11
お世辞にも治安が良いとは言えない路地を馬鹿正直に通って浮浪児たちに囲まれている客人を見て、潤は思わず笑ってしまった。見ればお付きの二人もどうにも人の好さそうな顔をした若者ではないか。やせ細り、眼ばかりが光る子供たちには力は無い。大の男ならば簡単に振り払えるだろうに、困り顔をする三人を見て声をかけた。
自分を慕う子供たちを諫めて、約束の酒場へと向かった。
「ここだよ」
バラックに布を被せただけの商店よりは幾分か上等と呼べる店構えだった。道中黙っていた波瑠は店を見ると小さく声を上げた。宮廷生活では見慣れない汚い場所に辟易したのかと思いきや、看板の酒瓶を見て感動したらしい。
「わたし、お酒飲むの初めて」
「私たちも嗜む程度よ」
「そうなのね。なんだか意外だ」
このお姫様は、随分呑気だ。旧知の友人に会って安心しているのだろうか。だとしても、ここは敵地のど真ん中だ。警戒を隠すのが特別上手いという訳でもなさそうで、鈍感さすら垣間見える。
そこまで考えて、潤は首を振る。どうも緊迫した生活が長いと友人を素直に見ることができなくなってしまって困る。七年ぶりの再開だ。しがらみを忘れて話すと自分が決めたはずではなかったか。
「潤ちゃん、ここからは、二人で話す?」
店内に入る際、波瑠が足を止めて潤に声をかけた。
「この二人は信頼がおけるけど、王宮内に流れちゃ困る情報とかがあるなら外で待機させるよ」
「なっ、何言うてんですか!アカンでしょそんなん!」
波瑠の言葉に側の男が声を上げた。潤は思わず吹き出してしまう。
「こっちもうっかり必要な情報を漏らすほど愚かじゃない。同席してもらって問題ないわ」
潤は信二、健太の方へ向き直る。
「こちらからも一人連れて来ましたし、二人とも中に入ってもらって構いません。女王様の護衛としてね」
「お、おう……」
「わ、判りました」
余りに堂々とした態度の潤に、健太も信二も委縮してしまう。女性に慣れているとは言えないその態度を見た波瑠が怪訝な顔をして二人の腰をつついた。四人の年嵩は大体同じくらいだ。ふざけあうように見えた四人は、傍から見れば仲の良い友人同士にでも見えたのかもしれない。
酒場の席に着けば店員がブドウ酒を運んできた。飢饉の影響から立ち直って無いアルスハイルでは植物か上手く育たない。恐らくこの葡萄は他国から輸入した物だろう。波瑠の即位から半年が経ち、対外関係も少しずつ変わりつつある。
「それじゃあ、二人の再会に乾杯」
潤がグラスを掲げると、波瑠が遠慮がちにグラスをぶつけた。濁った深紫色の液体が揺れる。二人して口を付けて、波瑠が顔を綻ばせた。
「おいしい〜。潤ちゃん、すっかりお酒の似合う大人になったのね」
「ちょっと、飲み過ぎないでよ?……まあ、七年って長い時間だもん。人も変わる」
昔を懐かしむように、潤はグラスを回す。波瑠の言う通り、潤はプライドの高い少女だった。気が強くて、同い年の子供たちより器量も要領も良く物事をこなせたものだから、ついつい物言いもきつくなってしまった。
それでも、波瑠が王宮に行って、鳴と親しくなって、スラムが焼かれて。アルスハイルを立ち上げて。潤の世界はどんどん広がっていった。それと共に色々な境遇の人と出会い、多くを学んだ。
一歩引いて周りを見ることのできる視野の広さと面倒見の良さはそのままに、他人に対する思いやりや弱者を守ろうとする気持ちが先行する女性になった。だからこそ、アルスハイルの仲間たちは潤に絶大な信頼を置いていた。誰よりも仲間を愛する彼女だから、絶対に裏切らない。自分たちを信頼してくれているからこそ、その恩義に応えたい。そう思わせる力が潤にはあった。
「波瑠こそ大人になったね。ドレス、似合ってたよ」
「え?あ、ああ……戴冠式の奴ね。わたしよりも、潤ちゃんの方が似合うよ。ほら、覚えてる?小さい頃のごっこ遊びで、素敵なドレス着たいって言ってたじゃない…」
「今の国で、あのドレスを着て国民の前に立てるのは貴女だけだよ」
「うん、まあ、そうなんだけどね…」
急に歯切れの悪くなった波瑠に、潤は胸の奥で嫌な感情が渦巻くのを感じた。聡い彼女は判っている。どうして波瑠が言いよどむのか。
