< 曼殊沙華に捧ぐ >

「何度見ても素敵よねえ、この着物」
「着物だけじゃないです、お化粧だってすっごくお綺麗です」
「髪の毛だって艶々で、本当に大国のお姫様みたい!」

 くのたま教室2年生のユキ、トモミ、シゲは忍術学園から町へ向かう峠にある団子屋に立ち寄っていた。学園の生徒たちが良く立ち寄る団子屋に新しい甘味が増えたというので、友人たちを誘いあい舌鼓を打ちに来たのだ。
 目的の団子屋に行く途中、草花しか目を楽しませる物のない道に不釣り合いなものが落ちていた。目の良いトモミが気づき、二人に声をかければ好奇心の塊である少女たちは早足で駆け寄った。そこにあったのは美しい細工の姫人形であった。
 打ち捨てられたにしては余りに小奇麗すぎる、誰かの持ち物だったのか、とも思ったがこの峠を通るのは農民や武士、それこそ忍術学園の生徒などだ。高貴な身分の物が使用するような大きい道沿いではない。
 三人は首を傾げ、それから笑いあうと団子屋への道中にこの美しい人形を同行させることにした。
 それは見れば見る程、凝った造りをしていた。長い黒髪は平安時代の姫君のように真直で艶やかである。特に少女たちが驚いたのは人形の白い肌だ。絹のような柔らかな肌触りに、薄桃色に染まる頬、唇に差した紅は赤く、ぎやまんをはめ込んだかのような黒い瞳は今にも瞬きをしはじめそうだった。
 こんな素晴らしい人形を持てるのはどれほど大きなお城のお姫様だろう。三人の秘密の宝物にしよう、と三人は顔を見合わせて話し合った。新しい甘味の味も記憶に薄く、頭の中は素晴らしい宝物のことで一杯になってしまった。
 
 団子屋の帰り道、順々に人形を抱きしめながら他愛もない話をして歩けば、やはり誰かに見せたい、という話題になった。
 それも1つ上のくのたまの先輩なんかじゃダメだ。羨ましがって盗られてしまうかもしれない。忍たまたちになんて見せてやるものか。あいつらにこの人形の美しさは理解できないだろう。それではやはり。自分たちの宝物を理解してくれるのは最上級生のお二人だろう、という結論に至った。
 くのいち教室の最高学年である瑠璃と牡丹は、くのいちたちにとっては姉のような身近な存在であった。
 牡丹はいつも余裕があって、かしましい後輩たちに囲まれても微笑みを絶やさずに一人一人の話をゆっくりと聞いてくれる。まるで郷里の母のような、傍にいると安心する柔らかさをいつでも纏っているのだ。けれども彼女は優しいだけではなかった。くのたま教室創設以来一番の実力者と呼ばれるだけの実力を兼ね備える牡丹は、指導となればこと厳しかった。
 もちろん牡丹のことも大好きだったのだけれど、彼女たちには拾った人形を自分たちのものにした、という後ろめたさがあった。牡丹の全てを見透かすような黒壇の瞳に射抜かれれば誰かしらが口を滑らせてしまうだろう。くのいちの勘がそう言っている気がして、彼女たちは頷き合った。
「……瑠璃先輩に見せましょう」
「そうしましょぉ」
「そうね」
 後輩たちの目から見ても、瑠璃は大らかな女性であった。いつも楽しそうに歯を見せて笑っていて、後輩たちにも友達のように接する姿は年の近い姉のようだった。
歴代最強だと歌われるくのいちの親友ながら、彼女自身は言ってしまえば「らしくない」くのいちであった。お人好しで、人を騙すよりも騙されていることの方が多いくらいだった。瑠璃が一国の姫であったなら、その国は随分と幸せでしょう、と山本シナが彼女を評した。どこか憂いを帯びたその言葉の意図を、後輩たちはまだ理解することができなかったけれど、くのいちとしてこの学園を飛び立つしのびに掛ける言葉ではないのであろうことは、理解できた。
瑠璃はきっと、人形の出来に感心して、感嘆の声をあげるだろう。それから小さな声でユキたちに入手経路を聞いて、拾ったのだと耳打ちすれば彼女は眉間に皺を寄せて「秘密にするのよ」と悪戯めいた表情を浮かべるに違いない。
そうすれば四人の秘密だ。先輩と秘密を共有できるだなんて素敵なことのように思えた。
 「十村・楪」と表札のかかる部屋の前で声をあげる。
「失礼します!」
 同室の牡丹は火薬委員会と生物委員会の委員長代理たちと相談をしていたのを見かけた。元気よく部屋に入れば、想像通りに、瑠璃がひとり書をしたためている所であった。彼女は三人を見ると筆を置いて抽斗から茶筒と干菓子を出してくれた。
「なぁに、三人して。遊びに来たの?」
「瑠璃先輩、わたしたち、見て欲しいものがあるです!」
 えへへ、とはにかんだトモミが背に回していた人形を瑠璃の顔の前に掲げる。
「じゃじゃーん! こちらです」
 人形を見た瞬間、瑠璃の表情が一変した。
「馬鹿!! どこでこれを手に入れたの!!」
 ばちん、と音がして、トモミの手から勢いよく人形が払い落とされた。物凄い剣幕で三人を怒鳴りつけ、瑠璃は人形を睨みつける。唖然と固まる三人を置いて、聞き取れないような言葉を口の中で呟いた。何重にも重ねた手ぬぐいで人形を包んで部屋の隅へ置く。
一体何が起きたのか理解ができない三人は追い立てられるように保健室へ連れていかれ、瑠璃の顔を見れないままに塩水で手足、それから顔を濯がれた。その間も瑠璃は険しい顔をして、腕を組んだまま三人を見つめている。
 只ならぬ雰囲気に身体を強張らせているのは3年生の三反田数馬だ。
元保健委員であったよしみで瑠璃の指示通りに塩水を用意したのはいいが、手足を濯いだくのたまたちは蒼白な表情で俯いているし、瑠璃はと言えば黙って彼女たちを凝視している。
「あの……」
ここで声をかけてしまうのが保健委員たる所以だろうか。忍たまたちが震えあがる恐ろしいくのたまたちに囲まれているというのに、雰囲気に耐えられなくて数馬が口を開いた。
「……ごめんね、数馬、巻き込んだね」
 口を開いた瑠璃は彼の知っている温和な先輩の顔をしていた。
「ユキ、トモミ、おシゲ。あの人形をどこで手に入れたのか教えて頂戴」
 三人は涙を堪えきれず、拳を握りしめて声を震わせた。
「っ、団子屋の、かえりに……、拾ったんです、岩の、窪みに、置いてあって……っ、う、」
「拾ったのは今日?」
「ほんの、数刻前です」
「ずっとこの人形に触れていたのは誰?」
「……三人で、順番に抱いて帰ってきました。だから、同じくらい、です」
 そこまで聞いて、瑠璃は大きく息を吐いた。
「今、三人の中で月ものが来てる子はいる?」
 その質問に驚いたのは傍で話を聞いていた数馬であった。思わず目を丸くすれば、瑠璃がちらりと目を向けて手を顔の前に出した。「ごめん」と唇が動く。瑠璃の額には汗がにじんでいる。彼女の質問が大事な内容であることは、理解できた。
 三人は首を大きく横に振った。
 それを見て、瑠璃が安堵の息を吐き、手を伸ばして三人を抱きしめる。
「……はあ……驚かせてごめんねえ、三人とも。あの人形は、「良くない」ものなの。詳しくは説明しないけれど、人を呪う為に、攻撃するために作られたもの。どれくらい危険かというと、触れただけで身体に害を為すような代物なの。だから慌てちゃった。三人とも、なんともなくてよかった」

