「勝己、怪獣に似てるって、言われたことない?」
「無えわクソが」
「本当はあるでしょ。それか、みんな思ってたけど言えなかっただけじゃないかな」
 ヤ! と気合を入れて逞しい肩を小突けば、勝己は額に青筋を立ててわたしの頭を鷲掴みにしてきた。先程丁寧に髪を乾かしてくれたというのに、今度はぐしゃぐしゃにしてしまうのだから、彼が内心に住まわせている天邪鬼には笑うしかない。それでも爪のひとつだって立てやしないのだから、彼は相変わらず器用なおとこである。
 体温の高い勝己の隣で眠るのにもすっかり慣れた。蒸し暑い夜でさえ、汗ばんだ彼の身体が傍に無いと逆に寝苦しく感じるのだから、自分でも笑えるほどに彼に依存している。それを伝えれば勝己は怪訝な顔をして、それから「暑いわ」とそっぽを向くのであった。背を向けられたって、買い替える気の無いベッドの上では肌が触れあう。抱きしめて眠って欲しいだなんて言わない。爪先が触れているだけでもいいんだから。贅沢は言わないよ。
 皮膚に触れるひやりとした感触で目が覚めた。壁際で眠っていたのは勝己の方なのに、この肩口に触れる固いものはなんだろう。薄目を開けるのも億劫で、そのまま手を伸ばした。 
――やはり、冷たい。凹凸がありざらついている。
「……かつき?」
 なにか異変が起きている。わたしはようやく意識を覚醒させて目を開いた。朝が間近に迫っていたらしい。目を見開けば薄暗い中でもそこにいるものを捉えることができた。
 きゃあ、と喉の奥から悲鳴が漏れた。ベッドの上で丸くなっていたのはわたしの恋人ではなく、巨大なトカゲのような生き物だった。わたしは大トカゲ……もとい古代からやってきた怪獣に抱き着くようにして、ベッドの限られた隙間で眠っていたらしい。
「勝己、かつき、大変……!」
 怪獣を刺激しないようにそっとベッドから降りた。沈みこむスプリングはすっかり駄目になってしまっただろう。この怪獣を追い出したら、ベッドを新調しなくてはならない。今度はダブルベッドがいいなあ、なんて考えながら勝己の名前を呼んだ。恐ろしい、けれども、彼がいれば大抵のことは何とかなってしまう気がするから不思議だ。
「かつき、どこ……」
 彼は返事をしない。それどころか影も形も見えない。恋人を怪獣とふたりきりにして、一体何処へ消えてしまったのか。
――まさか。いや、まさかね。
 のそり、と緩慢な動作で怪獣がベッドの上で身じろいだ。持ち上げられた瞼には生意気にも睫毛がびっしりと生えている。
「……もしかして、あなた、勝己?」
 やめとけばよかった。
 自分の身体に、物凄い質量が叩きつけられる。わたしは肺の中の空気を全て吐き出しながら、点滅する視界の中で自分の迂闊な行動を後悔していた。交通事故にあった時ってこんな気分なのだろうか。車とぶつかる瞬間、体感がスローモーションになる、と聞いたことがあったけれど、どうやらそれは本当らしい。受け身を取る余裕も無く、わたしの身体は狭い部屋の壁に激突する。後頭部を強かに打ち付けて、口の中に鉄の味が広がった。
 眼前の怪獣は当然ながら言葉を話すことができない。だから、返事の代わりに立派な尾を振った。たったそれだけ。怪獣にとってはそうかもしれないけど、か弱い人間の女であるわたしがそれを受け止められる訳もない。
 次に目が覚めたら、そこは病院のベッドの上であった。どうやって運ばれてきたのかも記憶にない。ただ、数日を過ごして親しくなった看護師さんが休憩スペースの雑誌を差し替えながら「近所の動物園、大トカゲの展示をしているらしいですねえ」と話していたので、わたしはようやく、自分の怪我の原因を思い出したのであった。
焦げ茶色の体躯、頑丈な表皮。メディアに取り上げられる目つきの悪い怪獣は、檻の中でぶんむくれた顔をして陽を浴びる写真ばかりを撮られていた。
アンキロサウルスに似ている。とわたしは改めて怪獣の姿をまじまじと見て思った。わたしを強かに打ち据えた鉄球みたいな尻尾はまさに。
 ――ねえ、勝己。あなたティラノサウルスじゃないんだね。なんだか意外だ。
 人、いいや、怪獣違いだと叱られるかもしれないけれど、あの目つきの悪さはきっと勝己だ。わたしは回復力と食欲を大いに評価されて早々と退院した。松葉杖をついて例の動物園に行けば、彼の檻の前には夏休みの小学生たちが列を成し、尾の先すらも見ることができなかった。
 わたしはしょんぼりして隣の檻のキリンとカバを眺めて帰った。キリンはしゃんと首を伸ばして草を食む姿を見せてくれたし、カバは水面からつぶらな目でこちらを見つめてきた。こらこら勝己ザウルスよ、寝てばかりいるんじゃない。隣を見て。これが動物園での生き様だよと、教えてやりたいくらいだった。
 半壊した部屋に帰って冷静になってみれば、動物園に展示されている怪獣は好評を博していたけれど、やはり彼はあの場所にいてはいけないと思った。童話の主人公のように魔法を解く力を持たずとも、あの怪獣が勝己であると知っているのはわたしだけのような気がする。もし勘違いであったなら。わたしの恋人は一体どこへ消えたというのだろう。
  
