わたしは制服のまま市街地を走っていた。辺りに人の気配は無く、建物は無惨に倒壊している。割れたコンクリートの裂け目にローファーが挟まり足がもつれて膝をついた。背後から地響きが聞こえ、掌から振動が伝わる。振り向けば、表皮を岩に覆われた巨大なヴィランが、わたしに向けて拳を振り上げていた。
その拳が振り下ろされる瞬間、ヴィランの翳した拳が鈍く光る斧へと変わる。切り落とされる恐怖に身体がこわばる。今度は指じゃ済まない。胴体が真っ二つにされてしまう。わたしはローファーを脱ぎ捨てて這って逃げようとする。間に合わない。斧はスローモーションでわたしの身体に吸い寄せられていく。
もう駄目だ、と思った瞬間、身体が宙に浮いた。擦りむいた自分の膝が見える。背中に力強い腕を感じて、恐る恐る顔を上げれば、そこにはフードを被ったヒーローの姿があった。ゴーグルの向こうから彼はわたしを見つめている。わたしは潤んだ瞳で見つめ返す。ヴィランなんかそっちのけで、わたしたちは見つめ合うーー。
「って、またこの夢か!!」
ついに目を開ける前にツッコミを入れるようになってしまった。身体はベッドの上、握りしめているのは柔らかい毛布。ここは現実、あれは夢だ。
時計を見れば普段の起床時間よりも30分早かった。このまま二度寝をして、夢の続きを見てしまったら遅刻確定なので半身を起こしてベッドから降りる。
この夢を見るのももう三度目だ。話の流れは微妙に異なっているが、わたしは夢の中で何かから逃げていて、それをヒーローが助けてくれる。そのヒーローの配役は毎回同じだ。サンイーター。隣のクラスの天喰環くん。彼に助けてもらいすぎなのは百も承知のところだが、そのせいでわたしの脳には環くん=恩人の等式が刷り込まれてしまっている。
洗面台の前で自分の顔を見つめる。どうもニヤついているので両手で頬を叩く。雑念に惑わされすぎである。浮かれるのも良い加減にしないとだめだ。
それもこれも、先月の合同演習が良くなかった。復学したてのわたしを気にして、環くんが戦闘用ロボットから助けてくれたのだ。夢の中と同じように、抱き上げて、抱き……。
「はあ……」
環くんは雄英の中でも限りなくプロに近いヒーローだ。だから、身体が勝手に動いてしまったのだろう。そこに、特別な感情などは無い。強いて言うなら、病み上がりの友人のピンチに手を差し伸べてくれただけ、なのに。
「ほんとにかっこ良かった……。ってああああ……」
あれから一ヶ月が経つというのに、わたしは最近ずっとこの調子だった。当の環くんとは全然喋っていないのに、妄想と夢に出てくる仮想環くんだけでこの熱量を保っているのだから恐ろしいまである。
登校するまでに平常心を保とうと時間割を思い出す。今日はA組と合同の授業が無いはずだ。その事実がわたしに幾許かの理性を取り戻させた。
登校してしまえば、授業の忙しなさに浮ついた感情は吹き飛ばされてしまう。なにせわたしは半年間の空白期間を埋めなければならないのだ。休み時間も無駄にできない。職員室に向かって先生方にアドバイスをいただき、進路指導室で参考書を借り、走って教室に戻る。そしてまた授業に齧り付く。
「頑張ってるね! すくい」
放課後、英語の参考書を睨みつけていると頭上から明るい声が降ってきた。視線をあげれば背の高い男子が青い瞳を揺らしながらこちらを見ていた。通形ミリオ。わたしの友人のひとりだ。
「全然頑張れてないの〜。身体もなまってだめだめ!」
机の上に突っ伏して言えば、ミリオが前の席の椅子に後ろ向きに座った。教室にはわたしとミリオしかいなくて、日差しが柔らかく差し込んで彼の金色の髪が光って見えた。
「オレに手伝えることがあったら、なんでも言ってよ」
「やさしい……。なんでもいいの?」
「なんでも!」
ヒーローを目指すだけあって、ヒーロー科の同級生たちはみんな親切だ。
親指を立ててびしっとポーズを決めるミリオを前に、わたしは彼に聞きたいことを考える。ミリオは成績も良く、友人も多い。ヒーローとしての実力だって御墨付き。困ったことがあれば、なんだって親身になって相談に乗ってくれるて、明るいだけでなく、努力家で真面目な性格なのだ。
「……学校と全く関係ないこと聞いても良い?」
「いいよ!! スリーサイズとかでも答えるぜ!!」
わたしは何を血迷ってか、最近気になって仕方の無いことを、このやさしい友人にこっそり聞くことにした。
