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その日はよく眠れなかった。
夢を見た。波瑠の身近な人たちが無残に殺されていく夢だった。彼らの首を落とし臓腑を掻きまわすのは反乱軍の面々で、誰もが恨みを乗せた表情で、涙を浮かべて命を奪うために雄叫びをあげている。
順々に首を落とされて行って、最後に自分の順番がやってきた。場所は死刑台の上ではなく、王宮のバルコニーであった。
振り下ろされた剣はよく切れた。波瑠の首は胴体と離れた瞬間に外へと飛び出して、怒れる民衆の顔、それから首を斬った潤の苦い表情を眺めながら地面へと向かう。万歳、万歳……人々が喜ぶ声が耳に入る。地面とぶつかり、民衆が頭を踏みつけたところでやっと意識がこと切れた。
同時に目も覚める。
最悪の目覚めであった。寝間着が汗でぐっしょりと濡れている。着替えてもう一度眠ろうと布団を被ったけれど、窓から差し込む月明かりが気になって眠れない。
明日という日が来なければいいのに。演説の効果が出て、何も起こらなかったらいいな。波瑠は自分の都合の良いことを考えることにした。アルスハイルも国の政策に協力してくれて、国の反対派の役人たちも皆自分を認めてくれるようになる。
そうなればいいのに、と思うと同時に、そうなるためには現状のままでは駄目だと判っているから、気軽に夢も見れない。
結局、月が朝日に追いやられるまで空を眺めてしまっていた。



***



その日は朝から騒がしく、女官たちは不安そうな表情を浮かべて部屋の隅に固まっていた。髪を梳かしてくれる女官の手が震えているのが判って、波瑠は自分が平静を取り戻せていることに安堵した。
今日が正念場だと言うことは宮中に仕えるものの殆どが耳にしていた。襲撃の日にちが判っていたとしても敵はあまりに大勢だ。民衆を率いるアルスハイルの幹部たちを大人しくさせるにはこの襲撃を鎮圧する他に無い。
武装した武人たちが室内を走り回っているのが滑稽で、正装を着込んでいる波瑠が笑う。国民たちは自分たちをどう思っているのだろうか。落ち着き払って、高い所から彼らの抵抗を見下しているとでも思っているのか。実際に見てもらえたらいいのに。誰もが初めてで、てんてこ舞いだ。

「おや、馬子にも衣装ですね。波瑠様」

慌ただしい足音に混ざって、聞き覚えのある声が頭上から降ってきた。普段とは違い鎧を纏ったクリスが波瑠を見下ろしている。見慣れない宰相の格好に目を丸くしながら波瑠は答える。

「まあね。クリス、その格好は?」
「ご覧になれば判るでしょう。前線には出なくとも、戦える人間には準備させています」
「え……あなた戦えるの?」

顔に化粧を施されてるまま発された波瑠の言葉に、紅筆を持っていた女官が驚き筆を取り落とした。

「じょ、女王様…!?」

噴き出したクリスの後ろで準備をしていた軍人たちが大きく笑い声をあげる。

「おいおい、今じゃ教育係だが、クリスはうちの軍で一番恐れられていた男だぞ」
「女王様、知らないでこの方を顎で使ってたんですか!?」
「こんなガタイの良い文官がいるかよ!」

化粧を終えたばかりだと言うのに顔を大きく歪めて「教えてよ〜」と情けない声をあげる若い女王の肩をクリスが叩くとどっと笑いが起きた。思わず女官まで歯を見せて笑っていた。誰もが笑顔を浮かべながら、このまま誰も欠けることなく反乱を収められることを心の底で祈っていた。きっと良い国になるから。してみせるから。誰も奪わないで。


