「どうか、どうかしあわせに」

 舞台の中心でスポットライトを浴びる魔法使いは祈るように呪文を唱えた。
 大きなとんがり帽子を被る魔法使いの両脇では王子と姫が膝をついて魔法の言葉に耳を傾けている。ふたつの国は呪われていた。悪い魔女に掛けられたいにしえの呪いは、彼等の国の民を蝕み緩やかに死に至らしめるものであった。隣国の王を殺すことで唯一解くことができる残酷な魔法。王子と姫の国は代々呪いに逆らうこともできずに殺し合いを続けていた。
 ふたつの国は、彼等の代で漸く停戦協定を結ぶことにした。けれどもそれは真っ赤な嘘で、嫁いだ姫は王子の寝首を掻こうと画策し、王子も寝所で姫を殺すつもりでいた。予想外だったのは、一目見た瞬間に二人が恋に落ちてしまったことだ。
 ふたりは旅に出る。誰も死なせずに、自分たちの国を救う方法を見つけるために。王子は、自分の首を姫に差し出すつもりでいた。姫様は、忍ばせた短剣で自分の胸を突くつもりでいた。何も失わずに何かを手に入れることなど出来ないと二人は知っていたから。
 解呪の魔法を使う魔女の元へ二人がやっと辿り着いた時、魔女は穏やかにふたりの呪いが既に解けていることを告げる。いがみ合っていた二つの国が本当の意味で和解した時に、呪いは解けるようになっていたのだ。
魔法使いが掲げた両の手からは山ほどの紙吹雪が飛び出す。魔法使いがふたりのために使うのは失ったものを取り戻す魔法だ。
 壮大なBGMがタイミング良く鳴り響いて、王子と姫はお互いを見つめ、力強く手を取りあう。降り注ぐ紙吹雪の下、ストップモーションのふたりの後ろでゆったりと歩きだす魔法使いは、この物語の進行役でもあった。
「呪いは解けて、ふたりは末永く幸せに暮らしました。めでたし、めでたし」
 ぱちり、と魔法使いが指を鳴らせば舞台は一瞬にして暗転する。それから静かに幕が下りた。
 緞帳の向こうで拍手の音が聞こえて、キャストは笑顔を浮かべながら一列に並ぶ。隣の人と手を繋いでカーテンコールを待つ。

 3年B組のキャストは、当初の予定からひとり少ない。脚本を書いた子は当て書きで配役を決めた。とびきり明るいお人好しの王子は、土壇場で別の子が代役を務めることとなった。彼は十分すぎる演技を披露してくれた。けれどもやっぱり最後の学校祭だから、ほんの少しだけ残念に思う。わたしはとんがり帽子を深く被り直す。
カーテンコールで涙が滲んでしまったのは客席の一番前で拍手を打ち鳴らすミリオを見つけたこととは関係ない、はずだ。