 深夜に動物園に忍び込むのは中々難儀な作業であった。計画を練って準備を整えるのに三日を要して、いざ決行は週の真ん中である水曜日の午前一時。真夜中だというのに蒸し暑く、何処かで蛙がわんわと鳴いていた。
 動物園は酷く静かだった。事務室には転々と灯りがついていたけれど、勝己の眠る檻の周りは真っ暗で、キリンもカバも飼育小屋へと戻っているというのに、彼は外で丸まって眠っていた。わたしは小さな懐中電灯で悠々と眠る彼に光を当てる。
「勝己、かつき、また寝てるの」
 くわぁ、と彼は欠伸をしてみせた。大きな口の中に牙はなく、嘴に似ている。ご飯は何を食べていたのだろう。まさか生肉やスイカを食べていた訳じゃあるまい。食べられない事はないのだろうけれど、グルメな彼になんて仕打ちをするのだろう。もっと早く来てあげられなくてごめんね。
 わたしは道中買ってきたチーズバーガーを檻の隙間から差し出してみた。のそのそと近づいてきてはわたしの掌からハンバーガーを奪い取り、味わうどころか丸呑みした挙句、舌で口の周りを舐めとる動作はやっぱり、わたしの恋人によく似ていた。
「ね、動物園の暮らしは飽きたんじゃない?」
 当然だとでも言いたげに鼻を鳴らすと、勝己は器用に前脚を使って檻を曲げた。柔らかく形を変えた檻から、音もなく抜け出して、わたしのお腹に頭を突っ込んで背中に乗せた。途中で松葉杖を落としてしまったから、この逃走劇の犯人はすぐに判明するだろう。
 わたしたちは優雅に夜の街を闊歩した。動物園は街の果てにあったから、車一台通らない長い真っ直ぐな道路を星の明かりに照らされながら延々と歩いていく。力なく羽虫を集める街灯よりも、頭上に輝く月や星の方が眩しく感じられるほど、良い夜であった。
「絵本になりそうなくらい、良い光景だよ」
 ガァ、と勝己は鳴いた。(そうだな)なのか(下らねえこと言ってんじゃねえ)なのかわたしには判断がつかなかったから、聞かなかったふりをして「ねえ! 海に行こう」と彼の背中を叩いた。
 怪獣は海を目指す。中学生の頃に歌った合唱曲の中で相場が決まっているのだ。ヤ! とわたしが腕を伸ばせば、勝己は身体を捻って歩く速度を速めた。勝己にも心はあるのさ。そりゃそうか。
 海に着いた頃には朝焼けが見え始めていた。砂浜には可愛くないサイズの可愛らしい足跡が残されている。
 わたしたちは水平線に向かってがむしゃらに進む。ベタつく潮風に頬を打たれて、靴を濡らして海の中に入っていく。ごぼり、と塩水を飲み込んで、焦ったわたしは勝己の背中を掴んで目を閉じる。口の中は塩辛くて、目が痛くなる。勝己はぐんぐんと進んでいく。薄目を開ければ群青色の海の底が見える。
 ――そんな、夢を見た。


「いつまで寝てんだ、バカ女」
 ひょこ、と足を引きずったわたしの手を掴んだ勝己は金色の髪を揺らして、頸に汗を浮かべている。早起きな彼はわたしのために朝食を用意してくれていた。勝己の淹れるコーヒーも、とろけるオムレツも、美味しくて大好き。
 ナイフとフォークがセットされたテーブルに向かうと、脇に置かれた新聞の一面が視界に入る。近所の海にて巨大な生物と人骨が見つかったと、写真とともに掲載されていた。寄り添いあうように白骨化した生物は鯨か、未知の生物か。専門家が解析を行うらしい。中々ロマン溢れる話だ。
「ねえ、勝己。また、海に行こうね」
「悪くねえな」
 コーヒーを啜った後、彼は唇を舐めた。わたしは形の良い唇にくちづけをしたくなる。あの嘴にもくちづけしてあげればよかった。それだけが残念。
 一回り大きくなったベッドの上でなら怪獣とふたりでも眠れるかもしれない。だからまた遊びに来ていいよ。
 怪獣は海から来てまた海に向かう。涙を溶かしたような、塩辛い海へ。

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