六年い組の川西左近は、泥と血にまみれた制服から着替える間もなく、学園長の庵に向かっていた。
 大きな傷は止血して応急処置を取っているとはいえ、彼の身体は傷だらけであった。転がるように学園の門を越えて戻ってきた彼は、任務の失敗を伝えに来ていた。
 左近は、とある城の間取りを手に入れることを指示されていた。それは非常に難易度の高い任務で、優秀と称される六年い組の左近と、能勢久作の二人が綿密に計画を立てていたにも関わらず、果たすことができなかった。
 左近が陽動を、久作が潜入を担当するはずであったが、それは序盤から挫かれてしまった。からくり城と名高いその城の名は”荻間城”と言った。忍軍は常に気を張っており、兵たちも磨き上げた武器を使い慣れている様子だった。城の位置も非常に攻めにくい場所にあり、戦となれば時間がかかるだろう、と二人は見積もっていた。
 難易度の高い任務だと念を押されていたにも関わらず、こうしてむざむざ戻ってくることは彼の矜持を大いに傷つけた。失敗の原因は自分にあると思っていたから、左近は久作を押し留めて単身学園長のもとへ報告に来たのだ。
 庵の前まで身体を引き摺って来たら、中から数人の話声が聴こえてきた。学園長と、若い男の声だ。
 学園長は庵の近くに左近がいることに気配で気づいているだろう。それでも声の大きさを変えないということは、会話の相手は左近に知られても問題のない相手なのだろう。
「それでは、この任務を”蓮華”に任せよう」
「−−承りました」
 聞き覚えのある声と、名前であった。
 ”蓮華”。それは、この学び舎を数年前に卒業した先輩方が作った忍び集団の名前であった。互いに敵として合うくらいなら、協定を結ぼう、と提案したままそれを実践してしまった決断力と実行力に驚いた記憶がある。普段は各々が仕事をしているが、ひとつ仕事が入れば所属する面々が集まり、凄腕の忍び集団としての任務を請け負う。彼らの名は、数年前から急に耳にするようになった。
 確か、蓮華に所属している先輩方はーー
 左近が下級生であった頃の上級生であった。どこまでも後輩思いで親切であった先輩方を思い浮かべていると、学園長の庵の襖が開いた。
「おおい、待たせちまって悪いな」
 緩やかで、大きな声で左近に声を掛けたのは背の高い荒れた灰髪のおとこだ。 
 こちらから頭を下げる前に「久しいな」とからりと笑った男の名はすぐに口から出てきた。目の前にいたのは一昨々年卒業した、生物委員長の竹谷八左ヱ門であった。
 ”蓮華”と呼ばれるその集団は、三年前に卒業した先輩方が作った忍び集団だった。
 襖の隙間から垣間見える彼等の人数は六人。一様に漆黒の忍び装束を纏い、卒業時よりも背を伸ばしていた。在学中も上背のあった八左ヱ門は日に焼けた精悍な顔立ちを深めて後輩に笑いかける。
「お久しぶりです。竹谷先輩。お代わりなさそうで何よりです」
「そう見えるなら重畳。あのさ、左近」
 八左ヱ門が声をかけようと口を開くと、彼の背後から不破雷蔵ーーの変装をした鉢屋三郎が顔を出した。卒業後も変わらず彼の顔を借りているのだろう。
「川西、丁度良かった。今回の任務のことで話を聞きたい。能勢と二人で来てくれないか」
「……承知しました」
 失敗した任務のことを話すのは気が重い。おそらく目の前の男は左近と久作の失敗を知っている。
 八左ヱ門と三郎に頭を下げて、久作を迎えに行った。
 話を伝えると、久作は目を丸くした。不破雷蔵は久作の委員会の先輩であった。卒業生が再開する機会など中々無いものだから、彼は懐かしそうに頭をかいた。
「なにも失敗した時に会いに来なくてもなあ……」
「馬鹿、僕らがしくじったから態々あの人達が呼ばれたんだ」
「……俺らの失敗なんて、数刻前にわかったことだろう」
「見越してたって、ことだよ。わかれ」
