「勘右衛門、上手くやっていますかねえ」
「あいつは度胸がある! お前こそ人の心配をしていて大丈夫なのか?」
「わたしも気合入れていきます!」
「いいぞ、その意気だ!」
小平太の大声に釣られるように、瑠璃は腹から声を出して返事をする。忍びらしからぬ二人の振る舞いに、後輩たちが彼女たちを見たら度肝を抜かれただろう。それもそのはずだ、小平太と瑠璃の役割は陽動なのだから。
前を走る小平太に置いて行かれないように、瑠璃は彼の背中を見失わないように枝を注意深く選んで飛ぶ。昨年までのように、枝が突然折れただとか、鳥の糞が落ちてきただとか、そんなことで足を止めていてはこの暴君に捨て置かれてしまう。自分を待って助けてくれていた優しい先輩は今回の演習には参加していない。瑠璃は拳を握り、前を見据える。
二人は自陣から離れ、丁度相手の陣地へと足を踏み入れようとしていた。
三枚の札を手に入れるには相手を見つけなければならない。
この演習の肝は勝利条件が二つ用意されている所だ。正攻法で姫役の捕縛を目的とするならば、隠密行動が原則となる。
しかし、相手側の木札を奪うとなれば話は別だ。隠密行動を取っている相手を見つけ出さなくてはならない。隠れている相手が姿を現すのはいつか。単純明快。姫役を捕獲するときだ。瑠璃は溜息を付きながら囮として小平太に追従して山を駆けていた。
「お出ましだ! 気合入れていけよ」
「はい!」
小平太は嬉々として苦無を取り出した。瑠璃も腰の忍び刀を抜いた。
戦闘に関しては学園でも桁外れの能力を持つ小平太から離れなければ、攫われることはないだろう。相手方の牡丹とは異なり、瑠璃は上級生の目を掻い潜って逃走する術を持たない。つまり、捕まってしまえば救出を待つしかないのだ。
瑠璃は大きく息を吐き、呼吸を整えた。
「意表を突くのが好きなのか? 瑠璃、嫌なことはきちんと断れるようになった方が身のためだぞ」
「……十村も、度胸がある」
縄縹を利き手に掴んだ長次と鏢刀を構える三郎は小平太の斜め後ろで武器を構える瑠璃を見つめて表情を緩ませた。三郎は軽口を飛ばす始末だが、彼等は決して油断をしているわけではない。突飛な作戦の裏を読もうとしているのだ。
「なんだ、私と組むのは嫌なのか?」
小平太が目を丸くして瑠璃を見つめる。瑠璃は飛び上がって首を力強く左右に振った。
「とんでもないです! こら三郎! 余計なこと言うな!」
「……体育委員会の方が水が合いそうだな」
正面から視線をずらさないまま、恐ろしいほどに自然な動作で三郎は自分の真横に向かって鏢刀を打った。
その先には小平太が獣のように目を光らせている。攻撃を読んでいたかのように鏢刀を叩き落とす。
「おしゃべりする余裕があるのか、鉢屋?」
「……小平太。お前の相手は、私だ」
樹の幹を思い切り蹴りつけ、助走をつけて飛んだ小平太と三郎の間に長次が割って入り、振り降ろされた苦無を受けた。六年間同室で切磋琢磨してきた仲だ。手の内はお互いわかっていた。視線がかち合って、どちらともなく目を細める。。
小平太が長次の側頭部を狙って鋭い蹴りを繰り出す。肘で受ければみしりと骨が悲鳴をあげる。長次でなければ骨が砕けていただろう。
六年生同士の戦闘を横目で見て、三郎は距離を取った獲物に声をかけた。
「お前の護衛は八左ヱ門かと思っていたがなあ」
「えへ。最近は強い男に惹かれ始めたの。強さこそが魅力のすべて、みたいな?」
気丈にも笑顔を浮かべて冗談を言ってみせるのは、強がりか。くのたま五年生である瑠璃は実技の授業の際、よく五年ろ組に混じって授業を受けていた。お世辞にも戦闘が得意とは言えない彼女が前衛に出てきたのは当然、何らかの意図と作戦に裏付けられての行動である。
温和で朗らかな性格の瑠璃は同室である牡丹の優秀さの陰に隠れてはいるものの、決して劣等生ではない。
楪牡丹は女性ながら、鉢屋三郎が唯一同学年で敵わないと認める相手である。その牡丹の隣で、五年生まで進級し続け、尚且つ彼女の親友で居続けるのは生半可な実力では立ち得ない。それは三郎の友人たちとて同じことである。
地味で、目立たない学年だと揶揄されながらも彼等の学年も化け物揃いである。
「やだ、手加減してよ。こっちはお姫さまよ」
「お前、やけに姫に拘るな」
三郎の動きに、瑠璃はぎりぎりのところで対応していく。実力差は火を見るよりも明らかだ。けれども今回、彼の目的はあくまで捕縛だ。それに、互いに味方が傍で戦闘を行っている。瑠璃は常に小平太の動向を伺い、彼の行動範囲内で逃げ回っていた。当然小平太も長次との戦闘を行っているため彼女に手を貸すことは難しいのだが、いざとなればこちらに手を出す気でいるのだろう。
正直、瑠璃の実力に関してはかなり控えめな評価を下していた。低学年の頃、忍たまたちに良いようにやられて泣いていた姿が焼き付いているからか。合同で実習に出るときも、彼女はいつも怪我を負って帰る印象が強かった。
――それがどうだ。三郎は瑠璃を相手に攻めあぐねていた。驚くほど打たれ強いのだ。擦れ擦れのところで攻撃をかわし、次の一手に対応するために身を屈める。鼻先を掠めるような攻撃にも、目を逸らすことは無い。それは、くのいちというよりは一つ下の四年生、平滝夜叉丸や田村三木ヱ門の動きに似ていた。
