それ鳴けやれ哭け愛いケモノ 1
「乾杯!」
ビールジョッキを掲げた塵炭が音頭を取って、彼女の軽やかな声に合わせて頑丈な硝子が打ち合わされては爽やかな音が小さく響く。勢いよく持ち上げられたジョッキから金色の液体が零れる前に、各々が唇を付ける。
茹だるような暑さの屋外とはまるで異なる空間のように温度も湿度も調整された居酒屋の店内は、キンキンに冷えたビールを喉に流し込んだ際に一番美味いと感じるような絶妙な温度に設定されていた。
「良い店知ってんじゃん、天喰」
「気に入って頂けて良かったです。この店を勧めてくれたのは上司ですが」
「ああ、ファットガムか。流石だな」
唇に纏わり付いた泡を舐めとり、妖艶とも取れる笑みを浮かべる塵炭に声を掛けられて天喰は視線を逸らした。学生時代の恩師とは言え、彼女の見透かすような視線に射抜かれるのは慣れない。
塵炭の恋人である相澤が生え掛けの無精髭を片手で撫で付けて天喰の上司の名前を挙げる。天喰も、彼の上司であるファットガムも食べた物を力に変える個性の持ち主だ。もともと食道楽な性格も影響して、ファットガムはヒーロー界隈でも食通として名を馳せていた。
「お店の予約、有難うございます。匙測先輩」
「なんてことないから、お気になさらず。それにしてもふたりとも立派になって! 感激です!」
この近所にも安くて旨い店がある、だなんて話題で盛り上がる三人を横目に、頬に垂れる桜色の髪を耳に掛けて檻舘が目を細めた。誰が見ても育ちの良さがわかる物腰と人形のような容姿の檻舘がビールジョッキを傾ける様はなかなか絵になる。白い首筋が震える度に中身がぐんぐんと減っていく様を眺めて、匙測は大きな目をさらに見開き檻舘の飲みっぷりに感嘆の声をあげた。
「すご。お酒強いんだねえ……。心操くんも強いの?」
話を振られた心操は自身の半分ほど減ったジョッキを傾けては「普通、だと思います」と肩の力が抜けないままにかつての先輩に回答する。
嬉々として後輩に話題を振る匙測はよく見ればひとりだけハーフジョッキで、しかも生ビールではなくシャンディガフを舐めるように啜っていた。
「匙測先輩は、お酒得意じゃないんでしたっけ」
「好きだけどすぐ酔っ払ってゲロ吐いちゃうから! あはは! でも今日は吐いても環くんが片付けてくれるから大丈夫!」
となりで恩師たちを相手に不慣れな店紹介をしている恋人の肩を叩く匙測を見て、檻舘がメニュー表を差し出す。
「次は甘いカクテルを頼んでくださいな」
其々各々のペースで飲み物を注文していき、テーブルの上にはお通しで出された冷奴に始まり早々と頼まれた杏仁豆腐やら唐揚げ、炒飯に水晶鳥が広げられている。
健啖家を自負する天喰や匙測の前の大皿は早々と減っていくが、ワインを片手に生ハムを摘む檻舘やたこわさをツマミに日本酒を煽る塵炭も頬を桃色に染めては舌鼓を打っていた。
「えへえへ、良いですねえこういうの!また誘ったら一緒にご飯行ってくれますか?」
とろりと若草色の瞳を潤ませた匙測が唐揚げを自分の小皿に乗せながら同意を求めた。雄英を卒業して、ヒーローになった者もいれば進学した者もいる。其々自分の道を選び、こうして盃を交わすまでになった教え子たちの成長を感慨深く噛み締めた相澤が猪口を口に寄せる。
「仕事に支障を来さない程度なら付き合うさ。教師ってのは教え子には甘いもんだ」
「アンタは特別甘いでしょうが」
「煩いぞ」
「生の痴話喧嘩ですわ……」
軽口を叩きあう相澤と塵炭の薬指に光る銀色の指輪に視線をやって、檻舘が口元を歪めた。
「環先輩。お二人もそろそろ入籍などお考えですか?」
「は?」
先程から強い酒を数杯煽っているにも関わらず、微笑む檻舘は顔色ひとつ変えずに天喰にメニュー表を突きつける。