「いやあ良かったよ! 盛り上がったよね! 殺陣も燃えた!」
 控室に顔を出したミリオは興奮した様子でクラスの面々に労いの言葉をかけている。彼の背後で遠慮がちに顔を覗かせる女の子が「エリちゃん」だろう。
「はじめまして、エリちゃん」
 心許なさそうに周囲を見回す彼女に声を掛ける。屈みこんで視線を合わせれば、エリちゃんはわたしの帽子を見つめて、それから小さな声で「……魔法使いさん?」と言った。
 わたしは一瞬答えにまごつく、けれども彼女の境遇を少しだけ聞きかじった身なので嘘をついた。
「そうよ。わたし魔法使い」
「正体見破ったりだね。エリちゃん、この人が平成末の魔術師だよ!」
 怪盗キッド? と思ったけどミリオに突っ込むのはやめた。俯くエリちゃんが小さな手を握りしめているのが気になったから。
「どうしたの?」
 首を傾げるとエリちゃんの背後でミリオが同じように首を傾けた。真似しないで、と視線を向ければウィンクが返ってくる。
「あのね、……あの」
「ゆっくりでいいよ」
「……魔法使いさん、わたしのために魔法を使ってくれる?」
 どん、と心臓がひとつ音を立てた。わたしは彼女の願いごとを聞くことにした。
「なにを、叶えたいの?」
 エリちゃんは自分の手を握りしめたまま、それこそ祈るように、縋るみたいに目を潤ませてわたしを見つめた。
「みんなの怪我とか、痛いのが、治ってほしいの。だれも、苦しくないように、なってほしい……」
 エリちゃんの願い事を聞いて、心臓がきゅっと痛んだ。なんてやさしい子なんだろう。言葉にするのも恐ろしいほどの辛い目にあっていたと聞いた。それでも、彼女は誰かのために祈る。
 エリちゃんの願いが叶えばいいと思う。けれど、わたしは魔法使いじゃない。
 返す言葉を考えながら、ちらりとミリオの方を見てしまった。なんだか助けを求めたみたいだと自分で恥ずかしくなって、わたしは唾を飲み込んでエリちゃんの目を見据える。
 大きくて、澄んだ綺麗な瞳が期待の眼差しでわたしを見つめる。わたしは彼女にきちんと向き合いたい。舞台の上に立っていたときの声を意識して、口を開く。
「最後に大きな魔法を使ってしまったから、しばらく魔法は使えないの。ごめんね。でも、エリちゃんの、やさしい願いは叶ってほしいな」
 個性を使って、掌から小さな銀のスプーンを出した。魔法に見えるように、仕草はちょっとだけ大仰に。銀の装飾に真っ赤な石のついたスプーンを差し出せば、エリちゃんは宝物を受け取ったように目を輝かせた。
「おまもり」
「わあ! いいの?」
「勿論。魔法使いからのプレゼント!」
「きれい!」
 スプーンを掲げて喜ぶエリちゃんに、もっと良い言葉が掛けられたんじゃないかとちくりと胸が痛んだ。立ちあがればとんと背中が叩かれた。
「やさしい魔法使いだ」
「ちょっと困っちゃった」
 小声で言えばミリオは「100点満点だよ」と歯を見せて笑った。
 真似して顔をくしゃくしゃにして笑って見せたけれど、ぎこちなくはなかっただろうか。劇で演じた役みたいに、本当に魔法が使えたらいいのになと思う。そうしたらやりたいことは沢山あるのに。失ったものを取り戻せて、対価を必要としない、都合の良い魔法が使えたらいいのに。そしたらわたし、魔法の箒に乗って世界中どこでも飛んで行くのに。
 少しだけしんみりしていたら、委員長が記念写真を撮ろうと声をあげた。ミリオがシャッターを押すと手を上げたので、わたしは彼の手を掴み降ろしてエリちゃんと共に列に並ぶように言った。控室を出れば廊下にはいくらでも生徒がいる。近くの一年生を捕まえて、カメラマンをお願いした。
「ちょ、俺だけ世界観違う! 異世界に転生したみたいになってるけど!?」
「いいのいいの!」
「わたしもいいの……?」
「いいのいいの!」
 クラスのみんなが一緒に映れと声をあげる。折角並んだのにもみくちゃになるから、シャッターを押す後輩は困り顔で「たくさん撮っておきますね」と笑っていた。




 ミスコンを見に行く、と張り切るミリオに衣装のまま付いていけば、彼は「上着貸そうか?」とわたしの寒々しい恰好を見て自分のジャケットのジッパーを降ろした。それを押し留める。
「平気だよ! こう、神々の加護のなんたらが寒さを弾くから……!」
「キャラの作り込み甘いね?!」
「ねえミリオ。わたしって頼りないけど、できることがあったら、なんでも言って欲しいな」
「なんでも?」
「そう、なんでも」
「じゃあ、そのままでいてよ。明るくて元気なすくいのままでいて」
 ミリオは笑顔を絶やさない。
 彼の後ろで黄金色に染まった木々がはらはらと葉を落としていく。
 いつのまにか、季節は秋だ。もうすぐ冬がやってくる。今までだって、大変なことは沢山あったはずだった。クラスメイトが大怪我を負うようなこと、尊敬していたヒーローの引退。自分だって事件に巻き込まれたことがある。だから、人前で泣きそうになるのを秋の物悲しさのせいにしてしまいたい。
「……いま、ちょっと暗くて元気ないすくいになってたね! えへへ、……ミリオの一発ギャグでも伝授してもらおっかな! クラスで披露しちゃお!」
「お? 言ったな? 一子相伝ー!?」
「今日だけ娘! 教えてー!」
 強がりの、やせ我慢で、そのうえカラ元気だ。それでもいいやって思う。 
 エリちゃんが1年生の男の子たちと話している間でミリオに一発ギャグを教わることにした。ファットガム事務所にインターンに来ていた切島くんは魔法使いの衣装のまま一発ギャグの練習をするわたしを不思議そうな顔で見ていた。いつもやってるわけじゃないよ、と目で訴えたけれど伝わっているかどうかは正直微妙だ。
 ミスコンを後ろの席で見て、美しすぎるねじれちゃんに手を振った。彼らはやっぱりすごい、つらいことのあとでも、涙を飲み込んで笑うのだ。心が、身体が傷だらけになったって、誰かの泣き声が聞こえれば飛び出していく。泣き顔をくしゃくしゃの笑い顔に変えるために、無理して強がって声を出す。強がりも、やせ我慢も、カラ元気も、ヒーローの必修科目なんだよね。




