18




潤と鳴が通された先は謁見の間であった。本来ならば人々が集まるその場所は三人以外の人影は見えず、波瑠は軽い足取りで玉座の前へ立つと、そのまま優雅に腰を下ろした。

「二人にも、椅子を出しましょうか」

呆気に取られた潤と鳴は言葉を失ってしまう。辛うじて潤が椅子を探そうと腰を浮かせた波瑠を止めた。

「このままでいいわ」
「そう」

 波瑠は息を吐き出すと、二人を見つめた。乱れた髪も、傷ついた身体も彼等が正義のために戦ってきたことを表していた。
 押し寄せる民衆に演説を行ったとき、本当は最後の言葉など言うつもりはなかった。けれども、誰かが全てを解決してくれることなど無いのだと学んでいたから、鳴たちを呼び込むような言葉が出てきてしまった。クリスと一也には悪いことをしてしまったと思うが、彼らが動かずとも時間の問題だっただろう。

「はるばる御足労ありがとう。わたしが、波瑠です」

 鳴と波瑠はこの場で初めて顔を会わせる。捉えがたい振る舞いの国王に鳴は波瑠のことを掴みかねていた。一也が命を懸けてまで守りたいと思えるような人間とは思えない。

「お茶でも出せれば良かった。貴方と話してみたかった。アルスハイルの指導者、成宮鳴くん」
「時間稼ぎかい? 担ぎ上げられた新王様」

 鳴が腰の剣に手をかける。波瑠は動揺も見せずに鳴を見据えた。
「対話を望むなら、それなりの態度を見せて頂戴。貴方の前にいるのは、セロシア国王よ」
 透き通る鳶色の大きな瞳。見下すでもなく、威圧するでもなく、ただ、自分の姿を丸々映されるような奇妙な沈黙が場を制した。
 言葉を受けた鳴がその紺碧の瞳を細め、身を正した。雛壇の下で片膝を付き、身体の前で平手と拳を合わせ頭を下げた。この国の礼儀作法を忠実に守り、声を上げたのだ。

「失礼致しました。女王陛下。一つ、貴女に問いたい」

 一瞬で、空気は緊迫感を纏う。潤は二人を真剣な眼差しで見つめる。

「どうぞ」

 漸く、ここまで来たのだと潤は思った。7年間で多くを違え、多くを得た。まさか、自分たちがこのような場で対峙することを誰が予想できただろう。
 それも、当時思い描いていた自分たちとは真逆の立場で、だ。

「先日、バイアトのスラムを襲撃することを、国軍に命令されましたか」
「……していません」

 波瑠の沈黙には驚きが含まれていたのを潤は見逃さなかった。思わず口が出てしまう。

「貴女の側近や、自由に動かせる兵士がバイアトを訪れていないことを証明する術はあるの?」
「わたしに軍を動かす権限はありません。兵士を出陣させるには軍団長の結城を通す必要があって、軍の動きは事細かに帳簿に記録されている。それを見せることが証明になるのなら」

 潤と鳴は顔を見合わせる。波瑠の話と、交渉を持ちかけに来た伝令の青年を見る限り、国軍の兵士には統制と教育が行き届いていた。内政を大臣に掌握されていた時代から、先王の直属の部下であった者たちが整えてきた土台が完成されているのだろう。

「貴女の言葉を聞かずに俺たちに立ち塞がったあの二人は、自由に動かせる駒ではない訳?」
「あの二人は有事にしか剣を取らないからまた別だけれど……、二人にも単独で軍を動かす権限は無いわ。スラムを襲った人数の見当はついている?」
「二人じゃいくら手練れでも無理だ。少なくとも三十はいなきゃ、あそこまでの破壊はできないだろうね」
「それじゃあもう一つ。国軍が身に着けている装備や剣は、簡単に手に入れられるものかしら」

 潤の言葉に、波瑠が顔色を変えた。身体の前で組んでいた手を、口元に当てる。その手は震えていた。波瑠は絞り出すように二人に言う。

「国軍の身に着けている装備は、この城内にしか置いていないもので……。現状、それらを手に入れることができて、自在に私兵を動かすことができる人物が、ひとり。……わたしの、叔父の鶴喰です」
「鶴喰?」

