ミリオのスケジュールは把握できていた。今日はお互いインターン活動の入っていない日だったので、たまにはハンバーガーショップに寄って帰ろう、という話になった。
 ハンバーガーとコーラをトレイに乗せて、席に座る。
 平日のハンバーガーショップは人も疎らで窓際の席に座った俺たちの周りは空席だった。ハンバーガーに手を付けずに俯く俺に、ミリオが先に口を開いた。
「何かあったんだろ。どうしたんだよ」
 なんだってお見通し、といったミリオの表情を見ると安心できる。
「……ミリオ、頼む。助けて欲しい……」
「まかせろ! ……って、相談の中身によるけどさ」
 力強く自分の胸を叩いたあと、照れたように笑う。その「任せろ」に救われるんだ。
 誰にも聞かれませんように。辺りを見回して、それからできるだけ小さな声で話し出した。
「……先日、匙測さんに告白されたんだ」
 意気地なし、と想像の中のすくいさんが俺を責める。
 彼女はひとりで俺に告白してくれたのに、俺は自分で抱えきれなくて友人に相談してしまう。
「ヒュゥ―! やるじゃん! てか二人は付き合ってんだと思ってた」
「……そんな訳無いだろ。大体俺なんかじゃ彼女に釣り合わない」
「でもその彼女が環に告白してきたんだろ?」
「………」
「黙るなよ! まあ食いながら聞くからさ」
 俺の肩を力強く叩いたミリオは俺の言葉を待つためにハンバーガーの封を開けた。


 先日、すくいさんに告白された。
 信号が赤に変わっている短い間で、彼女は顔を真っ赤に染めて、早口で俺への褒め言葉を並べ立てて、それから最後に「好きです」と伝えて信号が変わると同時に走って行ってしまった。
 待ってくれ、と声を掛けるべきだった。
 手を掴むことだって、出来たのかもしれない。
 それでも、俺は俯いて黙り込むことしかできなかった。
 彼女に対する気持ちを自覚しないようにしていたから、余計に体は硬直した。すくいさんが俺なんかに好意を抱いているだなんて、そんなの、冗談でも恐れ多い。
「どうしたらいいのか、彼女の顔が見られない……。返事をしなければいけないのに、言葉が出てこない。……本当に、駄目だ。俺は……」
「落ち込みすぎだろ! まだ返事してないって、それいつの話なんだよ」
「一週間前……」
「一週間かーー」
 ミリオの反応は当然だ。
 俺なら告白の返事を一週間待たされたら発狂する。その前に人に告白なんてできやしないだろうけれど。
 肩を落とした俺のことを察して、ミリオがフォローを入れる。
「でもさ、告白されるの、初めてじゃないだろ?」
 フォローじゃなかった。
 心臓が握りつぶされそうになる、ミリオは俺のみっともない姿を飽きる程見ているのだ。
 俺は自分の過去の失態を思い返す。
「……何回か、あったけど。毎回俺の性格を知って幻滅して終わる」
 告白に対して、返事ができたためしがない。相手にも失礼だが、呼び出されて思いを伝えられた瞬間に頭の中が真っ白になる。それも、話したことも無い女の子に突然告白されるというシチュエーションが俺にはハードルが高すぎる。
 結果、固まる俺の姿に幻滅した女の子たちは前言を撤回するのだ。
「そっか。しかし今回は知り合いな訳じゃん。しかも相手はすくいな訳だし!」
「そのことなんだが、……断りたいんだ」
 やっと言えた。これが、本題だった。
 脂汗が額に浮かんで、心臓を握りしめられているような居心地の悪さが襲う。
 ミリオは目を見開いて、俺の顔を覗き込んだ。
「へ。なんで」
「なんで、って」
 そりゃあ、彼女と付き合うことができたら最高だろうと思う。
 頑張り屋で、明るくて、お人好しのすくいさんは事務所で一緒に働いているときから眩しかった。個性を取り戻すために折れそうなギリギリで踏みとどまる姿に、何度も勇気をもらった。
 好意を抱いていない、と言われれば、それは嘘だった。俺は彼女を好ましく思っている。
 だからこそ、彼女の気持ちには答えられない。隠し通したまま、消してしまいたかった。
「だって環、お前すくいのこと好きだろ!?」
 ミリオの言葉にヒュ、と喉が鳴る。
「見てたらわかるって。すぐわかっちゃうね。すくいはわかりやすいし、環はもっとわかりやすい。親友の俺に、すぐばれるような嘘つくなよ」
 俺は俯いて、自分の膝を見つめながら言葉をひねりだす。
