ーー瑠璃に恋人ができたと聞いた時、一瞬自分のことかと思った。いやでも、告白、してねえし。
 その数秒後に隣の組の奴の名前が上がって、頬を張り飛ばされたような衝撃を受けた。
 がっくり力が抜けて、部屋の畳にごろりと寝転んだ。
「おい、八左ヱ門。大丈夫か」
 半笑いの三郎が俺の顔を覗き込む。またこいつの冗談じゃあるまいな、と一瞬疑ったが、どうやら真実らしい。
「……大丈夫も何も、別に俺ら恋仲だったわけじゃねえし?」
「お前、瑠璃と実習のペアになりたくてソワソワしてたじゃないか」
「おいそういうの今言うなよ! ショック受けてんだから!」
「は組の奴だったか? どんな物好きか、顔でも拝んでこよう」
 三郎が部屋から立ち去って、俺は思わず溜息を吐いた。瑠璃に恋人……。こんなことなら、きちっと想いを伝えておけばよかった。
 知らない男の腕を取って微笑む彼女を想像すると、二発目の溜息が漏れた。もしかして俺って女々しい奴なのかもしれない……。
「八左ヱ門くん、ちょっと良いですか?」
 鈴の鳴るような声に、意識が引き戻される。
 くのいち教室の牡丹が部屋の前に立っていた。牡丹は瑠璃の親友だ。当然恋人ができたことも知っているのだろう。茶でも入れようか、と身体を起こして声をかければ彼女は首を横に振って部屋に入ってきた。
「なに先を越されているんです!」
「ぐっ……」
 こ、こいつも人の傷を抉って来やがる……。
 三郎に次いで牡丹にまで見透かされていたことに若干の不安を抱いてしまう。忍びとして大丈夫か、おれ。
「あんな何処の馬の骨ともしれない男に瑠璃ちゃんを渡す気なんてさらさら無かったのに……。八左ヱ門くんがグズグズしてるから、はあ……」
「ひでえ言われようだ。牡丹、あいつの知り合いなのか?」
「蟹沢くんは、は組の生徒ですよ。私もそんなに話したことはないですが……。あぁ、告白したのは蟹沢くんからだそうですね」
「そ、そうか……」
「私は八左ヱ門くんを応援してますからね。最終的には略奪愛なんてのも素敵ですよ」
 ふふ、と笑って姿を消した牡丹は、やはり三郎の幼馴染なだけある。
 親しくしている友人たちは皆失恋した俺に声を掛けにきた。それもキツイが、一番こたえたのは、幸せそうに男と歩く瑠璃を見かけた時だ。
 男の方は愛想の良い方ではないのか、笑顔の瑠璃の話に表情を変えずに相槌を打っているようであった。 
 ーー俺だったら、と彼女の隣に立つ想像をしてしまう。諦めがつくまでは、まだ時間がかかりそうだった。

***

 瑠璃に恋人ができてから、数日が経った。
 手が空けば生物委員会の動物を見にきていた瑠璃がすっかり足を運ばなくなって、委員会活動中に三治郎が「なんだか寂しいですね、竹谷先輩」と言ってきた。
 あれ、もしかして気づかれてたか?
 三禁に惑わされすぎだと思いながらも、胸の内が落ち着かない。虫たちの気配も掴めず、駆け落ちした花子と花男は活動中に見つけられなかった。

 次の日早朝から二匹の捜索に出れば、二匹は菜の花畑で仲睦まじく逢引をしていた。見せつけられた気分になり、また考えたくもないのに瑠璃のことを考えてしまう。幸せならそれで良いと、おめでとうと言ってやればいいのに。 まだ自分の中で認められないのだから、俺は自分で思っていたよりも面倒な性格をしているらしい。

 実技の授業の後、雷蔵と物品庫に武器を戻している時だった。偶然、噂のは組の生徒が話をしているのが聞こえて来てしまった。
「もう、あいつとは寝たの?」
 あいつ、が誰なのか、予想は当たらなきゃいいと思った。けれど願いは早々に挫かれる。話を振られている方が、例の「蟹沢くん」だ。ろくな奴じゃない、と思っていたけれど、ここで怒りでもすれば少しは見直せるはずだった。
 蟹沢は口を開く。声を出す前に間抜けな笑い声が漏れた。
「そろそろいけるな。あの馬鹿、単純で助かったわ、一週間バレなきゃ俺の勝ちだな」
「周りが気付くんじゃないか、優秀揃いだ」
「黙ってろって言ってある。一週間ならなんとかなるのさ」
「いやあ、良くやるよ。あいつの出自知ってたら気持ち悪くて……」
「だから良いんじゃん、罪悪感とか無くてさあ……」
 馬鹿だ。二人の会話を聞いていて思わず掌を握りしめていた。誰が、って、俺が馬鹿だ。
 さっさと告白しときゃよかった。そしたらあんな奴と付き合うこともなかったのに。瑠璃も馬鹿だ、人を見る目が無さすぎるだろ。なんだよ、あいつ。
 息を止めて、彼らが立ち去るのを待った。
 雷蔵が隣で俺の肩を掴んでいた。大丈夫、飛び出したりなんかしないよ。目を見て頷けば、雷蔵がふう、と短く息を吐き出した。
「……騙されてたんだね、瑠璃」
「案外、もう気づいてるのかもなあ」
「八左ヱ門、声、掛けといでよ。瑠璃、昼休みはいつも図書室にいるんだ」