 自分のクラスの出し物もあったから、環くんはわたしたちのクラスの劇を見ていない。
 折角だから衣装を見て欲しくて着替えずにいたのだ。一緒に写真とか撮れたら嬉しいけど、それは彼に無理をさせてしまうだろうか。いいやでも、きっとうるさいくらいの方がいい。無神経で、馬鹿みたいに明るいすくいになろう。
 衣装のままうろつくわたしの探し人が誰なのか見当をつけた隣のクラスの子が環くんの居場所を教えてくれた。彼は後片付けのためにゴミを捨てに行っているらしい。
「環くん!」
「あ、すくいさん、お疲れ様」
 ゴミを運んでいる環くんを見かけて走り寄れば彼はわたしを見たあとに目線を逸らした。それは照れではなく、気まずさのポーズだ。わたしは先程の決意を思い返してスカートの裾を掴んでくるりと回って見せる。
「どうかしら、魔法使い!」
「主役だったんだろう。見に行きたかった」
「えへへ、主役というほどでも!」
 がさがさ音を立てて、環くんは大きな袋からゴミを取り出しては分別していく。
 燃えるゴミ、燃えないゴミ、プラスチックにペットボトル。わたしは彼の手が仕分けていくゴミに視線を逃して、声をわざと明るくする。
「ねえねえ環くん、今週末どこかに出かけない?」
 ゴミを分ける彼の背中がぴくりと震えた。
 環くんは背中を向けたまま、曇った声で喋る。
「ごめん。週末は用事があるんだ」
「いいよいいよ! その次は? まだ予定わかんないかな」
「……その、次も」
「そっかあ。じゃあじゃあ、時間ができたら教えてくれる?」
「ああ」
 秋風がわたしたちの間を吹き抜ける。やっぱり、肌寒さを感じる。
「約束ね!」
 チチンプイプイ、アブダカタブラ、ピリカピリララ。わたしは泣きださないように魔法の呪文を必死で唱える。役に入り込みすぎた愚かな役者は、自分がまだ魔法を使えるような妄想に憑りつかれている。
 衣装に仕込んであった紙吹雪の残りは、小さじ一杯に満たないから”個性”も使えない。
「……ああ。風邪を引くから早く着替えた方がいい」
「わたし頑丈だから大丈夫! ね、ねえ、環くん、わたしになにかできること、ないかな……?」
 さっきまでで、話は終わりだ。そんなの自分でもわかっている。これ以上はいくら無神経な女でも、踏み込み過ぎだ。わたしの良心が警鐘を鳴らす。そっとしておいてほしい時くらい、見極められなくちゃダメなのに。
「なんでも、言って」
 思わず、俯いた彼の腕を掴んでいた。わたしにできること、そんなの相手に考えさせるべきじゃない。それでもなにか、彼に言葉をかけたかった。
「……」
 ぐしゃ。
 環くんが顔を顰めた。わたしは驚いて彼の腕を離す。
「ごめん」
「いや……」
「……なにかあったら教えて。わたし、かけつけるから!」
 ミリオに教わった一子相伝のネタは披露できなかった。かけつけるから、と言った私は環くんに背を向けて、できるだけゆっくりゴミ捨て場を後にした。
 振り返って、まだゴミを分けている環くんがこちらを見ていないのを確認してから走り出す。
「………はあ」
 大きなイチョウの木の下でみっともなく鼻をすすった。誰かに見られたら銀杏の匂いで泣けてきたと言おう。
 いつもどおり笑えるミリオ、とびきり綺麗なねじれちゃん、落ち込まない環くん。みんな、嫌になるくらい嘘をつくのが上手くて、わたしは見ていて苦しくなる。
 ああもう、もうもう、わたしのバカ。
「どうか、幸せに、じゃないよ、バカ」
 願ってばかりじゃなくて、腕掴んで引っ張りあげなくちゃいけないんだよ。

 だってわたし、魔法使いじゃなくてヒーローになりたいんだから。

<シナモンをかけても魔法は使えない>

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