「−−っ、心操!」
 頬を打つような師の怒声、身体が反応するよりも早く、首元の捕縛布が強い力で背後に引かれた。首が締まる、と目を細めた瞬間にすらりと細い脚が先程自分の顔面のあった場所に振り降ろされた。日焼けとは無縁の真白い太腿が露わになる。すんでのところで避けられたことがわかると、目の前の”彼女”は似合わぬ舌打ちを鳴らし、軽やかに宙返りをして距離を取る。
「意外と鈍臭いんですわね、あなた」
 細められた瞳は玉虫色にぎらつき、心操を見据えている。薄い唇から這い出した舌は酷く赤く、乾燥した唇を舐める動作は蛇に似ていた。それならば自分は蛇に睨まれた蛙だろうか。
(おり、だて)
 クラスメイトの名前を呼ぶことすら覚束ない。まさか、正式にヒーロー活動を認められる前に戦う相手が敵ではなく、同じクラスの友人になるとは思ってもみなかった。
 


 ”同調”と”反転”の個性の持ち主が市内で暴れている、と警察から連絡を受けて対処に向かったのはカーボンであった。雄英高校の教員の中でも随一の攻撃力と判断力を持つ彼女が動いたのだから、この問題はすぐに収束するだろう。生徒に注意喚起を促すまでもない。職員室の面々もそう思っていた矢先のことであった。怪訝な顔をして飛び込んできた生徒が言うには、女生徒が二名、連絡が付かないというのだ。
 相澤は乱暴に頭を掻いて席を立った。カーボンが動いているのだ。増援は必要ないと彼女は後から頬を膨らませるかもしれないが、念には念を。背後でミッドナイトや13号が出動の打ち合わせを始めた。先に行く、と声を掛ければ彼等は二つ返事で背中を押した。
 律儀に職員室の前で教師の対応を待つ天喰の肩を叩く。
「−−面倒事だ。お前も来い、サンイーター」

 職員室前の廊下には、もう一人生徒が待っていた。
「心操? なんでお前が」
「俺も連れていってください、イレイザー」
 天喰に視線を向ければ、「俺が断れるわけ無いでしょう」と諦めるように彼は肩を竦めた。どうやら失踪した生徒の一人は心操の友人のようだった。となれば、もう一人は大体見当がつく。天喰が呼びに来たということは、彼の交友関係を追って行けば良いのだ。こいつ、通形以外に友達いたのか?
「巻き込まれた生徒に見当はついているんだな?」
「1年C組檻舘ヨルと、3年A組匙測すくい、です」
「普通科に、復学明けの生徒か。なんでまた……」
 天喰の口から出てきた生徒の名前は聞き覚えがあった。面倒ごとに自ら首を突っ込みがちな自分のクラスの生徒でなかったことに拍子抜けしたが、3Aはカーボンの受け持ちのクラスであった。檻舘ヨルは自分の受け持ちでは無いが、普通科の生徒でありながら個性の使用許可届を申請していた記憶がある。雄英高校と懇意にしているヒーロー事務所を転々としている変わり種の筈で、渉外はカーボンの分掌だ。パズルのピースが嵌った感覚を覚えながら、相澤は「ついてこい」と生徒二人に声を掛けた。



 警察からの情報提供を受けて、相澤らが向かったのは港近くの倉庫街であった。如何にも、と言った廃屋が無残に壊されている中で、ひとりの男が武装した警察に担がれてきた。怪我人を見慣れていなければ思わず目を背けてしまいそうな酷い有様であった。顔面は打撲によって腫れあがり、所々皮膚が爛れ溶け落ちている。両手は締め上げられているから、命からがら敵のもとから逃げ出したのだろう。
「助けてくれぇ!! あいつら、手がつっ、つけられねえ!」
「イレイザー、お話が」
 どうやら、運ばれて行った男は元凶である個性の持ち主の一人であった。”同調”の個性を持つ男は、手近なヒーローたちの性格を”反転”させたあと、自分たちの思想に同調させようとヒーローに向き合ったところ、返り討ちにされてしまったらしい。何とも情けない。
「……つまり、あそこには性格を反転させられた現役のヒーローが三人、立てこもっているというわけだ」
「最悪じゃないですか……」
「カーボン先生がヴィラン側に回る、って恐ろしい話ですよね……」
「そのうち増援が来る、その前に諸悪の元凶を捕らえる。そうすりゃ個性は解けるだろう」
「……」
 言葉を失う心操に、相澤は発破をかけるように背を叩いた。精神干渉系の個性が悪事に利用されていることを目の当たりにして、教え子が何も思わないわけがないのだ。
「お前が友達を助けてやれ。サポートはする」
「……はい」
 気が重い、と隣でフードを深く被り直した天喰が呟いた。ビッグ3と呼ばれる天喰が動ける状態に居たのは僥倖だった。攻守ともに優れたヒーローはチーム戦の要だ。
「いいか、気を抜くなよ」