***

「……一寸いいか?」

 図書当番の久作の目を気にしながら、そろそろと声をかければ、歴史書を読んでいた瑠璃が顔を上げた。
 厨房の裏まで呼んで、できるだけ彼女を傷つけないような言葉を選んで、騙されていることを伝えた。
「あー。やっぱり、そうかな……って、思ってた。一緒にいても、全然楽しそうじゃないし。でも、好きだって言ってもらえて嬉しくて……。えへへ、きちんと考えないと駄目だね、へへ……」
 眉間を抑えて俯いてしまった瑠璃にかける言葉が出てこなくて、手を引いた。
「わ」
 無理矢理胸元に押し込んで、子どもみたいに背中を叩く。泣いてる女の子のあやし方なんて知らないから、委員会の後輩たちにいつもやってるような対応になってしまった。
「瑠璃、あのさ、俺じゃだめかな」
「……ハチ?」
「兵助みたいに整ってないし、三郎みたいに優秀じゃねえけど、お前のこと、好いてるんだ。大事にしたい、泣かせたりなんかしない。……あんな奴やめて、俺の恋人になってくれよ」
 うっ、と瑠璃が声を上げて、俺の背中に手が巻きついた。じわりと制服が濡れる。
「はち、同情して、言っている、わけでは、ない…?」
「そこまでお人好しじゃねえよ。お前が好きだ」
「……わ、わたし、馬鹿だ……。ハチはわたしのこと、友達にしか見てくれないって、思ってた……。ずっと、片思いしてるの悲しくて、なら、好きになってくれる人と、一緒になろうと思ったの」
「……ごめん、もっと早く、伝えればよかったな」
 二人して、意気地なしだったのだ。
「ハチのせいじゃないよ」
 瑠璃はそう言うけれど、好意を自分から伝えるなんてできないだろう。
 彼女は沢山傷ついてきたんだから。好意を伝えて、裏切られるような心無い言葉をかけられて、それでもへらへら笑って生きてきたんだから。
 だから、全部俺のせいにしていいんだ。

***

 いい話で終わらせておけば良いのに、俺も含め、友人たちはみんな血の気が多い。なんとかあの阿呆に痛い目を見せたくて仕方がなかった。
 部屋で顔をつき合わせてひと泡ふかせる方法を考える。次々と意見が出る中、騙された当人の瑠璃だけが報復に反対した。仕返しはしたよ、と言うけれど、食事に下剤を混ぜたくらいじゃ可愛いもんだろ。
 見た目の割に過激な思考の兵助と牡丹は狼の餌にしてしまえとまで言っていたが、流石に寝覚めが悪い。
 そこで勘右衛門が微笑んだ。
「単純に、実力不足だってわからせてやれば? 次の実技、組合同で勝ち抜き戦やるじゃん」
「丁度注目浴びるあたりでお前と蟹沢をぶつけてやるよ」
 学級委員長委員会の二人はにまりと笑う。くじを作るのは彼らだ。木下先生はその辺りの細工には目を瞑ってくださるだろう。

 そして当日、あまりにも自然な形で、俺と蟹沢が勝負することになる。流石、勘右衛門と三郎だ。
 武器は無し、完全な組手勝負だ。改めて対峙して見れば、蟹沢は印象に残らなそうな男であった。構えの形が甘く、前に突き出した手が伸びきっている。
 ーー始めッ!
 木下先生の声が響く。
「……よろしくな」
 瑠璃に断られて、結末は知っているのだろう。ふん、と鼻を鳴らして早口でまくし立ててきた。
「お似合いじゃねえか、生物委員会委員長代理と、ヨツアシの女だ。首輪つけて、言う事聞かせてか? はは、そういう趣味かあ」
「お前、ほんとに口が減らねえな」
 いいからかかって来いよ、と手を招けば蟹沢は舌打ちを鳴らして向かってきた。
 お前が怒車にかかってどうすんだよ。
 低い姿勢で飛び込んできた身体に足払いをかける。体勢を崩したまま掴みかかろうとしてきたが、力の乗らない攻撃など避けるのは容易かった。
 手を払い、脇腹に膝を入れる。咳き込んだ音が聞こえて、それでもまだ膝はつかない。
「テメェ…っ」
 振り被った拳を掌で受け止める。力を込めれば相手は抜け出せない。半身を引いて、勢い良く側頭部を蹴りつけた。鼻から血が噴き出す。ずるりと身体が沈んだ。
「かっこ悪いなあ、お前」
 地に倒れ伏す蟹沢には、もう聞こえてないだろう。
 瑠璃、やっぱこんな奴にしなくて良かったよ。こんなに弱くちゃ、お前のこと守ってやれないもんなあ。
 勝負あり、と木下先生が声を上げた。


prev next
back