胃が絞られるように痛む。食欲がない、と言っても居られないので食事を口に詰め込んで、また思案に戻る。答えは出ているのに、それを伝えることは酷く難しいことだった。
 相手を傷付ける恐れよりも自分が傷付きたくないという保身の方が大きいのだから嫌になる。
 そしてまた回答を先延ばしにして、夜が過ぎていく。
 すくいさんの告白を受けて、一週間が経った。返事はまだ、できていない。


『ミリオ、相談があるんだ。放課後空いてるか』
 最早自分一人ではどうにもならないと、漸く決断をして、震える指でチャットを飛ばした。親指を立てたスタンプがすぐに返ってきたので、安堵が半分、憂鬱が半分の息を長く吐き出す。
 机の横を通った波動さんが「天喰くん、すごいため息ついてる。幸せ逃げちゃうんじゃない?」と言った。
「うん……」とだけ返せば身体全体を傾けてこちらの様子を窺うので、慌てて目を逸らした。
「もう幸せはとっくにからっぽ? なにかあった?」
 彼女は人を良く見ている。良くも悪くも人に興味が尽きない人なのだ。
「……なんでもないよ」
「そうかな? なんでもないことはないと思うけど」
「いや……。あ、……え……、その、波動さんに……」
 口ごもる俺の対応に、波動さんはすっかり慣れてしまっている。彼女は微笑んで頷いた。
「うん。わたしに相談が必要な時に、天喰くんが話してくれるなら、いいよ。そうする?」
「……そうさせていただきます」
 波動さんはひらりと手のひらを振った。
 長い髪が背中で揺れて、軽やかな足取りのまま俺から離れていく。また溜息が漏れた。見つかれば「隙あらばだね」と小突かれそうである。



 放課後に訪れたハンバーガーショップは混雑していたから、俺が窓際の席を取っておく間にミリオが注文を取りに行ってくれた。
 手渡されたハンバーガーはやわらかくて温かい。手に乗せたまま、封も開けずに俯く俺に向けてミリオが切り出した。
「うお、早速落ち込んでるね。どうしたんだよ」
「ミリオ。……助けて欲しい……」
「まかせろ! ……って、相談の中身によるけどさ」
 ミリオは力強く自分の胸を叩いたあと、照れたように笑った。その「任せろ」にいつも救われている。今回も、救われてしまいたいと思う。狡い奴だろうか。
 辺りを見回して、それからできるだけ小さな声で話し出した。喧騒や笑い声に掻き消されて、ミリオだけに届くように。
「……先日、匙測さんに告白されたんだ」
「やるじゃん! で?! 返事は?!」
「……っ、………」
 言葉に詰まった俺を急かすでもなく、ミリオは背もたれに寄り掛かってバーガーの封を破った。
「……返事を、しなければ……。でも、全く言葉が出てこない。……本当に、ダメだ。俺は……ダメだ……」
「ちなみに告白はいつされたんだよ」
「……一週間前」
「一週間かーー」
 ミリオは額に手を当て天を仰ぐ。その反応は当然だ。俺が告白の返事を一週間待たされたら発狂するだろう。
 肩を落とした俺のことを察して、ミリオが口を開いた。こんな情けない人間にもフォローを入れてくれるのだ。
「でもさ、環、告白されるの初めてじゃないだろ?」
 フォローじゃなかった。
「……何回かあったけど。毎回幻滅されて終わりだ」
 告白に対して返事ができたためしがない。呼び出されて思いを伝えられた瞬間に頭の中が真っ白になってしまうのだ。決死の告白の返事を待つ女の子と、言葉に詰まり無言を貫く俺。地獄のような時間だが過ぎて、俺に幻滅した女の子たちはなんとも言えない表情を浮かべて前言を撤回するのだ。涙なんか流された日の夜は罪悪感で眠れない。
「でもさ、すくいは友達だろ? 今までとは違うんじゃないの」
「……断りたいんだ」
 これが、本題だった。
 人の笑い声がくぐもって遠くで聞こえる。心臓を握りしめられているような居心地の悪さが襲う。
「へ。なんで」
 重苦しい雰囲気の中、ミリオの声だけが明るい。なんでもないことみたいに言うので、少しだけ胸の奥がざわついた。俺がお前なら、断らないだろうな、と思った。
「なんで、って……」
「だって環、すくいのこと好きだろ? 見てりゃわかる。親友を舐めちゃ困るぜ」
 正鵠を射られて、心臓が跳ねた。唾を飲み込む音が鼓膜に反響する。
