16
人々の喧噪、巻き上がる砂埃。蒸せかえる熱気の中、汗と血の臭いが広がる。息を吸う度に、瞬きをする度に平穏だった昨日を、剣を握る前の日を思い出す。
自分は何のために剣を取ったのか。健太は向かってくる青年が振り上げる鍬を受け止めながらも思考を巡らせていた。初めは母を、家族を守るためであった。見習い兵士となり、先王の激励を受けた瞬間から、自分は国のためにこの人に仕えるのだと決めた。母も、家族も、この国の一員だ。自分は正義のために剣を振るうつもりであった。けれども今はどうだろう。傷だらけの素足のまま農具や簡素な武器を取り、現状を恨む彼らは、まごうことなき国民だ。正義などというものはここには無い。
人の波同士が衝突し、金属が重なる音が耳の間近で鳴り響く。一般市民と訓練された兵では実力の差は歴然である。しかし、兵たちは中々民衆の反乱を鎮圧できずにいた。
初めは力任せに進撃してきていると思っていた民衆も、所々に反乱軍のメンバーが加わることで兵士達の隙を縫い隊列を崩しそこを突いてくるのだ。
反乱軍のメンバーは実力者揃いである。国軍に入っていれば、今頃部隊長を任されるくらいになっただろうに。人の良い健太は打ち身を作りながらもそんなことを考えてしまう。この実力は何度も剣を振らなければ身につかない。女王や一也の言葉を鵜呑みにするのであれば、アルスハイルには自己のために剣を振るう者などいない。彼らもひとつの正義を掲げて剣を握っているのだ。剣の重さも力強い攻撃も、誰かの為に身につけた力なのだろう。
「前園さん!あの、あいつ……」
砂塵の中、聞き覚えのある声に名を呼ばれた。目だけで返事をすれば、隣で男を盾で押し返した信二が声を上げる。視線を移せば特徴的な髪型の男が指示を飛ばしていた。見覚えがある。あの男はアルスハイルの副リーダーとの会談の際、潤と共に酒場にいた青年ではないか。
「大路の指揮をあいつが取ってるっちゅうことは、……成宮は、どこ行ったんじゃ」
ぞわりと、背筋が泡立った。これだけの大勢を扇動する力を持っているのは鳴と潤だけだと思っていた。アルスハイルも一枚岩では無いということだ。
健太の切り替えは早かった。剣を振り上げると後ろの信二に着いてくるように叫んだ。
「金丸!来い!俺らで止める!」
その言葉で、信二は健太の意図を掴み取った。豪がアルスハイルの重役であることはこれだけの大軍を動かしている事実から導き出された結論である。鍛えられた革命軍の面々ならともかく、扇動された民衆が指針を失えば、国軍の負担はずっと軽くなる。
人の隙間を縫って豪の元へと向かう。皮膚が裂けても、鎧に体を打ち付けても構わなかった。
誰もが迷っているのではないかと思っていた。この内乱は正しいのか。事情を知れば知るほど、自分が掲げる剣の重さに不安が生まれた。どこで歯車が狂ってしまったのだろうか。鶴喰大臣を追い出した後から、新しい女王と共に国のために粉骨砕身挑んできたつもりだった。それを裏切り続けていたのは国民たちのほうだ。けれども。
健太も信二も腰に差した剣の柄を握りしめていた。
本来ならば、国民相手に抜く必要のない、自分の正義の形。
「……お前が、アルスハイルの参謀かい」
豪の元へたどり着く前に、何人かの男が異変に気づき彼を守った。風変わりな剣とは対照的に剣術の型は洗練されていた。
健太の声に豪は舌打ちを隠さない。互いに顔には見覚えがあった。二人が女王の側近であることは近くで顔を見た瞬間に判った。ここで自分が討たれる訳にはいかない。身を翻す豪を、健太の声が制した。
「逃げるな!お前、あの時酒場におった奴やろ。なんでわからへん!あの時あの人らの話聞いとったんやろが!!」
足を止めた豪が唇を噛みしめたのを、信二は見逃さなかった。
「なあ、あんた、進軍を止めてくれ!国王を殺すことで国民が救われるだなんて嘘だ!」
追い打ちをかけるように言葉を受けて、豪が振り返る。けれども二人と豪の間に、一つの影が割り込んだ。
「……止まんねえよ。俺たちは一端の感情論で動いてるわけじゃねえんだっ!」
重い剣が振り下ろされたのと、健太が反射で盾を振り上げたのは同時だった。
額を狙ったその剣筋を受け止めた腕は痺れ、金属の盾に額を衝突させた健太が薄目を開ければ視界は真っ赤に染まっていた。その先に立つのは驚いた表情を浮かべた豪と、自分と対峙する剣を構えた男。豪の口から小さく男の名が漏れた。伸一郎と呼ばれた青年は鋭い目つきで健太と信二を睨みつける。
「間違ってんのなんて、とうに解ってる。でも止まれねえんだよ。お前らの君主が悪いわけじゃねえ、だが、殺された俺らの仲間はどうなる?見殺しにされた家族や友人。もう革命の成功でしか始末つけらんねえんだよ」
