『こんばんは。入院中は色々ありがとう! 明日から学校に復帰することになりました。クラスに馴染めなかったらA組に遊びに行くのでよろしくね』

 脱獄犯が起こした事件から3週間が経った日曜日の夜、すくいさんから連絡があった。来月の初めから復学することはファットガム経由で聞いていたので、既知の情報ではあったのだが、俺は画面を見たまま固まっていた。
 コミュニケーションアプリを活用した文字による意思疎通というのは発話よりも難易度が高いと思う。なぜならば発言が文字に残る。思いつきの発言が言質になってしまうのは恐ろしいものである。だから俺は反射的にすくいさんとの連絡窓を開いてしまったことを後悔していた。
 特段難しい内容ではないのに、すくいさんに掛ける言葉が全然出てこない。これが対面での会話であったらまだマシ、いやどうだ。上手く返せないかもしれない。自分は普段人とどんな会話をしていただろう、と他の人との連絡窓を覗けば当たり障りのないことしか返していなかった。珍しく自分から発信したかと思えば業務連絡だ。つまらない人間すぎる。
 数度目の溜息。すくいさんとの連絡窓に「既読」の文字が刻まれてしばらく経つ。送られてきたメッセージを読んだから良いと言うものでもあるまい。すくいさんはこちらからの返事を待っているのではないだろうか。事務所の話でもしようかとこの数日に起きたことを思い返していたが、どうせそのうちファットガムが喋るんだから俺の口から伝える必要もないことに気付いて、画面をなぞった。

『初日は疲れるだろうから無理しないで』

 送信。既読はすぐについた。自室のベッドに寝転んでいた身体がどんどん壁際に寄っていく。復学を心待ちにしている人間に対して疲労を心配してどうするんだ。
 不用意な発言が気に障って、すくいさんから怒りのメッセージが届くことを想像する。けれども彼女が不機嫌になったところを見たことがなかったので、想像のすくいさんは偽者臭くなってしまった。
 そしてすぐに通知音が鳴る。

『ありがとう〜! ほどほどにがんばるよ〜』

 文末にはスマイルマークがたくさんついていて、思わずこちらも口元が緩んだ。そうしたら良いよ、は上から目線すぎるだろうか。頑張りすぎないでほしいと思うのに、うまく伝える言葉が出てこない。話はここで終わりだろうか。会話と違って終わりがわからないのもまた難しかった。殆ど使ったことのないスタンプを送るのも、やけくそ感が滲み出ていて気が引けた。

『クラスのみんなもすくいさんに会えるのを楽しみにしてると思う』

 ええい、ままよ。勢いのまま送信。正直、俺は隣のクラスのことをよく知らない。ただミリオはすくいさんの復学を楽しみにしているし、ミリオが歓迎するのであればそれはもうほぼB組の総意なんじゃないか。多分そうだ。
 すくいさんは丁度スマホを見ているのか、先程からすぐに既読がつく。

『そうかな。元気出していきます!』
『ほどほどに』

 まずい、会話の中で余りに省エネを推しすぎている。寄りすぎた壁に額が触れた。調子に乗っただろうか。上手い返しができないならそもそも返信すべきではなかったのかもしれない。かもしれないけど。先日ミリオから聞いた話が思い浮かぶ。
『すくい、クラスのラインから抜けちゃったんだよね』
 自分だったら不安と緊張でどうにかなりそうな状況を幾度と乗り越えているすくいさんに、俺にできることはない。彼女に友人が沢山いることも知っている。
 そこまでわかっているのに、何か彼女に声を掛けたいと思うのは、すくいさんの頑張る姿を間近で見ていたからだろう。お節介でもいい、と思った。
 明日から彼女は日常に戻る。僅かな非日常を側で過ごした、畏れ多くとも友人として、何か声をかけたかった。

『俺が、助けになれることがあればい』

「あっ」
 ……送ってしまった。しかも途中で。
 お前はすくいさんのなんなんだ。本当に、なんなんだ俺は……。急にドッドッと心臓が暴れ出し、背中に汗が噴き出す。お節介というか、一周回って気持ち悪い。これは送信取消しも止むなしではないか。
「うわっ……」
 送信取消しの機能を探していたところで返事が来た。すくいさんは俺のように一々文面に悩まないらしい。

