足元がふわふわする。誰かに抱えられる夢を見ていた。人にやさしく抱き上げられるなんて、赤ちゃんの時以来じゃないかしら。わたしは爪先が揺れる感覚に安心して、夢の中なのにまた目を閉じた。
死後の世界って寒いと思っていたけど、そこまで寒くないみたい。寧ろちょっと暑い。……暑いってことはないよね、つまり、ここは死後の世界じゃないってわけ。
睫毛が張り付いた瞼が重い。やっとのことで薄目を開ければ見覚えのある天井が映った。視界に点滴のパックが見えて、ここが病院だと気付く。開いた視界から膨大な情報が流れ込んできて、急に意識が覚醒する。
わたしが掠れた声をあげたので、病室にいた父と母がわたしの名前を呼んで、手を取った。顔は涙でくしゃくしゃだ。先日もこうして病院で両親の泣き顔を見たばかりだというのに、なんて親不孝者だろう。
(手、あったかいな……)
「……しんぱい、かけてごめんね」
乾いた唇から出てきた声は掠れていたけれど、確かにふたりに届いただろう。父はおんおんと布団に被さって涙を流し、母は「心配しちゃうよ、どうしたって」と言ってまた鼻水を盛大にかんだ。わたしまで涙が込み上げてくる。
「あのね、話したいことがたくさんあって……」
「そう、そうなの、すくい、あのね、あなたの個性が……」
「バスの乗客は全員無事で……」
「お母さんの誕生日ケーキが……」
だめだ、誰一人として落ち着いていない。三人して顔を見合わせて笑ってしまった。わたしたちは順番に話し出す。わたしの個性「軽量匙」が戻ってきたこと。バスジャック事件の犯人は全員が捕獲され、乗客たちも、事故に巻き込まれた人たちも全員無事だったこと。それから、お母さんの誕生日祝いはわたしの快気祝いとまとめて開催されること。
「お前がバスを止めた後、みっちゃんたちがすぐ駆けつけてくれたんだ」
「……みっちゃん?」
「ファットガムだよ。豊満太志郎でとよみっちゃん・・・・・」
「あなたその呼び方やめなさい。プロヒーローよ」
父も母も浮かれていて、わたしはうれしい。父が鞄からタブレットを出して渡してくれた。ニュースを保存していたようで、再生ボタンが押されると画面には件のバスが映し出され、アナウンサーがファットガムとサンイーターの名前を読み上げた。ふたりが駆け付けてくれたのかと思うと、胸の奥があたたかくなる。
動画は上空から撮られていた。路肩に止まったバスを見つけたヒーローの行動は迅速で、環くんが個性を使って一瞬でバスの扉を広げて乗客を引っ張りだす。残り数秒であったはずの爆弾は、ファットさんの個性「吸着」によって沈められ、威力の殆どを削がれて彼の頬を焦がす程度で済んでいた。逃げたヴィランは駆けつけた他のヒーローに捕らえられ、牢獄へと送られたらしい。
「すごいな、二人とも……」
「かっこいいよねえ。でもね、この後を見て欲しいの!」
母が興奮した様子で画面を覗き込む。空中から写された動画のあと、救出された乗客たちがレポーターにマイクを向けられていた。
『この子を助けてくれたのは、高校生くらいの女の子でした。恩人です。無事でいてほしいです』
小さな女の子を抱きしめる女性が映される。わたしは思わず目を見開いていた。「電磁操作」に撃たれそうになっていた親子だ。
『スプーンのお姉ちゃんが、僕たちを助けてくれたんだよ』
お道具袋を抱きしめる少年は鼻を啜りながら、カメラを見据えている。あなたのお陰だよ、って、言いたかった。
「う、うぅ……」
わたしは、何にもできなかった。ファットさんと環くんが来てくれなかったら誰も助からなかっただろう。それなのに、インタビューを受ける人たちは「スプーンの女の子」の話を口々にする。レポーターのお姉さんが綺麗な眉を下げて首を傾げた後、先程の女の子とお母さんがもう一度画面に映し出された。すう、と息を吸って、彼女はカメラに向かって言った。
『あの時、世界から見捨てられた、って思ったの! 助けてくれて、ありがとう!』
ぎゅ、と目を瞑る。あとからあとから涙が出てきて、くるしい。涙で前が見えないから、動画の停止ボタンを押した。
親子でティッシュをむしり合っていると、病室の扉をノックする音が聞こえた。看護師さんかと視線を向ければ、母が「あら!どうぞ」と明るい声を上げた。
緩やかに開いた扉の隙間から見えるのは雄英の制服だ。まさか、とわたしは身構える。わたしが入院していることを知っている同級生は、ほとんどいないはずだった。それなのに、態々お見舞いに来てくれる人なんて、いないはずで。もしいるならこんな顔で会いたくはなくてーー。
静止の声をあげようとするが、父も母も歓迎ムードでドアの方に向かってしまう。
「「環くん!」」
父と母が嬉しそうに来客の名前を呼んだ。
ワーーーー!? 環くん?!?!?