 性格を反転させる個性。発現する個性は多種多様であれど、人の性格まで変えてしまう個性は珍しい。個性に巻き込まれたのがカーボンではなく自分であったのなら、少しは人の役に立てる性格になれたりしたのだろうか。それが下らない現実逃避であることを重々理解しながら、天喰は扉を開けた。
 そこは駄々広い倉庫で、コンテナやドラム缶が壁際に並ぶ。入口の正面、最奥には椅子に縛られた男が猿轡を噛まされ身を捩らせていた。男の横には見覚えのある、明るい髪色の少女が立っていて、こちらには見向きもしない。倉庫の中に足を踏み入れた瞬間、三人の身が強張る。
「−−心操くん?」
 聞き覚えのある声、それが上から降ってきたことで、天喰は咄嗟に個性を発現させてその場を飛びのいた。相澤はゴーグルを掛け、個性を発動させる。残る心操は声の主と対峙する。
「あら、先生も。個性を封じられてしまったら、わたし……、あなたたちを力づくで叩きのめさなくてはなりませんのね」
「檻舘!!」
 体重を感じさせない動きであった。声の主ーー檻舘ヨルは倉庫の天井、梁の上に立っていた。羽がついているかのように跳ぶと、その勢いを殺さないままに心操に向けて踵を振り下ろす。普段の制服から、黒を基調とした服装に着替えている。ローファーであれば軽症で済んだのだろうが、彼女は鉄製のソールを身に着けていた。
「――っ、こいつ、素じゃないのか!?」
「天喰先輩……」
 両手を重ねて衝撃に耐えようと構えたところ、天喰の蛸の腕が心操と檻舘を遮るように飛び出した。筋肉の塊である蛸に衝撃を吸収され、檻舘は軽快に後ろに跳ねる。
「クソ先輩……、早く死ね」
「心操くん、気を抜かないで。肉体強化の効果も与えられてるみたいだ。やり難かったら俺がやるよ」
 会話をしながらも天喰はその身に個性を次々と発現させて檻舘の攻撃をいなしていく。檻舘の方も、全身をバネのように使って天喰に攻撃を当てていく。けれども時間の問題だろう。相澤によって個性を封じられている彼女と、防御に秀でた天喰では勝負は見えている。
「いえ、……俺が止めます」
「じゃあ、任せるね」
 相澤先生もサポートに回ってくれるだろうから、と言い残して、天喰は檻舘の横を駆ける。向かうは最奥、罠だと言わんばかりに見せつけられている標的を奪い取ってしまえばこちらの勝利だ。