お互いの立場が無ければ、なんら問題の無い会話だった。波瑠は懐かしい思い出を振り返ろうとしただけだ。けれども、潤にも波瑠にも立場がある。潤が幼いころに手に入れたがっていた白いドレスは、富の象徴だ。今や一国の王となった波瑠だからこそあのドレスを着て国民の前に立つことが許されているのだ。
「ただ持ち上げられてあの場に立っているだけのお飾りじゃないってこと、ここに来てくれただけでわかるよ」
けれど、少々軽率だ。
潤はその言葉を飲み込んで、笑顔を作った。交渉の場では自分の感情を表に出さないこと、そんなの初歩の初歩だ。結局、友人同士の再開を楽しむ雰囲気じゃ無くなってしまった。言葉の節々を潤という個人では無く「アルスハイルの潤」として受け取ることしかできなくなってしまっている自分に、潤は驚いた。その点、国王としての立場ではなく一人の立場の無い少女として会話を振ってくる波瑠の方が身の振りを上手く分けれている。
「あはは、ずいぶん過大評価だ。貴女に比べたらわたしなんて本当にお飾りだよ。通ってきた路地を見て、自分の力足りてないの凄く判ったし。あの人たちにとっては、アルスハイルは救世主なんだよね」
「そんな大層なものじゃないよ。元はただの自警団だし」
「わたし、潤ちゃんが主体だからとかじゃなくて、アルスハイルが間違っているとは思ってないよ。国の仕事が成されてなかった七年の間、国民を下から支えようとしていたのは貴女たちだもん」
「じゃあ、どうして邪魔をするの」
「それは……国がまだ死んでいないから」
生きている、ではなく、死んではいないという表現を使ったのが国の現状を表していると潤は思った。代変わりをしたばかりだが、セロシアは虫の息だ。このまま五年、十年と彼女の治世が平和なまま続けばあるいは回復が見込めるかもしれない。けれども、国内の情勢は最悪だ。
「あー…。楽しくお酒飲もうと思ったのに、中途半端に立場をかざしてごめんなさい。………ハカムへの侵攻を待ってほしいです」
「いや、それは私も同じ。こちらが誘ったのに自分の立場がブレちゃった。アルスハイルの副指導者の立場から回答するね。それは無理よ」
「どうして?今反乱を起こさなければならない理由があるの?貧困者には出来る限りの援助を行う。国庫の資金が無い今、自身の資産を切り崩して援助を行っている官僚だっている。貴女たちの行動は無駄じゃない」
「貴女たちがちまちま一つの政策を打ち出して国民に下ろすのに、どれだけの時間がかかっているの?私達は七年耐えた。その間に仲間が何人も死んだわ。友人が飢え死ぬ様を、ボロ雑巾の様に殺される様を幾度となく見て来た、その度に力の無さを悔いたの」
「先王が病に倒れていた七年間、大臣の悪政が国民を苦しめたのは言い訳のしようが無いけれど、国はこれから変わっていくよ」
互いにテーブルを挟んでの睨み合いとなってしまった。
二人は同時に思っていた。
ああ、本当に変わったのは、背丈でも性格でもなく、立場だと。
七年越しの再開を喜ぶ所か、気づけば政治の話になってしまった。けれども仕方の無いことだった。懐かしい友人であった頃よりも、潤はアルスハイルの指導者であった年月の方が長くなってしまっていたし、波瑠は王宮での苦労を誰よりも見てきていた。折れることは出来ないのだ。
互いに理解はある。貧困者や中産階級の国民の生活の困窮や苦労が続いてきたこと、王宮内が鶴喰の専制によって混乱に陥れられていたこと。けれども、互いの背負うものが大きすぎる。わかっていても曲げられないのだ。
「悠長なこと言わないで。それにいくら私や鳴が反乱をやめるって言ったって聞き入れられない。今や反乱軍は何千って数に膨れ上がってる。それくらい、今の国に不満がある人が多いんだから」
「……もう手遅れってこと?」
「そうね。もう、火は消せない」
「国家の責任かあ」
諦めたように、波瑠が言った。手元にあった温いブドウ酒のグラスを口元へ運んで、残りを一気に飲み干した。
「……アルスハイルの意見はわかったよ。こっちはこっちで悪あがきするしかないってことだね」
「国が傾いた原因はさ、鶴喰や貴族の散財や圧政でしょ。波瑠が悪いわけじゃない。それなのに、なんでそんなに一生懸命にやるの?いいじゃない、王政なんて潰せば」