『やさしい友達ができたから、休学も悪いことばっかじゃなかったね! 困ったらすぐ環先生のとこいきます。最初に聞くのはおそらく数学です』

 わかりやすく安堵の息が漏れる。急に力が抜けた。なんなら登校時点で俺の方が疲れているかもしれない。





 翌日。始業前の隣のクラスの前には小さな人だかりができていた。その中心に居るのは想像どおりすくいさんで、クラスメイトに頭を撫でられたり抱き着かれたり、男女問わずに声を掛けられている姿を見るとやはり俺が心配することなどなかったのだと安心する。
(――あ)
 さっさと自分の教室に入ればいいのに、立ち往生しているから渦中のすくいさんと目が合ってしまった。
 彼女が俺に向けて手を振った。隣のクラスの人たちが何事かと視線をこちらに向ける前に、身を隠すように教室に入った。
 中休みの合間に隣のクラスの話題が上がる。すくいさんは馴染めないかも、と心配していたけれど、それは杞憂だったみたいだ。数ヶ月で商店街の人たちとすっかり仲良くなる彼女が、元々いたクラスに馴染めないわけがない。
 三限からは学年合同での演習が入っていた。コスチュームを纏って行う実戦的な演習は、三年ともなればもう慣れたものである。更衣室に向かう途中でミリオが声をかけて来た。
「学年合同って燃えるんだよね! 体育祭前だし、気合い入れさせようッて魂胆かな!?」
「ああ、体育祭……。皆楽しみにしてるんだろうけど、俺にとっては地獄だよ」
「バリバリ注目浴びるもんね! 今年はカメラにちんちんすっぱ抜かれないように気を付けなきゃな! 去年俺のとこに修正入ってんの!」
 昨年の体育祭は互いに良いところなしだった。ミリオは全国放送に修正まで入れられる始末である。
 ミリオの声は大きいから、彼の言葉を聞いていたクラスメイトたちが笑い出す。笑いは伝染して、腹を抱えて笑いだした奴まで出てきた辺りで、ミリオが俺の顔を覗き込んだ。
「なんか悩み事? 環は考えだすと長いもんなあ」
「え」
「ここずっと、同じことばっかり考えてるだろ」
「いや、別に……」
 なんでもない、と繰り返した。ミリオは納得していないけれど、無理に問い詰めてくるような奴じゃない。相談に乗って欲しいときはいつでも乗るから、と背中を叩いて踵を返した彼は、本当に素晴らしい友人だ。
 着替えを済まして訓練場へ向かえば、市街地を模した訓練場にはサポート科自慢のロボットたちが戦闘準備をしていた。
 毎度のことながら緊張する。人の少ないところで深呼吸をしていると、聞き覚えのある声が聴こえた。
「ねえねえ! すくい、怪我はもう大丈夫なの? 学校休んでいる間は何してたの? 退屈じゃなかった?」
「あ、波動さん。さっそく絡んでるね」
 長い髪を揺らして、興味津々といった様子の波動さんがすくいさんに話しかけていた。楽しそうに盛り上がる二人の周りに人が集まりだす。休学していた彼女にはうちのクラスの面々も興味があるらしい。
「……環も気になるなら声かけてきたら?」
「俺はいい……」
「あっそ、じゃあ俺は声かけてこよーっと」
 俺を肘でつついたあと、去っていくミリオが心配するように俺を見た。態々前日に連絡まで貰っているのに、復学したすくいさんに声もかけないのは不義理だろうか。朝も手を振りかえすこともなく教室に向かってしまった。言い訳をさせてもらえるなら、すくいさんに話しかけたい人が沢山いたから、態々俺が割り込む必要もないと思った、それだけなんだ。


 数分もしないうちに耳を穿つようなプレゼント・マイクの号令がかかり、悩みは霧散した。
 今回の演習は、市街地で暴れる敵を想定した内容であった。極力周辺に被害が及ばないように敵を戦闘不能に追い込まなければならない。ただ動きを止めるだけではなく、周囲に気を配るためには協力が不可欠だ。敵型ロボットは大小様々、攻撃手段も多様に用意されているので、複数の個性を使用して確実に動きを止めていく必要がある。分けられたチームのメンバーと打ち合わせをする余裕も無く、演習開始の合図が鳴らされた。
 俺のチームの成果は上々であった。皆個性の扱い方も慣れたものだし、巨大な敵を撃破するときの定石も把握できている。意思疎通を図らずとも、個々が決まり通りの動きをしてくれれば、後は各々自分の仕事をこなすだけだった。
 何体目かの敵を停止させて、周囲を見渡すために民家の屋根に登る。用意された敵ロボットも、もう随分少なくなった頃合いだろう。
 視界の端で動いたのは足踏みを繰り返す敵ロボットだった。敵の目下には、体勢を崩している生徒がいた。彼女の周囲にチームのメンバーは見当たらない。
 声を掛ける前に足が動く。助走を付け、勢いを乗せたまま屋根を踏み切った。指先に植物の蔓を再現し、電柱を支点に標的まで向かう。鳥類の脚鱗を再現した脚部で、ロボットの頭部を蹴り砕く。制御装置を破壊され動きが止めた巨大な躯体がバランスを崩す。退避のついでに、足を引き摺る彼女を移動させようとしてーー。

「さ、サンイーター……?!」
 ――名前を呼ばれて声の主を見下ろす。すくいさんが目を丸くして俺を見上げていた。怪我が無くて良かった。まだ脚、完治してないんじゃないの。と言いかけて、どうも様子がおかしいことに気付く。
 自分の行動を振り返る。敵を見つけて飛び出したところまでは覚えている。それから、頭部を破壊して、潰されないようにすくいさんを咄嗟に抱き上げた。そこで、彼女が声をあげたのだ。ここは学内の演習場。今行われているのは学年合同の演習で、俺は、俺は何を……。

「おいコラそこォーーッ!! ちょっと過保護が過ぎるぜェ!! やるならもっとさり気なくやれよなァ!!」
 マイクの声が辺りを震わせた。鬼か……!? アナウンスを聞いた生徒たちが顔を出してこちらを覗いた。弁解すら喉の奥に痞えて出てこない。終わった。最悪の悪目立ちだ。
「……。ごめん……」
「や!! 助けてくれなかったらわたし、また入院からの休学コンボ決めてたから! 感謝!」
「誠に……申し訳ありません……」
 すくいさんが笑う。彼女を抱き上げたままだったことに気づいて慌てて地面に下ろす。
 ありがとね、と早口で言って、人の輪の中に溶けていくすくいさんの耳がずっと赤かった。それだけが目を引いて、そこからはもう記憶がない。穴があったら入りたいとはまさにこのことだった。そのまま蓋も閉めて欲しい。
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