 左近の口調には棘があった。六年間共に過ごした久作は特段腹をたてることもなく先を行く左近の後ろについて行く。左近は生真面目で口の悪い所もあったが、実際この学年では誰よりも仲間思いで優しい男であった。実習で誰かが傷付けば危険を顧みずに治療を行うし、行軍に迷惑をかけるとなれば進んで殿を務める。実力だって申し分ない。だからこそ、久作は不機嫌な左近に何も言わなかった。
 彼の言葉を反駁する。教師たちはこの任務が失敗することがわかっていたということだ。忍術学園の最高学年が失敗するような任務、という肩書きを負わせなければ、”蓮華”に依頼はできないということだろうか。
 ーーなんだ、それは。
 元来気の短い性質の久作は、肩を落とす友人を見つめていると、ふつふつと怒りが沸き起こってきた。
「お前、余計なことは言うなよ。あの人達は先輩とは言えプロ忍だ」
 僕たちの考えなんて全部見透かされてしまうんだから。
 そう言って、左近は唇を噛んだ。冷静で、視野の広い左近は学年の参謀を務めることも多かった。歴代の保険委員長の中で一番「実戦向き」だと称された彼はなにかを隠している。


 梟の柔らかな声が遠くで聴こえる、静かな夜更けだ。下級生たちは皆寝静まっているだろう。
 離れにある来客用の部屋に、”蓮華”の六人は集まっていた。失礼します、と声をかけて襖を開ければ、見覚えのある面々がこちらを見据えた。
 緊張感に身を包まれながら、二人は下座に座る。
 上座に端座するのは鉢屋三郎、彼がこの集団の頭なのだろう。その右隣には同じ顔をした不破雷蔵が、柔和な表情をして巻物を広げていた。雷蔵の隣には竹谷八左ヱ門が相変わらず人の良さそうな顔で胡座をかいている。向かって三郎の左には濡れたような黒髪を垂らした久々知兵助と、その隣には陶磁のような美貌をより磨き上げた楪牡丹が座り、入口に一番近いところで、忍び刀を肩にかけて笑う尾浜勘右衛門が座っている。
 この学年は、個々の実力も申し分ないが、集団で組んだ時の力は右に出る学年はない、と称されていた。まるで初めから組んで戦うことを想定したかのように、近、中、遠距離の武器を各々が使いこなし、更に戦闘時の役割も学生の頃から決まり手のように持っていた。だから彼らが卒業後に集まることに、違和感は無かった。

「挨拶は……今更だな。私は鉢屋三郎。”蓮華”の頭領を務めている。後の奴らはまあ、知っているだろ」
 忘れるものか、と左近も久作も三郎の仮面の下を睨む。
 忍術学園での先輩の存在は大きかった。敵わない、憧れの存在。今では自分たちがその立場にいるのだけれど、刷り込まれた先輩方への印象は拭えない。
「それじゃあ、話を進めちゃおうか。見知った中だ、遠慮することないよね」
 勘右衛門がぽん、と膝を叩き、滑らかな動作で左近の方を見る。
「川西、お前、あの城で誰と会った?」
 その瞬間、空気が変わった。体を強張らせた左近は一度下を向き、それから顔を上げる。
 この先輩方に、嘘など通用しない。自分たちがいくら最高学年になったとはいえ、彼等もまたプロとしての経験を積んでいるのだ。
「ーー 十村先輩に会いました」
「は、っ……」
 思わず声をあげたのは久作だ。そんな話、聞いていなかった。
 場内の調査をしていた左近が裏庭で昏倒していたのを見つけた時、彼は相手の姿を見ていないと言ったのだ。
 ーー 十村瑠璃は、”蓮華”の彼等と同じ学年のくのたまだった。五年生までを保険委員会に所属しており、左近の親しい先輩の一人であった。
 卒業してからは、行方を晦ましたと聞いていたが、忍者にとっては珍しくない。自分の足取りなど、知られない方が仕事はうまくいく。
「戦ったのか」
 続けたのは三郎だった。
「はい。面目ありませんが、昏倒させられました」
「ーー殺されなかったのだな」