「潤ちゃんと一緒!王宮内で良くしてくれる人がいるから、その人たちのために頑張ってるだけ。他の、わたしのこと悪く言う人なんてみんな死んじまえって思ってるから」
「王女様も大変ね」
「そうだよ。聖人でいなきゃいけないんだもん」
「全然違うんじゃないの?本当は」
「そう、昔と同じ。自分のことばっかり考えてる女だからね、本当は向いてないの」
「自己中心的なのは私も同じだよ。そうじゃなきゃ、反乱なんてやらない」
「違うよ。わたし、泥だらけの手を差し出されたら、きっと躊躇しちゃうもん」
白いドレスが汚れるからね、と波瑠は付け足した。
国民の前に立つ女王は精錬で、潔白でなければならない。国の象徴である彼女は弱音を吐かない。常に国のために動き、国民を先導するのが彼女の役目だ。それはとんでもない重責だろう。
互いに力なく笑って、潤はブドウ酒を波瑠のグラスに注いだ。
友人としての会話よりも、反乱軍のリーダーと国王としての会話の方が話が弾むだなんておかしな話だ。けれども、それでいい、と潤は思った。
それから他愛もない話を少しだけして、二人は別れた。
背中合わせになった波瑠と潤の目には決意が浮かぶ。
月の無い夜がゆっくりと深くなっていった。
***
「お、おかえり」
潤がアジトへと戻ると、入口の前で剣を振るう俊平と目があった。本職は商人と言っていたが、彼の剣技は中々目を見張るものがあった。こうやって夜に剣技を磨く姿も時折見られる。
「鳴は帰ってきてる?」
「おう、リーダーなら自室に居たぜ。潤の帰りを首を長くして待ってる」
「そっか。……会談、どうだったのかな」
「どうだも何も、俺達の意見は曲がらないんだろ?」
「うん。そうなんだけどね」
歯切れの悪い潤の言葉に、俊平が不思議そうな顔をする。
「な、ちょっと話す時間貰っても良いか」
練習用の剣を壁に立てかけて、俊平は潤の前を歩く。部屋に向かおうとしていた潤の手を引いて、アジトの砦の周りにある草原へ向かった。
「潤やリーダーはさ、なんでそんなに頑張んの?」
俊平の問いに、潤は目を見開く。
「大事なものを守りたいからだよ。今の私たちにはその力があるから、それを行使してるだけ。頑張ってるつもりはないかな」
「ふうん。大事なものってーのは、アルスハイルのことかい」
「そうね。家族みたいなものだから」
「ああ。確かに、家族って、こんな感じなんだろうなって思うよ。ずいぶん父母は年若いけど」
「ちょっと、まだ母親になったつもりはないんですけど」
アルスハイルの面々は家族を失ったものが多い。だからこそ家族や親類の情を知らない若者たちは自分たちの仲間を心から大切にしている。家族というのは的を得ているなと潤は思った。
「人、ずいぶん増えたろ。俺も途中から入れてもらった組だけどさ、誰でも「家族」になれるっつーのも変わった話だよな」
「うん、それはね。……ちょっと語っていい?」
「え?良いけど」
「アルスハイルは『誓い合った星』って意味。地上には終わりがあるでしょう」
「ああ、地の果てまで行くと魚がぽっかり口開けて待ってるって奴な。誰も果てに行ったことねーんだからホントか知らないけどさ」
「でも、空には終わりがない。どこまでも繋がっていて、何万って数の星がある。どこにいても、どんな立場でも、私達の意思に賛同する人は味方なんだって、そういう意味でつけたの。勿論、暴れたいだけのゴロツキみたいな奴はお断りだし、規則を破る奴には制裁が待ってるんだけどさ」
「なるほどね。俺もその心意気に惚れ込んだ一人って訳かあ」
しみじみと空を眺めて考え込む俊平に潤が微笑む。
「私たちの正義は、私たちのものだよね」
潤がポツリと零した言葉にどんな意図があったのか、俊平にはわからない。
けれども、この年の変わらない少女が自分よりも沢山の重荷を背負っていることは彼にもわかった。
「そうだよ。間違いなんかない。きっと、なんだって上手くいくさ」
慰めの言葉とは少し違ったが、優しい言葉だった。潤はこくりと頷いて礼を言う。
「頑張ろうぜ」
俊平は白い歯を見せて笑った。
星を眺めてアジトへ戻り、潤は鳴の部屋へと向かう。
人の良さそうな青年は名残惜しそうな顔をしてその背中を見送ると、そっとアジトを後にした。
prev next
back