「バスト129.3。ウエスト129.3。ヒップが12……」
「あのさ、環くんって彼女いるのかな」
しん。
突然ミリオから表情が消えた。口を一文字に結んで、ロボットのように固まる。やば、失言かも。ドラえもんのスリーサイズ騙ってたのに口挟んじゃったし。
ミリオは直立不動のまま動かない。わたしは恐る恐る彼に向けて手を伸ばす。
「ミリオ……?」
「ドコドコドコドコドコドコ……」
わたしの手が触れる前に、ドラムロールが始まった。
「天喰環に彼女がいるか。答えは…………」
「ごくり……」
ついわたしも唾を飲み込む音を口で言ってしまう。なんなんだこの小芝居、と他の生徒がいたら疑問に思ったかもしれないが、わたしたちは真剣だ。ミリオの唇がゆっくりと持ち上がる。噛み締めるように、勿体ぶるように、答えが叫ばれた。
「いなーーーい!!! これは本人から聞いた情報だから確かだよね!!」
「わー! 流石幼馴染!! ぱちぱち!」
拍手までして喜ぶわたしに、ミリオはぎゅるんと首を向けてこちらを見据えた。その目には好奇心が光っている。
「てか、え? そういうこと? そういうことなの?」
ミリオは手足をわさわさと動かしてテンションの上がりようを身体全体で表現している。急に恥ずかしくなってしまって、わたしは苦し紛れの嘘を付くことにした。
「う、ううん? いまね、新進気鋭のヒーローに恋人がいるか、統計調査のアルバイトしてるの」
「俺にも聞いてよ!!」
「あっごめん……。でもいないでしょ?」
「イナイケドモ!!!!」
ミリオはオーバーリアクションで膝から崩れ落ちた。一連の流れが面白くて、涙が出るくらい笑ってしまう。足を踏み鳴らして爆笑するわたしにつられてミリオも床を転がって笑い出した。
二人して一頻り笑った後、涙を拭ってミリオが言った。
「すくい、見る目あるよ。あいつ滅茶苦茶良いやつだもん!」
「へへ……。なんたってミリオの親友だもんね。あ、今の話は内緒でお願いします……。あとね、仲を取り持ったり、しないでほしいの」
「そこはお節介しないよ!」
「や、ミリオはやさしいから、わたしの応援もしてくれるでしょ。でも、ミリオには、環くんの味方でいてほしくて……」
ミリオは目を丸くした。
「逃げ道は塞いだほうが良いんじゃないの。あいつ、土壇場で逃げるかもしんないよ」
わたしはミリオの言う「逃げ道」について考える。わたしが環くんに好意を伝えた、そのあとのこと。
「好きなんだけど、嫌われたくなくて……」
ミリオの優しさを笠に着て、好意を押し付けて、それで、環くんとミリオの友情にヒビが入るようなことがあってはいけない。鼻の奥がツンと痛んだ。
ふたりの友情みたいに、強固な繋がりがほしいって、思っちゃうのは傲慢だろうか。
どうして今の関係で満足できないんだろう。彼の特別になりたいと思うのだろう。もっと沢山話したくて、環のくんの好きなものがなんだって知りたくて、ずっと環くんのことを考えていたくてたまらない。でも、彼にもう特別な人がいるなら、わたしの行動は踏み込みすぎだ。だから、もし、彼が許してくれるなら、わたしが環くんの特別になりたいと思う。
恋ってすごい、この世でいちばん我儘な感情かも。
「じゃあ、オレは心の中で応援することにしようかな!」
頑張れ! と握りこぶしを突き上げて、ミリオは教室を出て行った。良いやつすぎる。彼女いなそうとか悪いこと言っちゃった。そんな暇がないだけかもしれないし、大事な人がいるのかもしれないのに。
わたしはひとりになった教室で、もう一度机に突っ伏した。恋に現を抜かしてる場合じゃない。英語の復習をしなければならない。微積の応用問題は時間を掛けないと解けなさそうだった。個性の発動も再度確認しておきたい。やらなきゃいけないことは沢山あるのに、気持ちはずっと浮ついて、爪先がついていない。
「……いっそ、当たって砕けたほうがいいのかも?」
ぽつり、とわたしの言葉は教室の床に弾んで落ちた。
環くんだって、忙しくて恋愛どころじゃないかも。もっと他に大事にしたいものがあるかもしれない。そもそも好みじゃない可能性もある。誰かの特別になるって難しいことだ。わたしが勝手に、彼を特別に思ってしまっているだけ。
「……好きです! 違うな。いや違くないか。好きです! 付き合ってください。むむ、ちょっとストレートすぎるかな」
