< 心臓をリボンでおくるみ >

 ファット事務所での生活はわたしが思っていたよりもずっと快適であった。一介の高校生ができることはたかが知れているのだけれど、それでも電話を取り次いだり書類を整理したりと雑用程度ならばこなすことができた。
 わたしのルーティンは単純だ。出勤したらまずコーヒーを淹れる。ファットさんには砂糖とミルクを2杯ずつ。天喰くんが来ている時は砂糖を1杯。仕事の依頼が来たらそれを取り次いで、スケジュールを確認する。手が空いていれば近隣の敵の出現頻度をまとめたり、事務所の掃除をしたりする。片手でのパソコンの操作にも随分慣れてきて、このまま事務員として働くことも頭を過るくらいであった。
 わたしが与えられた仕事に慣れてきたのを感じ取ってくれたのだろう。事務所にお邪魔して2週間が経とうとした頃、ファットさんから提案があった。
「すくい、そろそろパトロール出てみるか」
 こくこくと頷けば、彼は拳を突き出して「やる気やな」と白い歯を見せた。
 ファットさんはわたしを成長させようとしてくれている。段階を踏んで仕事に触れさせてもらっているのが分かって、少しだけ申し訳なさを感じる。彼は正式に天喰くんに声をかけてインターンを行わせているのだから、そこにもう一人学生が入ってくるのは望ましい形では無かっただろう。
 それでも、申し訳なさを感じるくらいならばさっさと個性を取り戻して正式な形でインターンを行わせてもらえるように努力するべきなのだ。うじうじしていて何かが好転した試しなどないのだから。
「ほな、環が来たら付いてってな」
「頑張ります!!」
「元気イイね!」
 放課後に天喰くんがやってくるまでに、仕事を片付けて少し身体を動かしておきたい。たとえ個性が使えなくても、ヒーロー科で2年間過ごしてきたのだ。ただの非力な少女ではないし、出過ぎた真似をしなければ大丈夫なはずだ。
 久々にコスチュームに袖を通すと、事件の前と変わらない姿が映った。個性が発動できないというのが嘘みたいに思えて、右手を握ったり開いたり念じたり唸ったりしてみたけれど、やっぱりわたしの指は変わらないままだった。
 ギプスが取れても重石の様な左手を吊って、ファットさんから借りた警棒をベルトに差し込む。顔の上半分を隠すようにマスクをつけて、準備は万端だ。
 丁度事務所にやってきた天喰くんはヒーローコスチュームを纏ったわたしを見て、合点がいったように頷いた。
「匙測さん、今日からパトロールに出るのか」
「うん。足引っ張らないように頑張るので、よろしくお願いします!」
「あ、そんな丁寧に……。こちらこそ宜しくお願いします」
「こら、ペコペコしてないで早よ行け!!」
 頭を下げ合うわたしたちが視界に入ったのか、ファットさんの大声で追い立てられるように外に出た。

「あ、パトロール中は、ヒーロー名で呼んだ方がいいかな」
「……『サンイーター』」
「サンイーター、かっこいいよね! センスあるって褒められなかった?」
「気が小さい癖に言うことはでかいとは言われたよ」
 自分で嫌な記憶を思い出してしまったのか、天喰くんはがっくりと肩を落とした。この二週間で分かったことがある。天喰くんは滅茶苦茶に打たれ弱いのだ。真面目な努力家で実力もあるのに、精神面の弱さが玉に瑕だとファットさんも嘆いていた。より上を目指すなら、脆い部分を自分で立て直せるようになる必要がある。
 だから天喰くんはよく外回りをさせられている。この地域の人は良く言えば社交的、悪く言えばお節介な人が多いから、否が応でも会話をしなければならない。人に揉まれて人に慣れさせることが目的なのだそうだ。
「匙測さんのヒーロー名は……」
「あ! 今はヒーローになれるかの瀬戸際なので、普通に名前で呼んでほしいな。拙者、匙測すくいと申す」
「……存じております」
 商店街を歩けば、道行く人たちはサンイーターの名前を呼んだ。「ファットのとこの」と呼ばれるたびに天喰くんは肩をビクつかせるけれども、親しみを込めて彼に声をかけているのが分かる。
 当然、有名人の天喰くんに付いて歩くわたしも注目を浴びてしまう訳で、それこそ否が応にも素性を問われる。
「ファットさんのところでお世話になってます! 『すくい』です!」
 自分の名前が覚えられるのと、なれるかわからないヒーロー名が覚えられるのと、どっちが良いのだろうかと少し考えたけれど。今のわたしはヒーロー志望の雄英生ではないのだ。個性を出せなくなった、一般人だ。だから、ただのすくいで良い。
 商店街の人から「がんばれよ!」と声をかけてもらって、胸が熱くなる。
 顔を赤くするわたしを見て天喰くんが声をかけてくれた。
「匙測さ……、すくいさん、は明るいからここにすぐ溶け込めるよ。俺はインターンに来た当初関西弁が恐ろしくて暫く外に出たくなかった……」
「そんな、関西に来ておいて」
 天喰くんの言葉に思わず吹き出してしまった。彼は真面目に言っているのだけれど、落ち込む様子と言葉がどうにもコミカルに見えてしまうのだ。