「いつの間にそんなに戦えるようになったんだ」
「先輩方の無茶苦茶な鍛錬に連れまわされたからね」
瑠璃はふん、と鼻を鳴らして三郎の攻撃を刀で受け流す。鍛錬好きの会計員長に付き合わされているうちに、小平太まで瑠璃に声をかけてくるようになった。一度彼らの鍛錬に付き合って肋骨を折られてからは、瑠璃は自分の身を守る術を身につけることに心血を注いでいた。
三郎は納得したように半歩下がる。小平太と文次郎相手に一撃でも喰らえば女の身体なら骨の一本くらい簡単に折れてしまう。身のこなしの上達の謎が簡単に解けて、三郎は同情を乗せた目で瑠璃を見つめた。
それでも、攻撃をいつまでも避けていられるわけでは無い。接近戦を中断して、鏢刀を打った。鼻先を掠めたことで体勢を崩した瑠璃の髪を掴み、鳩尾に膝を入れた。咳き込んだ瑠璃の手首を掴む。おんなの細い手首だ。力を籠めたとしても抜け出すことは難しいだろう。一頻り咳き込んだ瑠璃がふ、と息を吸った。それから三郎の目を見つめる。
その行動に違和を感じた矢先、三郎の目先を槍が貫いた。
「……隠れていらっしゃいましたか、潮江先輩」
銀色の槍先が鼻先を掠める。それでも掴んだ獲物の手を離すつもりは無かった。文次郎の姿を視界に入れれば、次は爪先に暖かいものが触れた。それが血であると気づいた時には、瑠璃の腕が手からすり抜けていく。
掴まれた腕を内側に捻り、三郎の爪を皮膚に食い込ませたのだ。皮一枚を犠牲にして力づくで抜け出した瑠璃は転がるように三郎から距離を取る。
「捕まるな、と言ったろうが」
「逃げたのでよしとしてください」
(……成程、分が悪い)
三郎は横目で長次と小平太の方を見た。殆ど互角か。
文次郎は長槍を構える。その隙の無い姿に、三郎は舌打ちを隠さない。一撃でもまともに喰らえば終わりだろう。文次郎の背後で瑠璃が手裏剣を構えた。後方支援まで付けられてはこちらに勝ち目はない。
長槍が風を切る。一度武器を合わせてしまえば、離脱は難しいだろう。三郎は長次の方に視線を遣る。瑠璃の守役を外れ、戦闘のみに集中を許された小平太は本調子という様子である。
「……引きます!」
態々宣言した相手を文次郎が易々逃がすわけはない。鋭い軌跡を描く槍先を絡めたのは縄縹であった。力強く引かれたことで体制を崩した文次郎の隙を縫って、三郎が駆け出す。瑠璃の手裏剣が放たれるが、ひとつとして彼には当たらなかった。
「了解。時間稼ぎくらいは担おう」
文次郎の槍を封じた長次は、縄縹を踏みつけて苦無を小平太に向けた。
簡単に自身の札を渡す気は無い。文次郎が頷くと瑠璃が三郎とは反対の森に消えて行った。
一対一で対峙する兵助と八左ヱ門は先程から何度も切り結び、忍び装束を泥と血で汚しながらも一歩も譲らずにいた。荒くなった息を整える余裕はない。互いに距離を取りながらも隙を狙う。
八左ヱ門は右肩を押さえている。兵助の忍び刀によって負った傷は深くはないが、藍色の忍び装束を赤く染めあげている。対して兵助の方も、左腕を腫らしていた。利き手でなかったことは幸いだが、八左ヱ門の微塵が手の甲を打ったのだ。骨は折れていないが、普段通りに動かすことはできない。
「どうせなら、姫役の護衛がやりたかったよなあ」
「……お前なあ」
互いに満身創痍だというのに、呑気なことを言う八左ヱ門に、兵助は呆れたように肩を竦めた。もうすぐ、勝負は決まるだろう。互いに体力が限界だ。
ぴぃ、と細い笛の音が聴こえて、兵助は思わず空を仰ぐ。自分たちの合図ではない。
正面の八左ヱ門が目を細めて笑った。彼の笑い方を見た瞬間、兵助の頭に衝撃が走る。けれども気づいた時には既に遅い。目の前の八左ヱ門が、彼らしからぬ速度で枝を蹴った。
咄嗟に懐から取り出した棒手裏剣を打つ、けれどもそれは彼の投げた微塵によって振り落とされてしまう。
視界を覆った微塵とは別の鎖の音が聴こえる。視線を背後に移せば蛇のように長い鎖が迫る。鎖の対処に追われ、前から恐ろしい速さで迫る同級を避けることができない。腹部に衝撃を受けて、クソ、と兵助らしくない悪態が漏れた。
「あっは、嬉しいなあ兵助、騙されてくれてさあ」
首に掛けていた紐が手裏剣によって落とされた。兵助を見下ろす勘右衛門は、八左ヱ門の変装を解いて笑った。
「……勘右衛門。まんまとやられたよ。狼まで使うんだから」
「八左ヱ門に借りたのさ。生物委員会の狼はよく躾けられているよなあ」
立てるか、と手を差しだした勘右衛門の手を掴めば、その手は肉刺で硬い。兵助の良く知る、努力家の友人のてのひらであった。
先入観は敵だな、と兵助は頬の血を乱暴に拭う。変装の達人、鉢屋三郎の十八番をまさか相手が先んじて使ってくるとは思っても見なかった。いや、視野には入れていたはずだった。それでも八左ヱ門の得意を上手く利用した勘右衛門の作戦勝ちだろう。
走り去っていく勘右衛門の背中を見送りながら、兵助は自分の組の勝利を祈る。
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