花屋の横を通った。バケツの中に入っている花束がなんだか気になって、柄でもないってわかっているのに買ってしまった。財布の中が小銭だけになってしまったけれど、深いことは考えない。電車に乗れればいいのだ。あとは何とでも…。七詩に金、借りても良いし。今日は泊まっていったって良いんだから。まあ、七詩が許せばだけど。
 花屋の店員はなかなかお節介で、『彼女さんにプレゼントですか?』と笑顔で聞いてきて、ただなんとなく立ち寄っただけの俺はそこで急に、花屋に貼られていたバレンタインのポスターを見て恥ずかしくなった。その上、聞いてもいないのに花言葉まで教えてくれた。しかしその時に聞いたはずの花の名前はすっかり忘れていた。花束に添えられたメッセージカードを開いて見てみれば、ああ、確かにそんな名前を言っていたかもしれない。見慣れないカタカナが載っていた。

 今日はまあ、デートだ。デート。彼女と一緒に映画見て、適当なお洒落な店で飯食って、キスして、あわよくばその先も、なんていつものパターン。ピンクな妄想に耽っていたら、乗り込んだ電車のアナウンスなんて聞き取れるはずが無い。
 気づいたときには目的地の反対方向の電車に乗り込んでいた。
 花束を抱えたままの俺は、ジーンズのポケットから携帯を出して、七詩にメールを打った。

『ごめん。遅れる』
 溜息をついた。参った。方向音痴も最近、良くなったと思っていたのに。携帯を閉じて、ポケットに戻すと、すぐに携帯が震えて、返信が返ってきた。

『また迷子?』
『電車間違えた。ちゃんと着く』
『不安。わたし、迎えに行くから』
『マジで?』

 捜索隊が出動するのは最近無かったのになあ、なんて思いながら、携帯を閉じた。俺が迷子になった時、一番に見つけてくれるのは七詩だ。昔は、いつだかも覚えていないような昔は、別の奴が俺を探していた気がするけれど、それは良く覚えていない。ただわかるのは、俺は今も昔も相変わらず方向音痴で、迷い癖があるということだけ。それをあんまり問題に思っていないのも、おそらく変わらない。
 きっと、俺は誰かに見つけて貰うのが好きなんだろうと思う。知らない場所まで俺が迷って、それで、たとえば七詩が迎えに来て。困った顔で、でもちょっと楽しそうに笑って、『探したよ、三之助』と手を差し出してくるのが、俺はたまらなく好きなのだ。こればかりはしょうがない。

 乗客は花束を抱えた男子が興味深いのか、ちらちらと俺のほうを見ている。視線は気にならない。俺のために目的地から俺を追って来ている彼女の事をぼんやりと想うだけで良かった。
 携帯を見れば、七詩からの実況中継が送られてきていた。『今、電車に乗ったから』『おー』気の無い返事を返して、顔を上げれば、入り口から入ってきた乗客の中に見覚えの在る顔を見つけた。七詩じゃん。
 俺は何を思ったか、乗り込んできた七詩に声をかけずに見守る事にした。向こうがこっちに気づけばそれでいいし、気づかなかったらこっちから声をかければ良いんだ。
 少し離れた席で七詩を眺める。
『三之助、ちゃんとこっちに向かってる?』
『向かってる向かってる』
 同じ電車に乗ってるんだけどなー。七詩はなかなかこっちを見ない。
 目の前に座っているカップルが、お互いの好きなところを言い合っているのを見て、七詩の好きなところを考えてみたりして。
 そこでまた、乗客が乗り込んできた。人数も多くなってきて、立っている人たちも出てきた。
「あ、良かったら座ってください」
 七詩が年寄りに席を譲るのを見て、俺は席から立ち上がって七詩に声をかけた。ついでに自分の座っていた席も立っていた中年に譲り渡す。
「おーい」
 わざとらしくなく、かつ、紳士的に。七詩は俺を見つけるとやっぱり、困ったような顔で笑って「三之助、どこまで行ってんの」と頭を小突いてきた。七詩に礼を言う婆さんを横目に、俺は後手に隠していた花束を渡す。七詩は目を見開いた。
「…これ、ずっと持ってたの?」
「おう。ハッピーバレンタイン」
「ありがと…。三之助が花束くれるとか意外。私も作ってきたよ、ガトーショコラ」
「やった」

 二人仲良くつり革に掴まって、揺れる電車の中で立つ。目的地からは遠く離れてしまった。狙っていた映画もこの時間ではもう間に合わないし、七詩は呆れ顔でこちらを見た。

「このままどこ行くよ」
「どこでもいいよ。三之助に着いていったら面白いところに連れて行ってくれそうだし」
「七詩の作ったガトーショコラもあるしなあ」
「非常食にはちょっと足りないかも」
「あぁでも俺、残金810円しかねえんだった」
「なにそれ。じゃあ、私の家に行くしかないじゃない」
「それがいいや」


 花束を抱きしめて笑うお前を好きになるのに、
 きっと理由なんていらないんだろうね

<晴れやかな魅力>
2011
prev next
back