「ハチ、何してるの?」
 ううん、うう、と机に向かい頭を抱えている八左ヱ門を覗き込めば、細かく書き込まれた予算書が顔を出した。
「あ、瑠璃! 今週末、予算案の提出があんだろ。うちは下級生が多いからさ、ほぼ俺がひとりで予算書作っちまうんだけど、中々上手くいかなくてさあ……」
 確かに、一年生4人と三年生がひとり。それに委員長不在で五年生の八左ヱ門が委員長代理を務めている生物委員会は予算委員会じゃ不利だろう。
「ハチ、あんまり項目意識して予算あげてないんじゃない?」
「え?」
 八左ヱ門の力強い筆跡が書き込まれすぎて黒々しい予算書を手に取る。団蔵の帳簿よりは見やすい、はず。
「にわか会計委員だけど、見せて見せて」
 ただでさえ肩身の狭い生物委員会だ。必要最小限に抑えて計上しているのが品目の少なさでわかる。けれども与えられた予算では全然賄いきれていなかった。
「……委員会で飼育してる生きものって、実習や授業でも使うでしょ。だから、それに関するものは実習費で計上するの。虫籠も、生き餌も」
「あー……、でも、実習費の部分って予算も多いけど厳しく見られねえ?」
「そりゃあ委員会活動で使う分は実習費であげちゃ駄目だよ。でもそこ緩く見ちゃうと委員会が損するから、実際使う分はきちんと上げた方が良いよ」
 ……なんて、偉そうなことを言いすぎただろうか。4月から会計委員会に入ったなんちゃって委員会のわたしに必死で書いた予算書のダメ出しされて、不愉快になってやしないかしら。
 気分良く捲し立てた後にそっと後悔が襲う。恐る恐る八左ヱ門の顔を見れば、目を丸くした八左ヱ門が、わたしの手を取った。えっ!
「瑠璃、頼む…!! 予算書、添削してくれねえかな!」
「て、添削なんて立派なことはできないよ! わたしほんとぺーぺーだし……」
「お前のわかる限りで良いんだ。勿論礼はするからさ……!!」
 「お礼」という言葉に、わたしの脳内で算盤が弾かれる。きり丸みたいだ、と思いながらもわたしは困った顔のまま、頷いた。
 えへ、ふたりきりで買い物付き合ってもらっちゃお。


***


「……それでね、修繕は自分のところであげると、結局材料費とかで自分の予算が減っちゃうから、用具の食満先輩に相談して、単独で修繕の依頼を起こすの」
「うわ、なんだそれ初耳だぞ……」
「ちゃんとそういうやり方があるんだよ〜。面倒だからみんなやらないけど、予算に困ってるならこういう方法もあるから参考までに」
 八左ヱ門は飲み込みが良い。座学が得意な印象は無かったけれど、わたしの付け焼刃の説明もすぐに理解して、すぐに予算書に反映してくれる。勘が良いのだろう。
「有難うな、瑠璃! すげぇ助かったよ! でも、あのさ……」
「な、なに?」
「潮江先輩に叱られたりしないか?」
 頬に墨をつけて心配そうな顔をする八左ヱ門を見て、思わず笑ってしまう。
「しないよぉ、だって結局会計に回ってきた段階で朱は入るんだから、手間が減って先輩喜ぶよ。わたしのはあくまで助言だから、このまま予算は通らないだろうけど、当初の案よりはちょっと多めには貰えると思うよ!」
「る、瑠璃……!! 後光が見えるぜ!!」
 わたしの手を握ってニコニコ笑う八左ヱ門の言葉だけでお礼は充分だったのだけれど、あつかましくも「お礼は買い物についてきて欲しい」と告げた。
 断られたら嫌だなーと下を向いていると、八左ヱ門がからりと笑う。
「そんなんじゃ礼にならないだろ! 買い物の帰り、あんみつでも奢ってやるよ」
 わたしは内心ガッツポーズを決めた。有難う神様、有難う潮江先輩、有難う会計委員会!!!!


