ファットさんの事務所で勉強させてもらうにあたり、まずわたしに与えられた業務、それは事務作業だった。電話を取りついだり、膨大な書類をファイリングしたり。事務所内で動くお金を銀行に振り込みに行ったり、用意してもらったPCをぽちぽちやって、敵の出現頻度を区域ごとにまとめたりするのだ。
 実家からファットガム事務所まで毎日通うのは厳しいので、しばらくは祖母の家にお世話になることにした。
 朝起きて、祖母と朝ごはんを食べて、シンプルめな私服に着替えて(母のスーツで出勤したら笑われた)、電車に乗って出勤する。PCの電源をつけて、ポットにお湯を沸かして、ファットさんが来たらコーヒーを淹れる。仕事のお手伝いをして、時間になったら挨拶をして、退勤。ヒーローとしての活動がない分、ひと足先に社会人になったかのような生活である。
 わたしが与えられた仕事に慣れてきたのを感じ取ってくれたのだろう。初日からコツコツ書き溜めたメモを整理していると、ファットさんから提案があった。
「すくい、そろそろパトロール出てみるか」
 なんと! こくこくと頷けば、彼は拳を突き出して「やる気やな」と白い歯を見せた。
 ファットさんは段階を踏んで仕事を振ってくれる。天喰くんだけでなく、押し付けられたわたしのことまでもしっかり育てようとしてくれるのだ。この人のためにも、なんとか役に立ちたいと強く思う。まだ二週間だけれど、わたしはすっかりこの場所が気に入っていた。
 たくさん覚えることがあるのもありがたかった。忙しい方がいい。余計なことを考えないで済むから。引け目を感じている暇があるなら、一つでも多くのことを吸収すべきなのだ。もし、ーーもし、個性が戻らなかったら。わたしは別の道を探さなくてはならない。これは、きっとそのための社会勉強でもある。ファットさんにも、両親にも、沢山甘えている。だから、なんだって一生懸命やろう。後悔しないように。
「ほな、環が来たら付いてってや」
「はい!」
「怪我せんように気ィつけて」
 


 久々にコスチュームに袖を通すと、少しだけ布が余った。鏡の前の自分は事件の前とそう変わらなく見える。
 相変わらず動かない左手を吊って、ファットさんから借りた警棒をベルトに差し込む。準備万端!
 丁度事務所にやってきた天喰くんはヒーローコスチュームを纏ったわたしを見て、合点がいったように頷いた。
「おはよう! 天喰くん」
「おはよう。匙測さん、今日からパトロールに出るのか」
「足を引っ張らないように頑張るので、よろしくお願いします!」
「あ、そんな丁寧に……。こちらこそ……宜しくお願いします」
「こら、ペコペコしてないで早よ行け!!」
 頭を下げ合うわたしたちが視界に入ったのか、ファットさんの大声で追い立てられるように外に出た。
「パトロール中は、ヒーロー名で呼んだ方がいいよね」
「……『サンイーター』」
「サンイーターってヒーロー名、かっこいいよね! センスあるって褒められなかった?」
「気が小さい癖に言うことはでかいとは言われたよ」
 自分で嫌な記憶を思い出してしまったのか、天喰くんはがっくりと肩を落とした。一頻り落ち込んだ後、深く息を吐き出して顔を上げる。ナイーブな人だけど、ちゃんとメンタルを自分で立て直せるのがすごいと思う。
 というか、打たれ強ければ最強なんじゃない? とは本人含め誰もが思うことらしく、天喰くんはインターン中もよく外回りをさせられている。この地域の人は良く言えば社交的、悪く言えばお節介な人が多いから、否が応でも会話をしなければならない。人に揉まれて人に慣れさせることが目的なのだそうだ。