ほんのちょっとだけ予想はしていたが、まさか目覚めたタイミングで環くんが現れるとは予想だにしていなかった。わたしはもう寝起きもいいところで、睫毛だって涙でくっついちゃってて、顔だってまだ腫れてるのだ。
娘の葛藤を知ってか知らずか、二人は環くんに嬉々として話しかけていた。
「また来てくれたのね。すくいの目が覚めたの。良かったら会っていって」
「娘の為に態々ありがとう。みっちゃ……豊満くんにも宜しく伝えてください」
両親に向かって頭を下げて、病室に入ってきた環くんは、持ってきた紙袋を母に渡して、ひとりパニックになっているわたしを見ると「良かった」と言って微笑んだ。わたしはその衝撃に茫然としてしまう。環くん、笑うんだ……。
「こら、すくい。黙ってないでお礼言いなさい。あんたを病院に連れてきてくれたのも環くんなのよ」
「だって、いま人に会える顔してないんだもん……」
わたしは両手で顔を隠す。それを照れ隠しと受け取った両親は、二人して目配せをし合い、何かしらのメッセージを交わし合ったのか、環くんを椅子に座らせると「ちょっと飲み物でも買ってくる」と言って慌ただしく病室を出て行ってしまった。
「ごめん……。親が浮かれちゃって……」
可哀想な環くんは用事を済ませてすぐに帰ることもできず、わたしのベットの隣に座ってくれていた。気まずいよね、と助け舟を出したつもりが、彼は先ほどと同じようにやわらかく微笑んで「御両親も浮かれるさ。すくいさんが無事だったんだから」と言った。
わたしはまた言葉を失ってしまう。笑顔を向けられたのは先ほどから二回目で、その表情はやさしい。環くんが、わたしのことを心配してくれたのが伝わって、また鼻の奥がツンと痛む。
「あ、すくいさん。ニュースは見たかい」
「途中までなら。……助けてくれたのはファットさんと環くんなのに、みんな「精神干渉」の個性のせいで覚えてないんだもん。申し訳なくなっちゃうよ」
照れ笑いをするわたしに、環くんが言った。
「違う。乗客を助けたのは、すくいさんだよ」
普段の彼と違う力強い言葉に驚いた。環くんは固まったわたしの顔を見て、慌てたように言葉を続ける。
「あ……。ファットも褒めてたし。ほら」
環くんがポケットからスマホを出して動画を見せてくれる。「どこまで見た?」と聞かれてタイムコードを指差せば、環くんが途中から再生してくれた。
小さな画面いっぱいにファットさんが現れる。どうやらインタビューを受けているらしい。
『ファットガム、お手柄でしたね!』
『いやあ、俺らは今回なんもしてへん。後始末だけや』
『ひとつ質問が。乗客が話題にしていた「スプーンのヒーロー」についてご存知ですか?』
『はぁ? 逆に知らんのかい。彼女、こっちじゃ有名やけどなァ!』
画面の中のファットさんは白い歯を見せて、ファファ! と悪戯っぽく笑った。その表情が得意気に見えて、わたしは画面の向こうにいるファットさんに、認めてもらったような、自慢されているような気持ちになる。
堪えられなくてまた泣き出したわたしに、慣れた様子でティッシュが差し出される。困り顔の環くんが「ほら、続き」とわたしに声をかけてくれるのだけど、鼻水をかんでいる間は動画を止めてくれた。やさしい。
インタビューは続く。環くんがスマホの音量を上げる。ファットさんの大きな声が、誰も知らないようなヒーローの名前を高らかに告げる。
心臓が音を立てる。顔に熱が集まる。鼻を啜って泣いているわたしの背中に、環くんの手が触れた。彼は大事なことを伝えるみたいにゆっくりと、わたしがいちばん欲しかった言葉を口にした。
「きみはずっと、ヒーローだったよ」
ーーサジカゲン。と環くんがわたし・・・を呼んだ。
わたしはこくこくと頷いて、名付けたヒーロー名を復唱する。
そう、わたしは、「サジカゲン」。
小さなスプーンのひと匙分しか誰かを救えない、ちっぽけなヒーローだ。何度打ちひしがれても諦め悪くスプーンを振り回す。ヒーローを名乗る限り、誰かの涙を掬って、困った人を救って、いたいから。
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