ひゅ、ひゅ、と喉から笛のような音が漏れた。呼吸を整えながら、この状況を打開する策を考える。後部座席の端に座っていた人たちがわたしの腕を引っ張って、座席の後ろに身体を隠してくれた。
「大丈夫ですか……」
声を掛けてくれた若い女性が、ハンカチが汚れるのも関わらず、鼻血を押さえてくれる。
犯人たちは座席の前方に陣取り、何かを相談しているようだった。時折わざとらしく銃を取り出すので、前側に座る乗客たちは生きた心地がしないだろう。
犯人は3名。銃を持っているのがおそらく、「精神干渉」と「電磁操作」。先程わたしを殴り飛ばした少年ーー「剛腕」は彼の腕自体が強力な武器であるので、個性を解除した腕をぶらぶらと揺らし、運転手の横で窓の外を眺めている。
乗客が、小さく悲鳴をあげた。先ほどアナウンスを流した「電磁操作」が通路を歩き始めたのだ。座席に寝かされていたわたしは、奴の視界に入らないよう静かに半身を起こす。
現在、バスは高速道路を走行していた。インターチェンジの入口の電光掲示板は滅茶苦茶に発光しているので、「電磁操作」の影響範囲は想像よりも広範囲に及んでいるらしい。
街中で起こした人身事故によって警察が動いているはずだ。服役中のヴィランが逃げ出しているのだから、ヒーローにも要請が入っている。だから、この逃避行は長くは続かないはずだ。わたしの力ではバスを止められない。ただ祈ることしかできない。無力であった。
緊迫した雰囲気の中、バスの中ほどから子どものぐずる声が聞こえてきた。乗客たちが不安気に視線を向ける。
「ガキの泣き声ってのは、どうしてこう、気に障るんだろうなぁ……」
「電磁操作」が親子の座席に近づいた。鹿を撃つような大きな銃の先端を親子に向ける。子どもの泣き声が堰を切ったように大きくなる。泣き声のなか、お母さんが「許してください」と懇願したのが聞こえた。車内が静まり返る中、セーフティを外す音がする。それはわたしが駆け出すための合図だった。よぉい、どん。
転がるように、通路を走る。足の裏の感触で、靴が脱げているのがわかった。構わない。走って、つんのめって、「電磁操作」に身体ごとぶつかった。銃を掴んで天井に向ける。バスが揺れるような発砲音。それから火薬の匂いが立ち込める。心臓がけたたましく騒ぎ立てる。
「ーーさっきから、てめえ、なんなんだよ!」
引き金を引かなくちゃ。わたしと「電磁操作」は銃を掴んで揉み合いになる。狩猟用のライフルに弾は多く込められない。いま装填されている分を撃ち切ってしまえば少しは安全になるだろう。……もう一丁あるけど。
「うぐっ」
鳩尾に「電磁操作」の膝が刺さる。胃液が込み上げた隙に銃が手から離れて、銃床で後頭部を殴られた。床が近い。口の端からお昼に食べたものが出てくる。カニクリームコロッケの成れの果てだ。背中を踏まれて、呼吸ができなくなる。身体を丸めた上から、何度も何度も足蹴にされる。痛い、苦しい、情けない。なにひとつ、現状は良くなっていなかった。わたしが、弱いからだ。
「や、やめろよ!」
「ーーあ?」
「電磁操作」の動きが止まった。視線を上げれば、男の手には細長い針が一本刺さっている。振り向けば、後方の座席に座っていた少年が立っていた。個性を使って「電磁操作」に攻撃したのだ。
「良い度胸、じゃねえか。お前から、先に殺してやるよ、ガキ」
「ま、っ、待って……!」
わたしは男の脚にしがみつく。少年はわたしを助けるために、勇気を振り絞って凶悪犯に逆らった。あの子にひどいことなんかさせてたまるか。
「うぜえ」
振り払われる。それでももう一度しがみつく。左腕が使えないから噛みついた。「電磁操作」は痺れを切らしたようにわたしを蹴り飛ばして、銃を構えた。
撃たれたら、今度こそ死んでしまうだろうか。宝石強盗の時のように大声を出しても、ヒーローは助けに来てくれない。わたしが、やるしかない。
わたしは自分の左手を掴む。冷たい手首は相変わらずひくりとも動かない。動かないじゃ困る。頑張ってよ。わたしなら、できるんだから。できる。できる。できる。弾丸だって、なんだって防げる、魔法のスプーンが、わたしの、個性だろうが。
「なにぶつぶつ言ってんだ? アバヨ。ヒーロー気取りのバカ女」
発砲音にバスの乗客たちは耳を塞ぐ。余韻を残して音が消えた頃に、硝煙の香りが立ち込める。
「………………間に、合った……」
潰れた銃弾が膝の前に落ちた。フライパン程の大きさの巨大な金属の匙が、5本。わたしの前に翳されている。頑丈な素材でできたメジャースプーンには罅ひとつ入らない。
「……は、」
「電磁操作」は突然現れた個性に呆気に取られたようで、銃を構えたまま固まっている。わたしの心臓は早鐘を打ち、全身に血液を送っている。ずっと冷たかった左手が熱い。立ち上がる元気も、ある。
わたしは向けられたままの銃を掴んで、前のめりになった「電磁操作」の顔面を殴りつける。サイズも、重さも、軽量匙の形をしていれば好きに作り出すことができる。数キロの重さの陶器に顔面を強打された男はステップを踏んで、座席の方へ倒れ込んだ。乗客に拘束を頼んで、通路に落ちた銃を壊す。