 すくいさんは明るくて、親切な人だ。彼女を悪く思う人なんていないだろう。だから俺も例に漏れず、やさしい人に惹かれているだけだ。
「俺には、勿体無い人だよ」
「じゃあ、ごめん、付き合えません。って言うの?」
 頷く。情けないとは思う。けれども、すくいさんに幻滅されたくなかった。彼女は俺を美化しすぎている。その期待を裏切りたくない。嫌われたくないのだ。臆病者だから。
「…………」
「ミリオ?」
 彼の言葉を待つが、ミリオは眉間に皺を寄せて言葉を探しているようであった。俺の卑屈な発言はいつものことだが、言葉を失うほど気分を害してしまったかと不安になる。
 あのさ、とミリオが切り出した。
「すくいは環のことが好きで告白してんのに、自分には勿体無い、なんて理由で断られたらさ。はぐらかされたなって、思うよ。いくら環が大事に思ってたとしても、伝わんないね」
「あ……」
「オレは環の親友だけどさ、すくいの友達でもある。だから、もっとちゃんと、あいつのために悩んでよ」
 ミリオに言われた言葉を反芻する。おかしな言葉だと思った。一週間も待たせているのに、まだ悩めって言うのか。
「オレは、お似合いだと思うよ。二人とも自慢の友達だもん」
 食べ終えた包装紙をくしゃくしゃに丸めたミリオの言葉に、視線をあげた。自慢の友達、と彼に言わせるだけの人間になりたいのに。理想はいつまでも遠くて嫌になる。
「でも……」諦め悪く言い訳を口にすると、ミリオが指先を俺の鼻先に突きつけた。
「じゃあ! すくいが! ファットガムと付き合っても文句ないな?!」
「………うっ……」
 身近な人間を例に出さないで欲しい。そんなことになったら、俺はインターンをやめるかもしれない。
「ほら、耐えられないって顔してる。……なに心配してるのか知らないけどさ、演習の辺りで大体みんな気づいてるから大丈夫だって」
「嘘だろ」
 一瞬で血の気が引いた。抹消したい記憶のひとつを拾われ急に焦り出した俺に、ミリオは真顔になって続ける。
「マジだよね。環が女子を抱き上げたのはちょっとした事件だったよ」
「いや、あれは必死で……」
「それくらい大事ってことだろ! ……あ、ちょっとフラワー摘んでくる」
 そう言ってミリオは席を立った。トイレに向かうと言っていたが、スマホを手に持っていたから何処かへ連絡をするのだろう。視線の先、トレイに乗ったハンバーガーはすっかり冷えしまった。



 しばらく経って、ミリオが戻ってきた。
「うんこ長くてごめんな!」
「いや、構わないが……」
「あとさ、これはお節介じゃなくて、背中を押してるってことで!」
 がんばれよ、と言ってミリオは俺の背中を叩く。そしてトレイを抱えて席を立ってしまった。反応に困って後姿を見つめていたら真横から声がした。
「……へい、環くん」
 ぜんまい仕掛けの人形のように、少しずつ声の方へ首を動かすと、そこには匙測すくいさんが立っていた。実に一週間ぶりである。
「お待たせしました。わたしもハンバーガー食べちゃおうかな。エビ入ってるやつが好き〜」
 待ってなかった。待たせていたのは俺の方である。
 ミリオがすくいさんを呼んでいたのだろう。彼女の家はずいぶん遠かったはずだ。もしかして、待ち合わせの前から声を掛けていたのだろうか。
 すくいさんが鞄を置いてカウンターに向かったので、徐に冷えたハンバーガーに手を伸ばす。手持ち無沙汰なのが明らかだった。
 考えはまとまらず時間ばかりが過ぎた。戻ってきたすくいさんが向かいに座る。
「この前は突然ごめんね。緊張して言い逃げしちゃった」
 ああ、やはりこの話になる。これ以上逃げたくなくて、ミリオに相談までしたのに、彼女を前にするとやはり言葉が出てこない。すくいさんも緊張しているのか頬が赤かった。
「こ、告白のことなんですが……、駄目でも友達でいて、くれますか……?」
 俯いたまま頷いた。それは、此方から頼みたいことでもあった。
「わ、良かった。じゃあ……お返事ください!」
 すくいさんが小さく頭を下げた。柔らかそうな髪が視界の端で揺れる。
 ごめん。付き合えません。友達でいて欲しいです。どれだって良い。賢い彼女は理解してくれるだろう。何か、なんでも良いから、言わなくては。