「すくいさんは、優しくて明るくて、本当にいい人で……。俺じゃ彼女を退屈させてしまうと思う。幻滅、されたくない。そもそも、俺と彼女じゃ釣り合わないんだ」
 告白されたあの日、すくいさんの手を取って彼女の勇気に応えられたら良かった。
 男らしく、好意を伝えることができたら、そこで物語は終わりだっただろう。それが出来るなら苦労していない。
「あのさ、環」
 ミリオは俺の言葉を切って、それから大きく息を吸いこんだ。
「……ミリオ?」
 彼の言葉を待つが、ミリオは眉間に皺を寄せて言葉を探しているようであった。俺の卑屈な発言はいつものことだが、気分を害してしまったかと不安になる。
「俺が、お前だけの友達だったら、『良いんじゃない?』って言うよ。お前の好きにしたらいいって思うからさ。でも、悪いけど俺はすくいの友達でもあるからさ、ちょっとあいつのことも考えてやって欲しいんだよね。すくいは環のこと好きになったから告白してんのにさ、自分に釣り合わないから、って断られるの、結構ショックだよ」
 ミリオはそう言ってすっかり氷の解けたコーラを啜った。
 俺は言われた言葉を反芻する。
 すくいさんが俺に好意を抱いていることは、身に余るほどの光栄だ。けれど、俺が彼女から与えられた感情と同等のものを返せるかと思うと、自信が無い。
 俺が彼女に抱いているのは、あんなに優しくて、柔らかい感情ではない。
 ああ、俺が、目の前の親友だったら。すくいさんを落胆させたりしないのに。
「あいつ、環といて退屈なんかしてないぜ。インターン先でのことも楽しそうに話すもん。それにさ、毎回言うけど、環はつまらない人間なんかじゃない。だからすくいがお前のこと好きになるのも分かるよ。二人とも俺の自慢の友達だからさ」
 食べ終えた包装紙をくしゃくしゃに丸めたミリオの言葉に、顔があがる。言葉が詰まった。
 自慢の友達、と彼に言わせるだけの人間になりたいのに。理想は遠くて嫌になる。
「ミリオがそう言ってくれるのはありがたいが……」
「じゃあさ、すくいがその辺の奴と付き合っても後悔しないな? 知らない男と付き合って、ラブラブデートしてても、環はなんとも思わないな!?」
「………うう」
 想像したくないのに、すくいさんが知らない男と腕を組んで仲睦まじい様子で歩いている姿が目に浮かぶ。それを望んでいるのは自分のはずなのに、手放しで喜べる気がしなかった。
「なに心配してるのか知らないけどさ、演習の辺りで大体みんな気づいてるから大丈夫だって」
「嘘だろ」
 血の気が引いた。ミリオは続ける。
「いやマジだよね。環が女の子抱き上げて助けるって事件だから。お前演習とかでも極力身体に触んないようにするじゃん」
「あれは必死で……」
「それくらいの相手ってことだろ。お似合いだと思うけどね、俺は!」
 そう言ってミリオは席を立った。トイレに行く、と言っていたがスマホを手に持っていたから何処かへ連絡をするのだろう。
 溜息を吐く。今日だけで何回吐き出したかわからない。幸せなんて全て逃げ切ってしまいそうだ。
 テーブルの上のトレイに乗ったハンバーガーを食べる気は起きなかった。



 しばらく経って、ミリオが戻ってきた。
「うんこ長くてごめんな!」
「いや、構わないが……」
「あとさ、これはお節介じゃなくて、背中を押してるってことで!」
 がんばれよ、と言ってミリオは俺の背中を叩く。そしてトレイを抱えて席を立ってしまった。どういうことだ、と後姿を見つめていたら横から声がした。
「あ、環くん」
 ぜんまい仕掛けの人形のように、俺の首は少しずつ声の方へ動く。
 そこには一週間ぶりに目を合わせる匙測すくいさんが立っていた。私服に着替えていたから、一度家に帰ったのだろう。
「隣良いかな? わたしもハンバーガー食べちゃお。エビ入ってるやつが好きー」
 颯爽と去っていった親友を引き留めたくて仕方が無かった。
 ミリオは何と言って彼女を呼んだのだろう。
 すくいさんが正面の席に鞄を置いて注文しに行っている間、落ち着かない俺は冷えたハンバーガーの封を開けて、口に含んだ。味なんて全然わからなかった。
 態と、時間を掛けて食べた。物を食べている間は会話をしなくて良いから。これも逃げだ、と自分が嫌になる。
 戻ってきたすくいさんは席に座って、飲み物を一口飲んでから言った。
「ごめんね、この前は突然で。勢い余っちゃった!」
 ばくり。心臓が音を立てる。すくいさんは続ける。緊張しているのだろう、頬が赤い。
