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道を開けた人々の目は期待を浮かべていた。あの演説を聞いた後だ、揺らぎもする、と潤は思った。城の前に詰め寄せていた民衆の中には子供もいた。大人に混じって揉みくちゃにされたのだろう。擦り傷を作り涙を浮かべるその少女とかちりと目が合い、潤は微笑んだ。


「アルスハイルは、まちがってないよね」


まるで自身の心中を代弁されたかのようで、潤はその少女と同じ高さに屈み、そっと抱きしめた。骨と皮ばかりの痩せた少女の身体は熱く、肩口が涙で濡れた。誰もが不安を抱えている。


「みんなが幸せになるために、お話してくるからね。待っていて」


自分の手が震えていることを、信じてくれる人たちには知られていなきゃいい。潤は少女の後ろに立つ人々も同じような目で自分たちを見ていることに気づいた。ごめんなさい。貴方たちの望む結末には、ならないのかもしれない。
みんなの幸せ。
潤が、鳴が、波瑠が口にする言葉の中の「皆」にはどこまでが含まれるのだろう。



鳴の背中を追いかけて城内へと足を踏み入れた時、潤は下ばかりを向いていた。正門は泥まみれだった。本来ならば清潔に整えられているはずの王宮がここまで乱れているのは中々珍しい光景だろう。
波瑠の演説には心臓を抉られるようだった。どうしてこんなことになってしまったのか。きっと、玉座に腰かける彼女も同じように胸を痛めている。―――いいや。そこまで考えて、潤はかぶりを振った。王家からすれば、潤達は只の簒奪者だ。大臣の圧政を退け即位した若き王を苦しめる害悪。互いの正義など、別の立場から見れば理由にもならない。


真実を掴むために自分たちが王宮に乗り込むのだと豪語した鳴の言った通りに事は進んでいた。それは潤の我儘を通すために大通に兵を集めた豪や、路地で騒ぎを起こした聖一たちのお陰でもあった。
多くの人の信頼を背に受けて自分達はこの場に立っている。それは、一度自覚してしまえば身体中に震えが走るほど恐ろしいことであった。


靴音を鳴らして広間まで進む。本来ならば常駐しているはずの衛兵たちは城を空けていた。手薄な警備を笑うことはできない。民衆を巻き込んだアルスハイルの反乱を一般の兵士たちだけでは抑えきれずにいるのだ。


「止まれ」


柱の陰から人影が二つ、各々武器を構えて潤達の前に出た。二人の男の顔を見て、潤も鳴も思わず破顔した。女王の側近が剣を抜くなど、いよいよ大詰めではないか。
鳴が小さく息を吸った音を耳にして、潤が前に出る。


「どうして?私たち、主催から直々に招待されたはずよ」


険しい顔をした二人を前に、潤は芝居がかった仕草で肩を竦める。微笑みさえ浮かべるその度胸に緊張を解かれた一也が感服したように口を開いた。


「お嬢さん。残念ながら舞踏会は中止になったんだ。今日のところは、相棒を連れて帰っちゃくれねえかなあ」


「誰がそんな……」


「お前に用は無えんだよ、腰抜け」


潤の返答を待たずに弾かれたように鳴が動き、その後に言葉が遅れて聞こえた。いつの間に剣を抜いていたのか、銀色の刃は一也の剣を震わせていた。


「女王を出せ。聞いたろ?てめえらのやり方に意義があんなら入って来いって言ってんだ」


「待て、もできねえのか。猿が」


唸りを上げてぶつかり合う二人が合い見えるのはあの日の会談以来であった。結局、交わることなく行きつくところまで来てしまったのだ。
音を立てて拮抗する二人の剣に圧倒された潤は一拍遅れて二人の後ろで静観する男に視線を移す。感情を乗せないその表情はまるで石の仮面のようだ。昔は名の知れた武人だったらしいが、今は隠居して国の財政を担っている人物だと知っているのに、潤は剣を向けられなかった。


「……通してくれないかしら」


潤の声は人前で話すことに対する慣れを感じさせた。通る鈴の声は広間に反響し、耳を打つ。
それを受けて時間を掛けてからクリスがゆっくりと首を左右に振った。


「悪いが、お前たちを国王に会わせることはできない」


「貴方に邪魔をする権利は無い」


「あの演説は女王が独断で行ったものだ。本来の意図とは異なる」


「よく言う。ねえ、話をするだけよ」


「話をして、それがお前達の納得のいかない結論に行きついたら?」


右手に構えられていた槍の先が潤の首元に当てられる。一歩でも動けば研がれた刃が彼女の皮膚を切り裂くだろう。けれども潤も臆さない。


「はっ、当たり前のことを聞くのね。殺すに決まってる」


首筋に当てられた刃に力が込められたことを察した潤は、クリスが握った柄を振り切る間に自らの剣を抜き、振り切っていた。軽くて鋭い剣戟は彼の皮膚を裂くだけで済んだが、それだけで済ますつもりもない。潤は足を踏み込んだ。狙った筈の喉元からは大きくずれた。