 商店街の人たちとたわいもない会話をしながら辺りを巡回していると、遠くで煙が見えた。
「誰か! ヒーローはいないか!」
 遠くで聞こえる小さな声。けれども耳がその声を掬い落とすことはない。叫び声を聞いて、反射的に顔が上がる。
「……ヴィランだ」
 天喰くんの言葉に、思わず拳に力が入る。
「いけるか?」
「いける! 戦闘はお任せするけど、その他のことならお役に立つよ」
 言い切った。立つ、つもりだ。揉め事を傍観するためにパトロールに同行させてもらったわけではない。個性がなくともその辺の高校生と取っ組み合いをしたら勝つ自信がある。
 わたしたちは頷き合って、駆け出した。



 悲鳴を辿っていけば、行き着いたのは小綺麗な宝石店だった。白を基調とした外装は半壊しており、ウインドウの中のマネキンはドレスを焦げ付かせて歩道へ飛び出していた。
 雄英に在学しているからだろうか。小悪党の考えなしの行動には腹が立つ。割れたガラスで怪我をした一般市民、小火の起きた店内で悲鳴をあげる女性店員。綺麗に展示されていた宝石たちはガラスを割られて根こそぎ奪い去られようとしている。
「……宝石強盗って、足がつくから避けられるって言わない?」
「まあ、日本には宝石のバイヤーが少ないから、出所のわからない宝石を持ち込んだ時点で怪しまれる」
「手慣れた強盗なら、白昼堂々とこんな騒ぎは起こさない、もんね」
「だな」
 流石、言葉を言い終わるや否や天喰くんは飛び出していた。一瞬で彼の身体は巨大な二枚貝に覆われて、敵の攻撃を物ともしない盾を作る。
 ーー個性“再現”。口にしたものの特性を再現できる彼の個性は攻守ともに隙のない万能な個性だけれど、使い方と操るタイミングが難しい。
 同学年なので行事ごとで見かけることはあったけれど、こんなに間近で個性の発動を見る機会はなかった。というより、行事で天喰くんの姿を見た記憶がない。
 それにしても凄まじい。店内で銃を構える悪党たちは蛤の盾を纏った天喰くんに傷を負わせることができない。それに加えて、彼は銃による跳弾を恐れて人質の周りに変化させた蛸の足を広げている。
 勉強になるなぁと気を取られてしまったけれど、彼の戦い方に見惚れている場合ではない。
 わたしの仕事は、避難誘導と人質の解放だ。
 戦闘によって建物が倒壊する前に、周辺の人々を避難させる。これは起点を作るだけで良い。逃げる方向を指示して先頭を任せやすそうな人に声をかければ、あとは勝手に危機を察知して動き出すので、やって来る警察の方々にお任せするのだ。
 幸い、動けないような怪我を負っている人は見かけなかった。逃げないでスマホで写真を撮っている呑気な若者を追い払って、店の裏口へ回る。
 想像通り、裏口の鍵は壊されていた。音を立てずに侵入すると、店内へ続く廊下で息を潜める悪党は人質と盗んだ宝石を抱えて戦闘を見つめていた。
 戦闘中の天喰くんに声をかける必要はない。狭い場所での戦闘訓練は互いに受けているし、その場合の連携パターンは大体教科書どおりだ。
 敵の数は5人。同じような覆面を付けたやんちゃギャングたちだ。3人が天喰くんの対応に追われていて、2人が逃走の準備を進めている。
 人質は3人。そのうち一番若い女性の手を掴んで、悪党のひとりが裏口へ向かってきた。
 テンプレート通りの動きに、わたしは彼等の前に姿を現す。
「なっ、……んだテメェ、死にてえのか!!」
 素っ頓狂な声をあげてホルスターに入れた銃を構える。幸いなことに相手の個性は戦闘向きではないらしい。
 ーー使い慣れてない武器を他人に向ける時は、それなりの覚悟が必要だ。特に、拳銃は。
 照準をこちらに合わせられる前に、相手の懐に飛び込んで、屈み込んだ反動をつけて顎に掌底を食らわせる。相手が怯んだ隙にベルトから引き抜いた警棒で鼻の下を殴りつける。人体の急所だ。犯人は鼻血を撒き散らして昏倒する。
「みなさん、下がってください!!」
 呆気に取られた人質に声をかければ彼らは我に返ったように裏口へ向かう。