仲間がひとり昏倒したのを見て、「剛腕」が動き出した。わたしは先ほど助けてくれた男の子のもとへ走って、彼が持っていたお道具袋から文具を拝借する。助けてくれてありがとう、と伝えれば、彼は唇を噛み締めて頷いた。
「おイタが過ぎるな、お姉さん。次はぐちゃぐちゃになっちゃうよ」
「剛腕」は対象をわたしに絞っている。まだ腕は変化していない。巨大な腕を振り回されてしまえば、乗客に怪我人が出てしまう。
「あなたにできるかな? おチビちゃん」
多分、年上だと思うけど。わたしの浅い挑発に「剛腕」は簡単に乗ってくれた。振り上げられた腕が天井に当たり、蛍光灯が割れる。衝撃とともに通路に穴が開く。短気な性格だ。バスが壊れてしまえば彼らの逃走劇も幕引きだというのに。
(最大出力で、換算する……)
右手の親指は匙に変化していて、それを他の四本で隠すように握る。小さじの匙の上には先ほど男の子から借りたボンドが注がれていた。
わたしの右手の匙で測ったものは、小さじ1からわたしの身体の質量までを限度に、その質量と体積を増減させることができる。小さじ1で測ったボンドは、左手の巨大な匙を満たすほどに体積を「増やしている」。
わたしは左手を振り上げていた。その手が一瞬で軽量匙に変化して、その中身は突然現れる。「剛腕」は巨大な手を通路に置いたまま、ボンドの海に溺れることとなった。
「がは、なんだこれ、なに、おい、なんだよ、これ!」
「木工用ボンドだよ」
「剛腕」の身体を覆うように粘着いた液体がまとわりつく。じたばたと身動ぎをするが、思うように体を動かせない。固まるのも時間の問題だろう。
わたしは座席を乗り越えて、運転席の反対側に向かう。出入口の付近には非常用の緊急停止レバーがある。公共交通機関にはこういった安全装置が付いているのだ。硝子を割って、レバーを力一杯引く。
がくん、と盛大にバスが揺れる。緩やかに減速していくのがわかって、ようやく安堵の息を吐く。あとは、ひとりだ。
「やるなあ、お前」
背中にかけられた声に振り向く。男の目を見て背筋が冷えた。この男が「精神干渉」だ。
後方の非常扉が開く。安全装置が働いたのだろう。この速度ならば飛び降りても擦り傷で済む。わたしはありったけの大声で叫んだ。
「みなさん、逃げて!!」
わたしが叫んだ瞬間、「精神干渉」が手を鳴らした。
立ち上がった乗客たちは、びくりと体を跳ねさせると突然棒立ちになった。それから静かに座席に腰を下ろす。
「……何をしたの」
「おれの個性だよ。「精神干渉」さ。あいつらが逃げ出すと面倒だからな。なあ、「剛腕」?」
振り向けば、足止めしたはずの「剛腕」が背後に立っていた。接着された部分を無理矢理動かしたのか皮膚が剥がれ血まみれだ。それに、目の焦点が合っていない。
「っ、が、っ……!!」
振り降ろされた腕を避ける余裕は無かった。変化させた腕では受け止めきれない衝撃が身体を襲う。ばきばきと骨が軋む音が頭の奥で響いて、脳の芯が揺れる。
「身を挺して乗客を守ろうとしたのは立派だったなあ。個性も使い慣れてる。ヒーロー志望だったのか」
床に転がって血を吐き出す。自分の腕は生身になっていた。個性を利用できる限界に達したのだ。戦闘訓練以外で戦ったことなど殆ど無いに等しかった。わたしは、災害時に役立つヒーローだった。だから、戦闘はからっきしだったのに。
「……ヒーローが、うっ……すぐ、来る……」
「そうだなあ。そこで、こいつの出番だ」
「精神干渉」が指さす先、座席の下には黒々とした機械が置かれていた。「電磁操作」によるアナウンスを思い出す。ーー爆弾、だ。
「おれたちはここらでさよなら。丁度ヒーローが来る頃にはーードカン、だ」
「ふざ、け、ないで……」
「いい顔だ」
顔を歪めて、「精神干渉」は笑った。倒れ伏すわたしを乗り越えて、足首を踏みつけた。ごきり、と嫌な音が鳴る。頭の先まで痺れるような激痛が襲った。
「お前だけ逃げたら乗客に恨まれる。ちゃんとみんなで死なないとな。それじゃ、盛大に頼むぜ」
気を失った「電磁操作」を抱えて、ふたりはバスを降りていった。残されたのは、意識を奪われた運転手と乗客と、這いつくばるわたし。爆弾のタイマーは容赦なく時間を減らしていく。
(……どうしよう。どうしよう、どうしよう!)
わたしは身体を引き摺って爆弾の近くに寄る。なんとか個性を発現して、爆弾を覆う。けれど、すぐに自分の指に戻ってしまう。がんばれ、がんばれ、がんばってよ。みんな、死んじゃう。
「……っ、みなさん、目を覚ましてください! 逃げて! 逃げてえっ……」
非常口、開いてるのに。バスも、止めたのに。このままだと全員爆発に巻き込まれてしまう。わたしは何度も個性の発現を試す。視界が揺れる。鼻血が垂れる。その上に涙が落ちて赤が滲む。死にたくない。死んでほしくない。助けたい。助けてほしい。
カウントダウンが尽きる前に、わたしは意識を失った。
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