「匙測さんのヒーロー名は……」
「へへへ。今はヒーローになれるかわかんないから、普通に名前で呼んでほしいな」
「わかった」
 わたしたちは商店街に向かう。道行く人たちは天喰くんを見かけると次々に声を掛ける。「ファットんとこの!」「サンイーターだ!」と呼ばれるたびに天喰くんは肩をビクつかせるけれども、親しみを込めて声を掛けられているのも理解しているのだろう。度々小さく会釈を返す様は彼の生真面目さを表していた。
 当然、彼のそばをついて歩くわたしも注目を浴びてしまう訳で、それこそ否が応にも素性を問われる。
「あれ、サンイーターの彼女?」
「あはは! ヒーロー志望の後輩です。ファットさんのところでお世話になってます」
 後輩ではないだろ、と天喰くんが言い掛けたので、まあまあと流す。こういうのって、なんとなくでいいと思うのだ。
「へえ、名前はなんちゅうの」
「すくいと申します!」
 自分の名前が覚えられるのと、なれるかわからないヒーロー名が覚えられるのと、どっちが良いのだろうかと少し考えたけど、今のわたしはヒーロー志望の雄英生ではないのだ。個性を出せなくなった一般人で、ちょっとトラウマ持ち。だから、今はただのすくいだ。
 商店街の人から「がんばりや!」と声をかけてもらって、顔を赤くするわたしを見て天喰くんが声をかけてくれた。
「匙測さんは明るいから、きっとすぐ馴染めるよ。俺はインターンに呼ばれた当初、関西弁が恐ろしくて外に出られなかった……」
「自ら来ておいて?!」
「それなのに毎日外回りさ。ここが地獄かと思った」
「あはは! 成長のきっかけってどこに転がってるかわかんないんだね」
「恐ろしい程の前向き思考……」
 思わず笑えば天喰くんが口元を緩めたのがわかった。今まで話したことがなかったから、勝手に寡黙で無愛想な人だと思っていたけれど、口を開けば話が上手くて面白い。同じクラスの通形ミリオの親友だと云うのも納得だ。



 商店街の人たちとたわいもない会話をしながら辺りを巡回していると、悲鳴が聞こえた。
「誰か! ヒーローはいないか!」
 わたしたちの耳が、その声を掬い落とすことはない。反射的に顔が上がる。
「……ヴィランだ」
 天喰くんの言葉に、握った拳に力が入る。
「いけるか?」
「いける! 戦闘はお任せするけど、他でお役に立つよ」
 言い切った。立つ、つもりだ。揉め事を傍観するためにパトロールに同行させてもらったわけではない。個性がなくともその辺の高校生と取っ組み合いをしたら勝つ。たぶん。
 わたしたちは頷き合って、駆け出した。
 悲鳴を辿っていけば、行き着いたのは小綺麗な宝石店だった。白を基調とした外装は半壊しており、ウェディングドレスを纏ったマネキンが、裾を焦げ付かせて歩道へ飛び出していた。
 割れたガラスで怪我をしているのは、その場に居ただけの人たちだ。小火の起きた店内で悲鳴をあげる女性店員だって、今日がたまたまシフトの日だっただけ。綺麗に展示されていた装飾品は根こそぎ奪い去られようとしている。当たり前だった日常が、人為的にぶち壊されていた。
「匙測さんは避難誘導を頼む」
「了解」
 言い終わるや否や天喰くんは店内に飛び込んでいく。一瞬で彼の身体は巨大な二枚貝に覆われて、頑丈な盾は敵の攻撃をものともしない。
 ーー個性“再現”。口にしたものの特性を再現できる彼の個性は攻守ともに隙のない万能な個性だ。
 店内は一瞬で乱戦となった。飛び道具のような個性を持ったヴィランが天喰くんに攻撃を浴びせる。しかし貝殻の盾は頑丈で、彼に傷のひとつも負わせることができない。
(よく、あの中に飛び込める……!)