健太に向かって振り上げられた剣を、信二が前に出て受け止めた。金属が軋む音に歯を食いしばりながら耐える。剣技は向こうの方が上だった。それでも、ここで力を弱めれば一刀両断され、背後の健太も討たれることは解っていた。そのようなことは、望まれていない。
「目先の、ことばかり見てんじゃねえよ!!てめらの尺度で決めつけるんじゃねえ!!」
お前らが辛そうな顔をするんじゃねえよ。痛いのはこっちの方だ。
信二は伸一郎の剣を振り払いながら叫んだ。すぐに体勢を立て直した伸一郎は何故か急に後ろを振り返り、豪に声を掛けた。
「揺らぐなよ、参謀!」
その隙を見逃す健太ではない。血を流す額を抑えることもせず、血に濡れた顔のまま豪を追った。伸一郎が視界の端で捕らえた時には既に遅い。追いかける暇も与えず、信二の剣撃が襲った。
重い剣だ。伸一郎は苛立ちを隠さずに言う。
「ぬるま湯に浸って生きてきた国家の犬がっ!俺たちのことを知りもしねえ癖に偉そうな口を利くな!」
「知らねえよ!!知らねえから知ろうとしてんじゃねえか!!俺らの行動を見て見ぬふりして認めてねえのはてめらも同じだろうが!」
押されているのは信二の方だというのに、彼が剣を握る力は緩まなかった。声が枯れそうになっても、信二も伸一郎も叫びながら剣を振るう。
「あんたなら、解っとるんやないのか」
豪を引き留める声は落ち着いていた。痛ましい姿の健太は諭すように声を掛ける。
「これから、国は変わる。あの御方は、圧政を強いていた今までとは何もかも変えるつもりなんや」
「伸一郎が言ってただろう。俺たちの動機は、復讐だ」
「復習が、何を生むって……っ!」
途端、豪が長剣を振り払った。視界の狭まった健太は自身の剣で受け止めるが、その拍子に体勢を崩してしまう。すかさず追い打ちを掛ける豪の姿に、背後から信二が健太の名前を呼んだ。
「前園さんっ!!」
「…わしらには関係あらへん、なんて、言えへんけどな。…これ以上、痛ましい奴等を増やしたくないんや」
首を狙った剣を、健太は素手で掴んでいた。
指先に食い込む刃に顔を歪ませても、健太は目を豪から離さなかった。その形相に、豪は思わず舌を打った。痛ましいのは、どちらか。
彼の手は豪の目から見ても傷だらけであった。血だらけで、爪もはがれて、自慢の鎧も傷ついて。自分たちが知っているはずの国軍とは似ても似付かない。無様で、格好悪くて、必死で。みっともない。彼らの行動理念を知っている。女王のために、女王は、国のために。国民のために、彼らは自分達の反乱を止めようとしているのだ。
「お前らが、もっと、糞野郎だったら、良かったのに」
絞り出すような声だった。それでも、それが豪の本心だった。
豪も、伸一郎も、自分達の仲間たちが好きだった。心の底から信頼していた。けれどもそれは今対峙する彼らだってきっと同じなのだ。それが痛いほどに理解できてしまうから、自分の振り上げた剣の重みで崩れ落ちてしまいそうになる。
それでも、自分は足を止められないのだ。頭上に彼らの星が光りある限り。
目の前の兵士達が善人であることは嫌になる程伝わった。だが、自分の仲間たちを追いやり、殺し、辱め、苦しめたのもまた、国の仕業であった。代替わりをしたとしても、民衆の憤りは消えない。
「……こっちの台詞じゃ。分からず屋」
健太が豪の剣から手を離して膝を突く。豪の目の奥で、伸一郎が信二を振り払ったのが映った。倒れこんだ信二は立ち上がらない。
この結末はきっと、全てを救わない。誰もが望んでいることの筈だというのに、だ。
豪は目を瞑った。正義なんて糞食らえだ。
***
話せばわかってもらえる。波瑠はその理念を掲げてこれまで行動してきた。それ以外に彼女が持つ武器がなかったというのも理由の一つではあったが、確かな手ごたえを感じてもいた。国民が望んでいるのは争いではない。彼らが求めているのは平穏な生活であり、それを叶えることを要求し、革命軍を自分たちの代弁者として担ぎ上げているのだ。ならば、彼らの要望を確実に叶えることを約束できるのであれば、この内乱は抑えられる。
理論的には何ら間違いのない思想であった。けれども女王の考えは目下の民衆を視界に入れた瞬間に薙ぎ払われた。正門の前に集った人々は皆血走った眼をして呪いの言葉を吐く。押さえつけようとする兵士たちの体力も限界だろう。
「 なんのために」考えないようにしていたのに、自分の行動の意味を問う言葉が頭を過ってしまう。アキラの元を威勢よく飛び出してきたはいいが、民衆たちを目にすると心臓が締め付けられるように傷んだ。
自分が何のためにここにいるのか、指針を失えばすぐに投げ出してしまいそうな程、勝ち目がなく見えた。民衆が望んでいるのは平和などではない。自分たちを長きに渡って苦しめた王政を潰すこと。放蕩三昧を繰り返してきた肥った政府の豚を面前に引きずり出して、首を刎ねることが彼らの望む結末。なんてことはない。民衆は内乱にある種の娯楽を求めているのだ。革命軍は英雄、自分たちの意思を反映する正義の代弁者、対して腐敗した王家を目にかけるものなどいない。