 鳴が声を上げる。その名前を聞いて糸が繋がったのか、潤が苦い表情を浮かべた。悪政の根源。先王の弟である鶴喰は自身の地位を使って暗躍し、病気に倒れ伏す王の陰で放蕩三昧をしていた人物だ。
 潤と鳴が顔を上げれば、玉座に腰かける波瑠は掌を握りしめ、唇を血が滲むほどに噛みしめていた。 鶴喰が見張りの兵士ごと行方を眩ましたことも、隣国への連絡が途絶えたことも、波瑠にとっては誤算だらけであった。
自分の無能を曝け出してしまうようで情けない気持ちが湧き出るが、重い口を開けた。

「今は、……行方が、わからない」
「はぁ!?」

 声を上げたのは潤の方だった。宮中の情勢に疎い鳴よりも、王家の人間関係の複雑さについて豪から学んでいた潤のほうが理解が早い。

「一番目を離してはいけない人物でしょう!?諸悪の根源と言っても過言じゃない!どうして!?」

 潤の責めるような言葉に波瑠は俯く。言葉を選ぶように、何度か口を動かして、けれども結局は諦めたように呟いた。

「……貴方たちが、攻めてきたから」

 タイミングが悪かった。元々波瑠の駒は多くはない。先王の忠実な部下たちの多くは軍人であり、政治に介入することができた二人には内政の改善を中心に任せていた。
そこで大規模な反乱が起きたとなっては、民衆の抑圧に目を向けずにはいられない。けれども、今となっては言い訳でしかない。

「そんなのは、理由にならない。俺たちは数年前から準備を進めていたし、アンタたちにも不慮の事故は重なったかもしれないが、鶴喰の監視が行き届いてなかったのはそちらの責任だよ」
「そう。わたしたちの想定が甘かったの。アルスハイルがフェグレスを襲ってから、ハカムへ侵攻するまでの急成長は予想できなかった。それに、わたしが焦ってしまったのも、ある」

 アルスハイルの快進撃の理由には、資金や武器面でのバックアップがついたことが大きかった。元々スラムの自警団であった彼らにはかき集めた古びた武器や防具しか備えが無く、装備を固めている都市の傭兵や国軍と他のメンバーが渡り合うには難しい状態であった。
 丁度良い時期だったのだ。渡りに船で、異国から旅をしている商人がアルスハイルに援助を申し出た。彼は人の良い性格で軍の中にもすぐに馴染み、土地勘と商人らしい情報網で参謀である豪や潤とも親しくしていた。
 もしかすると、うまく行き過ぎていたのかもしれない。
 波瑠が自分の肩に触れたのを見て、鳴が声を懸けた。

「そういや女王陛下。肩を『俺に』射られたそうだね」
「うちの宰相は女王が射られたというのに、犯人は貴方じゃない、と明言したわ」
 その言葉を聞いて鳴は一瞬驚いた顔を浮かべたが、すぐに表情を戻す。

「あの日、女王様が演説をしていたミアプラとハカムまでは馬を飛ばしても丸一日はかかる。その情報が入った時、俺はハカムにいたんだ。誓って俺じゃない。付け足すなら、俺が弓を射たら女王様はきっと怪我じゃ済まなかっただろうしね」
「矢の羽根は紺色に染められていたし、人々は金色の髪とアルスハイルの旗を見たそうよ」

 波瑠は先程の劣勢から鳴を試すように言い放つ。その表情は鳴や潤を恨むという風ではなく、どこか別の結論にたどり着いた諦めのような感情を含んでいるように見えた。
 鳴が答え合わせをするようにゆっくりと言葉を紡いだ。潤は彼の言葉が何を導き出すのかが手に取るようにわかってしまって、手を握りしめた。

「俺たちは貧乏な自警団だったからね。武器の管理はしっかりしているんだ。あの日、武器庫から弓矢一式が消えていた。それと同時に、姿を眩ました男がいる」
「真田、俊平……」

 その男の名は、潤の口から出てきた。彼がアルスハイルを去った日、潤は最後に俊平と会話をしていた。『きっと、なんだって上手くいくさ』最後に彼が潤に告げた言葉が、頭の中で反響した。

