自分自身の感情に気付くきっかけは、いつも他人が与えてくれる。俺が鈍感だからだ。
授業が終わって、教室から出ると廊下の壁に寄り掛かるミリオが俺の名前を呼んだ。ひらひらと手を振られて、駆け寄った。B組の方が終業が早かったらしい。
「待たせてごめん」
「全然待ってない! けど腹は減ったよね。ほらほら、走って走って。今日は替え玉無料だぜ」
ミリオの腕が肩に回される。おかしな二人三脚のような格好で、俺たちは廊下を早足で進む。放課後にラーメンを食べに行こうと誘われていたのだ。6時限目あたりからラーメンのことばかり考えていたのだが、それはどうやらミリオも同じだったらしい。
ミリオとよく行くラーメン屋の暖簾をくぐれば、カウンターの向こうの店主は俺たちを見て明るく声をかけてくれた。
「もう今日ずっとラーメンの口でさあ! 昼飯食ったのに午後ずっと腹減ってんの」
「わかるよ」
思わず笑ってしまった。俺もだ、と続ければミリオは嬉しそうに笑った。食券を店員に渡して椅子に座る。
「そういやさあ、うちのクラスのすくいがファットガムのとこに来てるんだって?」
「うん。もう3ヶ月くらい経つかな、すっかり馴染んでるよ」
「へえ。環がファットガムのところにインターン決まった時も良い組み合わせだと思ったけど、すくいとも上手くやれてる?」
「ああ。……そうだ。ミリオから見て、匙測さんってどんな人なんだ」
こちらを向いていたミリオが固まった。何かおかしな発言をしただろうかと言動を振り返る。ミリオと匙測さんは同じクラスで、2年間切磋琢磨してきた仲のはずだ。だから、彼の口から人柄を聞こうと思っただけなのだけれど。
「えっ!? 環?! まさかと思うけど、今日の今日まで話したことないとか言わないよな?!」
「あ、いや、話したことはあるよ」
話したことはある。匙測さんは明るくて親切な人だ。俺みたいな奴にも沢山話しかけてくれて、ファットともすぐに親しくなっていた。他の職員だけでなく、パトロールで立ち寄る商店街の人たちともすっかり仲良くなっているので、そのコミュニケーション強者ぶりに驚かされているくらいだ。
けれど、ファットガム事務所に来て早々に匙測さんの涙を見てしまったばかりに、いつも朗らかな彼女がどこか無理をしているのではないかと、勝手に思っていただけなのだ。
「すくいは明るくて良い奴だよ。友達も多いし、話しやすいだろ」
「話しやすい……。匙測さん、俺がまごついてても気にせず喋ってくれるからすごく楽で……。ファットとはほぼ永遠に喋ってるよ」
「想像できる!」
運ばれてきたラーメンに手をつける。律儀に二人して手を合わせて、割り箸を割った。湯気を燻らせるラーメンから食欲をそそる香りが沸き立って鼻をくすぐる。会話を一時中断させて、麺を啜った。
次に口を開いたのは互いに麺を啜り終わったあとで、ミリオが店員に替え玉を二つ注文してくれたタイミングだった。
「ありがとう」
「どうせ環も食うでしょ」
「うん。今日はラーメンの日だから」
どれだけ楽しみにしてたんだよ、と小突かれてまた笑った。それでさ、とミリオが続ける。
「すくいのこと気になんの?」
「いや、普段から明るい人なら良いんだ。俺が勝手に思い込んでただけだから、忘れてくれ……」
俺の言葉に、ミリオが一瞬視線を下げた。ほんの短い時間だけれど、悩むような素振りを見せる。
「……すくい、クラスのグループラインから抜けちゃったんだよね」
「え」
ミリオの言葉に、続けようとしていた言葉を飲み込んだ。店内に客が入ってきて、扉から入ってきたぬるい風が壁にかかっていたカレンダーを揺らした。
「休学するから、復活したらまた入れて!ってさ。オレ、ちょっとショックで。でも、今、クラスメイトと話すのキツいのかなって思ってさ」
カウンターから手が伸びて、俺たちの器に替玉が滑らかに落とされる。一瞬、手をつけるのを躊躇した。
まあ食べながら、とお互いラーメンに手をつける。2杯目も変わらず美味かったけれど、頭の中ではまとまらない思考が渦巻いていた。
「だから、すくいが頼った先に環がいて良かったよ」
二度目のえ、は口の中の麺に塞がれて出てこなかった。なんで、俺。
先に食べ終わったミリオは続ける。
「明るくてあったかい場所でさ、優しい人たちと一緒にいたら、少しずつ前向きになれると思うんだよね」
俺はミリオの発言を反芻しながら残りのラーメンを掻き込む。かけられた言葉がバラバラと頭の中に落ちていく。明るくてあたたかい場所は、わかる。優しい人たちも、わかる。でも「自分がいて良かった」に繋がらない。
「環は余計なこと言わないだろ。傷ついてる人がされたくないことを、ちゃんとわかってるっていうかさ。オレはそういうところに沢山救ってもらったよ。だからさ、友達がひとりきりじゃなくて、安心してる」
「み、ミリオ、過大評価すぎる。第一、俺は匙測さんに……何にも、できてないんだ」
余計なことを言わないんじゃなくて、会話が下手なだけだろう。ミリオや、ファットや、匙測さんの明るさに甘えてるだけで、自分から何か行動できたことなどなかった。
「できてるよ。だって、環の前で明るいんだろ? 3ヶ月間ずっと。だから、安心したのさ! これからもウチのすくいチャマをよろしくお願いするザマスよ!
「…‥最後のは誰?」
「スネ夫のママ」
なんだよ、と笑って席を立った。ミリオと話していると時間があっという間に経ってしまう。会計をして、お互い帰路につく。ミリオが大きく手を振る。俺たちは子どもみたいに手を振り合う。
そういえば匙測さんとラインを交換したんだったと、帰り道にスマホを見ていてふと思い出した。
よろしくね、とかわいらしいスタンプを送ってくれた彼女に対して、俺は「よろしくお願いします」とだけ返していた。
これを機に何か送ってみようかとも思ったが、スタンプを送りつけるのも違う気がして、気の利いた文面も思いつかなくて、俺から急に連絡が来ても、彼女も困ってしまうだろうと思って、結局やめてしまった。
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