<魔女も欲しがるその瞳>


『 環くんこんばんは。すくいだよ。
 入院中は色々ありがとう! 明日から学校に復帰することになりました。クラスであぶれたら構ってね! 』

 あの事件から2週間が経って、すくいさんから連絡が入った。
 いつ連絡先を交換したかも覚えていなかった。それでも、携帯には彼女の名前がきちんと表示されていたから、何かの折に登録したのだろう。
 両親と、幼馴染と、それからインターン先からの連絡しか届かない携帯電話だと思い込んでいたので彼女の名前が画面に表示された時は大いに驚いた。
 彼女の怪我自体は命に係るものでは無く、砕けた足の骨が完治すればすぐに学校に戻るつもりでいたらしい。
 ショック療法のような形で個性が戻ったのは、彼女にとっては幸いだったのだろうか。雄英はすぐに彼女の復学手続きを行ったようだった。授業終わりに反対側の靴箱を覗けば小奇麗なネームプレートに「匙測」の名前が刻まれていたことに、勝手に安心する。
 すくいさんとは特別親しいわけでもなければ、互いに興味を持ったことも無かった。ただ、行事や授業の関係で互いの個性と名前だけは耳に入っていた、それだけの関係性だ。
 もともと自分は友人が多い方ではなく、むしろ他人との会話が苦痛に感じる性質であった。自分と連絡先を交換する人間がいることに感動を覚えるくらいだ。
 電話帳に登録されている連絡先は、同年代の友人に比べれば格段に少ないだろう。そのうち何件が確実に繋がる連絡先なのかもわからない。こちらから連絡などする勇気はないから。
(………なんて返信したら)
 頑張って、じゃない。良かったな、でもない。彼女からの連絡を受けて、自分が抱いている感情を言葉にする能力の低さを感じる。言葉の裏を読むことができないから、明け透けな言葉が恐ろしい。裏があるのだと考えてしまうから、人の眼が恐ろしい。変わろう、と何度決心したとしても、性格は一朝一夕で変わるものでは無いのだ。
 結局、俺が返せたのは「うん」という二文字だけだった。自分でも驚いた。18年生きてきてここまで実の無い回答をしたのは初めてだった。だったらまだ既読をつけたまま返信しない方がよかったのかもしれない。
 それでも数分もしないうちにすくいさんから返信が来たのが救いだった。内容は簡潔だったのに、その返信にも頭を悩ませた。拙い鸚鵡返しの返信しかできないのだから、まだ俺よりも人に飼われているインコの方が優秀だろう。

***

 次の日、始業前の隣のクラスの前には小さな人だかりができていた。その中心に居るのは陽だまりのように笑う女の子。クラスメイトに頭を撫でられたり抱き着かれたり、男女問わずに声を掛けられている姿は本当に嬉しそうで、そのままわんわとうれし泣きをするのではないかと余計な心配をした。
(――あ)
 さっさと自分の教室に入ればいいのに、立ち往生しているから中心にいるすくいさんと目が合ってしまった。
 すくいさんは目を大きく開いて、それからこちらに向けて手を振った。隣のクラスの人たちが何事かと視線をこちらに向ける前に、すくいさんが何かを言って教室に戻るように促す。
 身を隠すように教室に入った。席に着けば、普段通りの空間に元通りだ。朝礼、1限目。10分休みの合間に隣のクラスの話題が上がる。すくいさんはクラスに馴染めないかもしれない、なんて言っていたけれど、それは杞憂だったみたいだ。良かったな、と彼女に伝えることも無いだろう感想を抱く。
 3限からは学年合同での演習が入っていた。コスチュームを着ての実戦的な演習は、三年ともなればもう慣れたものである。更衣室に向かう途中でミリオが声をかけて来た。
「学年合同って燃えるんだよね! 体育祭前だし、気合い入れさせようッて魂胆かな!?」
「ああ、体育祭……。皆楽しみにしてるんだろうけど、俺にとっては地獄だよ」
「バリバリ注目浴びるもんね! 今年はカメラにちんちんすっぱ抜かれないように気を付けなきゃな! 去年俺のとこに修正入ってんの!」
 昨年の体育祭は互いに良いところなしだった。ミリオは全国放送に修正まで入れられる始末である。
 ミリオの声は大きいから、彼の言葉を聞いていたクラスメイトたちが笑い出す。笑いは伝染して、腹を抱えて笑いだした奴まで出てきた辺りで、ミリオが俺の顔を覗き込んだ。
「なんか悩み事? 環は考えだすと長いもんなあ」
「え」
「ここずっと、同じことばっかり考えてるだろ」
「いや、別に……」
 幼馴染の前で嘘は付けない。別に悩み事ではないのだ。
 なんでもない、と繰り返した。ミリオは納得していないけれど、無理に問い詰めてくるような奴じゃない。相談に乗って欲しいときはいつでも乗るから、と背中を叩いてくる彼は、本当に素晴らしい友人だと思う。
 着替えを済まして訓練場へ向かえば、市街地を模した訓練場には雄英自慢のロボットたちが戦闘準備をしていた。見覚えのない形のロボットはサポート科の発明らしい。
 毎度のことながら演習は緊張する。人の少ないところで深呼吸をしていると、聞き覚えのある声が聴こえた。
「ねえねえ! すくい、怪我はもう大丈夫なの? わたし心配だったの。学校休んでいる間は何してたの? 退屈じゃなかった?」
「あ、波動さん。さっそく絡んでるね」
 長い髪を揺らして、興味津々といった様子の波動さんがすくいさんに話しかけていた。楽しそうに盛り上がる二人の周りに人が集まりだす。休学していた彼女にはうちのクラスの面々も興味があるらしい。
「……環も気になるなら声かけてきたら?」
「俺は良いよ」
 ミリオが肘で突いてくる。結構痛い。
「あっそ、じゃあ俺は声かけてこよーっと」
 踵を返したミリオの足音が遠ざかっていくのを聞きながら、少しだけ心が痛む。ひょっとして、自分はいま中々に不義理なことをしているんじゃないだろうか。態々前日に連絡まで貰っているのに、復学したすくいさんに声もかけないのは人としてどうなのだろう。
 ああでも、あの人だかりの中に混じって渦中の人に声を掛ける勇気はない。