無能な国王、おままごとの王政に従う盲目な家臣たち。見る者の目にはそう映るのかもしれなかった。以前潤と話した時に彼女は言った。「国家の悠長な改革を待っている時間はない」その通りかもしれない。目の前の事柄でしか物事を判断できない愚か者たちのことを、代弁者であるアルスハイルはよくわかっている。
「……でも、本当に愚かなのは、わたしだ。戦っているのも、血を流しているのも、自分じゃないくせに。辛そうな顔をしていてはいけないね」
愚かだと決めつけたのは、自分も同じだ。即位するまで王宮に篭りきりであった自分をすぐに評価しろというのが無理な話なのだ。国王の権威も十年の間で廃れた。張り子の女王像を盾に見栄を張って随分身の丈に合わない発言を続けたものだ。もう、失うものなどあるものか。
波瑠はバルコニーに繋がる窓に手を掛けた。力を込めて開けると熱気が窓の隙間から顔に吹き付けた。
女王の姿を目にした民衆が声を上げる。城内に雪崩れ込もうとしていた足も止まり、女王の姿を見ようと顔を上げた。民衆の瞳に映る少女は清潔感のある古風なドレスを身に纏い、ゆっくりと一礼すると国民と対峙した。
突然姿を見せた女王に虚をつかれ、先ほどまで狂ったように騒ぎ立てていた民衆も押し黙る。
「今日食べる食事に困ったことが、わたしにはありませんでした」
口を開いた女王の突然の言葉に唖然とした聴衆を尻目に波瑠は続ける。
「幼い頃は母が、物心ついてからはお城の人たちが、わたしを守ってくれていました。雨風を防ぐ屋根のある暮らし、寒さに凍えることも、照った日差しに皮膚を焼かれた経験もありません」
そこまで言うと、波瑠は深く息を吐いた。
胃の中が空っぽになる感覚を知っていた。盗んだパンの味を知っていた。裸足で駆けて擦り切れた踵の痛みを知っていた。けれども、一瞬の思い出の中のことだった。
「貴方たちの苦しみを、わかってあげられなくて、ごめんなさい。無知で、ごめんなさい。国民である皆さんに、目を向けることが遅くなってしまって、ごめんなさい」
自分にできることなどたかが知れていた。けれども、いざ王位に着くまで、波瑠は無視を決め込んでいた。それだけで、謝る価値はある。一人一人と腹を割って話すことはできないけれど、謝って、自分の飾らない言葉で、話をするべきなのだ。
「こんな小娘が国王だなんて情けなくて仕様が無いでしょう!それでも、貴方たちは私の国民なのです。本当なら、セロシアの国民が、傷つくことも、悲しむことも無いようにするのが国の仕事です。飢える者などいない、努力は報われる、そんな、国に、……わたしは、したかった」
女王の声が霞み、涙ぐむ。彼女を覆っていたセロシア女王というメッキがぼろぼろと剥がれていく。一つ、また一つと言葉を紡ぐたびに、国民の目の前に立っているのはただの少女へと戻っていった。
「けれども、現状は、国民同士が傷つけあい、殺しあっている。こんなの、間違ってます。痛いのは嫌だ、苦しいのは嫌だ。誰だってそう。この原因を作ったのは私たち王家です。国家が、国民を食いつぶしていた。それは言い逃れようのない事実です。けれども!現状を打破できるのもまた、王家なのです! セロシアが、国家として力を取り戻すために。他国との条約の締結、貿易の再開、法律の制定……。あと、もう少しなの……。最後まで、この国のために動かせてほしい。これは、命乞いの演説なんかじゃない、それだけは、信じてください」
正門の間近まで押し寄せていた反乱軍も攻撃の手を止めた。王宮のバルコニーから身を乗り出して泣きながら叫ぶ少女は、確かにこの国の女王のはずであった。憎むべき仇であった。失った命の灯は消えることなく胸のうちで燃え続けている筈なのに、あまりに必死なその姿を見てしまえば、足が止まった。
自分たちの目の前にいるのは、 国民同士が戦い続けることに意義を唱えるただの少女だ。
「……それでもわたしの首がほしいと言うなら、どうぞ。正門から入ってきなさい。この国の責任を一手に引き受ける覚悟があるなら、わたしはその者に命を預けましょう」
ざわつく民衆の中で、光を受けて輝く銀色の剣が掲げられた。それに気圧されるように道ができた。その真中を歩くのは、濃紺の旗を掲げるアルスハイルのリーダーである。先ほどの演説に負けるつもりもない、飛び切り響く声で、鳴は声を上げた。
「民衆の代弁者として、掲げた剣は真実の元へ」
人の道は鳴の行くべき先を指し示していた。緊迫した雰囲気の中、幾人かの靴音だけが静寂を破り正門へと向かった。
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