天喰はひくり、と頬を震わせた。長く伸ばした前髪に隠されているが、その眉間に皺を寄せているのが分かる。やめろよ、と心操が檻舘に視線を向ける。それでも檻舘は笑みを絶やさず、尚且つ天喰から視線を外さないのだから、心操は水を浴びたように酒に酔った頭が冷静になるのを感じていた。まるでハブとマングースの睨み合いだ。この戦いを止めるには自分では力不足だ、助けてください、とストッパーである匙測に助けを求めようとすれば、彼女は徐に立ち上がった。酔いを感じさせない足取りで通路を挟んで向かい側の席へ向かう。
「……大丈夫ですか?」
ぴたり、と5人の動きが止まる。全員がヒーローとしての心得がある中でも、災害現場で活躍する匙測のバイスタンダーとしての振舞いは群を抜いていた。机に突っ伏している男性に声を掛けて、手首を掴んでは脈を測る。
かち、と五人とも視線を合わせた。飲み過ぎて体調を崩した程度ならわざわざ動く必要もないだろうから、匙測に任せておいても何ら問題がない。現役のヒーローである彼女は学生時代から変わらずお人好しのままで、その人当たりの良さと分け隔てない対応にヒーロー好感度ランキングにも名を連ねている。
「す、すみません……は、離れて」
掠れた男の声が隣から聞こえて、遅れて匙測が短く声をあげた。
ぼふん、と綿の詰まった布団を叩いたような音が聞こえて、目の前が白煙に覆われる。其々立ち上がって状況把握に努めるが、怪我人などは居ないようだった。天喰が腕を鳥の羽根に変化させて、煙を払う。咳き込む客がいるくらいで、煙に毒などが仕込まれていることも無さそうであった。
「……すくいさん、平気かい」
立ち竦む匙測の手を掴んで、自分の方に引き寄せる。ーー小さな、違和感。滑らかな筈の肌が、柔らかい体毛に覆われているのだ。
「……フギャッ」
むにり、と天喰の腕に触れたのは紛れもなく動物の肉球で、瞬きを繰り返せば、彼の眼前で困り顔を浮かべる匙測の頭には猫の耳が生え、剥き出しの手足は肘から下が体毛に覆われていた。
「ニャゴニャゴニャゴ……」
困ったなあ。とでも言いたげに自分の頬に肉球を押し付ける匙測と、目を丸くする天喰の背後で「どわあ!」と明るい声が上がった。
今度は一体なんだ、と彼が振り向けば眼前には目を背けたくなるような光景が広がっていた。
「いい歳して個性事故に巻き込まれるだにゃんて、恥ずかしいニャア」
にゃはは、と猫目石のような瞳を細めて頬をかく塵炭にも当然のごとく猫耳が生えている。
「あら、席が遠かったからでしょうか。耳だけで済みましたのね」
ベルベットのような毛並みの良い猫耳を生やした檻舘は口元に指を当てては変化のない男性陣を見回している。
「フギャ……ニャゴ……ニャゴ……」
店員や周囲の人間に平謝りしている先ほどの青年に(気にしないで)とでも言いたげににこやかに手を振っていた匙測は、くるりと振り返るとしくしく、と泣き真似までしてみせる。言葉が喋れなくなってしまった彼女は心底悲しそうな顔をして、天喰の服の裾を長い爪で摘まみ上げた。
「女の子にだけ効果のある猫化の個性にゃの? まあ明日には解けるでしょ。さっさと会計して出るかニャ?」
「流石、余裕ですねえ塵炭先生」
「アンタも余裕でしょ、檻舘」
柔らかな毛並みの耳を動かして、ほくそ笑む二人の言葉を聞いて、間近で個性の暴発を浴びた匙測は覚束ない手つきで鞄から手帳を取り出して、ペンを握ると何かを書き出した。何か重要なメッセージかと、五人が覗き込めば、文字を覚えたばかりの幼児のような文字が走る。
「(やきとり たべたい です)」
ふふ、と5人が噴き出した。堪らず塵炭が匙測の頭を撫でれば、目を閉じてゴロゴロと喉を鳴らすものだから面白がって心操以外の4人がわしわしと頭を撫でる。
「心操くん、わたしお刺身も食べたいです」
注文の端末を手に取った心操に、赤い唇を舐めながら檻舘が言った。心操は短く息を吐く。現役のヒーローが多いとはいえ、全く異常に慣れすぎだ。
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