<きみは泣き虫なヒーロー>

 目を醒ますと、わたしはやけに現実と酷似した天国にいた。
(い、生きてる……)
 意識が覚醒してからも瞼が中々持ちあがらなくて、やっとのことで薄目を開ければ見覚えのある天井が映った。息を吸い込もうと口を開けばからからに乾いていて、すぐには声が出てこなかった。
「すくい……!」
 名前を呼ばれる。ベッドの脇に置かれた丸椅子に座っていたのは父と母で、ふたりは顔をくしゃくしゃにして涙を流した。先日もこうして病院で両親の泣き顔を見たのに、わたしは懲りない親不孝者だ。
「……個性が、戻ったの」
 干からびた声で絞り出した第一声。何を話そうかと頭で考える前に言葉が出てきていた。ずっと待ち望んでいたことだったから、思わず口に出してしまったけれど、本当に伝えるべき言葉は「心配をかけてごめんなさい」の方だった。
 ふたりはそんなことはどうでもいい、とでも言いたげにわたしの手を握って、「生きていてくれて良かった」と繰り返した。
「……あ! わたしの他の人たちは、どうなったの?」
 病院に運ばれるまでの記憶が段々と戻ってきた。わたしと一緒にバスに乗っていた乗客たちは無事なのだろうか。子供を守ろうとしていたお母さん。ヴィランに立ち向かった勇敢な男の子。わたしの記憶の中で彼等は“精神干渉”に操られ座席に縛り付けられていた。
 急に元気を取り戻したわたしに急かされて、母が新聞を手渡してくれた。ベッドを起こしてまだぼやける目で母の指先を追いかける。
新聞の一面には、『脱獄犯、狂気の高速バスジャック!』と大した捻りのないタイトルが載っていた。写真にはわたしの記憶よりもずっとボロボロになったバスの写真と、見覚えのあるヒーローの顔写真が映っていた。
「全員無事だって。バスに跳ねられた通行人も生きていたみたいよ」
 全員無事。母の言葉を口の中で繰り返す。胸の奥が熱くなって今更ながら涙が込み上げてきた。助かってくれて良かった。わたしにティッシュを差し出す父が言った。
「バスが止まった後に、豊満くんたちがすぐ駆けつけてくれたらしい」
「とよ……?」
 聞き覚えの無い名前に首を傾げると、父は笑ってわたしの背中を叩いた。
「ファットガムだよ。お前あれだけ世話になっておいて本名を知らないのか」
 そういえば事務所で書類の整理をしていた時に良く見た名前だった。
豊満さん、もといファットさんがすぐに駆け付けてくれたおかげで爆弾による惨事は防ぐことができたようだ。
 父は鞄からタブレットを出して画面を見せてくれる。どうやらニュースを保存していたようで、動画の再生ボタンが押されるとアナウンサーがファットガムとサンイーターの名前を読み上げた。
 わたしが気を失った後のことは、上空から撮影された動画に収まっていた。路肩に止まったバスを見つけたヒーローの行動は迅速で、環くんが個性を使って一瞬でバスの扉を広げて乗客を引っ張りだす。残り数秒であったはずの爆弾は、ファットさんの個性“吸着”によって沈められ、威力の殆どを削がれて彼の頬を焦がす程度で済んでいた。逃げたヴィランは駆けつけた他のヒーローに捕らえられ、牢獄へと送られたらしい。
 流石だ、とわたしは動画を眺めながら唇を噛みしめていた。
 勿論、多種多様な個性を持つヒーローにも向き不向きはある。それでも、圧巻だった。
「すごいなあ、二人とも……」
 思わず声に出していた。本当は、わたしも二人みたいになりたかった。そうすればきっと乗客たちも不安な思いをしなくて済んだだろう。オールマイトのような背中に憧れて、ヒーローを目指したけれど、わたしの背中は随分と頼りない。
「かっこいいよねえ。でもね、すくい。この後を見て欲しいの!」
 母が興奮した様子で画面を覗き込む。空中から写された動画のあと、救出された乗客たちがマイクを向けられていた。
『この子を助けてくれたのは、高校生くらいの女の子でした』
 小さな女の子を抱きしめる女性が映される。わたしは思わず目を見開いていた。
『スプーンのお姉ちゃんが、助けてくれたんだ』
 お道具袋を抱きしめる少年はぐしぐし鼻を啜りながら、まっすぐ前を見据えている。
 あまりにも、二人の姿は眩しかった。顔色は悪く、恐怖と不安でいっぱいだっただろうに、事件のすぐにマイクを向けられたはずの二人は目を光らせながらカメラに向かう。
 涙が次からつぎへと頬を伝った。
わたしは、何にもできなかった。ファットさんと環くんが来てくれなかったら全員死んでいたというのに。それなのに、インタビューを受ける人たちはみんな、ボロ雑巾みたいになってヴィランと奮闘した女の子の話をする。
『す、スプーンですか……?』
 レポーターは困惑した表情で乗客の話題にあがる「スプーンを使うヒーロー」について復唱する。困るのも無理はない。そりゃあ、そんなヒーローは人前に出ていないもの。
 わたしは仮免こそ持っていたけれど、インターンもほぼほぼ行けずに休学になってしまったので学外で個性を使用する機会など殆ど無かったのだ。
 レポーターの女性が首を傾げた後、先程の女の子とお母さんがもう一度画面に映し出された。すう、と息を吸って、彼女はカメラに向かって大声を出した。
『スプーンの女の子! きっとあなたも無事でいてくれると信じてます。本当にありがとう。あなたは、わたしたちのヒーローです!』
 わたしは思わず停止ボタンを押していた。
