深夜2時。天喰環は学生寮に備え付けられたキッチンに立っていた。
インターン先での用務が随分長引いた。関西方面に通っているとどうしても帰りが遅くなってしまう。腹の虫が声をあげる。我慢して眠ることも考えたけれど、これで朝食を食べ損ねれば昼まで使い物にならなくなることは予想できた。食事の内容が非常に重視される個性だからこそ、人一倍食事に気を使わざるを得ない。
(何かあっただろうか……)
欠伸をしながら冷蔵庫を開ける。鶏肉と野菜が残っていたので取りだす。冷凍庫にはうどんとアサリが入っている。そこそこの内容量を誇る最新式の冷蔵庫は寮内での共有物なのだが、前述の理由から環の私物が多く詰められていた。他の学生たちは飲み物やデザートを一時的に管理するくらいしか冷蔵庫を使用していないので、咎められたことはなかった。
鶏肉と玉ねぎに包丁を入れる。丁寧な調理を心がける元気は残っていなかった。少々形は不格好だけれども、食べるのは自分だけだ。許されよう。
材料を片手鍋に入れて火にかけた。鶏肉の色が変わったら水を注ぐ。調味料をいれようとしたところで手が止まる。
(あー! また目分量だ! 少々と一つまみ以外は計量器具使ってよ!)
頭を過ったのは“計量匙”を個性に持つ二藍七詩の言葉であった。大らかな性格の彼女は大抵のことでは怒らないのだけれど、こと料理に関しては口を尖らせた。計量器具を使わないことに不服を申し立てるのだ。
環は几帳面な方であったけれど、料理にそこまで情熱をかけていたわけではない。当然料理は目分量で行っていた。彼が料理をしている姿を見た七詩は初め笑顔で見守っていたのだが、終いには頬を膨らませてしまった。
(環くん、計量カップもメジャースプーン使わないの……)
彼女にそこまで言われた手前、計量器具を買い揃えようとは思っているものの中々行動に移せていない。七詩が傍にいる時は彼女の個性で的確に測られるため、急を要さないのだ。
それにしても、計量器具を使うように戒められている身としては少し落ち着かない。キッチンの抽斗をしらみつぶしに開けてはみたけれど、男子高校生の使うキッチンにそんなものは入っていなかった。そもそもここで料理をしているのは殆ど環一人である。
(……あ)
あることを思いついた。
それは下らない思い付きであった。試そうと思ったのは、疲労で頭が動いていないせいもあっただろう。
幸い、ここには環ひとりしかいない。
(できた……!)
個性を発動する。実験は成功してしまった。
環の指先には三本のメジャースプーンがぶら下がっていた。それは二藍七詩の個性を模したものである。
あくまで特徴を再現するだけで、彼女の個性のように量を増やしたりすることはできないけれど、物を測るだけなら事足りた。小さじ一杯の粉末出汁は湯に溶けて、うどんを淹れればくたくたと白い麺が躍った。
大さじに変わった人差し指に砂糖を入れて、醤油を淹れて、小鍋に注ぐ。これをあと二回。つるりとした陶器に形をかえた自分の指はどうにも新鮮であった。
まさか彼女の個性を“再現”できてしまうとは思っていなかったのだ。自分の個性にもまだ謎が多い。
「……ねえ、環。うどん食べんの?」
「うわあああ!」
急に背後から声を掛けられて、思わず飛び上がった。咄嗟に振り返れば聞き覚えのある声の主が壁にめり込んでいるではないか。飛び出しそうになった心臓を押さえつけて、環は壁の模様の名前を呼ぶ。
「ミリオ! 心臓に悪すぎるからそれやめてくれ」
環は溜息を付くが、ミリオは彼のリアクションに満足そうに親指を立てる。
「良い匂いがしたから目が覚めちゃったよ」
「……鼻が良すぎるだろ。半分食うかい?」
「やったね!」
ミリオは“透過”の個性で落ちてしまった服を取りに行ってから、もう一度キッチンに戻ってくる。それやる意味あるのか。と環は思ったけれど、口には出さないでおいた。
その間に鍋を洗って、器を取り出す。出汁を吸って黄金色になったうどんは丁度食べ時だろう。
「ファットガム事務所は今日も忙しかったのかい?」
食器を出すために隣に来たミリオに箸を渡す。
「退勤の5分前にヴィランが出たんだ。あれにはファットも眉間に皺を寄せてたよ」
「それで今帰りかあ。明日の授業は一限目からマイクの英語だぜ」
「眠気が飛んでいいかもしれない……」
皿に盛ってみると意外と量が多かった。夜食にするなら二人で食べて丁度だろう。
器を差し出せば、ミリオは礼を言って手を合わせる。
「うーわ、罪の味! ウマーイ!」
ハイテンションの癖にミリオの声は小声のままだから、全く器用である。環はうどんを頬張った。
「にしても、最近環の料理の腕が上達してきてるよね!」
「そうかな……」
「味がブレないじゃん!? ここに計量器なんか無いのにさ。二藍さんじゃあるまいし、どーやってんの?」
嘘だろ。どれだけ敏感な味覚してるんだ。
環は感情を隠すことが下手だと自覚していた。緊張や焦りが抑えきれずに顔に現れてしまうのだ。
誤魔化せば良い。偶然だと、目分量で測ったらたまたま上手く行ったんだと、表情を繕ってそう言えたら、環は今頃自分の性格で悩んでいなかっただろう。できないから苦労しているのだ。加えて幼馴染のミリオの前だ。彼は環の下手な嘘などすぐに見抜いてしまうだろう。
「ごちそうさま」
結局、回答を返さずこの場から立ち去ることを選択した。
「え? 早くね!?」
音を立てて立ちあがった環はミリオの問いかけには答えずに食器を下げてしまう。
「ミリオも早く眠ったほうが良い、おやすみ」
「ちょ、環!?」
逃げるように去っていった環の背を見送り、ミリオはひとり皿に残ったうどんを啜る。こちらの皿にはまだ半分以上残っているというのに、どんなスピードで平らげたら完食できるのだろう。
環は見かけによらず大食漢だ。食べ盛りの高校生男子、という点を差し引いても意外な程の量を食べる。個性の燃費が悪いのだろう。口にしたものの特徴を自らの身体に再現する環の個性は強力だが、その分体力の消費も激しい。
(もすこし落ち着いて食ったっていいのにさ)
いつもならミリオが食べ終わるまで待っていてくれるのに。なにか気に障ることでも言ってしまっただろうか。先程の会話を反芻する。料理の腕前を褒めたつもりだったのに、何が悪かったのだろう。
(そういや味付け、結局どうやってたのか聞き損ねたな)
器を傾けて、スープまで飲み干した。出汁の味がきいている。はあ、と一息ついたミリオの頭に急に電撃が走った。
環の個性は“再現”だ。口にしたものの特徴を“再現”するのなら、計量匙を彼が再現することができたとしてもおかしくはない。その個性の持ち主の一部を、口にすることができたなら。
(…………んん!?!?)
ミリオの頭の中で引っ込み思案の親友の姿が点滅する。
彼に恋人ができたときも、普段から悪い顔色をさらに悪くして相談しに来た。隠し事の苦手な環は大事な話はいつもミリオに打ち明けてくれる。
普段の態度から、勝手に奥手なのだと思い込んでいたけれど、これは、つまり。
(……興奮して寝れないよね!!)
「環!!」
明日も学校があるとは重々分かっていたけれど、気になってしまったものは仕方が無い。ミリオは駆け出した。
<舌先に残る>
*ミリオと環のクラスが同じ設定で書いてしまってます……
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