***


それからすぐにハカムの街で煙があがったと連絡が入った。アルスハイルがハカムを攻めるという情報は事前に手に入っていた。彼らがどう出てくるのか国軍には判らなかったが、今までの行動から見るに無駄な破壊や虐殺を行うことは無いだろう。
ハカムは王都でありセロシアで一番大きな都市だ。比較的裕福な街であり色々な身分の者が暮らしている。富める者から奪い貧困に喘ぐ者に正しく分配を行うアルスハイルは他の町では略奪のような行動も行っていたと報告されていたが、ここでは真っ直ぐに王宮に向かってくると予想されている。
けれども国軍の読みは外れることになった。
街の入り口から王宮までは真っ直ぐに大きな道で結ばれている。東の大国の都市を真似て碁盤の目状に整備された街並にはバザーが並び、活気を見せていたが、今日はそうとも行かない。
事前に配置されていた国軍が待ち構えていることも、アルスハイルにとっては想定内のことであった。

日が高く上る頃、人影が街の入り口に集まりだした。
国軍の兵士たちが驚いたのは、反乱に参加する人々のその『目』であった。泣き腫らしたように目元を染め、誰もが充血した赤い眼を光らせていた。
想定通りに現れた反乱軍の面々に、サーベルを向け、規則正しく一列に並んで国軍は叫んだ。

「止まれ!!」

殺さないで、と女王は兵士たちに頭を下げた。彼らの行動の始末は国が取るべきだと、国に仕える国軍の兵士が民衆の怒りを力で押し潰してしまうことは避けたいと言った。兵士の多くには波瑠の言動の多くが絵空事に思えた。政治に携わったことも戦場に出たことも無い少女の綺麗事は武器にはならない。
けれども自分たちが何よりも尊敬する上司が彼女の言葉に首を垂れるのだ。まるで命令されることが至上の喜びであるように、女王の言葉を叶えようとする。同じ言葉も、数多の戦場を潜り抜けてきた武人が言うのでは受け取る側も全く異なる印象を受けた。武に関わるものなんて単純だ。自分の尊敬する人が敬う人物を、自分が軽く見ることなどできるはずがない。
この国の行く先を見てみたいと、一介の兵士までもが考えていた。話せばわかってくれる、と女王は国民に訴えていた。アルスハイルが信念を掲げて剣を振るう集団であることも何度も説明していた。
理解していたからこそ、対峙した時の血走った瞳に怯まされたのだ。

「―殺せ」

重い声だった。攻撃に身構えサーベルを構えていた兵士の耳元で風切り音が通り過ぎた。最も彼がそれを自覚した時には意識は失われてしまっていた。隣の兵士は重心を失った兵士が隊列を崩すまで彼の死に、否、頭を貫かれたことにも気づかなかった。
対峙する人の波の中で、柔和な笑みを浮かべた青年が弓を構えていた。先ほどの声は彼の口から出たものだろう。前進していた国軍の兵士たちは突然の攻撃に動揺を露わにする。
それを目にした反乱軍たちは士気を上げる。口から零れるのは残虐な言葉だ。他人を傷つける言葉を口に出すことによって、他人の耳に流すことによって自分たちを鼓舞する。自分たちの行っていることは間違ってはいないのだと必死で思い込もうとしている。一種の集団催眠のような状態であった。
必死で進行を押し留めようとする武装した兵士たちに、殆ど素手の市民が掴みかかる。皮膚の露出した部分を手持ちの粗末な武器で攻撃してくるその凄まじい執念に、若い兵士が悲鳴を上げて隊列を崩した。
その隙を指揮官が見逃す筈が無かった。雪崩れ込むように反乱軍が国軍の間を割っていく。訓練を受け、統率されたセロシア自慢の国軍とは言え、一度も戦場を経験したことの無い若い新兵にこの場は酷である。戦いをよく知るアルスハイルの面々はそこを狙っていたのだ。

「お前らァ!!臆してんじゃねーぞ!!アルスの主力なら兎も角、昨日今日武器に触る様な奴らに後れを取って許されると思ってんのか!オイ!!」

兵士たちの心が折れてしまいそうになった時、後ろから痺れるような大声が彼らの背中を突いた。部隊長の純の言葉はいつでも自分たちの心を奮い立たせてくれる。本来ならば後方で指示を出す立場である純が前方へ駆け出し、崩れた隊列の前に出て相手を薙ぎ倒した。

