそれが悲しかった。彼はそっと目元を擦った。泣いていたのだろうか。塩辛い涙は海水に溶けてしまうから、判断はつかなかった。
ごぼり、わたしは自分の涙で溺れてしまう寸前だ。行かないで、大和さん。何も聞かないから。悔しいことに言葉は届かない。
 大和さんは手を振った。またあした。そんな風に笑顔を浮かべて手を振った。わたしは涙を流し続けて、彼を引き留める言葉を吐き出したいのに、塩辛い涙が口に入るばかりで声にならなかった。

“ やまとさん! ”


 二度目に彼を呼んだ瞬間、大和さんの身体は一瞬にして、泡になって溶けてしまった。



###



 大和さんがわたしたちの前から姿を消して、七年が経った。
 わたしは、明日、結婚する。



< 深海でも唇を攫えない >
(二階堂 大 和)
2016

prev next
back