十村瑠璃は平凡な娘だった。墓守の一族という生まれは、貴族の子女も通うくのいち教室ではやや異質であったが、温厚で朗らかな気質と身に付けた処世術は瑠璃を「何処にでもいる」娘に見せたので、幸いにも忍術学園では彼女を出自に惑わされず評価を受けられた。
 行儀見習いのために入学させられたくのたまの同輩たちは学年が上がるにつれ退学の道を選ぶ。同じ学年でくのいちを目指したのは、瑠璃と牡丹の二人だけだった。
 上級生になった瑠璃は自身が『忍びに向いていない』ことを理解していた。いざという時の苛烈さも、判断力も身体能力も同輩たちのなかでは下の方だった。きっと団子屋の売り子の方が向いていただろう。
 それでも、忍びになるしか道がなかった瑠璃は、決意だけを胸にここまで進級してきたのだ。
 気の弱さも、思い切りの悪さも、この学び舎のなかでなら変えていける気がした。適応できないから変わるのではなく、これから生きていくために、自分がこうなりないと望む形に向かうのだ。
 忍術学園では、教師も、生徒も、ひたむきな努力を好んだ。それが、たとえいつかは水泡に帰すものだとしても。
 瑠璃は走る。向かうは自陣だ。できることならなんだってやる。あがいて、あがいて、全部出し切るのだ。普段ならできないことも今なら試せる。今日は、自分たちのための宴なのだから。

