兵助と八左ヱ門と委員会についての議論を終えた牡丹が自室に戻ると、彼女を待っていたのは制服を着こんだ瑠璃であった。
「瑠璃ちゃん? どうしたんです」
「お願いがあって……。後輩が厄介事を持ち込んじゃったの」
 見れば瑠璃は利き手をだらりと下げている。下がった肩から殆ど力が入らないのだろうと見て取れた。制服の隙間から覗く包帯は指先にまで丁寧に巻かれている。
 毒だろうか、いやでも彼女は今日はどこにも出かけていない。それならどうして――
「見てもらった方が早いかなあ」
 牡丹の思考を切るように瑠璃が声をあげた。随分と焦っているように見えて、牡丹は彼女に従うことにした。
 瑠璃が部屋の隅から布の巻きつけられた塊を出してきた。慎重な手つきで布を外していくと、美しい細工の人形が出てきた。
「うっ……これは……」
 一目見ただけで、そのおぞましさに気づく。数々の死線を潜り抜けてきた牡丹ですら顔をしかめる代物だ。
「めちゃめちゃ曰くつきだよ。わたし夕食全部戻しちゃった。これをくのたま三人組が拾ってきちゃったの」
「え!? は……はぁ!? 大丈夫なんですか、それ」
「簡単に禊はさせて聞きとったらどうやら対象からは外れてるみたい。ずっと抱きしめてたっていうから不安だったけど、大丈夫そうだったよ」
 あっけらかんと述べた瑠璃は笑ってみせるが、顔色が悪い。額には脂汗が浮かんでいる。
「瑠璃ちゃん、触ったのですか」
「咄嗟にね。でもわたしはまだ平気な方だと思う。牡丹ちゃんは、触っちゃだめだよ。毒じゃないから、これ」
 これ、と右肩を動かして見せる瑠璃の包帯の下を想像して、牡丹は語気を強めた。
「私は、こういったものへの知識には疎いので、あなたを助けてあげられません。でも、道具としてなら最善を尽くします。教えてください瑠璃ちゃん、この人形をどうしたらいいですか。どうしたらあなたを助けられますか」
 お人好しの友人が後輩を助けようとして、この曰く付きの品に触れてしまったことはすぐに理解ができた。そして、呪術やまじないに耐性がある彼女がここまで疲弊しているということは、生半可なものではいということも。
「ええとじゃあまず、この人形のことから説明するね。こちら、すべて死者の持ち物から作られている人形だね。あ、あんまり見つめると気持ち悪くなるから、ほどほどにね」
 目を閉じて説明する瑠璃は、壁によしかかったままずるずると腰を下ろした。立っているのも辛いのだろう。
 人形に目を落とす。牡丹は瑠璃程に死者に引きずられることは無いので、できるかぎり近づいて凝視する。
 髪も、皮膚も、埋め込まれた目や爪さえも、死者の一部分を削って作られている。おぞましいことに、張り合わされた皮膚は何十人というおんなの皮膚が使われているようだった。
「……うぇえ、中身はもっとえぐいですからねこれ」
「ちなみに人形の中には何が入っているんですか?」
「幼子のへその緒が入ってる」
「げ」
「あの三人には言わないであげてね、寝れなくなっちゃうからね」
 勿論、言えるわけがない。女の骨や皮膚、髪や爪を集め合わせて作り、胎に嬰児の臍の緒を入れている人形。贈り物の皮を被った盛大な呪いだ。家に入ればそれだけで子を成せる女を蝕むのだろう。何重にも命を絡めてあり、術者の念も凄まじい。
「処分するだけでは、当然駄目ですよね」
「人形は燃やす。けれど、使われた命が多すぎて燃やすだけじゃ呪いは消えない。だから、まじないをかけた本人、もしくは本人の残した術式を壊す必要があると思う」
「……どれくらい持ちますか」
「わたしの体力じゃあもって二日かなー。でももう目星は付いてるんだ。先生には相談して、学園長からも許可貰ってるの。自分で首を突っ込んだことは、自分で片付けなさいってね」
 わはは、と笑う瑠璃は随分と弱っているようだったが、後輩の対処が終わってすぐに教師に相談を持ち掛けたのだろう。危険性を理解しているからこその迅速な行動に、助かった、と牡丹は乾いた唇を舐めた。
「お馴染みの顔ぶれにもお声がかかったみたいですしね」
「あはは、彼らは巻き込まれ損だけど……」
 いつの間にか障子の向こうに影が五つ浮かんでいる。彼らは面倒事とは言わないだろう。なんだかんだ、お人好しの学年だ。
「ひとつ、後輩と瑠璃ちゃんを助けると思って、よろしくお願いします」
 障子の向こうに瑠璃が笑いかければ、静かに戸が開いた。


***


「まさか組で分かれるとはなあ。この作戦の参謀は牡丹?」
「そうですけど。なにか? 勘右衛門くん」
「文句はねェさ。早駆けなら学園一の俊足は兵助だし、自慢じゃねえが俺たちだってあいつに並ぶ」

 顔を合わせてすぐに牡丹が状況の説明と目的を5人に説明した。端的な説明を聞くが否や五人は一つ返事を返した。持つべきものは、なんとやら、と瑠璃が冗談を飛ばしたが、顔色も隠せない程衰弱している様に状況の逼迫を悟ったのだろう。行動は迅速であった。
 兵助、勘右衛門、牡丹は木々を駆けながら森を抜ける。目指すは城下町だ。情報の集まる市に忍び込み、件の人形について情報を収集することが目的だった。幸いにも、くのいち教室にはひとつの噂が流れていた。曰く、「願いを叶える人形」が巷で流行っているとのことだ。手に入ったら神棚の下に置き、毎日拝むのだという。聴けば聞くほど恐ろしい噂の出所を掴めばあとは蔓を引くように答えに行きつくだろう。
 兵助、勘右衛門、牡丹の三人は軽業師として潜入することに決めた。