「っざけんなオラァ!!」

彼の行動によって国軍は多少平静を取り戻すが、反乱軍の勢いは予想よりも強力であった。人数の多さもさることながら、一人一人の士気が高いのだ。仕方なしに武器を取り革命に参加したという雰囲気ではない。誰もが恨みを持って武器を振るっている。
対して国軍は厳しい訓練は受けてきたものの、対人間相手に剣を振るったことの少ない新兵を多く抱えている。
波瑠の「殺すな」という言葉を部隊長たちが素直に部下に下したのも、この状態を危惧してのことであった。自国の民に剣を振るうのは躊躇いが大きい。殺すために剣を持つのと、殺さない程度に足止めをするために剣を持つのでは負担が段違いに違う。
しかし、考えは甘かった。向こうは命を刈り取るつもりでこの場にいるのだ。王宮への侵攻が第一かと思いきや、剣を合わせた瞬間からその目的は相手の命を奪うことへと変更されるらしい。

「剣を振るうことを躊躇うな!前だけ見てろ!」

混戦状態の場で、もう一人の部隊長が声を上げた。国軍の強みは戦闘に慣れ、統率力を持つ人材を確保していることだ。普段は大声を上げない光一郎が上げた言葉は自軍を鼓舞するのに十分だった。自分も、初陣の時は震えあがって仕方無かった。他人の痛みが理解できる人材は指導者として優秀だ。


***


王宮の一室からはハカムの街が一望できた。波瑠は上がる煙と胡麻のように小さな人々が避難する様を眺めながら、自分の掌が汗でぐっしょり濡れていることに気づいた。思わず裾で拭おうとして、その衣装が一番上等の正装であることを思い出し、動きを止める。

「女王陛下、これ使ってください」

自然な動きで取り出されたハンカチを受け取って、波瑠は目の前の男性に礼を言う。ゆったりとした衣服はセロシアの文官の正装であった。

「アキラ、ありがとう。あはは、どうも落ち着かなくて……」
「へへ、俺の掌見てください。ほら、テカテカ!……不安がって、悪いですかね?」
「あ、ほんとだ…」

アキラは返されたハンカチを受け取る前に、自分の両手を波瑠の前に広げて見せる。墨のしみ込んだ指先と掌が光に照らされて水分を含んでいるのが見えた。セロシアでも一、二を争うほど頭の切れる文官であるアキラは普段地下の書庫に篭り切りの生活をしているというのに、よく気が付く優しい性格をしていた。
彼の気づかいを受けて、波瑠は微笑む。本当に、この国には素晴らしい人たちが沢山いる。彼らは皆先王の臣下だけれど、いつかは自分の下で心から国のために働いてくれたら。それはどんなに素敵なことだろう。波瑠は役人たちに会うたびに自分の立場が揺らぎそうになる。国王など、重すぎるのだ。

「アルスハイル、やっぱり戦うことにしたんだね……」

必死の演説も、結局は意味を持たなかったというのが波瑠にとって一番衝撃であった。聞けば民衆も多く反乱に参加していると聞いた。殺さずに、と兵士たちには告げたが、どうやら既に命を落とした人もいるらしい。戦況は思っているよりも悪く、王宮で待機していた兵士たちも続々と城下へ出て行った。
大丈夫だから、と笑顔を浮かべて戦場へ出ていく部下たちを見送って、波瑠は単身アキラの元へと向かった。

「貴女の行動が無駄だった訳じゃないですよ。積もり積もった物が、ここで露出してしまっただけです」
「ありがとね。でも、状況は最悪だよね」
「……アズラクからの使者は来ない。鶴喰の動向を監視していた部下からも連絡は途切れたまま……」

