熱い、痛い、熱い。体が動かない。視界が狭い。煙が喉を焼く、声も出ない。
 わたし、ひょっとしてここで死ぬのだろうか。
 嘘でしょ死にたくない。全然死ぬ気はないってのに。

 忍を志して早四年が経った。この実習を乗り越えればわたしは無事五年生に進級できるのだ。五年生ともなればもうほぼくのいちと同様の任務をこなせるようになる。早く、一人前になりたかった。
 気持ちが焦ってしまったのかもしれない。
 忍たま、くのたま合同で取り組んだある城を落とす任務は、当初の下調べよりもずっと難度が高かった。時間かけて調べたはずの衛兵の数は増え、篭城に不向きだと思っていた兵糧も1日にして近隣の村からかき集められてきた。
 もしかしなくても、相手側はわたしたちの存在に気付いている。ともすれば、城を落とすことは難しい。撤退する程でもないが、一から考え直す必要がある。
 参謀はい組の勘右衛門、ろ組の三郎。くのいち教室からは牡丹が出た。彼女たちは冷静で、疲弊した素振りも見せずに同輩たちに「耐えろ」と指示を出した。わたしたちは彼らの作戦を信用していた。
 当然、自分たちで考える頭無くしては忍びは務まらない。最適解をわたしたちも理解しているつもりであった。

 仲間内で口論が増えた。牡丹は小間使いとして、わたしは飯炊きとして城内に紛れ込んでいたが、忍たまたちの多くは城の近くで待機していた。張り詰めた糸は切れやすい。疲労が重なれば尚更だ。
 限界を悟ったのか、城を攻めることを提案した勘右衛門に反論するものはいなかった。三人は口を揃えて「慎重に」と言った。誰も彼も、早くこの実習を終えたかったのだ。

 わたしの仕事は単純であった。陽動で動いている部隊から合図を受けて、騒ぎを大きくするのだ。非戦闘員の女性や老人をできるだけ遠ざけて、避難させた頃には精鋭部隊が殿の身柄を拘束している。その頃様子を見て城に火が放たれる。変装を解き、あとは苦戦しているところに加勢に行く。
 それだけの、単純明解な役割だったはずなのに。
 わたしは今、燃え盛る木材の下敷きになっている。ヘマをしたのは、わたしでは無かった。
 恐らく、火を放つ役の子が、焦ったのだ。敵に見つかりでもしたのだろう。
 硝煙蔵の火薬に水を注ぎ使い物にならなくするのは火薬委員の兵助と牡丹が担当した。火付け役が持っていた火薬は学園から持ってきた、扱いやすく火のつきやすいものだった。
 緻密に組み上げた大きな絡繰を動かすための歯車が一つ狂っただけで、全てがうまくいかなくなる。
 建物が崩れた瞬間、わたしは親しくしていた少女の背を押していた。けれど少女も瓦礫の下に埋まっている。
 逃げ遅れた人々も多かったはずだ。殿の身柄はどうなったのだろう。火に包まれた通路など誰も通り掛からない。

 ……死ぬのかも、しれない。
 背中が痛む。誰かに名前を呼ばれているような気がして、それでももう目を開けていられなかった。
 女の人の冷たい手が頬に触れたような気がして、じわりと身体が暖かくなった。死ぬ前ってこんな感じなのね、なんて呑気にわたしは目を閉じる。
 次に目を開けたら、極楽にいたりしないだろうか。


「…………あれ、ぎりぎり生きてる?」

 瞼を持ち上げた先に映ったのは、見覚えのある天井であった。どうやら保健室の隣の空き部屋に寝かされていたらしい。
「瑠璃! あぁ、良かった……!」
 視界にぼやけた伊作先輩の顔が入ってきた。薬臭い掌がわたしの額を撫でた。
「牡丹が心配してたんだ。声を掛けてくるよ」
 伊作先輩は柔らかく笑って部屋を出ていった。わたしは少しずつ自分の身体の様子を確かめる。四肢に欠損は無い。背中に火傷を負っているのと木材に挟まった脚が折れているくらいか。

 すぐにどやどやと声がして、静かに開かれた障子の隙間から牡丹が入ってきた。

「瑠璃ちゃん、……無事で良かったです。本当に、無事で……」
 半身を起こしたわたしの手を取った牡丹の掌には火傷の水膨れがいくつもできていた。わたしを木材の隙間から引っ張り出してくれたのは、牡丹だ。
 綺麗な顔に涙を浮かべて俯いている。彼女の涙を見たのは初めてかもしれない。本当に、危ないところだったのだろう。

「心配かけてごめんね。助けてくれて、ありがとう……。手、火傷させちゃったね」
「良いんです、こんなの、瑠璃ちゃんが生きててくれただけで、良いんです」
「きみ、生きてるのが不思議なくらいだったんだよ」

 伊作先輩が興味深い、と付け足しそうな口調で言った。確かにわたしもあの時は死んだかと思った。まだ背中は火傷でぐちゃぐちゃだし、脚も痛むけれど、命に関わる程ではない。驚くほどの幸運だ。

「瑠璃!」

 障子の隙間から五つの影が顔を出した。
 三郎と勘右衛門は実習の采配について謝ってくれた。彼らには一切非はない。着火のタイミングを誤った生徒は、亡くなったらしい。わたしの他にも数人、大きな怪我を負った生徒がいるそうだ。

「我ながら、あまりの鈍臭さにびっくりしちゃった。気にしないで! 生きてるだけで丸儲け!」

 へへ、と笑えば雷蔵が「随分短くなっちゃったね」と眉を下げた。そういや髪が燃えてしまったっけ。
 長いほうが女の子らしいかと思って、腰まで伸ばしていた髪は、今や肩よりも短くなってしまった。先が焦げているから、整えてもらわなくちゃならない。そうしたらまた短くなってしまう。
 坊主じゃないだけいいよ、と言えば男子たちは目を丸くして、其々に言葉を掛けてくれた。
 気の利く男の子たちだと思う。
 八左ヱ門がなにかを堪えたような顔をして、それからわたしの頭をわしわしと撫でた。
「生きてて、良かったなあ……」
 その言葉に急に泣きそうになった。心配をかけてごめんね、助けてくれてありがとうね、見捨てないでくれて、嬉しかったよ。言葉が喉の奥に詰まって出てこなくて、代わりに涙が落ちた。
 伊作先輩がお茶を入れてくれて、勘右衛門が買ってきた饅頭をみんなで食べた。
 実習は全員合格だった。わたしは名前だけ聞いたことのある同輩に手を合わせて、それから新年度の部屋割りのことを牡丹と話した。また一緒の部屋がいいな、と言えば牡丹はいいですよ、と笑った。

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