 反対に、ろ組と瑠璃は人形の処分を担当することになっている。
「お前、無理してついてきて寿命縮めてどうするんだ」
「適切な場所は、わたしが一番わかるというか……間違うと危ないんだって、こういうの」
 彼らはユキたちが人形を見つけたという団子屋の周辺を調べていた。村人の格好をした八左ヱ門が先導するように戦闘を歩き、その後ろを医師の変装をした三郎がついていく。二人の後ろで、三郎の助手役を務める雷蔵が村娘の格好をした瑠璃に肩を貸す。病人を連れた歩みの遅い集団と思わせながら、彼等は常に周囲に目を配らせながら道を歩いている。
「瑠璃、ちょっと休んだらどうだい。顔色が良くないよ」
 雷蔵の言葉に足を止めたのは八左ヱ門だった。
「この辺じゃねえか? ユキちゃんたちが言ってた場所。岩場が出てきた」
「そうかも。岩場の陰に置いてあったって言ってたもの」
 まだ日が落ち切る前で助かった。小さな少女たちの足跡が草花を踏み倒して残っている。人形を見つけて、まっすぐに街道から降りてきたのだろう。一直線に岩場へ向かう足跡をたどって行けば、簡単に彼女たちが人形を見つけたであろう岩が見つかった。
 八左ヱ門と三郎が岩場を覗き込む。人形があったであろう場所にはもう何も残されていなかった。――通常の人間が見れば、の話ではあるが。
 二人が目を凝らす。三郎が手ぬぐいを被せて、一本の髪を掴んだ。
「女の髪だ。足跡も残されている。くのたまの子たち以外の、成人女性のものだな。……八左ヱ門」
「あいよ」
 名前を呼ばれた八左ヱ門は流れるように指笛を鳴らす。彼らの後ろを追従してきた山犬が茂みから顔を出した。
 山犬は転がるように八左ヱ門の下へ飛んで行き、大きな手で頭を撫でられれば子犬のように尾を振った。その仲睦まじさに急かすように息を吐いたのは三郎だ。慌てるように八左ヱ門が山犬の名を呼んだ。
「わん太、この足跡の主を知りたいんだ」
「んふふ、わん太て」
 八左ヱ門の名前の付け方には日ごろ忍たまたちは頭を抱えていたのだが、改めて聞くとなんとも言えない気持ちになってしまう。荒い息を吐き出していた瑠璃がくすりと笑って、わん太を見送った八左ヱ門がそちらを向いた。
「瑠璃、皮膚が……」
「触らないで!」
 伸ばしかけた手を引っ込める。瑠璃の右半身が黒く変色していたのだ。包帯が巻かれていない部分にも呪いが広がるように、頬のあたりにまで赤黒い湿疹に埋め尽くされてしまっている。
「……元気、大丈夫だから。さ、あとは牡丹たちに任せて、こっちはこっちで片付けるね。手伝ってね」
 強がりだというのは彼女の顔色を見ればすぐにわかった。着物は汗でぐっしょりと濡れ、血の気の引いた顔には隈が色濃く浮かぶ。
 それでもこの厄介な「呪い」については忍たまたちには専門外のことであった。図書委員会の雷蔵や、六年生の中在家長次すらも人形の呪いについては畑違いであるようだった。
「ハチ、岩場の中心に穴を掘ってくれるかな。人形が埋まるくらいの大きさの穴がいい」
 その場に腰を下ろして指示を出す瑠璃の隣で、雷蔵が背負っていた木箱から水筒を取り出した。中には濃度の濃い塩水が入っており、それと共に布に厳重にくるまれた人形を、岩場の近くへと持っていく。
「……なあ、今更だが」
 三郎が口を開いた。瑠璃は彼の言葉の続きを待たずに自由に動かせる左手で下ろした髪を撫でて言った。
「わたし、墓守の家でしょ。墓守って言ってもね、きちんとした身分の人たちの埋葬をしてたわけじゃなくて。戦で亡くなった人とか、村八分にされてた人とか、そういう身寄りのない人たちの遺体を扱う方が多かったんだ。だから、材料を欲しがる呪術師の類がよく家に頼みに来たの。一応私たちも仕事として埋葬をしているわけだから、理由もなく仏様の身体を渡すわけにはいかない。そうしたら彼等も「何に使うのか」を話すでしょう。それでこういうの、詳しくなっちゃった」
 一気に話し切った瑠璃に、目を丸くしたのは三郎だけではなかった。瑠璃が自分の家のことを話すのは珍しいことであった。穢多の家系に生まれ差別を受けてきた彼女は自分の生まれをできるだけ口にしないようにしていたからだ。
「……こういうこと話すと、余計嫌われそうだから、言わなかったんだあ」
 俯いてしまった瑠璃の背を叩いたのは、泥を払った八左ヱ門であった。
「馬鹿だなあ。誰も嫌いになんかならないよ」
「そんなことを気にしてたの? きみは立派なくのいちなんだから、生まれなんて気にする奴はいないよ」
「とやかく言う奴がいても、お前が培ってきた年月はお前のものだろうに」
「……へへ、優しいなあみんな」
 次々に声をかけてきた三人に、瑠璃は涙を隠すように立ちあがった。
「それじゃあやりますか。無事に終わったら、くのいち教室からみんなにご飯ごちそうするからね!」
 勘弁してくれよ、と下級生の時にくのいちに下剤を盛られたことのある八左ヱ門が悲鳴を上げた。ひとしきり笑ってから、瑠璃が蝋燭に火を灯した。



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