波瑠は、この反乱が起こると聞いてから事前にある計画を立てていた。もし反乱を止めることができないままアルスハイルがハカムに侵攻した時には、他国に仲裁を頼む準備をしていたのだ。先代の頃はよく交流を行っていたという、海洋国家アズラク。他国との交流を禁じていた十年間で疎遠になったとはいえ、貿易国家であるセロシアと親しくすることで不利益は無いはずであった。
しかし、幾度かの交流を経て、本題に入った途端。アズラクからの連絡が途絶えてしまったのだ。一国の王が直々に送った書を無視するなど本来起こりえないことである。国交が途絶えていたアズラクと連絡を取るにあたって翻訳から協力してくれたアキラと波瑠は溜息しか出ない。
本来他国との外交は一也が担当していたが、アズラクに停戦を頼むことを内密にしたいと言いだしたのは波瑠だった。その理由が、もう一つの悩みの原因である。
燐鶴喰。波瑠の叔父であり、先王の異母兄弟であるこの男を大臣の立場から退かせ、波瑠が王位についたところまでは良かった。先王が病気に伏せていた十年間。権力を牛耳り、浪費と散財によって国庫の財源を使いつぶしていた鶴喰を要職から外すまでが王位についたばかりの波瑠にできる精一杯であった。
元々互いが邪魔で仕方の無かった波瑠と鶴喰は互いの行動に目を光らせていた。いつでも王位を狙ってる鶴喰から目を離すことは危険極まりない。鶴喰にとっては、波瑠もアルスハイルも目の上の瘤なわけだ。停戦協定を結びたがっていることを鶴喰に知られるわけにはならなかった。いくら国王になったとはいえ、いまだに鶴喰の味方をする輩は王宮内に潜んでいるのだ。
それらを懸念して、鶴喰には監視をつけた。波瑠の配下だと悟られずに彼の動向を押さえる腕の立つ人物を雇ったはずだったのに、どうもその男とも連絡が取れなくなったのだという。

「……腹立つなあ。多忙だっていうのもあるけれど、私たちにとって都合の悪いことが起こりすぎてる」
「すみません。きちんと審査や面接を行い選んだ信頼のおける人物のはずだったんですが……」
「あ、ううん、アキラは悪くないよ。わたしも彼のことは信頼してたから。うっかり鶴喰派に殺されちゃったのかもしれないしね」

アキラと波瑠は困ったように力なく笑いあい、溜息をついた。

「中々、うまくいかないもんだね」
「貴女は十分やってます。あとは俺たちの力不足です、ご自分を責めないでください」
「みんなこそ一生懸命やってるでしょ!誰だって、こんなの初めてだよ。アキラだって古書の研究してるはずだったのに引っ張り出されてさ…」

荒上げた声は震えていた。波瑠は父である冠菊と同じく、他人の才を見抜く力があった。明確には彼女の周りに有能な人間が集まったと言ってもいい。優れた頭脳を持ったアキラは趣味が高じて古書や古代文字の研究を城内でしていたが、過去の他国の情報も全て頭に入っていた。彼が内密に外交を担当することはこれ以上ない適役だったはずなのだ。
他の人物だってそうだ。クリスも一也も宰相として国の要所を任されているが、今の彼女の手札ではその二人を並べることが最善の手だろう。波瑠自身は自分の甘えで大変な仕事を任せてしまっている、という認識だろうが、誰の目から見ても彼ら以上にふさわしい人材はいなかった。

「波瑠様の采配はいつだって正しいですよ。ほら、胸張ってくださ…」

気落ちしてしまった波瑠の背を押すように、アキラが声をかけた。言葉が最後まで言い終わらないうちに、轟音が部屋を揺らした。
血相を変えた二人が窓を覗くと、王宮のすぐ下に人々が集まり始めていた。締め切った門を開けようとしているのだ。目視できる限りでは武装したアルスハイルのメンバーは見られない。民衆が自分たちの意思で、王宮まで来ているということだ。

「わ、大変だ。……わたしもそろそろ出番かな?胸張って、行ってくるね」

真っ青な顔のまま、波瑠は部屋を飛び出した。

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