腕を枕にして俯いたまま、告白の台詞を考える。全然気の利いた言葉は出てこない。いつから彼のことが気になってたんだっけ。あ、ファットさんが余計なこと言ったから気になっちゃったんだ……。
廊下から男子の話し声が聴こえてきた。教室に入ってきたら心配されてしまいそうだ。
そろそろ帰ろうと、窓の戸締りを確認して、教室の引き戸に手を掛けた。けれどわたしが触れる前に、ドアが開いた。思わず悲鳴をあげる。
「ギャ!!」
「ひぃっ!」
わたしの声に驚いて、目の前に立っていた相手が両手で顔を守った。噂をすれば、だった。
「びっくりした……。誰かに用事? もうわたししかいないよ」
「す、……匙測さんに用事があって」
あ、もう名前で呼んでくれないんだ。ちょっとした寂しさを感じながら、わたしは平静を保とうとする。
「ごめん、なんだっけ」
「数学の参考書、貸してほしいって言ってただろ。さっきミリオからまだ教室にいるって聞いたから……。いや、迷惑だったらいいんだ、忘れて欲しい」
「迷惑じゃない! うれしい」
差し出された数学の参考書はすぐに引っ込められてしまう。わたしは咄嗟に参考書を掴んで、奪い取るように自分の方へ引寄せた。
「環くん。す………良かったら一緒に帰らない?」
「す?」
「すくいと一緒に帰らない?」
危ない。告白するところだった。勢いで誘ってみたはいいものの、環くんは一度考える素振りを見せたあとに「誰かに見られて勘違いされたらどうするんだ」というような内容の言葉を口の中で呟いた。
あれ、この時点で拒否!?
顔に出さないようにしていたけれど、がっくりした表情が隠し切れなかったのか環くんは弁明をする。
「この間の授業で迷惑をかけたから、また噂になったりしたら、申し訳が立たない……」
どよんど肩を落とす環くんの落ち込みようから、先月の授業でわたしを助けたことを随分と弄られたことが予想できた。自分の状態も把握せず演習に参加して転倒した生徒に非がある。こってり先生方にも絞られたが、猛省すべきはわたしの方である。
「ごめんね、わたしが転けたせいで。でも、怪我しそうな人を見て身体が勝手に動いちゃうのは、ヒーローとして流石だよ」
「うっ。まぶしい……」
「冷やかす人たちは匙測アンチだよ。わたしがぺちゃんこになったら演習のたびにロボットの塗装から叱咤激励を飛ばしてやるんだから」
環くんがくすりと笑って、ポケットに手を入れて俯き加減で歩き出したので、わたしは少し後ろを勝手についていく。
「そういえば、ファットガムが寂しがってた」
「うれし! でも新しい事務員さん入ったから、その寂しさはすぐ埋まりますとお伝えください」
「笑いが足りないって騒いでるんだよ……」
「そこは環くんが埋めなきゃ! 二人分笑い取っていいよ」
「うわ。ファットと同じこと言わないでくれ」
こんなに話せたのが久しぶりで、わたしはくだらないことを何でも話してしまう。喋りすぎかと思ったけれど、環くんが口元を押さえて笑ってくれるので、つい調子に乗ってしまう。楽しい話ならいくらでも出てくる。環くんたちのおかげだ。
楽しい話もいいけど、折角のチャンスなのだから、どこかで切り出さなくちゃいけない。行き当たりばったりの告白の文面を考えていると、何を話しているのかわからなくなってしまって、わたしはついに口籠る。
「匙測さん、どうかした」
「あのね、環くん」
彼はわたしの話をいつも最後まで聞いてくれる。わたしが慌てても、口ごもっても、唇を一文字に結んで視線を逸らしながらも待っていてくれる。そんなところが、好きだ。
「あの、…………」
鼻の奥が痛い。言わない方が良いのかな。困らせてしまうだけかもしれない。このまま友達のままでいても、きっと楽しい。またこうやって一緒に帰ってくれる日があるかも。でも本当は、明日も明後日も会って話がしたい。
天喰環くん。わたしは彼の名前を口の中で唱える。
彼は心配そうにわたしを見ている。
好きです。あなたが好き。
たった二文字なのに、その言葉を伝えるのは酷く難しい。沢山の感情がひしめいて、胸のうちでぐるぐる回る。恥ずかしくて情けなくて躊躇ってる。
あの十字路に行きつくまでに、伝えてしまいたい。足を進めてしまえばどんどん信号機が近づいていく。覚悟を決めるために、拳を握った。
丁度、信号が赤に変わる。
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