 瑠璃の声は優しく、三人は狐に摘ままれたような気分のまま、自分たちの部屋へと戻らされた。
人形は処分しておくから、と有無を言わさぬ勢いで言われてしまえば彼女たちに返す言葉は無い。大体に、自分たちのためにならないようなことを態々するような先輩方ではないのだ。
「……月のものが来てたら、どうだったんでしょう」
 自室に戻り、シゲが不思議そうにぽつりとつぶやいた。三人して顔を突き合わせる。初潮が来て、少女たちは「女」を嫌でも自覚する羽目になる。自分たちは来ていない。けれども、先輩方は。
 ぞわり、と嫌な想像が身体を巡った。
 普段、先輩方は質問を無碍にするようなことはなしない。下級生にはまだ早い話題であっても、噛み砕き、丁寧に教えてくれるのに。今日の瑠璃は有無を言わさない、というようにユキたちを部屋に返した。
 ――何か、あるのだ。
 2年間面倒を見てもらったというのに、瑠璃が怒鳴ったところなど見たことは無かった。あんなに慌てた姿だって、初めて見た。
 自分たちの軽率さに反省しながらも、脳裏にはやはりあの人形のことが浮かんでいた。
 見つけた時はあんなに美しく可憐に見えた人形が、今となっては呪われた曰く付きの人形に思えてしまう。持つ者を不幸にするだとか、そういった怨念の籠った品だったのだろうか。
「あのさ、トモミちゃん、おシゲちゃん。明日、また瑠璃先輩に会いに行きましょ。きちんと謝りたいわ」
 顔を上げたユキの言葉に、二人は頷いた。
「あの人形の話、詳しく教えてもらいたいよ。わたしたちにだって、聞く権利くらいはあるはずじゃない?」
 強気な少女らしく言ったのはトモミだ。シゲは二人の言葉にゆっくりと頷く。首を突っ込みそうになったら、自分が止めなくてはならない、と心の奥底で覚悟を決めながら、同意を述べた。
 わざと大きな声を出して自分たちを奮い立たせた。目を閉じれば、またあの人形の顔が浮かんでくるような気がしたのだ。それから、恐ろしい表情をした先輩。叩き落とされた人形。保健室での質問の意味。
 考えれば考える程に胸のうちがざわついて、その夜は三人して手を繋いで眠った。

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