「また会えたら、それはそれで」
芭唐のユニフォームの下のアンダーシャツは、泥棒みたいな唐草模様。それはどこにいたって目立ったし、バッターボックスに立った時なんて最悪だ。一年生のくせにスラッガーなんか名乗っちゃって。手をまっすぐ伸ばしてガムなんか噛んで不敵に相手を待つ。わたしは芭唐の友達だけど、自分が相手のピッチャーだったらこいつの腕の骨の一本や二本折りたくなっても仕方ないと思う。なんて言ったら怒るだろうか。
芭唐と、もう一人の手の持ち主には見覚えがなかった。ただ、芭唐は嬉しそうにその人の手を取って、とても仲がよさそうに手を繋いでアーチを作る。
ほら、くぐりなよ、とわたしに声をかけた。
「くぐったら、何かいいことあるかな」
芭唐はどうだろうなあ、と言った。
「おめでたい日に作るアーチだから、何か良いことがあるかもしんねえぞ」
「くぐったこと、ある?」
わたしの記憶の中では、彼は卒業式も入学式も参加していなかった気がする。参加していたとしても、こんな子供だましの様なアーチ、彼ならくぐらなかったろうし、友人と手もつながなかっただろう。
「一度もない。アーチ、作るのもこれが初めて」
初めてですねえ、なんて芭唐は懐っこい表情で手を繋ぐお兄さんに向かって声をかけた。深く帽子を被った男の人の顔はよく見えない。ただ口元はずっと微笑んでいるように見えた。
周りを見回して、ここは夢の世界だろうと思った。周りの背景はすべて薄桃色の綿飴でできていて、足元はふかふかとして感触がない。
きょろきょろと辺りを見回すわたしを見てか、明るい髪色のお兄さんが歯を見せて笑った。わたしは少し照れてしまって、つられて微笑んだ。芭唐が肩を竦めて「面食い」とわたしを蹴飛ばす真似をした。
「おい芭唐、彼女なんて生意気だぞ」
お兄さんの言葉に、芭唐は一瞬戸惑いを見せて、そのあとに目をすごく細めて笑った。顔がくしゃくしゃになるくらい笑う彼を見るのは初めてだった。照れくささとか、嬉しさとか、綺麗で飾らない感情が全部表情に出てきてしまった、そんな笑顔だった。
「友達ですよ、ただの」
芭唐はわたしを見つめたままにそう告げた。
お別れのような言い方をすると思った。
「くぐれよ」
「ごめんなあ、我儘な奴で」
くすくすと顔を見合わせて笑う二人は兄弟のようで、親友のようで、仲の良い先輩後輩のようで、結局わたしには二人の関係性が良くわからなかった。
桃色の世界で、芭唐とお兄さんは手を繋いで小さなアーチを作る。背の高い二人が腕を掲げると、それはなんとも不思議な光景だった。二人は楽しそうに笑っているから、わたしもつられて笑って、腕の間を潜り抜けた。芭唐の袖の唐草模様がちらちらと視界に移った。気が付けばお兄さんが着ているのも野球のユニフォームだ。十二支高校の。
「良かったよ、お前が友達で」
掛けられた芭唐の声に振り向くと、彼らは随分遠くにいた。まるでわたしが突然駆け出したのかように、彼らがわたしを置いてけぼりにしたみたいに。
「芭唐!」
張り上げたわたしの声はまわりの綿飴に吸収されてしまう。くぐもった声が桃色の綿飴空間に響いた。芭唐はもうお兄さんと手を繋いでいない。
彼は両手を口の前に揃えて、大きな声を出すぞ、という合図をする。
芭唐の隣でお兄さんが彼を肩でつついて笑った。
「七詩! お前が!! 生きてて、くれて、良かった!!」
言葉の意味は良くわからなかった。
わたしは気づけば泣いていて、重たい瞼を開ければそこは見知らぬベッドの上だった。白い天井と目線の先の点滴の機械、息苦しい呼吸器を順々に確認して、わたしはゆっくりと息を吸った。そうしないと呼吸が止まってしまってしまいそうだったから。
馬鹿だなあ、とお兄さんは芭唐に言ったのだろうと思う。
居眠り運転のトラックが横断歩道に突っ込んできたとき、わたしはお気に入りのアイドルの歌を聴いていて、周りの声なんて聞いていなかった。最後に見たのは、必死な顔をしてわたしを突き飛ばす芭唐。コマ送りみたいに彼の身体はトラックのタイヤに吹き飛ばされて、視界に残ったのは彼の大きな手が千切れて吹っ飛んでいく様子だった。
轟音と皮膚を襲う衝撃に、わたしは目を瞑った。瞑らなければよかった。
入院中に、小学生の時の友人が訪れた。彼らは見覚えのある高校の鞄を背負っていて、わたしは芭唐と手を繋いでいたお兄さんのことを彼らに聞いた。辰羅川くんは膝をついて涙を零して、犬飼くんは病院だというのに拳で壁を殴った。馬鹿野郎、と呻くような声が二人から漏れた。
「わたしが殺してしまったの、彼のこと」
ごめんなさい、と告げると二人は首を振ってお兄さんのことについて話してくれた。わたしはすべてを聞いた後に、やっぱり、聞かなければよかったなあと思った。
「御柳くんは、貴女のことが好きだったんでしょうね」
辰羅川くんは昔から、言わなくてもいいことを態々言ってしまうのだ。
わたしは最後に彼が触れた熱い手の感触を忘れないように忘れないようにと胸を押さえたけれど、痣はもう消えてしまいそうだったし、わたしの胸は規則正しく小さく揺れていた。馬鹿だなあ。
彼にとってのおめでたいことなんて、これから幾らでもあったのに。わたしは彼よりもずっと背が小さかったけれど、踏み台だってなんだって使って、芭唐のためにアーチを作っただろう。大神さんじゃなくても、芭唐の手を取って一緒にアーチを作ってくれる人は沢山いただろう。それを教えてあげられなかった。大好きな人の手を握って子供のように微笑んだ芭唐は、幸せだっただろうか。そんなの、後から幾らでもできたのに。
「アイツは、お前を救えて、うれしいと思ったんだ」
犬飼くんまで余計なことを言った。救ってほしいだなんて思ってない。わたしは、芭唐と一緒に人の腕でできたアーチをくぐりたかった。胸に花をつけて、照れくさそうに笑う彼を見たかった。
一人でくぐった唐草のアーチ。あんなの、くぐらなきゃよかった。ずっと、彼の傍にいて、好きだって言って手を繋いであげればよかった。
そうしたら、芭唐は笑ってくれただろうか。
< からくさのアーチ >
(御 柳 芭 唐)
2016
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