 冷静な口調の語気は強い。兵助が投げかけるように左近の方を向いた。薄暗い中だというのに射干玉の瞳は黒々と光っている。
 戦忍ならともかく、情報を得るために城に忍び込む忍びは極力殺しはしない。けれども、今回は殺されると思っていた。
( どうか、わたしの甘さを、許してください……)
 気絶する寸前、左近は瑠璃の呟きを聞いてしまった。
 本当は、殺すつもりだったのだろう。瑠璃の使う武器には毒が塗られていた。彼女が左近の命を奪わなかったのは、左近が戦闘中に迷ったからだ。
 萩間城は前情報どおりに仕掛けの多い城だった。侵入者を阻む罠は多く、その中でも所々に仕掛けられた糸が目についた。
 糸繰りを好んだ先輩のことを左近は良く知っていた。彼女は裂けた傷口を縫うのも上手かった。だからこそ、4年ぶりに再開した瑠璃に刃を向けることに一瞬躊躇したのだ。忍びとしては零点だろう。
「能勢、川西。お前たちから仕事を引き継いで言うのも何だが、俺たちの仕事を他言しないで欲しい」
 任務の内容を他人に漏らすなど、最上級生になってするわけが無い。八左ヱ門に掛けられた久作が目を向いたが、八左ヱ門は久作の態度を気にせず低い声で続けた。
「俺らは、萩間城を落とす」
 その言葉の意味を蓮華の六人は理解しているのだろう。依頼として受けたからには、それを全うしなければならないということも。
「……任務に、私情は挟みません。けれどもひとつ、聞いてもいいでしょうか」
「いいよ。なんだい?」
 左近の問いを許したのは雷蔵だ。
「あの城に、何があるんです」
 場が一瞬固まった。言葉を探しているようでもあった。
「残念ながら、君たちを納得させられるような理由は何も無いよ。萩間の城主は領民思いの名君で、仕える忍軍も優秀だ。悪事を働いたわけでもない。けれど、学園と縁が深いのは萩間の相手の城の方だった。後味の悪い仕事さ、だから学園長先生は”お前たちを失敗させた”んだ」
 そこまで聞いて、左近は口を開いてしまいそうであった。
(後味が悪いのは、あなたたちの方でしょうが)
 喉まで言葉が出かけた左近を、久作が止めた。
 彼らの学年は、非常に仲の良い学年だった。それは、忍たまだけでなく、ふたりのくのたまも含めてであった。十村瑠璃と、楪牡丹。この二人と忍たまの五人で、忍び集団を作ったものだと思っていたのだ。
 何か理由があったのだろうことは想像に易い。それでも、もし蓮華に瑠璃が所属していたのなら、左近はこんなに胸を痛めることも無かっただろう。
 どうして、と聞きたかった。どうして、瑠璃先輩はあなたたちと共に居ないのですか。
 拳を握りしめて、唇を噛んだ。自分と共に過ごした一年間など、彼等の六年間に比べればほんの一部分にすぎない。任務に失敗しただけでなく、恥を上塗りしてしまいそうで、左近は口を噤んだ。
「……御武運を」
 それは唯一左近が絞り出せた言葉だった。先輩方は優秀だ。非情になれなかったくのいちは、殺されるだろう。
「保健委員の子は優しすぎるから、いつも貧乏くじですね」
 去り際に牡丹が左近を見て小さな声でそう言った。まるで自分たちは冷徹になれるような口振りであった。誰しも、友人を手に掛けるのは心痛めるだろうに。忍びは戦の道具だが、あくまで心を殺すわけではない。心は刃の下に潜めておくのだ。悲鳴を上げても、涙を流しても、それを知るのは己だけ。夜に生きる滑稽な化け物が忍びだ。
「……結局、忍者になっちまったんだよなあ。瑠璃先輩」
 六人を見送って、左近が夜空を見上げた。雲に覆われた空には星も浮かんでいない。

(僕はあなたに、忍者になって欲しくなかったんだ。今更、それに気づく)




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