何百、何千と考えたことだった。友人を追い詰め首を落とす自分の絵は瞼の裏に焼き付いている。潤は許されないだろう。自分がどれだけ助けてたいと心の底から願っていても、今の潤は何万という国民の代弁者なのだ。
どれだけ考えても、すべてが納得する答えは出せなかった。鳴も、潤も、多くを殺し奪うだろう。それでも、自分たちを信じてくれる光のために選んだ道を進み続けるしかないのだ。


「だろうな」


短い答えだった。クリスの間合いは広い。振り回される先端の狙いは恐ろしいほどに正確で、潤は先ほど踏み込んだ時から彼の間合いの中に入ることすら許されていなかった。けれども一撃目とは異なり、二撃は肩口に細い剣が差し込まれた手ごたえを得ている。



間合いを測る潤の背後では鳴と一也が互いに一歩も譲らない戦いを繰り広げていた。互いの呼吸音すら聞こえる近さで、命を刈り取る鈍色が走る。
一瞬たりとも気を抜けない。余所見をした瞬間に首が飛ぶだろう。
鳴が厄介なのは彼の武器がその剣技に留まらない所だった。恐ろしい速さで繰り出される一撃を避けたかと思えば、足を狙って鋭い蹴りが襲うのだ。軍配があがっているのは鳴の方だった。
鳴にしてみれば普段は文官の職を全うしている一也がここまで闘えた事実の方が驚きだった。


「………おい、鳴」


相手に対して労いすら与える余裕が出てきた鳴に、肩で息をする一也が声を掛けた。


「なんだよ、死に損ない」


「手ぇ抜いてんじゃねえよ!」


怒声と共に放たれた一撃は重い。剣を握る両手に血が滴って、力の籠った腕は震えている。それが視界に入ってしまう鳴は思わず唇を噛んだ。殺す覚悟で来たはずなのだ。友人だって、なんだって。
一也は天才と謳われた男だ。剣技も、武術も、文官として大成するだけの知能も変え備えている。それでも、限界はあった。鳴は剣技と強い意志だけで革命軍のリーダーになった男である。その鳴に剣技で挑んだ結果は見えようとしていた。


「お前や潤がそこまでしなきゃいけない相手かよ」


思わず口が緩んだ。まるで踊らされているようじゃないか。鳴は潤が好きだった。誰にも縛られない、強かで、自由な少女。そんな彼女を縛っている相手は恐らく現国王だ。一也だってそうだ。ここまでの才覚を持ってして、死にかけの国に殉じようとするその価値がどこにあるのか、鳴は見抜けなかった。


「そうだよ!!なんでわからねえんだよ!!」


目の前で叫ぶ男はふらついて、簡単に心臓を突き刺してしまえそうだった。けれどそうすれば、一也は首に噛みついてでも鳴の足を止めようとするだろう。



「もういいよ」



荒い呼吸と金属音の中で、聞き覚えのある声が聞こえた。
一也とクリスの身体が一瞬で強張った。一也が剣を取り落とした音が静寂を破る。鳴と潤が顔を向ければ、広間の奥から国王がこちらを見つめていた。


「よく、来てくれました。こちらへどうぞ」


ゆったりとした仕草で二人に礼をすると、女王は唖然とするクリスと一也の間を通る。血に濡れた自分の部下に声もかけずに、波瑠は鳴と潤に自分の後についてくるように言った。


広間を抜け、廊下に入れば人の気配がちらほらと感じられた。逃げる間も無かった侍女や下働きの者だろう。潤と鳴を陰から見る目は、城下の人々とはまた違う。
沈黙を守る波瑠に、思わず潤は声を掛けていた。


「波瑠、あのね」


「待ってね、あとで話そ」


民衆の前に姿を現した時と同じく波瑠は白いドレスを身に纏っていた。背筋を伸ばして潤と鳴の前を歩く姿は昔と似ても似付かない。潤の記憶にある波瑠はいつも猫背で、何かに怯えるように潤の後ろをくっついて歩いていた。

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