 顔が涙でぐちゃぐちゃだ。隣で感動した父と母も泣いていた。病室が個室で良かった、と酷い顔の両親にティッシュを渡しながら思った。涙もろいのは遺伝なんだな。
 おんおんと親子で鼻をかんでいると、ノックの音が鳴った。
 「どうぞ」と母が応えるとやけに緩やかに扉が開いた。徐々に開いていく隙間から見えるのは雄英の制服だ。恐る恐る扉に手をかける猫背の男の子の姿が見えた。先程まで泣いていた母が目元を拭って急に笑顔を浮かべる。
「あら環くん、また来てくれたのね! すくいの目が覚めたの。会っていって」
 えっ。
 予想外の人物に、わたしは焦って顔を手で覆う。会えない会えない!
「まって! いま人に会える顔じでない……!」
「娘の為にわざわざありがとうね。豊満くんにも宜しく伝えておいて」
 父も笑顔を浮かべて扉を開けだしたものだからもうわたしは慌ててしまう。
ちょっとー! 娘の話、聞いてよ!!
 丁寧に両親に向かって頭を下げて病室に入ってきた環くんは、持ってきた紙袋を母に渡してこちらを見ると「良かった。目、覚めたんだな」とわたしに向けて笑った。
「……っ!」
 3ヶ月同じ事務所にいたというのに、彼が笑った顔を今まできちんと見たことが無かったわたしは、その衝撃に茫然としてしまう。環くん、笑うんだ……。
「こら、すくいなんか言いなさい。あんたを病院に連れてきてくれたのも環くんなのよ」
 会うならもうちょっと小奇麗にしている時に会いたかった。こんなさっき起きましたみたいな顔と髪型を見られて、わたしの乙女心は中々に傷ついている。
「えと、……助けてくれてありがとうね」
「いや……。ああ、その……」
 目覚めてすぐに環くんに会うと思っていなかったせいもあって、わたしの声は中々に裏返り、照れくささから目を逸らしてしまった。対する環くんも目を泳がせて俯いてしまう。そのあとに続ける言葉が出てこなくて、沈黙が続く。
 ほら、変な雰囲気になっちゃったじゃない! 環くんじゃなくてもこの状況はハードルが高い。渡すものを渡してさっさと立ち去りたいだろうに、うちの両親はやたらにぐいぐいと環くんに話しかける。やめてー!
「あ! おじさんたちが居ると話しにくいよな!」
「え?」
「おばさんたち、飲みものでも買ってくるわ!」
 何に気づいたのか、両親は二人して顔を見合わせて、どたどたと病室を出て行った。絶対勘違いをしている。娘の見舞いに格好いい男子高校生が来たものだから、彼氏か何かだと思っているのだろう。違う。
 浮かれあがる両親の誤解をあとから解かなければならないと思うとちょっと気が重くなる。
「……ごめんね! 騒がしい親で。何度か来てくれたって言ってたけど、相手するの大変じゃなかった?」
 この親にしてこの子ありだ、って思われているのだろうか……。空いた椅子を勧めると環くんは口元に手をあててふふ、と笑った。
 あれ、こんな柔らかい雰囲気の人だったっけ……?
「そんなことはないよ。明るいご両親で、すくいさんに似てるんだな」
「へ、あ、そ、そう!?」
 予想外の反応が返ってきて、わたしの方が素っ頓狂な声をあげてしまった。
 さっきからわたしばっかり焦っているような気がする。いつのまにか両親と環くんは知り合いになっているし。
 ひとりむくれていると、環くんはスマホをポケットから出して、わたしに向けた。その画面には先ほど両親が開いてくれたニュースの画面が映っている。
「見たかい」
「途中までなら。助けてくれたのはふたりなのに、なんか申し訳なくなっちゃう」
 照れ笑いをするわたしに、環くんが真剣な顔をして言った。
「違うよ。乗客を助けたのはきみだ」
 普段の彼と違う力強い言葉に、わたしはすこし驚いた。
「あ、えと……ファットも褒めてたよ」
 環くんの指がスマホの画面をなぞる。先程見た場面まで動画を進めて再生ボタンを押せば、小さな画面いっぱいにファットさんが現れた。どうやらインタビューを受けているらしい。
『ファットガム、お手柄でしたね』
『俺らは今回なんもしてへん。後始末だけ』
『乗客が話題にしていた“スプーンのヒーロー”についてご存知ですか?』
『はぁ、逆に知らんのかい。彼女、こっちじゃ有名やけどなァ』
 画面の中のファットガムは白い歯を見せて悪戯っぽく笑っている。
 その表情が得意げで、訴えるような目線はテレビの向こうのわたしに向けられているような気さえした。
「……うぅ」
 環くんの前では泣いてばかりだ。顔をしわしわにして泣き出したわたしに、ティッシュが差し出される。困り顔の環くんはそれでも少し慣れた様子で「ほら、続き」とわたしに声をかけた。わたしはティッシュをむしり取って鼻水をかみながら続きを覗く。
 画面の中でまだインタビューは続いていた。環くんがスマホの音量を上げる。ファットさんの大きな声がしっかりと届いた。彼は件のヒーローの、誰も知らないような名前を高らかに告げる。
 心臓が音を立てる。顔に熱が集まる。鼻を啜って泣いているわたしの背中に、環くんの手が触れた。彼は噛みしめるようにゆっくりと、選び抜かれた優しい言葉を口にする。

「前に言っただろ。きみはもう、ヒーローなんだって」

 ――サジカゲン、と環くんがわたしを呼んだ。わたしはこくこくと頷いて、自分でつけたヒーロー名を復唱する。
そう、わたしは、”サジカゲン”。誰かをすくい上げたくて手を伸ばす、未熟者のヒーローだ。


<END>

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