 すくいさんは黙り込む俺の前で、目線を動かして、何度かストローに唇をつけて、からからと氷を鳴らした。左手の小指を撫でているのが視界に入る。千切れてくっついた彼女の指先を見ていると、すくいさんが口を開いた。
「……左右に首振ったらお断りっていうのはどう?」
「……い、いや……」
 黙ってるなら首くらい振れよと思ったのか、すくいさんは俺の反応に怪訝な表情をした。
「…………も、………もう少しだけ、待ってくれないか。そのエビバーガーを食べ終わるまででいいから、……整理の時間を、ください」
 頷いたすくいさんがエビバーガーを食べ始める。俺は必死に考える。目の前のこの人のことをどう思っているか、自分がどう思われたいか。
 すくいさんはやさしい人だ。困っている人を見過ごせないお人好しで、何事にも一生懸命で、明るくて、笑顔が素敵だ。それから、少し、無茶をするところがある。
 俺が彼女に何かを与えることなんて出来やしないけど、すくいさんが頑張りすぎたときに、ほどほどで良いんだよ、と伝えられたら良いとは思う。彼女が足りないと思うことを補えたら、なお良い。それが友人のままで叶うなら、このままでいいのだ。
「あの、環くん」
「……なんだい」
 すくいさんが話しかけてきた。思考の渦に落ちていた意識が現実に引き戻される。
「食べ終わっちゃった……」
 見れば彼女のトレイには綺麗に折りたたまれた包装紙が置いてあった。嘘だろ。まだ考えはちっともまとまっていなかった。
「食べるのが……早い……っ」
「ちがうよ! 整理が遅いんだよ!」
「……すくいさん、せっかちすぎる。頼むから時間をくれ」
「一週間も猶予あげたのにそういうこと言う!? そんなに待たされたらわたし、……良い女になっちゃうよ!」
 ……なんだって? 自分の怠慢を棚に上げて人の早食いを指摘する俺に文句も言わず、すくいさんが笑った。
「あは、いいよ、沢山考えて。待ってるよ」
 きみはとっくにいい女だよ、と思った。口元が緩む。それを口に出すことは何故か容易かったが、先に伝えなくてはならない言葉があった。
 テーブルの上に置いてあるすくいさんの指先に向けて手を伸ばした。驚いたすくいさんが俺の顔を見つめる。きれいな人だ、と思った。息を吸って、吐き出す。細い指先が細かく震えている。散々待たせてごめん。
「……こ、……こっ、こく、白、ありがとう。………俺は、すくいさんのことが、好きです」
「へあ」
 おかしな声を漏らしたすくいさんの顔はみるみるうちに赤く染まって、瞳が潤んでいく。声が小さくて聞こえなかったのかもしれない。声量に自信はない。
「すくいさんのことが、好きで……」
「あっ、きこえてました……」
 ばち、と目が合う。顔が熱い。心臓が口から出てきそうだった。自分が今何をしているのかわからなくなって、ただ、目の前のすくいさんが悲しんでいないみたいで、良かった。
「めでたーーーーーい!!」
 突然背後から声がして、振り返れば姿を消したはずのミリオが観葉植物の植え込みからこちらを見ていた。
「ミ……ミリオ!?」
「フフフ……。実はずっといたんだよね!!」
「ずっといたの?! なんで?!」
「オレは応援団長だからね! オメデトオメデト! 良かったな、環! すくいも!」
 ミリオがまた俺の背中を叩いて、反対に回ってすくいさんの背中も叩いた。俺の目から見ても嬉しそうな顔を浮かべていて、つい口元が緩んでしまう。
「…………あ」
「環?」
「環くん?」
「ちょ、……っと待ってくれ、……見ないで。……感情の落とし所が……わからなくなって……」
 まずい、涙が出てきた。すくいさんとミリオが二人して俺にハンカチを差し出すので、どちらからも受け取って、涙を拭いた。ふたりは俺を見て笑う。あまりにも笑うから、つられて笑ってしまう。俺のみっともない泣き笑いに、今度はふたりがつられて涙を拭い出した。
 騒がしい高校生は店内でさぞ目立っていたことだろう。
 目立つことは嫌いだ。だけど、今日だけは、特別ということで。
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