手伝ってもらいたいことがある、と神妙な顔をした兵助に呼び止められた。
 彼は珍しく疲弊を露わに目の下に隈を作っていた。
 五年い組とくのたま高学年の合同で取組んでいた忍務も、いまや終盤に差し掛かったところである。「秀才」と呼ばれる兵助は重要な命を受け、見事に遂行し終わったところであった。
 丁度夜半の見張りの交代時間であった私は同輩に交代を告げ、兵助に従った。

「どこへ行くの」

 兵助は私の問いに答えを返さなかった。無言で山の深くへと足を進める。背の高い草木を踏みおる様は普段の彼からは想像できないほどに粗く、私は彼の後ろを追いながらも、獣道に見せかけるために細工をしなければならなかった。

「兵助」

 痺れを切らした私の声に、兵助の肩がぴくりと動いた。数歩進んで、脚が止まる。

「……埋葬を、手伝って欲しいんだ」

 消え入りそうな声だった。
 忍者は合理的ないきものだ。その中でも兵助は、忍務に対する直向きな姿勢がずば抜けていた。だから、兵助が人目を避けて口にした言葉に私は思わず姿勢を正した。
 先程点呼を取った。忍術学園側の人数は欠けていない。だからこそ、兵助は私に声をかけたのだ。
 彼が埋めようとしているものは、敵陣の人間だ。

 森の奥には踏鋤が用意されていた。兵助は無言で鋤を手にとって穴を掘り始める。彼が埋めようとしているモノは羽織に包まれて草原に寝かされていた。
 それは、十にも満たない少女であった。艶やかな黒髪の少女は、無残にも胸元から大きく袈裟斬りにされている。背骨で辛うじて身体を保っているような遺体からは、斬り合いに巻き込まれてしまったーー、いや、戦闘中に堪らず飛び出してしまったかのような印象を受けた。

「……この子は」
「飯炊きの下働きだよ。あの城じゃ浮浪児を雇い上げていたんだ。……俺を慕ってくれていた。情けない」

 兵助の声色は感情が抜け落ちたかのようだった。私は彼の気落ちした背中を見つめながら唇を噛んだ。

「……死体を持ち出して、怪しまれはしない?」
「埋葬まで引き受けたんだ。身寄りのない子だったから、野晒しにするよりは埋めてやりたくて」

 私は思わず自分の掌に爪を食い込ませた。失言だった。動揺していたからといって、兵助が斯様に凡庸なミスをするはずがなかったのに。

「俺は、未熟だ」

 ざくり、ざくり、と白い肌に玉の汗を浮かばせながら兵助は穴を掘る。
 そんなことはない、と私は彼の背に言葉をかけたかったけれど、彼の言葉が私に向けられたものではないと気づいたため、黙って少女の遺体を埋めるために身体を整えることにした。
 少女の着ていた襤褸布を割いて、切り裂かれた傷に巻きつけて縛る。外から見れば傷が見えないように、身体が分かれないようにきつく縛り、掛けられていた羽織を着せた。頭巾を水で濡らして、血の飛んだ口元を拭いてやり、膝を抱きしめるように身体を折ってやる。
 時間の経った死体は硬い。ふぅと息をつけば兵助の準備も終わったようだった。動物が掘り起こさないように深く掘られた穴の、柔らかな土に身体を下ろす。
 穴の下で兵助が手を合わせた。私もそれに倣う。
「……有難う、瑠璃」
「いいえ」
 手を伸ばして穴から兵助を引き上げる。
 彼の掌は肉刺が潰れて固くなっている。
 二人で無言のまま穴を埋めた。

「助かった。我ながら愚かだと思うが、どうしても埋めてやりたかったんだ」

 二人の関係は分からない。それでも、生真面目な彼がここまで思い詰めるということは、短い実習の間で情が移るほどの関係性であったということだろう。

「実習には何一つ影響が出てないよ。これくらい、誰だって大目に見てくれる。私たちはまだ、道具に成り切らなくてもいい。……たまご、なんだから」

 しのびになるには、刃の下に心を収めておかねばならない。感情で動いてしまうようならば、忍者にはなり得ないのだ。
 私の予想でしかないが、兵助はきっと、この少女を助けることができたのだろう。敵の刃の前に飛び出した少女を、救い、尚且つ自身も窮地を脱する手段を、彼は持っていた。しかし、それには危険性が伴う。自分だけではなく、味方にも危険が降りかかるような選択をするわけにはいかない。卵と言えども。

 ーーあなたは正しい、と言ってやりたかった。
 それでも、きっと兵助はその言葉を望まない。私たちが正義などを掲げるのは間違いだ。いつか刃に、戦乱の道具となる私たちは、誰かの正義に基づいて、その下で自身の心を隠し通すのだ。

「……私は兵助の味方でありたいよ」

 兵助の直向きさや優しさが、自身を切り裂きそうになった時は、その刃を包み込む鞘になりたい。
彼の傷付く姿を見るよりは、ずっと、ずっと、私が救われるような気がした。

「……馬鹿だよ、お前は」
「あなたの前だけ、にする」

 固い掌が私の手を取った。その手は震えていた。
 神も仏も、信じてはいないけれど、この優しい男の子が心を押し潰して涙を堪える日々が、続かなければいい。それを願うくらいは許してほしい。
 祈りは届かない。
 神も仏もいないことを知っているのに、私たちは両の掌を合わせて目を瞑る。
 涙を堪えるから、心を押し殺すから、惨めに、叶わない理想に縋らせて。

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