***


「……十村」
「は、はいっ!」
 ぱちり、ぱちり、と算盤の珠を弾く音と、筆の走る音。それから左門の寝言が混じる。皆が寝静まる夜半だというのに、部屋には煌々と明かりが灯っている。
 もう子の刻を回ったところだろうか。団蔵と左吉、左門は眠りにつき、三木ヱ門も先程からこくりこくりと舟を漕いでいる。
 かくいうわたしも眠くて仕方がなかった。潮江先輩に名前を呼ばれて現実に引き戻されたところであった。
「お前、最近他の委員会の予算書を見て回ってるそうだな」
 ひぇ、と息を飲み込んだ。眠気が一気に飛び去る。
 八左ヱ門の相談に乗った日から、ちょこちょこ他の委員会から相談を受けるようになった。主に下級生から聞かれるものだから、わたしも断りきれずに出来る限りの相談に乗ってしまっていたのだ。
「すみません……。勝手なことをしてしまいました」
「いや、そうじゃねえ」
「そ、そうじゃない、とは……?」
 潮江先輩は正確に纏められた帳簿を閉じて、墨を磨り始めた。潮江先輩は字がとても達者だ。良い墨を磨るには微弱な力加減が必要とされるが、先輩の磨る墨はいつも良い色をしていた。
「下級生の面倒見て、委員会後に残って自分の仕事してんだろ。それに加えて他の委員会の相談まで乗ってちゃ、身が持たねえ」
 わたしは潮江先輩の言葉に返事ができなかった。強面だし、言うことは厳しいけれど、根は優しい人なのだ。
 確かに、良い格好をしすぎたかもしれない。後輩は可愛いし、自分の仕事が遅れているなら、委員会の後に時間を作るのは当然だと思っていた。けれども、確かにわたしの本分は会計じゃない。
「まあ、気持ちは分かる。俺や田村に予算の相談はし辛いだろうが、お前には話しかけやすいんだろう」
「泣く子も黙るくのいちなのに……」
 はは、と潮江先輩が笑った。
 目の下の濃い隈が、先輩を実年齢よりもずっと大人に見せているけれど、笑うときだけは年齢相応に見える。
「予算委員会には参加できないので、少しでもお役に立てたらと思ったんです」
 予算委員会と書いて合戦と読む。毎度のごとく怪我人続出、安藤先生の部屋は半壊になる予算委員会には、幸いくのたまは出席しない。
「役に立ってないことはない。…………生物の予算書を見たが、良い内容だった。会計に入って半年で、あれだけ理解できてりゃ上出来だ」
「……潮江先輩、凄く褒め上手ですね!」
「うるせぇ」
 潮江先輩が照れ隠しに手に取ったのは団蔵の帳簿であった。わたしが未だ解読しきれない暗号のような文字を読み解き、計算の誤りを薄墨で訂正していく。
「先輩こそ、身が持たなくなっちゃいますよ」
「バカタレ、俺は学園一忍者している男だぞ。こんなんで参るような鍛え方はしとらんわ」
「お茶淹れてきますので、それ飲んだらもう寝てくださいね」
 フン、と言い放った潮江先輩はまだまだ寝ないつもりだろう。先輩に付き合っていては流石のわたしも身体を壊す。熱いお茶を淹れてやろうと席を立てば、背後から声を掛けられた。
「瑠璃先輩」
「わっ!!」
「僕が淹れます、先輩こそ、もう休んでください」
 アイドル学年の名が廃るぞ、と言いたくなるほど草臥れた三木ヱ門が、わたしの手からお盆を取った。
「三木、まだやるの? たまには早く休んだって良いのに……」
 優秀な三木は、わたしよりも学年が下だが、会計委員会では先輩だ。生真面目で気の利く性格の彼は、覚えの悪いわたしにも辛抱強く教えてくれる。
「先輩方の仕事を見てたら、休んでなんかいられませんよ。ほら、もうくのたま長屋に戻ってください!」
「えぇ、追い出さないでよお」
「いいから!」
 ぐいぐいわたしの背中を押す三木ヱ門が、小さな声で呟いた。
「頑張りすぎなんですよ、先輩方」
 振り向いたら、彼はきっと赤い顔を見られたくなくて怒るだろうから、わたしはそのままくのいち長屋に帰ることにした。
 明日、二人が寝不足で苦しみませんように。

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