 数分もしないうちに耳を穿つようなプレゼント・マイクのけたたましい号令がかかり、悩みは霧散した。
 今回の演習は、住宅地を襲う敵を想定した内容であった。極力周辺に被害が及ばないように敵を戦闘不能に追い込まなければならない。ただ壊すだけではなく、周囲に気を配らねばならないとなれば、協力が不可欠になってくる。用意された敵は大小様々で、巨大化の個性を想定したものから全身が刃になっているものまで戦闘のバリエーションまでが豊かだ。複数の個性を使用して確実に動きを止めていく必要がある。分けられたチームのメンバーと打ち合わせをする余裕も無く、演習開始の合図が鳴らされた。
 俺のチームの成果は上々であった。3年ともなれば個性の扱い方も慣れたものだし、巨大な敵を相手するときの定石も把握できている。下手に意思疎通を図らずとも、個々が決まり通りの動きをしてくれれば、後は各々自分の仕事をこなすだけだった。
 何体目かの敵を撃破して、周囲を見渡すために民家の屋根の上に下りる。用意された敵ロボットも、もう随分少なくなった頃合いだろう。
 丁度視界に入ったのは、足踏みを繰り返す巨大な敵だった。敵の目下には、体勢を崩しているすくいさんがいた。彼女の周囲には誰もいないように見えた。
 危ない、と声を掛ける前に足が動く。脳裏に浮かぶのは、血が抜けて蒼白になった彼女の顔だ。
 バスジャック事件の時は現場に到着して血の気が引いた。血塗れのすくいさんは残り数十秒で起爆する爆弾に手をかけたまま気を失っていた。
 ファットが即座に爆弾を自身の個性で取り込んで、それを確認してから乗客を蛸の腕で引っ張り出した。乗客に怪我人はいなかった。遅れて到着した警察と救急隊に乗客を任せて、重症のすくいさんを最後にバスから降ろした。座席に残っていた彼女の荷物の横には潰れたケーキの箱が落ちていた。箱からはみ出した歪んだプレートに「おめでとう」の文字が見えて、胸のうちがざわついた。途方もなく腹が立った。
 殴られて腫れあがった頬も、折れ曲がった足首も、泣き顔も、もう見たくはないと思った。笑っている顔の方がずっと華やかで、素敵だったのを知っているから。

「た、環くん!?」
 ――俺を現実に引き戻したのは、すくいさんのあげた素っ頓狂な声だった。
 すくいさんは目を丸くして俺を見上げている。ああ、怪我が無くて良かった。
 思わず安堵の息を吐いたけれど、どうも様子がおかしい。彼女がどうして驚いた顔をしているのか、周囲がすっかり固まってるのか、理解をするのに数秒を要した。
 自分の行動を振り返る。飛び出したところまでは覚えている。それから、敵の頭部を破壊して、潰されないようにすくいさんを咄嗟に抱き上げた。そこで、彼女が声をあげたのだ。
 ―――は?
 自分の行動を理解して、血の気が引いた。汗が噴き出す背中にマイクの怒号が刺さる。
「おいコラァーー天喰!! チーム戦だって言ってんだろうが!! おまえアレか、過保護か!」
「………あっ……」
 やって、しまった。何をやっているんだ。もう俺は駄目だ。生きていることってどうしてこんなに辛いんだろう。二度と人前に顔を出したくないレベルで辛い。穴があったら地中深く沈んでそのままモグラになりたい。人間をやめてしまいたい。ああ……。
 弁解の言葉すら喉の奥に痞えて出てこない。俺に持ち上げられたままのすくいさんは周りをきょろきょろと見渡した後に、照れ笑いをして言った。
「へへ…。ちょっとお姫様気分? でもわたし、もうばりばり戦えるので、心配ご無用だよ!」
 口調は茶目ていたけれど、彼女の顔は隠しようが無いほど赤い。
「…………ごめん…」
 消え入りそうな情けない謝罪に、すくいさんはまた笑い声をあげたけれど、きっと消えてしまいたいのは彼女の方だっただろう。


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