 楪牡丹はまごうことなき天才であった。
 あれが一国の姫と言われれば誰もが信じるだろう。品格と麗しさを纏う彼女が、冴え渡る聡明さと、人外かと見まごう程の身体のしなやかさを備えて忍びの名家に産まれてきたのは、幸運とも不運とも判別がつかないところだった。
 幼い頃から牡丹と付き合いのあった三郎は、一目会った時から互いがひどく厭世的な人間だと気付いていた。牡丹は聡明で人当たりの良い少女だったが、それが他所行きの仮面であることを三郎は看破していた。幼い頃から天才と呼ばれてきた二人は競い合うように成長し、そうして忍術学園に入学した。
そして月日が経ち、並び立つ牡丹は猛禽のように瞳を尖らせて小平太に飛び掛かる。呼吸は乱れ、頬は裂け、何度も地面に転がされて忍び装束は泥に汚れているが、口元は弧を描いていた。
「わはは! わかるぞ。楽しいなぁ、楪!」
 牡丹の言葉を代弁するかのように小平太が言う。
 ふたりが苦無をぶつけあった瞬間、三郎が異変に気付いた。視界の端から手裏剣が飛んだのだ。
 力比べで牡丹が小平太に敵うわけはない。まるで牡丹に加勢するかのように、小平太に向けて放たれた手裏剣は彼の左手で叩き落とされる。腹の底から渇いた笑いが漏れる。
「……お前ら、“それ“は私の十八番だ」
 三郎の視線の先に立っていたのは牡丹だった。いや、正確には“牡丹の変装をした” 瑠璃だったのだが、そこは問題ではなかった。
 戦闘中だというのに小平太は腹を抱えて笑い出した。これはまずい、と三郎は偽者を睨む。膠着状態の中に投げ込まれた起爆剤のようなものだ。
「あら、そうでしたか?」
 牡丹の偽者が肩を揺らしながら三郎に応えた。
(まずいな。声がかなり似ている)
 見た目の精度はそこまで高くない。並べずとも変装であることは瞭然だった、しかし、瑠璃の変装の精度の高さは声色にあった。
 三郎と牡丹が連携に声を掛け合うことは稀だ。しかし、混戦になった時に、瑠璃の存在は雑音になる。
 牡丹も同様の考えだったのか、現れた瑠璃を確認するために小平太から目線を切った。その隙を逃すはずもなく、牡丹の眼前に手裏剣が飛ぶ。豊かな黒髪が一束切り離され、後ろに跳んだ牡丹を小平太が追いかける。距離を取ろうとする牡丹の試みは、小平太の振り下ろす苦無の重さにことごとく潰されていた。金属のぶつかりあう音が続き、牡丹の苦無が手から弾かれた。踏み込んだ小平太の膝が牡丹の鳩尾に刺さる。
「――が、は」
 牡丹の身体が折れ曲がり、小平太が三郎に標的を絞る。
 札を取られれば脱落の忍たまたちと異なり、くのたまの二人に脱落はない。身体が動く限り自軍の勝利に貢献しなければならない。物語の中のお姫様とは似ても似つかない役割に、演習の内容を聞いた瑠璃と牡丹はうんざりした顔を浮かべた。
 姫と呼ばれる役割とはいえ、これは演習だ。彼女たちが忍たまたちに比べて戦闘能力が低いからといって、休む暇など与えられるはずもなかった。
(寝てたら終わっていました、なんて勿体ないこと、出来るわけがない。動け、動け……!)
 牡丹は腹部を押さえて息を吸い込む。視線の端に、自分の変装をした瑠璃の姿が映る。まったく、自分の後ろで泣いていた同輩が、随分と成長してしまった。
 隠していたはずのどろどろした内面も、ここでは引き摺り出されてしまう。競い合うことの愉しみも、敗北の悔しさも、牡丹はこの学園に来てはじめて学ぶことができた。
 自分の持てるもの全部を出し切る。牡丹も、瑠璃も、三郎も小平太も、この場の全員が同じ感情を抱いていた。
「牡丹!」
 三郎が名前を呼ぶ。同じ顔をした二人が声を出さずに視線を向ける様はまるで双子のようだった。三郎は短く舌打ちをして、今回の演習から漏れた半身のことを思う。
 技術を真似ることはできずとも、瑠璃は牡丹の振る舞いや仕草を日頃から観察していたのだろう。当初の位置取りから三郎が二人を見間違えることはないが、瑠璃の動きは厄介だった。
「七松先輩!」
 小平太に声を掛け、苦無を持って三郎に向かってきたのは牡丹の偽者だ。視線は三郎の背後に向けられていた。汗で白粉は溶け、疲れたおんなの顔が顔を出す。限界が見えていた。
 三郎は背後に向けて鏢刀を打つ。視界の端で牡丹が身体を起こしたのが見えた。
 瑠璃が跳ぶ。三郎の首元に手が伸びて、ぴんと指先を張ったまま、身体が硬直した。後頭部に打ち付けた拳は上手く意識を刈り取ったらしい。地面に倒れる前に襟を掴んで背後へ投げる。
 追撃に備えるために身体を向ければ、小平太の位置にいたのは牡丹ひとりであった。
 牡丹の意識も背後に向けられていた。意識を失った瑠璃の身体を受け止めきれず、牡丹も倒れこむ。呆気に取られたのは一瞬。その隙に、小平太の姿が忽然と消えていた。
 三郎と牡丹の視線が合った。その背後で、音もなく三郎の背後の木が揺れた。
「取った!」頭上から大声が降ってくる。
身を翻す間もなく、三郎は膝をついた。首元から下げていた札が小平太の手に渡る。



 教師の合図を受けて、赤色の硝煙が打ち上げられた。
「やられた」苦々しく三郎が口にする。
「やられました」
 牡丹も制服の泥を払いながら続けた。その表情には有り有りと悔しさが滲んでいる。
 苦い顔をした二人が俯いた視界に、小平太が倒れ込んだ。制服が汚れるのも構わず、身体を大きく投げ出して「ああ楽しかった!」と言い放つので、三郎も牡丹もすっかり毒気を抜かれてしまう。
 牡丹は深く息を吸い込んだ。頬の横で、短くなった髪が揺れる。全身を鈍い痛みと疲労感が襲う。自分にしては気の抜けた声が漏れた。
「それは、まあ……」思わず苦笑する。
 行儀が良いとは言えない小平太に倣って、牡丹は地面に座り込んだ。身体の力が一気に抜けて行くのを感じた。
「楽しかった、ですね」
 三郎が牡丹の言葉を続けた。照れくさそうに頬を掻くそぶりも、彼にしては珍しかった。ふ、と牡丹が笑みを零せば、小平太が豪快に笑った。つられた三郎も笑う。
 口に出してしまえば、胸に灯っていた熱さがじわりと全身に染み渡った。この『宴』は本当に楽しかった。
 
 忍びの癖に全身を投げ出して笑いだすほどに。感情を押し殺すことに慣れた瞳が濡れるほどに。

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