 一体どれだけ自分を奮い立たせれば、凶器の飛び交う戦場に身ひとつで飛び込むことができるのだろう。
 天喰くんの奮闘を無碍にするわけにはいかない。わたしは周囲の人たちを避難させる。ほらほら、スマホで動画を撮ってないで、建物が崩れたら危ないから離れてくださいね。素直に誘導に従う人だかりから、女性が飛び出してきた。
「あのっ、友人がまだ中に……!」
「……っ、わたしが行きます。大丈夫、ちゃんと連れて帰ってきますから。あなたは避難していてください」
 女性の手を握る。今にも泣き出しそうな、不安気な顔だ。
 わたしはヒーローじゃなくて、ただの一般人だから、安心させてあげられなくてごめんなさい。でも、なんとかするからね。
「大丈夫!」自分を安心させるようにもう一度口にして、通用口に走る。予想通り鍵は壊されていた。音を立てないように静かに侵入すれば、職員用の給湯室の横に出た。小さめの会議室を覗き込めば、武装した男二人が逃走の準備を進めており、部屋の隅に女性が座らされていた。店内で抵抗を続けている数名が実働部隊で、残りの二人は戦闘向きの個性ではないのだろう。
 男の一人は銃を持っている。扉の向こうでは天喰くんが戦闘を続けている。衝撃で壁が揺れて、男のひとりが苛立ったように机を蹴り飛ばした。女性が短く悲鳴を上げて身体をこわばらせる。その態度が気に障ったのか、男が手を振り上げた。
 びくりと、左手が・・・跳ねた。
 二対一、おまけにわたしは個性が使えない。けれど、誰も助けてくれない恐怖を、わたしは知っている。
「やめなさい!!」
 飛び出してどうする。そんなの自分だってわかってる。どうにもならん。だけど、やるしかない。なんかないか、なんかないか。わたしはコスチュームのポーチから取り出した巾着を男に投げつけた。小さな巾着を叩き落とそうと手を翳した男の眼前で、巾着が弾けて胡椒が舞う。唐辛子の時もある。
 男が咳き込む、わたしは身を眺めて女の人の手を掴んだ。
「まっすぐ走って!」
 もう一人の男がこちらに銃を向けた。胡椒が気管に入ったらしい男は咽せ続けている。そのまま咽せてろ! わたしは警棒をベルトから引き出し、そのまま銃を構えるもうひとりに向けて投擲した。一瞬の隙ができたら儲けだったが、男は銃から手を離さなかった。体当たりをして、銃を掴む。自分の膝が笑っていることに気付く。汗で手が滑る。今こそ手が沢山いるだろうに、左手は飾りのように垂れ下がっている。
「んだ、このおん……」
 男の目は血走っている。口の端に泡をつけて睨んでくる。怖い。が、わたしは自分にできることを見誤らない。
 思い切り息を吸い込んで、ありったけの声で叫んだ。
「サンイーターーーーー!! たすけてーーーーー!!!」
 声量に自信あり。
 銃を持つ男と揉み合っていると、視界の端でもうひとりが動いた。途端、脇腹に衝撃。蹴り飛ばされたのだとわかるのは床に倒れ込んでからだった。銃口がこちらに向けられる。ひとつ、ふたつ。衝撃に備えて目を瞑る。……みっつ数えて何も起こらない。恐々と薄目を開けて振り向けば、ふたりの男は蛸の足に雁字搦めにされ、その横には肩で息をする人影があった。
 ヒーローの登場に、全身の力が抜ける。
「ま、間に合った……!?」
「それはこっちの台詞だ……」



 すぐに警察が来て、事情聴取や諸々のことは天喰くんが対応してくれた。わたしのお咎めはなしのようだ。
「サンイーター。助けてくれてありがとう」
「匙測さんの声が大きくて良かった」
「助けを求めたら来てくれるんだもん。ほんとにヒーローだったよ!」
「……きみも、助けに行っただろ」
 天喰くんが顔を上げて、わたしを見た。視線はすぐに逸らされてしまったけれど、つい飛び出してしまったわたしのことを、彼は責めないでくれた。
「悪いが、先に戻ってファットに説明入れておいて。それから、怪我も診てもらった方が良い」
「あ、うん。了解!」
 警察の人にまた呼ばれて、天喰くんは行ってしまった。
 考えなしに助けに行ったはいいけどさ、サンイーターがいなかったら、死……ななくとも、大怪我はしてたかも。
 わたしは身近なヒーローの背中をしばらく眺める。あまりに眩しくて、遠い。
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