「こ、告白の返事なんだけど、駄目でも友達でいて欲しいの、……いいかな?」
「………ああ」
「はあーー良かった! あと、折角会ったんだし、この前の返事もらってもいい? 友達でいてくれるなら、安心して聞けるから」
 へへ、とすくいさんは笑って鼻の頭に触れた。
「…………」
 言え。口を開け。付き合えない、と言うだけでいい。友達でいて欲しい、と伝えるだけで、賢い彼女はわかってくれる。早く言わないと、彼女をただ傷付けてしまう。
 どれだけ急かしても言葉は出てこない。冷や汗だけが額に浮かんだ。
 すくいさんは黙り込む俺の前で静かに待つ。目線を動かして、何度かストローに口をつけて、それから一度目を強く瞑って、席を立とうとした。
「困らせてごめんね。それじゃあ、あの、明日からも友達でいてね」
「……嫌だ」
 口から出てきた言葉は考えていたものとは違った。
 すくいさんは当然不思議そうな表情を浮かべている。
「え?」
「……ごめん。ちょっと、整理するから、ちょっと待ってくれ。そのエビバーガーを食べ終わるまででいい」
 断れなかった。彼女が誰かのものになってしまうのが嫌なのだ。親友の前で嘘までついて、もっともらしい理由もつけれない癖に、執着だけは有り余る。
 俺なんかと付き合って、後悔しないだろうか。幻滅するのではないだろうか。告白の返事に一週間も時間を掛けて、ミリオの力を借りなきゃ本人に声を掛ける勇気もなかった男だ。
「環くん」
「……なんだい」必死に考えている思考を切って、すくいさんが話しかけてきた。
「食べ終わっちゃった……」
 見れば彼女のトレイには綺麗に折りたたまれた包装紙が置いてある。
「食べるのが……早い……っ!」
「いや、整理が遅いよ! 早く!」
「すくいさん、せっかちすぎる。頼むから時間をくれ」
「一週間も猶予あげたのにそういうこと言う!? そんなに待たされたらわたし、良い女になっちゃうよ!」
「なんだそれ……」
 あは、とすくいさんが笑った。
「いいよ、待ってるよ」
 きみはもうとっくにいい女だよ、と俺は思ったけれど、やっぱり口にはできなかった。それでも口元が緩んで、喉元に痞えていた言葉が出てきた。
 俺は、すくいさんのことが好きだ。
「……知っての通り、俺は臆病で、あがり症で、面白くも無くて、すくいさんの隣に立つには、全然頼りない男で……」
「反論アリ?」
「無しで……。だけど、きみと話してると楽しいんだ。君にはもっと素敵な相手が似合うんだろうけど。良かったら、あの、その、付き合って、くだ……」
「はい!!」
 すくいさんは言葉の最中だというのに俺の手を取って力強く返事をした。
 彼女の手は温かくて、すこし湿っている。小さな声で「うれしいな」とすくいさんが言った。
「めでたーーーーーい!!!!!」
「うわ」
「ひぇ」
 突然背後から声がして、手を握りしめられたまま振り返ればそこには姿を消したはずのミリオが観葉植物の陰からこちらを覗いていた。
「ミリオ……。いたのか……」
「あったり前橋市!! 二人とも、お幸せに! アーーメーーン」
「神父さんだ神父さん」
 外国人の神父の真似をして十字を切るミリオを見て、口を開けて笑うすくいさんはやっぱり可愛らしい。彼女が自分の恋人になったのだと思うと口元が緩みそうになる。
 彼女を見つめている視線に気づいたのか、「良かったな」とウィンクを飛ばすミリオはいつだって最高の友人だった。
 本当に自分は周りの人に恵まれている。優しくて、暖かくて、陽だまりみたいな友人たちは自分が唯一誇れるものだ。彼等に、もっとうまく感謝を伝えられたらいいのに。
 胸の奥が熱くて、視線の先のすくいさんが滲んで見えた。あ、と思った時にはもう遅い。頬に熱い水が伝った。
「あれ、環くん? えっ!? 泣いてる!?」
「ちょっと感情の落としどころがわからなくなってしまった……、辛い……。幸せすぎて涙が出てくる……」
 ミリオとすくいさんは顔を見合わせて、それから目頭を押さえる俺を見て、腹を抱えて笑いだした。人の少ないハンバーガーショップの店内で、さぞ目立っていたことだろう。
 思い出すだけで恥ずかしくなる悪目立ちだ。けれども、良い思い出だ。

<くちびるよ、震えないで> 

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