「え?」
驚いた声を上げたのは波瑠だった。その反応の意味が二人にはわからない。波瑠は聞き返す。

「真田俊平って、背が高くて、飄々とした、人懐こい男かしら」
「どうして波瑠が知ってるの」

 ぞわりと背中に悪寒が走った。

「うちの、兵士よ。鶴喰の監視を任せていた部下の一人」
「嘘……」

長い、沈黙が走った。
誰も口を開けなかった。真田俊平がアルスハイルと国軍、更に鶴喰とのパイプも持っていたことなど、今この場ではじめて分かったことだった。互いの情報が漏れるだけでは無い。一番漏れてはならない場所に情報を零し、その上で転がされていたのだ。

「……………なんにも、うまくいかない」

諦めたように、波瑠が椅子に深く腰掛けた。その声は震えており、女王の言葉ではなく、只の少女の独り言のように潤と鳴の耳を打った。二人は掛ける言葉を持たず、また短い沈黙が走ったが、次にそれを破ったのは民衆の期待に満ちた声だった。

「時間みたい。みんな、もう待ち切れないのね」

 鳴も、潤も、暫し呆然としていた。波瑠が玉座から立ち上がり、雛壇を降りて二人の前に膝をついた。

「国家の醜態は、わたしの責任です」
「波瑠、やめて」

潤が声を掛けた。こんな結末を望んではいなかった。バイアトを襲った相手が国軍では無かった。鳴も無実であった。それが分かったところで、犯人の行方は知れず。革命の成功を信じて待つ民衆は目に見えた答えが無いと納得はしないだろう。
それが解っていたから波瑠は頭を垂れたのだ。

「二人に、頼みがあるの。アルスハイルは人々の光になれる。だけど、わたしの部下たちは本当に有能で、良い国を作っていくのに絶対に役に立つから。命を奪わないで。できたら国づくりに登用してあげてほしい」

俯いたまま、自身の手を握りしめる波瑠は見てわかるほどに震えている。苦い表情の鳴が、腰の剣に手をかけた。

「潤」

鳴が潤の名を呼ぶ。
見るな、と言っているのか。俺がやる、と言っているのか。それとも、ごめん、と言っているのか。沢山の意味が詰め込まれすぎていて、潤にはそれを読み取ることはできなかった。

「待って…」

自分の声がこんなに弱弱しい音を立てることをはじめて知った。鳴も波瑠も今にも泣きそうな顔で潤を見上げる。

「こんなの、駄目だよ。間違ってる……」

正義のために闘ってきたのではなかったか。
圧政に苦しみ虐げられる人々のために、平等を掲げて戦いに身を投じてきた筈だった。自分達の剣は弱きを助け、強きを挫くために振るわれる筈だった。
今行われようとしていることは、潤にとって一番見難い光景であった。間違っているのだ。これから行われるのは民衆を喜ばせるための見世物だ。そんなことはしなくてもいい。誰も悪くなかったのだと、みんな一生懸命やったのだと、伝える事ができれば丸く収まるのだ。
それが誰しもに伝われば、人々は飢えなかった。革命は起きなかった。誰よりもその事実を身近で見てきた三人だからこそ、現状がどうしようもない状態であることが痛いほどに分かってしまう。

「潤。俺達、答えを、探しに来たんだよ……」

鳴の声も掠れるようだった。
潤の悩みを取り除いてやりたかった。自分なら、自分たちならこの現状を変えられると思っていたのに。
外に詰め寄せた民衆の声は一層大きくなり、切れ切れの鳴の声は最後には飲まれてしまった。
答えを探しに来たはずだった。答えが見つかればそれで終わり。それで済む友人同士であれば良かったのに。

「ごめん」

子供みたいだ。鳴が呟いた。何人もの命を奪ってきたはずだった。一刀のもとに人の首を切り伏せる実力があるのに、今や彼は年相応の青年にしか見えない。
謝られた波瑠も涙の跡を床に零しながら言うのだ。

「こちらこそ、ごめんね」

潤は今にでも鳴に飛びついて、制止を叫びたかった。けれども、全てがどうしようもない終わりへと近づいている様な気がしてならないのだ。幕が下りる。誰も幸せにならないまま、観客たちが席を立つ。ちらほらと聞こえる、気の無い拍手。

「いやあ、泣かせてくれるわ」

両手を鳴らしていたのは、一人の男だった。

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