 問題は待機していたもうひとりだ。一瞬で仲間が昏倒させられて人質を逃がされたのだから、さぞ頭に血が上っていることだろう。
 上半身が鱗に覆われた恐竜を彷彿とさせる見た目の男は、小さな目を血走らせてわたしを見据えた。
「……お前、アイツの仲間か?」
 アイツ、とは勿論天喰くんのことだ。わたしはこくりと頷いた。
「頼むから、邪魔すんの、やめてくれよぉ……。ここまでやるのにどれだけ苦労したか分かるか? 人集めて、準備して、それをこんなガキに邪魔されて……、ふざけんな、ふざけんなふざけんなふざけんなよ!!」
 相手は吼えた。
 わたしは警棒を構える。1分、いや、30秒か。それだけ時間を稼げば天喰くんが向こうを片付けて加勢にこれるはずだ。
「あなたたちが、壊したものを作り上げた人々にも、同様の苦労があったでしょうが」
 壊すだけよりも、作ったり、直したりするほうが大変だってことくらい、子どもだってわかる。割に合わない、面倒で緻密な世の中の在り方が嫌になって、簡単に悪事に手を染める奴等のことが嫌いだ。
 世の中にいる、ヒーローの殆どが割に合わない仕事をしていると思う。華々しい評価を得られるヒーローはほんの一握りだ。
 それでも、多くの人々がヒーローに憧れるのは「正義」の形を全うしたいと考えるからだ。自分が傷ついても、誰かを守るために全力を懸けられる、見ず知らずの誰かのために思い切り生きられるのが、ヒーローなのだ。
「個性、出してみろよ、女」
 その生き方がとても格好いいと思う。だから、わたしは、ヒーローになりたい。
「……あなた相手に必要ない」
「死ね」
 大きな腕が振り上げられる。咄嗟に身を屈めて横へ飛ぶ。鱗に覆われた腕は巨大な刃物に形を変えていた。“断頭刃”の個性だろうか。間近でコンクリートの壁が崩れる音を聞きながら、わたしは少しだけ後悔していた。
 ああ、いま、刃物の個性は相手にしたくなかった……。
 だらだらと汗が吹き出る。呼吸が浅くなる。ばつん、と耳の奥で嫌な音が響く。
 鈍い光を放つ刃は切れ味が良さそうで、追撃に備えなけりゃいけないのに足が竦む。右手で握る警棒は随分と心許ない。わたしがこんなにピンチなのに、わたしの個性はうんともすんとも発動しやしない。死なば諸共。いや意味が違う。
 頭上を刃物が通る。思わず目を瞑ったけれど、衝撃は襲ってこなかった。
「間に合った……」
 薄目を開ければ悪党は蛸の足に雁字搦めにされていた。締め上げられてぐるりと白目を剥いた男を縛り上げて、天喰くんが安堵の溜息を漏らす。
 彼の手際の良さに感心する間もなく、わたしはへたり込んでいた。天喰くんが肩を貸してくれる。
「無茶しすぎだ……、避難させたあとは逃げて良かったのに」
 天喰くんは“個性が使えないんだから”とは言わなかった。
 店の外からパトカーのサイレンが聴こえてくる。
「ヒーローの登場に興奮して、観客の癖に舞台に上がろうとしちゃった」
「観客なんていたら、俺は緊張で立っていられない。……君はヒーローだよ」
「なりそこないだよ」
 ヒーローになりたい、なりたいけれど。守ってもらってばかりじゃ務まらない。能力がなくちゃ誰も助けられない。両親に啖呵を切って来たのに、個性は戻る兆しも見えない。終いには出しゃばって同級生に心配をかける始末だ。
 客観的に見たら0点の行動だったと思う。自分のことを顧みない点を減点されて点数はマイナスだ。客席から飛び出した観客よりも性質が悪いのに、目の前の立派なヒーローの卵はわたしの背中を押すのだ。
 目が眩んで、涙が出てしまう。本当は、嬉しくて、いいや安心して、本当は怖くて、不安で、なんだかもう訳が分からなくて、わたしは少しのつもりがみっともなく鼻水まで垂らして泣いてしまった。天喰くんは困っていた。
 用事を終えて様子を見に来たファットさんはわたしたちの有様を見て「なんや青春か!?」と爆笑したので、終いには三人して笑った。

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