「やっぱりアンタが来るんだね?天喰」
「……塵炭先生……」
「やめときな、あんたじゃ勝てない。それとも……ああ、匙測とやる?」
 一体どこに隠れていたのか、気配も感じさせずに天喰の背後に立ったのはカーボンその人だ。振り向きざまに硬化させた腕を振りぬけば、肘を掴まれて足元を掬われる。簡単にコンクリートの床に投げられれば、瞬間焦げたような匂いが鼻を突いた。
「−−っ!!」
 身体を反転させて、掌から植物の蔓を伸ばして天井に上る。振り向けば先程天喰が立っていた床は高濃度の酸によって溶けていた。
「すくいさん……」
「あはっ♡環くん!ね、環くんが痛がってる顔見たいなぁ、見せてよお。毒も酸も沢山用意してあるから、ふふ、皮膚が溶けた匂い、すき? 掌がくっついて水かきみたいになるとかわいいんだよ♡」
「怖い! すくいさんの片鱗も無いじゃないか……」
 左手を巨大な匙に変えた匙測が恍惚の表情を浮かべて天喰を見つめている。普段の温和な姿はどこへやら、彼女の背後にあるドラム缶には個性を活かす毒物が詰められているのだろう。
「二対一は卑怯?でも、あんたビッグ3でしょ? アタシも可愛い生徒に花を持たせてあげなくちゃ。ああーーでも、檻舘も助けてあげたいし。忙しいなあ」
 匙測の前に出た塵炭が手を伸ばす。彼女の軽やかな動きの後に、長い黒髪が後を追うように揺れる。伸ばされた指の先で、対峙している檻舘と心操の間に鋭い鉱石が氷柱のようにコンクリートを割って飛び出した。
「あは、消太ァ。檻舘だけ見てたら嫉妬しちゃうよ」
「っ、お前なあ……!」
 一瞬、相澤が瞬きをする。視線を塵炭に移す。その隙に檻舘が個性を発動させて心操に迫る。束縛にも防御にも使える個性は汎用性が高い。
「心操くん、今日は普段より無口ですのね」
 触れられてしまえば檻に閉じ込められて無力化されてしまう。普段の彼女との間には体格差や運動神経に大きな差が合った筈なのだが、個性によって強化された檻舘の動きは普段の比では無い。
「あら、ただのクラスメイトにそんな遠慮すること、ありませんわ!」
 伸ばした捕縛布は簡単に避けられてしまう。その代わりに、と脇を狙って放たれた蹴りは重い。速度を殺せないまま受けた蹴りは体勢を崩させるには十分だった。
「がっ、……檻舘は、人の話をよく聞いてくれる。ほんと、良いやつだよな」
 転がった心操の顔に向けて、踵が振り下ろされる。間一髪で避けて、無様に床を転がって距離を取る。苦し紛れの言葉に、檻舘の動きがひたと止まった。
「そんなこと……」
 くしゃ、と陶磁のような端正な顔が歪む。
「”洗脳”完了。本当は、まだ意識あるんだろ。普通なら、俺と会話なんて避けるもんな」
 こくり、と檻舘が頷いた。檻舘ヨルは、意志の強い少女だった。他者の干渉など受けることなど是としない、高潔な精神の持ち主。だからこそ、心操は彼女を洗脳に掛けた敵が許せなかった。
「”眠っていて”くれよ。俺も手伝わなきゃ」
 緩やかに倒れ込んできた彼女を壁際に座らせて、戦闘を続行している二人のもとへ走り出す。



「すくいさん、皮膚が……!」
「ふふ、やさしいなあ、環くん♡でも、環くんが避けるから、個性使わなきゃならないんだよ?」
 匙測が振りかぶるたびに、濃硫酸が撒き散らされる。彼女の個性であれば少量の毒を数十倍に増やすことも造作が無い。酸が切れるのを待つのは得策ではない。時間が経てば経つほど飛散した液体で彼女自身が疲弊していくだろう。
「あはっ♡わたし、ちゃんと戦えてる!ね、もっと怪我して、痛がって、安心させてよ」
「後から後悔するのは君だから、お断りだ」
 必要に迫られたら、酸を満たしたプールの中に跳び込むくらいは出来そうだ。そう思うけれど、いざその場に置かれたら逃げ出してしまうのかもしれない。けれど、匙測の代わり、と言われたら黙って頷くことくらいはできそうな気がした。それくらい大切に思っているのだと、きっと彼女には伝わっていない。
「ふふ、ボンドも出しちゃう♡ 手錠がいらないの、いいよねえ」
「悪趣味だ」
 椅子に縛り付けられている男の皮膚は彼女の出した瞬間接着剤で張り付けられているのだろう。無理に動けば皮膚が破れる。
「次は歯をくっつけてみようかなって。先生の個性で前歯にまあるい穴を開けて貰ったら、そこからストローで流動食を流し込めるんだよ」
「心の底から悪趣味だから、やめてくれ」
 天使のように明るい笑顔で口にする言葉ではない。”反転”、恐ろしい個性すぎる。
 足元に瞬間接着剤を撒き散らかされたので、壁伝いに匙測に近付く。幸い、匙測の攻撃はワンパターンだ。換算した量が多ければ多いほど振りかぶるモーションに時間が掛かる。匙の中身が溢れてしまうから、咄嗟の攻撃に対応ができないのも大きな隙になる。
「−−すくいさん、ごめん!」
 後頭部に向けて拳を振るう。硬い。咄嗟に拳を匙に換えたのだ。何度か拳を交わすが、個性無しの肉弾戦で天喰に敵う相手など、通形くらいのものだ。それでも三年生の意地なのか、匙測は倒れない。結局鳩尾に一発入れる羽目になってしまった。咳き込んで気を失った匙測を抱えて、さて、ラスボスの相手だ。


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